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シニアネット 『おいおい』

俳句。俳句はすばらしい。俳句を語りあいましょう。

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シニアネット 『おいおい』 第800号 (2009.01.01)

2009/01/01

━━senior citizen net━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 2009/01/01━

    シニアネット 『おいおい』        第800号
 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━行動のための情報紙━━━━━━

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今年はと思ふことなきにしもあらず            正岡子規

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明治29年(1896)作。前書きに、「30而立と古の人もいはれけん」とある。「今年はと思ふこと」(志)である。30歳の自立どころか、歳は幾らになろうとも暖めている志は数限りない。毎年毎年の「思ふ」ことは、尽きない。この年は、句作で最も白熱した年であった。一人の俳人とは思えないような、句作ぶりだ。同年の暮れには、<行く年を母すこやかに我病めり>と詠んだ。年末には、腹を括ったようだ。
前年の1895年に、日清戦争に従軍記者として赴き、帰国途中、喀血、病を悪化させた。最後の奈良への関西旅行をして、長い闘病生活に入る。「明治29年1月歩行僅かに出来居り久松伯凱旋の祝宴にも連りたり」とある。こうした病状でありながら、やりたいことはやまほどある。そうした気持ちが込められている。松山市生まれ。(1867−1902)。

┏━━800号通過━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
あけましておめでとうございます。2009年の年賀を申しあげます。小紙が、目出度く800号を通過しました。 
攻撃目標の5紙の社説が面白くなくなりました。社会全体が閉塞状態になったのかも知れません。社説が「解説社説」が主流となり、高い視点から論調を張る社説が減った。ころころと論点を変える社説が多く、どっしりと構えた論調が少数派である。時代の趨勢だろうか。
 特に、高齢者に対するバッシングが強く、なけなしの年金に、所得税だ、社会保険料だと負担を強いて来ている。「静かな一揆」と新聞の論調は表現したが、「大声をあげる一揆」の元気はない。負担に対して福祉の見返りが問題だ。源泉徴収するのは、財政の原則だろう。所得税の負担が限界に来ている。消費税で平等に負担する税制にチェンジしなければならない時期にある。声高に主張しよう。
 日本のあるべき姿が見えない。ゴールを示して、頑張れば幸せになれるのだよ、というミッションが見えない。ミッションを展開する戦略が示されない。マネジメントの不足である。マネジメントは、企業運営だけではない。非営利組織(NPO)においても大切である。今年は、「非営利組織のマネジメント」を真剣に取り組んでみたいと思います。800号通過の元旦に、そう考えた。初夢ではありません。

┏━━「歳時記」━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
大晦日に長男の孫たちが、帰ってきました。あいさつ代わりに、俳句の「百人一首」といえる「5色名句百選かるた」を説明した。5色とは、俳句が新年と四季が5分類させている。下5句が取り札である。さっそく、新年のカードを20枚並べて遊んだ。まずますの評判だった。その後、取り札の増加策は、「歳時記」の「新年」の部を勉強すれば取り札増加につながると説明した。環境問題とも深くかかわり合えるという点や日本も伝統行事が稲作と深い関係あることも納得をえた。
孫は、長女が中学1年生、長男が小学5年生である。エネルギーを「歳時記」に向けようかと思いはじめた。世間は混沌としてきたが、1老人の力ではどうしようもない。「歳時記」の解説なら、世の中のためになるかも知れない。今年の目標の1つにしようか。
http://www.kadokawagakugei.com/topics/special/20080512_01/

┏━━京都杉本家の正月━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「日本の歳時記」に,杉本家のくらし暦が,杉本千代子さんにより毎号紹介されている。正月の行事は質素であるのに驚いた。浄土真宗の門徒の家では仏壇の荘厳を第一として、門松は飾らない。床飾りもいたって簡素にしている。松を生けるようになってのは、伏見の実家のならわしで加わった。
 3が日のお料理も「歳中覚」に細かく記されている。それぞれ長寿や子孫繁栄の、豊作への願いが込められている。ごまめ、数の子、ごぼうを加工する。お雑煮は、元旦と2日は白味噌、3日はおすましです。宮中の習慣が商家へ及んだ。お餅は、丸餅で具もすべて、「円満に角が立たないように」丸い型にします。
 料理は「おせち」でなく、「重詰め」で大晦日に蔵からこの重や祝い膳、家紋入りのお椀を運びだし、三種の肴を詰める。元旦の朝、家族そろってお仏壇の前に座り、お線香をしたあと主人が新年の挨拶をします。初詣りは、東山の先祖の墓にお参りしてその帰りに、清水さんや八坂さんに寄って挨拶するくらいです。
 今年も家族揃って健康でありますようにのお祈りなら、親鸞さんもお咎めなさらいないでしょうね。長年の疑問が解けた。浄土真宗と神道のバランスがとれて、晴れ晴れとした元旦である。
http://www.shogakukan.co.jp/saijiki/http://www.shogakukan.co.jp/saijiki/

┏━━寂聴「日めくり暦」━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 毎年、愛用している。元気を頂き、前向きな生き方ができる。毎日1枚ずつ、破って行く。
元日の日めくりは、「あけましておめでとうございます。暗い顔をしていたら、良い運はめぐっきません。常に明るい前向きに生きていたら、自然に良い運が寄ってくるものです。」
 2日は、「日めくりを1枚めくり取るとき、その日1日はすでに過去へと葬られます。新しい明日は真っ白で、そこに何が起こるかわかりません。日めくり暦は時間の流れを実感し、気持ちを引き締めてくれます。」。
 3日は、「人間の一生は“生に始まり死に終わる”という事実をよく認識すべきではないでしょうか。1日、1
瞬を精一杯生きるほかないのです。」。
http://www.onsei.co.jp/hohoemi/reki/himekuri2009.html

┏━━明治6年元旦━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  旧暦では明治5年12月3日にあたるこの日が、太陽暦の施行の明治6年元旦となる。諸外国との国交にきわめて、不便であった。欧米の実施しているグレゴリオ暦に接しその簡便さに驚く。しだいに、太陽暦採用の気運がたかまった。
明治5年11月9日(旧暦)、政府は突如改暦を発表した。「来る12月3日を明治6年1月1日とする。」と「時刻法を1日12辰刻制から1日24時間の定時制に切り替える。」ことを布告した。この発表の11月9日は新暦の12月9日にあたる。発表から実施まで、わずか23日しか残っていなかった。明治6年の暦は10月初旬より全国で540万部が発売済みであった。
極秘裏に改暦が進められていた。その実情は、火の車の財政事情が裏にあった。旧暦では、6月に「うるう月」がり、年俸制から月給制であるから、1月分余分に払わなければならなかった。それに、新暦にすれば、12月分を払う必要がない。2か月分の給与を節約するためであった。財政事情から、新暦採用を強行した。

┏━━身辺雑記━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 今日の元旦は1秒だけ長い。日本では午前9時の直前に、「8時59分60秒」が存在する。地球の自転のズレを調整する「うるう秒」である。1秒であるが、金融市場ではその1秒間に変化が起こる。スポーツ競争では、1秒の何分の数秒で優勝者と敗者になる。
 そうなると、たかが1秒ではすまされない。「うるう秒」の1秒に意味を考えてみることも大切である。「1銭を笑う者は1銭に泣く」とはよく言う。「1秒を笑う者は1秒に泣く」とは言わない。お金より、時間の方が大切だと思うが。お金は、小額でもお金である。時間の最小単位はせいぜい分が単位だろうか。日常の生活では、ストッポッチは使わない。腕時計の長針と短針の表示で十分であるから。

(おことわり)今年は,元旦号は、昨年のうちに編集を終わりました。新春の社説のサマリーは、次号に送らせていただきます。

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創刊日:2001-07-23  
最終発行日:  
発行周期:週一回以上  
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  • 名無しさん2009/01/02

    田村さん、元エフメロウの能彦です。

    明けましておめでとうございます。

    久しぶりにじっくり拝見しましたが、今日の論調は素晴らしいものでした。今後もがんばって下さい。

  • 名無しさん2009/01/01

    800号おめでとうございます。全ての論説に見識の高さを感じます。特に800号の内容には偉大な指針を感じます。前期高齢者医科大学内科教授の小生は定年後は医療領域から決別し晴耕雨読の年金生活中ですが、リスクの無い生活時間を得たことに充分満足しています。昭和40年インターン後に医者修行と言われた青春は蟹工船以上の経済環境(無給で夜間は当直のバイドで翌日朝に現金を貰って大学に帰る、勿論交通費も食費もそれで賄うのが常識でした。救急病院の夜間診療・当直医師は彼らによって経営されていました。当時の国立大学の医師は六法全書に教員と医師には労働基準法は適用されず別途定めるの範疇に入っていました)にありました。当時の大学病院では当直は文部省管轄ですので事務当直1名の予算しか認められておらず、各診療科の当直・日直は無給でした。昭和43年頃に東京医科歯科大学で有給・無給助手会を結成して人事院に提訴してやっと一般病院同様の診療科毎に医師の当直が認められた記憶があります。このような背景を存続して運営されていた医療現場の破綻は当然であると考えていした。文部省科学省・厚生省そして労働省が黙して語らない現状が続く現状から2009年中に医療制度の破綻が危惧されます。多くの病院が経済観念だけで開設し倒産する状況は益々拡大する年となるでしょう。