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シニアネット 『おいおい』

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(NO 718-2008.05.24)シニアネット『おいおい』 第718号

2008/05/24

━━senior citizen net━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 2008/05/24━━

    シニアネット 『おいおい』        第718号
 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━行動するシニアの情報紙━━━━━━

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 ふるさとはみかんのはなのにほふとき           種田山頭火

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山頭火の「ふるさとは」、山口県の防府市である。蜜柑栽培の盛んなところ。旅先で、「みかんのはな」の「にほふとき」に故郷を思う。蜜柑の花は郷愁に似た思いを抱かせる。清新な強烈な花の匂いが特徴である。
蜜柑は温州蜜柑を指す。海に近い山の斜面に栽培され、白い五弁の香り高い小花を咲かせる。この蜜柑の花は、ある日突然、むせるような甘い香りに包まれる。1週間ほどで、はたと香りが落ちる。
有季定型の俳句を中心に紹介してきた。山頭火は、はじめての紹介である。山口県防府市生まれ。(1882-1940)。

┏━━若葉の緑━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 5月は新緑の季節。木々の若葉が美しい。豪華な樟の若葉。まばゆい柿若葉。葉桜の桜若葉。若楓は細かい切り込みの入った楓が広がる、青空をすかすと黄緑も赤茶もある。新緑の期間は短い。夏が深まると木々の若葉は青葉にかわる。
 若葉色はみずみずしく、黄緑色を日本人は若葉色と呼ぶ。若葉、若芽、若草、若竹等、早春から初夏にかけての植物の表現方法である。平家物語では、一ノ谷で討ち死にした平敦盛の雄姿を「萌黄匂の鎧着て」と表現した。「萌えいずる自然の生命力をたたえる色」(『週刊日本の歳時記 6』より)

┏━━後期高齢者医療制度━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◎野党の廃止法案は無責任過ぎる◎
4月に始まったばかりの後期高齢者医療制度の廃止法案が、民主、共産、社民、国民新党の野党4党から参院に提出された。来年4月から以前の老人保健制度に戻す。それに先立ち、保険料の天引きをやめ、会社員の扶養家族からは保険料を取らない。これが柱だ。たしかに、後期高齢者医療制度はその呼称を含め、配慮を欠く面が目立つ。不備や欠陥など問題点が多いことも確かだ。しかし、新制度のすべてを否定して白紙に戻すというのは、混乱をさらに広げ、長引かせるだけだろう。ところが、新制度を撤廃した後にどうするのか、対案がない。とりあえず、従来の老人保健制度を復活させるという。これでは、あまりにも無責任ではないか。
 生じている混乱の原因は、厚生労働省や自治体の対応のまずさにある。主に75歳以上が対象の大きな制度変更なのに、高齢者に配慮した説明や準備を怠ってきた。そのため、感情的な反発が先行している。まずは冷静に、制度の長所と短所を検討の俎上に載せるべきだろう。ともかく廃止せよ、議論はそれからだ、という野党の姿勢は、拙劣の上に拙劣を重ねるようなものだ。

24日;朝日社説(1)高齢者医療―「廃止」の怒りも分かるが
http://www.asahi.com/paper/editorial20080524.html?ref=any
『老人保健制度に戻れば、多くのお年寄りは市町村の運営する国民健康保険に再び入ることになる。今後、お年寄りが増えた時に、いまでも厳しい国保の財政が維持できるとは思えない。後期高齢者医療制度も老人保健制度も、お年寄りの医療費を会社員の健康保険組合や国保の保険料と税金で支えることに変わりはない。だが、老人保健制度では、お年寄りの保険料も現役世代の保険料もまぜこぜで、だれがどう負担しているのかが分かりづらかった。現役世代の負担が際限なく膨らみかねないという不満もあった。 こうしたあいまいな点をはっきりさせておこうというのが新制度だ。 
 野党の中にも、以前の制度がよいとは思わないという声がある。民主党はかねて会社員や自営業者、お年寄りを一緒にした保険制度を主張している。しかし、一元化には、年金と同じように、どうやって自営業者らの所得をつかむかといった問題がある。 一方の与党も、野党を無責任だと非難するだけでは済まない。新制度を維持するというのなら、収入の少ない人の保険料を減免するのはもちろんのこと、保険料が上がったり、治療が制限されたりするのではないかというお年寄りの心配を取り除く必要がある。いま税金の投入は後期高齢者医療費の半分と決められているが、必要に応じて増やすことを明確に打ち出すべきだ。財源問題から逃げていては、「うば捨て山」という批判がいつまでもつきまとい、制度が定着しない。 

24日;読売社説(1)後期高齢者医療 混乱を増すだけの廃止法案
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080523-OYT1T00833.htm
『新制度が周知されていないのと同様、従来の老人保健制度に大きな問題があったこともまた、十分に知られていない。政府・与党はそこから説明が不足している。これまでも75歳以上の人は、主に市町村の国民健康保険に加入しながら、老人保健制度の枠組みに入っていた。その医療費が膨らんだ分は、企業の健保組合などが拠出金で支援していた。ただし、現役世代がどこまで支援するかが明確ではなかった。後期高齢者の医療費が必要以上に膨らまぬよう、誰が責任を持って取り組むかも判然としなかった。保険料も、市町村の財政事情によって大きな格差が生じていた。
 老人保健制度の歪みが限界にあるのは与野党の共通認識だったはずだ。2000年の医療制度改革で参院が関連法案を可決した際、共産党を除く各党で「早急に新たな高齢者医療制度を創設せよ」との付帯決議を採択している。新制度で老人保健制度の問題点は改善しており、再び後退するのは望ましくない。利点は適切に評価してさらに磨き、欠点を迅速に改めていくべきだろう。
 野党の攻勢に、政府・与党は大あわてで制度の見直し作業に入った。ところが、負担増になる高齢者の救済策として、バラマキのように幅広い減免措置を検討している。これもまた拙劣だ。政治が右往左往する間にも高齢化は進む。必要なのは建設的な議論であり、目先の人気取りで拙劣な対応を競うことではない。

24日;産経社説(1)高齢医療廃止法案 旧制度に戻すのは無責任
http://sankei.jp.msn.com/life/welfare/080524/wlf0805240304000-n1.htm
『老人保健制度の見直しは、平成12年の参院委員会で共産党を除く与野党が付帯決議で確認していることである。旧制度は医療費を支援する若年世代の負担額が分かりづらく、高齢者医療費の増大が続く中で「負担が青天井になる」との懸念が強かった。 さらに高齢者の多い市町村では、国民健康保険(国保)が財政破綻の危機にあった。保険料格差も、都道府県単位の新制度で2倍に縮まったが、国保は最大5倍あった。民主党は政権交代を目指す以上、旧制度の問題点について解決策を示す責務がある。
  民主党は、揮発油(ガソリン)税をめぐっても値下げを優先させ、歳入欠陥への対応策をきちんと示さなかった。新制度を廃止すれば、システム改修や保険証の交付し直しなど余計なコストがかさむことも認識すべきだ。民主党は福田康夫首相への問責決議案提出を視野に廃止法案を政権揺さぶりの材料にしようとしている。こうした政争重視の対応をいつまで続けるのか。
 医療保険の制度設計は一朝一夕にはいかない。代替案にしても国民的合意を得るには数年かかる。新制度はスタートしたばかりで、当面は問題点を改善すべきだ。政府も、法案審議を新制度の意義をしっかり説明する場にしなくてはならない。肝要なのは、よりよき制度作りに向けて党派の対立を超えた論議を行うことだ。
 
24日;毎日社説(1)高齢者医療 野党の廃止法案 「75歳」線引きの是非こそ論じよ
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20080524ddm005070102000c.html
『政治家には、国会で医療改革の議論を早急にやり直すことを求めたい。問われているのは75歳以上を独立の医療保険制度に入れたことの是非だ。そもそも病気になるリスクの高い高齢者だけを対象にした制度は保険原理にはなじまない。75歳以上を独立させて医療制度を作ったことをどう判断するのか。与野党は、まずここの問題から議論をし直すべきだ。医療改革を政争の具にすることが絶対にあってはならない。
廃止法案を出した野党に注文がある。新制度を廃止した後の対案を早く示してもらいたい。行き詰まりつつあった従来の老人保健制度に代わる高齢者医療制度の創設を検討すると与野党で決めていたはずだ。廃止して元の制度に戻すという案では国民は納得しない。対案を出さなければ、議論は深まらない。与党は負担軽減策など、その場しのぎの対策では高齢者の不信を払しょくできるとは思えない。
高齢化によって増えていく医療費は、現役、高齢世代と公費でまかなうしかない。公費をどこまで入れるかも含め、医療費負担のあり方を議論することが必要だ。日本の総医療費を対国民所得比でみると、先進国のなかでは低い水準だ。しかし、政府・与党は医療費水準の抑制を続け、医師不足をはじめ医療崩壊ともいえる現象が起きている。政府・与党の医療費抑制に危機感をもった高齢者は「早く死ねというのか」と本質を突いた批判をした。これに応えて、与野党は本気で議論をすべきだ。

┏━━新福田ドクトリン━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  ◎アジア外交の再定義といえるか◎
朝日新聞が、珍しく、福田首相を持ち上げた。日本経済新聞が、人権問題を薄くした福田演説を批判した。立場が逆転している。目を疑うような2紙の社説である。
 福田首相がアジア太平洋地域の政治家や有識者を前で演説をした。今後のアジア外交の基本について、考え方をまとめたものだ。77年8月、首相の父、福田赳夫首相が東南アジア諸国歴訪のしめくくりとしてマニラで行った政策演説は、「福田ドクトリン」と呼ばれる。77年のマニラ演説で当時の福田首相は(1)軍事大国にはならない(2)心と心の触れ合い(3)対等のパートナーシップに基づく東南アジア諸国連合(ASEAN)の強化などを訴えた。経済大国は必ず軍事大国になるとする歴史の通説をあえて否定したのが福田ドクトリンである。翌78年には日中平和友好条約が結ばれた。
 当時は、経済高成長で日本が急速に存在感を増していたころだ。摩擦が起こりがちだったアジア諸国との関係を安定させる目的があった。それから30年あまり。東南アジアなどが急成長し、さらに中国が大国として台頭する中で、日本としてのアジアへのかかわり方を再定義するのが、今回の演説の狙いだった。
 
23日;日経社説(1) 新福田ドクトリンをどう生かすか
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20080522AS1K2200422052008.html
『「太平洋が『内海』となる日へ」と題した福田康夫首相の演説は、後に福田ドクトリンと呼ばれた1977年の福田赳夫首相のマニラ演説を意識し、新福田ドクトリンと呼ばれることを期待しているのだろう。福田康夫首相とアジアとの関係の深さが語られるのは、父である赳夫氏の外交的業績との連想による部分が少なからずある。31年たち、世界は変わった。地球が小さくなるのがグローバル化だとすれば、太平洋が「内海」になるのは自然な結果である。
 マゼランが命名した太平洋は、現実には、必ずしも文字通りの「平和の海」ではない。北朝鮮の核問題など平和に対する脅威も数多くある。日米同盟をアジア・太平洋地域の公共財として強化していくとする日本政府の従来の方針を強調するのは当然だろう。しかし演説は、これが福田色なのか、北朝鮮の核問題を単に「北朝鮮問題」と表現し「よりよい統治の仕組み」「透明で民主的な法の支配」といった価値観に関する訴えも、人口の都市集中の問題に紛れ込ませる論法をとる。静かな決意は重い決意かもしれないし、弱い決意ともとれる。発信効果に疑問符が付く。チベット問題に対する言及はない。ASEAN共同体の実現を支持するというが、ASEAN諸国が頭を悩ますミャンマー軍事政権の問題点にも触れない。
 アジア・太平洋の明るい部分に注目したい気持ちはわかる。が、問題部分にも触れ、その解決に日本や米国、ASEANがどう協力するかを語れば、責任ある態度となり、より深いメッセージになる。

24日;朝日社説(2)アジア演説―福田さん、その言や良し
http://www.asahi.com/paper/editorial20080524.html?ref=any#syasetu2
『アジアは世界史の主役に躍り出た。この地域のネットワークをさらに勢いあるものとするため、日本は他のアジア諸国や米国と一緒になって汗をかいていく。 経済的、政治的に力をつけた東南アジア諸国連合(ASEAN)の地域協力を強化し、そこに日本、さらに米国などが加わって太平洋の平和と繁栄のネットワークを築く。 日米関係とアジア外交を相互補完的に位置づける、首相の「共鳴外交」の考え方を発展させたものと言っていいだろう。 
 この演説からは、近年の日本外交が犯した二つの失敗の反省がうかがえる。ひとつは小泉首相時代の「日米さえよければ」という対米一辺倒から抜け出したことだ。中国との関係改善を軌道に乗せた自信がその背景にある。 もうひとつの失敗は、安倍前首相や麻生元外相の「価値観外交」である。自由や民主主義という言葉を前面に押し立てるあまり、アジアなどの反発や疑心を招いた。演説では、北朝鮮の核や中国、ミャンマーの人権問題に対しては静かな語り口に終始した。首相は、日本の目指す将来像として「困った時に頼ってもらえる国、一緒に協力しようと思ってもらえる国でありたい」と語った。世界やアジアの平和のために、労苦を惜しまず汗をかく「平和協力国家」として自らを鍛えていくとも述べた。 
 30余年前と比べると、日本の国際的地位も大きく変化し、担うべき役割や責任も様変わりだ。それを果たすには大変な覚悟がいる。だが、まずはこの福田演説、その言やよしである。 

┏━━身辺雑記━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 5月中旬から6月にかけて、いろいろな団体の総会が続く。伝統ある学校の同窓会で、大正生まれの卒業生が乾杯。パワーを感じる。青春時代の学窓の思い出は尽きない。寮歌や学歌の連続。凍結された思い出を回顧する。しかし、平成の卒業生の加入が疎らである。悲しい気持ちになった。
 現役世代が、「同窓会離れ」する原因を真剣に考えることは、世代間交流問題の「後期高齢者医療」とも符合するように思える。同世代10%のエリート教育をしていた時代の大学同窓会と全入時代の大学卒業生の大衆化時代の同窓会の違いが大きな原因ではなかろうか。同窓会に、ある種の同族意識を感じない時代になった。郷愁に似た感情が希薄になったのだろう。

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創刊日:2001-07-23  
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