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成長するクリスチャン

子供の成長を願わない親はいませんね。同じように神様は、その子となったクリスチャンが、聖書の全てのみ言葉を栄養にして、大人に成長するように願っておられます。これは成長なさりたいクリスチャンのための励ましのメ−ルマガジン
です。

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成長するクリスチャン

2018/08/14

近年、「核家族化」やライフスタイルの多様化により、家族がそろって食事をする「団らん」の機会が減り、食生活も多様化しています。

一人で食事をする「孤食」や、同じ食卓に集まっていても、家族がそれぞれ別々のものを食べる「個食」が増え、家族そろって生活リズムを共有することが難しくなっているようです。

さらに、テレビを見ながらの食事も、日常化しています。


内閣府の調査によると、家族と一緒に食べる頻度について、「ほとんど食べない」と答えた者の割合は、朝食は25.5%、夕食も8.8%と、家族がそろって食卓を囲む機会が少なくなっています。

父親の残業、パートの母親もその仕事のシフトによっては早く帰れない、子供は夕方から塾に行く、などなどがあるからです。



さらに、食事の在り方とは?、またその楽しみとは何だろうか?と改めて考えさせられるほどに、ここ介護施設の入居者が各階の食堂に分かれて共にする3度の食事は、私に言わせれば、異常としかいいようがありません。

すでにコミュニケーションスキルはもちろん、コミュニケーションそのものも失って、黙って、あるいは同じことを繰り返してつぶやきながら、さらに同じテーブルの人たちにお節介をやいて・・・、そんな食べておられる方々が多いのに驚きます。

その1週間の詳しい献立表が食堂に貼ってあても、興味を持って見るのは、私だけみたいです。


また食事時間が来ても寝ていて食堂に来ない人もいるので、食事の1時間近く前から入居者を誘導して食堂に集めて、テレビを見せておきます。

それがあれば、集まった人たちが部屋に戻ることも、さらに歩き回ることもないからです。


食堂のテレビが消されるのは、最終者に配膳が終わってからで、その理由は、待たされる人がいらいらしないためだそうです。


ここまでくればテレビ中毒ですが、テレビを見ながらひとりで、あるいは家族とともにいても、テレビをつけたまま食事するのが、ごくありふれた時代に育ち、そして歳を加えても、そのことから離れられない・・・と思うと恐ろしくなります。


さて一人で急いでの食事なら駅の立ち食いソバがありますが、施設での食事はそれと同じではありませんね。

あるいはお店のカウンターで一人で食べるランチもありますが、それは忙しいビジネスマンのことで、社員食堂で同僚と食べる昼食は、楽しいもので、会話もはずみます。

注:NHKの「サラメシ」は「サラリーマンの昼飯」の略であり、サラリーマン・OLを含めたさまざまな職種の昼食、さらには企業の社員食堂、今は亡き著名人の愛した昼食などを取り上げている。
番組コンセプトは『ランチを覗(のぞ)けば、人生が見えてくる』で、テーマこそ一義的には昼食(ランチ)ではあるが、ランチの裏に秘められたこだわりやエピソードを探る番組である。中井貴一が独特のユーモアセンスを織り交ぜたナレーションを行っている。
(注終わり)

それから今日は終戦の日の1日前の8月14日で、高齢者に思い出を語っていただこうと、昼食に「すいとん汁」が付きました。
でも、それを話題にする人は、この階の食堂にはいませんでした。


何事にも関心も興味も失い、体力と同様に気力も失い、ただただ出された食事を食べるだけとしか見えませんが、好き嫌いも多く、食べ残す人もいて、見ていて栄養は大丈夫だろうかと気になります。


ここで少し話題を変えます。

私にとって一生忘れられない<家族の食事>は、アメリカ留学中に、教授とその家族の夕食に招かれた時のことです。
教授はテーブル-マスター、料理は奥様のオーブン料理など手作りの数々、子供たちも一緒にワイワイ・ガヤガヤですが、それぞれに話題も豊富、私も私の妻も日本のことについて多くを語りました。


さらに、教会で経験させていただいた愛餐会のことも忘れることができません。

【新改訳2017】
詩編
133:1 見よ。なんという幸せなんという楽しさだろう。兄弟たちが一つになってともに生きることは。
ローマ
12:6 私たちは、与えられた恵みにしたがって、異なる賜物を持っているので、
12:7 奉仕であれば奉仕しなさい。

「主が私に与えてくださった賜物は、美味しいおうどんを作って、毎主日の愛餐会で食べていただくことです。」とおっしゃる信徒の方いらっしゃいました。
除夜祈祷会の後、その方が作ってくださったる年越しそばも美味しいと評判でした。

いささか話題が広がりすぎましたが、食事の持つ意味はとても広く、かつ、さまざまな意味もあります。


また私たちは毎日3回の食事をして必要な栄養を摂りますから、それを仕事やお付き合いに結び付けることはよくあることです。


「一度お食事でも」は、いい意味でも、あるいは何か魂胆があっても使いますね。


日中は忙しい企業の役員の朝食会、各国首脳が集まっての ”working lunch"、よくある公式晩餐会や午餐会、ディナーショーなどなどあって、食事会、飲み会、「一杯やりませんか」まで様々ですね。



ところで、もう一度、高齢者の食事とは?についてまとめますと、

私たちは生きていくために、栄養をとらないといけません。しかし、年を重ねるにつれて食べ物の味や臭いを感じる感覚が低下し、飲み込む力も弱くむせる事が多くなります。

また内臓の機能も衰えるため、栄養を消化吸収する胃腸の働きが鈍くなり、十分な栄養を取りにくくなってきます。

それでも「口から食べる」ことで五感が刺激され、食べる意欲や食べる楽しみ、食べる喜びが得られます。

消化・吸収等の諸器官をつかうことで免疫機能が活性化され、病気を予防したり、病気から回復する力をつけることにもなります。


食事の目的

1.生命の維持・栄養の確保
 食欲は健康状態や生活意欲を反映し、食事の摂取状況をみる事で病気や移乗の発見をすることもできます。

2.人との交流
 他の人たちと同じテーブルを囲み食事をすることで、人間関係の形成に役立ったり食事がおいしく感じられることがあります。

3。食べる楽しみ
 単調な生活の中では、食べる事は大きな楽しみの一つです。生活にリズムを作り季節感も感じられ、また、食べる事により心理的な満足が得られます。


この3つは、ここの介護施設では特に欠けていますが、私一人ではどうすることもできず、焦ればかえって私自身のストレスを増大させる結果に終わります。

せめて日曜日ぐらいは、自分で食事を自室に運んで、3階から見える美しい光景を眺め、好きな音楽を聴き、一人でゆっくりとものを考えながら食事をしたい。

周囲の人たちにイライラさせられることもなく、よく噛んで、味わいながら、食事をする機会を週に1度でいいから与えてほしい。

「それが私のストレスやそれに基づく消化不良の治療になるのだから・・・」と提案したのですが、「食事中の監視ができないか」らと断られました。


では、どうしたら、この介護施設の3度の食事を本来のあるべき姿、楽しいものにできるだろうか?
あきらめず、主に祈り求めています。

しかし、かってこの施設でもインフルエンザが流行し、「部屋から出てはいけない、食事も各部屋で!」の禁足令が施行されたとき、「みんなと食事できないのは寂しく嫌だ!」と、パニックが起きました。

ですから、私の思いは必ずしも一般的ではないかもしれません。
(終わり)

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創刊日:2002-03-24  
最終発行日:  
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