生活情報

シニアネット 『おいおい』

俳句。俳句はすばらしい。俳句を語りあいましょう。

全て表示する >

シニアネット 『おいおい』  第791号 (2008.12.08)

2008/12/08

━━senior citizen net━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 2008/12/08━

    シニアネット 『おいおい』        第791号
 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━行動のための情報紙━━━━━━

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

12月8日かがみて恥骨在り              熊谷愛子

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 12月8日は、太平洋戦争の開戦日。昭和16年(1945)12月8日未明ハワイの真珠湾へ、空母から発艦した飛行機が攻撃した。「ニイタカヤマヘノボレ」の電報が打電された。攻撃開始である。「トラトラ」は、「突入セヨ」とも「成功セリ」とも考えられるが、今のところどちらか不明である。いずれにせよ、ハワイ上空から大戦果の報告を打電したのだろう。真珠湾に米太平洋艦隊基地であった。米国に長期消耗戦に持ち込まれて、国力の差を見せつけられた。オバマ大統領の出身地でもある。
 「恥骨在り」の「恥骨」は身体で大切な役割を果たす部分である。釈迦の成道の日でもある。修行でやせて「かがみて」始めて、「恥骨」にきづいた。それほど、痩せているのだろう。作者の句風は、「人間の本能と内面をみつめる。」。石川県白山市生まれ。(1923−)。

┏━━蝋八会━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 釈迦が苦難を耐えて悟りを開いた。成道の日である。蝋(12)月八日。開戦はその日にあやかろうとしたが、悲惨な敗戦へと落ち込んでいった。苦行では悟りが得られず、川で6年間の垢を落としたあと、菩提樹の下で座禅を組んだ。その朝、悟りを開かれた。禅宗の大寺では、1日から8日払暁まで不眠不休の座禅修道が行われる。8日の朝、茶粥、甘酒、沢庵などが出される。寺により昆布、串柿、菜を入れた粥を出す寺もある。

┏━━閉塞成冬━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
72候の1つ。12月8日。「へいそくふゆとなる」。冬気強まり、人も生き物も万物みな閉じふさがる頃。

┏━━昭和史━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 ◎「昭和の遺書53通」(文藝春秋新年特別号)◎
文藝春秋の新年特別号が、「昭和の遺書53通」を特集した。平成年20年。昭和終わって20年。国民が否応なしに歴史の渦に巻き込まれた昭和。昭和ほど遺書が書かれた時代はない。その昭和を遺書でふりかえった。
昭和は3分の1は戦争であった。260―290頁まで戦争関係。291―307頁がその後。「昭和維新」の二・二六事件の磯部浅一と北一輝から始まる。昭和初期は、小林多喜二の死骸を引き取った母の「まるで詩のような絶筆」の紙片。
戦中の「学徒出陣・特攻―若い兵士たち」の最期の言葉がつづく。「ふるさとを思いつつ―農民兵と看護婦」。「部下将兵とともにー前線の指揮官たち」。「天皇と国に殉じるー戦争指導者たち」は、近衛・東条も出る。
サイレント・ネイビー」の井上成美は、敗戦後は公の場には出なかった。戦後30年を沈黙と孤独に生きた。8月15日には、軍帽をかむり海に向かい1日正座していた。「2人のカリスマー満州の荒野で」。「市民の悲劇―原爆と引き揚げ」。「終わらぬ戦争―戦犯とされた人々」。
「もはや戦後ではない」の昭和31年から経済発展に進む中、60年安保闘争のような政治の季節となる。「青春の死―学生運動のさなかで」では、昭和35年6月15日国会の請願デモの中で圧死した東大生の樺美智子。「勉強できる時間が欲しい」は今の若者に読ませたい。「政治の季節にー戦後のテロ事件」。昭和39年の東京五輪を経て、高度成長時代が来る。経済アニマルに走る日本に嫌悪感を抱いた作家・三島由紀夫。昭和45年11月25日の自衛隊駐屯地での割腹。自決から28年後に遺書が公表された。「武士として死にたい」が本音である。中略する。
昭和の幕を引いた遺書2つ紹介して終わりとしたい。「昭和とともに逝く。女王ひばりの絶唱」。平成元年5月、昭和の終わりを見届けるように去った国民的歌手。52歳のひばりは、「生きることに向って歩きます。」が最期の言葉だった。いよいよ「昭和の終焉。昭和天皇 最後の御製」。生前最後の作。<あかげらの叩く音するあさまだき音たえてさびしうつりしならむ>。崩御前年の昭和63年9月、那須御用邸で静養中に詠まれた。昭和が終焉に近付き静かな寂しあがある。昭和天皇は体調の悪化を押して、戦没者追悼式に那須からヘリコプターで出た。これが最後の「公務」となった。9月19日に吐血して、一進一退の容態が続いた。翌年昭和64年1月7日午前6時33分、天皇崩御。昭和は静かに幕を引いた。

┏━━身辺雑記━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
真珠湾攻撃総隊長の淵田美津雄(1902―1976)の生涯が、雑誌「ラジオ深夜便」の11月号に再録された。機動隊360機の指揮官。戦艦アリゾナ轟沈したのは、航空部隊の戦果である。特殊潜航艇ではない。未帰還の潜行艇の乗員を軍神に仕立て上げだ。飛行機は被弾して燃料切れ寸前に帰投した。半年後のミッドウエイ海戦では重傷した。原爆投下後、現地調査団に入り二次被爆にあった。敗戦後のミズーリー号上での降伏調印式にも立ち会った。開戦から幕引きを見届けた。
敗戦後は、奈良県橿原市で農業をする。基督者として生きる道を見付ける。「憎しみの連鎖を断つために」に渡米を繰り返す。最期まで、「生き残った自分で出来ることは何か。」を自問していた。

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2001-07-23  
最終発行日:  
発行周期:週一回以上  
Score!: 非表示   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。