その他教育

成長するクリスチャン

子供の成長を願わない親はいませんね。同じように神様は、その子となったクリスチャンが、聖書の全てのみ言葉を栄養にして、大人に成長するように願っておられます。これは成長なさりたいクリスチャンのための励ましのメ−ルマガジン
です。

全て表示する >

成長するクリスチャン

2018/04/10

聖書辞典に学ぶ「あわれみ」

今日のテーマは、昨日の解説記事とも深く関わりますが、いのちのことば社発行「新聖書辞典」の「あわれみ」の項から、その内容の紹介です。

そして、その前に、取り上げさせていただきたいのは、英語国民を困らす日本の<教会用語>と<聖書用語>です。

それは、私が在日フィリピン人会衆の教会で、英語で日本語?を教えるボランティア―教師をしていたときのことです。

日本人は特に意識してそう言っているのでもなさそうですが、英語の ”god” を「神」と呼び、「神様」と<様>を付けて言ったり、書いたりしますね。
また英語文字では、god と God を区別できますが、日本語では共に「神」であったり「神様」であったりですが、同じ字で書きます。区別するには鍵括弧を付けるなどしなければなりません。

日本語の「様」や「さん」は尊称ですから、パウロ様でもよさそうですが、実際は呼び捨てにしたり、使徒パウロあるいはパウロ先生という牧師も信徒もおられます。

様は、公文書などでは殿、日常的には、お父さん、お母さん、あるいは村川さんのように「さん」をつけて呼びますね。
でも、「牧師先生様」という封筒の宛名はおかしいとあるフィリピン人信徒が指摘していました。

ここで外国人を困らせるのが、「私のお父さん」は間違いで「私の父」です。日本語には、尊敬語と謙譲語があるからです。
<み言葉>と<お言葉>の違い。<天のみ使い>か<天のお使い>か?
”Let us pray” は、日本語で言うときは、「祈りましょう」か「お祈りをいたしましょう」か?どちらでもいいと言ってもしつこく聞いて来るフィリピン人もいましと

日本のお葬式の挨拶で用いる「御愁傷様」を「御馳走様」と言い違えたり、なぜ「お疲れ様」のように様を用いるのかなどしつこく聞かれて、日本語の難しさを痛感させられた私でした。

これほどに難しい日本語へ、ギリシャ語やヘブル語の聖書を、それぞれの言語での深い霊的な意味を失わず、なおかつ日本語らしい日本語にしようとなさった諸先生方々の新改訳聖書のさらなる改訳作業のご苦労を思うとき、私は、到底、その
感謝の言葉を見出せないでおります。

最近の日本語の乱れは目に余るものがあり、それがまかり通るテレビやスマートフォンのメディアもあります。でもこれ以上は主がお嫌いの「つぶやき」になりますので、この辺で止めます。

閑話休題!

ここで、日本語の日常語としての「憐み」や「哀れみ」あるいは仏教用語の「慈悲心」と、聖書でいう「あわれみ」を区別できるように、いのちのことば社の新聖書辞典の解説を読みましょう。

(引用)
あわれみは神の本質にかかわる性質である.神はそのあわれみにおいて深く(出エジプト記34:6),豊かであられる(エペソ2:4).
新改訳改訂第3版 
 出エジプト
34:6 【主】は彼の前を通り過ぎるとき、宣言された。「【主】、【主】は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、
 34:7 恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に。」
 エペソ
 2:4 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
 2:5 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです──

神のあわれみは赦しと(詩編78:38),忍耐を伴うものである(詩編145:8).
神はこのあわれみをもって御自身の民との契約を守り,なし遂げられる(申命記4:31〕.
また神は人があわれみ深くあることを求めておられる(ルカ6:36).

あわれみを表すヘブル語のラハミームは「胎」を表すヘブル語のレヘムから派生したものと考えられている.そのようなところから,この語は元来同じ母の胎から生れ出た兄弟間における切なる情や,自分の胎から生れ出た子供への母の切なる情を表現するものと言われている.

旧約において神のあわれみは,このような親子,兄弟間に見られるような親密な関係としてしばしば言い表されている (詩編103:13,イザヤ63:15~16,エレミア31:20).

しかし,神のあわれみをこのような肉親の情にのみなぞらえて理解するのは不十分である.

旧約における神のあわれみは,何よりも,神が御自分の選びの民と定めたイスラエルとの契約関係において理解されなければならない.

<神がイスラエルと結ばれた契約が,彼らの背信にもかかわらずなお保たれていくのは,この神のあわれみによると言えよう.>

預言者ホセアはこの神のあわれみに支えられて契約が保たれている様子を,夫婦の愛の関係を通して語っている.すなわち相手が契約の担い手としてふさわしくない場合が生じた時でも,神はひとたび結んだ契約を,御自身の恵みとあわれみにかけて永遠に守られるのである(ホセア2:16).

新約におけるあわれみの基本的な語はギリシヤ語のエレオスである.これは一般には,窮状にある人々に対する同情の念を意味しているが(1ヨハネ3:17),新約では何よりも人間の救いの約束に対する神の真実な愛を言い表しており、ルカ1:50,54,72,78),旧約の神のあわれみの理解の延長線上にあると言えよう.

また1ペテロ2:10の「あなたがたは,以前は神の民ではなかったのに,今は神の民であり,以前はあわれみを受けない者
であったのに,今はあわれみを受けた者です」とのことばは,ホセア2:23に見られる,イスラエルに対する神のあわれみに通じるものであろう.

このような神のあわれみは,新約においてはイエス・キリストを通して最も明らかに表されている.

キリストは病人,悪霊につかれた者,取税人,罪人などをあわれみ,あわれみを求める彼らの声にこたえて,彼らをいやし,助けられた(マタイ15:22,20:30,マルコ9:22,ルカ18:38).

そしてこのキリストのあわれみのきわみは,十字架の贖い(あがない)の死において最も明らかに示されている(ヘブル2:17,4:16).
神はこのように御自分のあわれみを示すことによって,人もまたあわれみ深くあることを求めておられるのである(ルカ6:36).



規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2002-03-24  
最終発行日:  
発行周期:毎日  
Score!: 97 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。