その他教育

成長するクリスチャン

子供の成長を願わない親はいませんね。同じように神様は、その子となったクリスチャンが、聖書の全てのみ言葉を栄養にして、大人に成長するように願っておられます。これは成長なさりたいクリスチャンのための励ましのメ−ルマガジン
です。

全て表示する >

成長するクリスチャン

2018/05/31

「このようにして、入居者にとっての日々は過ぎていきます。」と結んで、介護施設の一日について、2回にわたって書き込みをさせていただきました。

「正月や、冥土の旅の一里塚」とか「やがて死ぬ、景色も見えぬ、蝉の声」など昔の人の句には、人間の生死を見つめるものが少なくありません。
しかし、宗教に関心が薄れていると言われている現代の高齢者の方々を見ておりますと、人間死ねばそれでおしまい、それまでは介護施設での日々を・・・みたいなところがあります。

毎日テレビを見て過ごし、やがて人生の終焉が來るのに寂しさはないのだろうか?と、お節介なことを考えてしまう私ですが、私自身にとって、介護施設での過ぎ行く日は、やがて来る栄光に満ちた召天の日につながります。ですから、過ぎ行く日々ではなくて、天に召されるその準備の日々なのです。

聖書で復活の教理を学び、その確信と信仰に至ったキリスト者なら、誰もがそうではないでしょうか。

私にとって、ここ介護施設での日々は、主が目的をもって私に与えてくださった「召天に備えての日々」であり、その場所が、私の個室であり、「祈りの部屋」なのです。

この祈りの部屋は、讃美(P&W)のため、み言葉を霊的にさらに深くより広く学ぶため、黙想するため、自分の部屋の奥まったところで、隠れたところにおられる父なる神に祈るため、王たちと高い地位ににあるすべての人やそれを必要とするすべての人のために「とりなしの祈り」を祈るべく、主がその恵みをもって用意し、またそこに満ちておられる聖霊によって導いてくださるところなのです。

主に感謝し、そのみ名を讃えます

注)とりなしーいのちのことば社:新聖書辞典から引用ー
聖書では罪を犯Lた人間のために神に取り持つという意味で、この言葉が用いられている.

ヘブル語パーガは「出会う」という意味の動詞で,エレミア7:16,27:18では「とりなしの祈り」という意味で用いられている.
同じ動詞の使役形がイザヤ53:12,エレミア15:11に用いられている.

イザヤ53:12では,苦難のしもべが「多くの人の罪を負い,そむいた人たちのためにとりなしをする」と述べられている.
彼は罪を宣告されて罰せられるべき者の罪を代って負い,その贖罪のわざを根拠として,罪人のためのとりなしのわざをする.とりなしは単
なる祈りではなく, 罪を負うことをも含むものである.

新約では名詞として、ギリシャ語のエンテュークシスが1テモテ2:1で用いられている.同じくギリシャ語の動詞エンテュグカノーは,ローマ8:27,34,ヘブル7:25で用いられ,キリストの贖罪と罪人のとりなしが結びつけられている(参照ローマ8:26). 

新改訳2017
ローマ
8:26 同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、こと
ばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。
8:27 人間の心を探る方は、御霊の思いが何であるかを知っておられます。なぜなら、御霊は神のみこころにしたがって、聖徒たちのために
とりなしてくださるからです。

村川付記:とりなしの祈り(intercession prayer)
以前にもお伝えしましたが、NHKの国内・國外ニュースとその解説を聞いて、テレビの前でとりなしの祈りをすることは、クリスチャンの務めであると思っています。

とくに良きにせよ悪しきにせよ、世界情勢の変動に深くかかわる広い意味での王や高い地位にある人のために「とりなしの祈り」を祈ることです。

国内および世界の情勢が政治的に、経済的に、そして社会的にも著しく変動し、多くの人々がその中に巻き込まれて望ましくないあるいは困難な状況に引きずり込まれ、各地で多発している地域紛争のなかで命を失う住民も多数で、その中には、女子供も多く含まれているなど多くを毎日のテレビ報道で知るとき、どうして祈らないでいられるでしょうか。

ここ介護施設では、とりなしの祈りは、身体の不自由な方、続く痛みに苦しんでおられる方々に「癒し主」の癒しが与えられるため、認知症が進んだ方にも主のみ手が届くためにこそ、行われなければならないと私は確信して祈っています。

それに応えていただいているように、私の耳には、皆様もよくご存じの ”Footprints" の歌が聞こえてきます。

さらに、介護職員が主の愛によって導びかれ、その愛によって介護の動機づけがなされるように。多忙で過酷な労働の中でも介護の力が主によって与えられるように。ときに被介護者の耳にも聞こえる職員間の、あるいは施設長と職員間の不協和音が平和のうちに静まるように。
などなど祈るのも、ここ施設に入居して主と共にある私の「とりなしの祈り」です。
(村川付記終わり)

ここで話は変わりますが、私はある介護職員の方に、「介護施設に入居後、介護度が下がって要支援となり、自宅に戻られた方はいますか?」と聞いたことがありますが、答えはNOでした。
ということは、ほとんどが、介護施設の自分の部屋で、あるいは病院に搬送されて入院し、そこで死を迎えなければならないのです。

このことに、施設入居者一人ひとりが向き合い、施設としてもそれを助ける必要があるのではないでしょうか?

しかし、七夕まつり、夏祭り、ハロウィーン、クリスマス、お正月の飾り付けは、入居者のみんなでして、ジングルベルやホワイトクリスマスを歌って、職員が扮するサンタさんからクリスマスプレゼントをもらって盛り上がるこの施設では、施設長の方針として宗教活動は禁止されています。

ということで、私としては何もできずにいますが、それはこの施設だけのようで、"Prayer changes things" を確信して祈る私です。
(終わり)








規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2002-03-24  
最終発行日:  
発行周期:毎日  
Score!: 97 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。