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成長するクリスチャン

子供の成長を願わない親はいませんね。同じように神様は、その子となったクリスチャンが、聖書の全てのみ言葉を栄養にして、大人に成長するように願っておられます。これは成長なさりたいクリスチャンのための励ましのメ−ルマガジン
です。

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成長するクリスチャン

2018/08/07

今日はいささか「思いつくままに」、あるいは「つぶやき」にも似た、書き込みをさせていただきます。

まず、以下のようなことから始めます。

小学校における道徳教育などというとすぐ、教育における国家権力の干渉と結びつける人たちがいますが、今日の教育現場での教育者の破廉恥な行為はどうしたら阻止できるか?
ひっり
と思うことがあります。

かって、安保改定の波がこの国に押し寄せたとき、改定が行われれば、日本もすぐに戦争に巻き込まれるとして、反対闘争が大学を拠点として始まりましたが、その結果は現在から見てどうだったでしょうか。

すべては、歴史が後世に伝えるでしょう。


今日の日本において、表現の自由や報道の自由は、ジャーナリズムによって護られて来たようにも見えますが、芸能人の不倫行為が週刊誌やスマフォのトップニュース扱いのように取り上げられるのも、そのおかげ?なのでしょうか?

あるいはそれによって傷つく人たちがいても、ツイッターでは何を言っても許されるのでしょうか?


それから、小学校や中学校での「いじめ」が、いじめられた子供の自殺につながったとしても、教育委員会も校長も何にもできず、むしろそれを隠蔽しようとし、無責任に第3者委員会に任せるなど・・・はなぜでしょうか?

子供たちの中に潜む差別・偏見と戦い、子供たちの正義を守る手助けをしないで教師というなら、その資格はありません。


それから、人間の尊厳を考えて、秘すべき部分は秘すなどはどうでもよく、成人ポルノに代わって幼児ポルノが横行し、女性トイレでの盗撮なども日常的に行われているのはなぜしょうか?

しかもそれをする人たちに、社会的に尊敬されるべき、かつ教養ある人たちさえも加わっているなどの報道は信じられませんが、現実のようです。


さてここで私に言わさせていただければ、ある、しかも長い時代に行き過ぎがあったとしても、宗教が人々の倫理・道徳に大きな役割を果たしてきたことは否めません。

キリスト教に限って言えば、主なる神がモーセを通じてイスラエルの民に与えられた「十戒」、新訳聖書各書に見られる「罪表」とその警告、そして、聖霊に導かれた結果としての「靈の実」の励ましなどが挙げられるでしょう。


怒りのあまり他人を傷つけ、殺すことを思いとどまり、それに代わって赦すことを学び、そこに主の平和があるでしょう。

しかし、現代若者たち、さらに高齢者までも含めて、宗教離れが著しい現状においては、もはや宗教は何もできなくなってしまったのでしょうか?


オーム真理教の多数の死刑囚に、最近死刑が実施されたことも、国民に改めて宗教の恐ろしさを思い出させ、かつ新しく恐怖感を植え付ける結果になったともいえるかもしれません。


でも、真の仏教は違います。真のキリスト教も違います。真のイスラム教も違います。
これらは世界の3大宗教と呼ばれ、それにふさわしい教理体系に支えられ、長い信仰の歴史もあります。


そのことを初等教育で、あるいは家庭内教育で教えられていれば、カルト宗教の教祖に騙されて、はまり込むなどはなかったでしょう。
高等教育も受け、教養も判断力もある若者たちがです!

でもクリスマスはサンタクロースの誕生日だと真面目にそう思い込んでいる子供や若者がいる一方で、親鸞の「悪人正機」の思想も知らず、学ばず、浄土真宗を「葬式仏教」にしてしまったのも、無知な日本人たちです。

さらに、戦時中の国家神道の歴史を知らない人たちは、閣僚や国会議員が集団で靖国神社に参拝するのを、「英霊を慰め平和を誓う」行事」として評価します。それが軍国主義の遺物であることなんかどうでもいいのでしょう。


さてイスラム教の経典クルーアンは、かなり難解なのでしばらくわきに置いて、人間釈迦が創始し、龍樹によって体系化された仏教の経典や、唯一神の霊感によって多くの聖書記者が記した聖書を読めば、そこに「人間とは何か?何のために、また、どのように生きるべきか?」の答えを見出すことができます。

話がそれますが、私が日本語を教えていたキリスト教国フィリピンからのある若い留学生は、「私は無宗教だ。宗教は弱い者が頼るものだ。」と言う日本人がいることに驚き、「それでよく生きていくことができますね。」と私に語ったのを、今も忘れることができません。

それから、次のような話も聞いたことがあります。

最近の子供が言う「なぜ人を殺してはいけないの?」に答えようとして大人も戸惑うことが多く、知識人が集まって議論したそうですが、結局子供を納得させることができなかったようです。
ただその中である神父は、聖書の十戒に「殺してはいけない」と書いてあるからと提案し、誰も反論できなかったと聞いています。

一方、若い世代のキリスト教離れが言われているアメリカに目を向けてみますと、、分断と排除の時代を創り出しているトランプ政権を強力に支える福音派右派があることを知り、愕然とします。

でもそんな中で、アメリカ留学中にクリスチャンになって帰国する若い方が今もいらっしゃるのは、せめてもの救いです。


さて、私たちはすでに「艱難時代」のさなかにあり、人間の罪も、それに対する神の怒りも最高に達し、やがてキリストは最期(さいご)の審判者として来られることが、ヨハネの黙示録に預言されています。

しかし主は私たち主にある者たちに約束してくださっています。(黙示録3:10  一フィラデルフィアの教会のみ使いに書き送れ一

「あなたが私の忍耐について言った言葉を守ったから、私も地上に住む者たちを試みるために、全世界に来ようとしている試練の時にはあなたを守ろうまもろう。」


最後の審判について、黙示録は教えています。

【新改訳2017】

黙示録
20:12 また私は、死んだ人々が大きい者も小さい者も御座の前に立っているのを見た。数々の書物が開かれた。書物がもう一つ開かれたが、それはいのちの書であった。死んだ者たちは、これらの書物に書かれていることにしたがい、自分の行いに応じてさばかれた。

そして、さまざまな世界悪、人間悪、社会悪の日々にもめげず、終わりの日を ”マラナ・タ (主よ、来てください)” と待ち望むのが、現代を生きるクリスチャンではないでしょうか。

そのことに主は答えてくださってます。

黙示録
22:11 不正を行う者には、ますます不正を行わせ、汚れた者は、ますます汚れた者とならせなさい。正しい者には、ますます正しいことを行わせ、聖なる者は、ますます聖なる者とならせなさい。」
22:12 「見よ、わたしはすぐに来る。それぞれの行いに応じて報いるために、わたしは報いを携えて来る。
22:13 わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」

今日の私の書き込みは、現代社会についての「つぶやき」に始まったとお取りになったかもしれませんね。
でも私が言いたかったことは、ヨハネの黙示録のこの最後の部分なのです。
(終わり)

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創刊日:2002-03-24  
最終発行日:  
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