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成長するクリスチャン

子供の成長を願わない親はいませんね。同じように神様は、その子となったクリスチャンが、聖書の全てのみ言葉を栄養にして、大人に成長するように願っておられます。これは成長なさりたいクリスチャンのための励ましのメ−ルマガジン
です。

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成長するクリスチャン

2018/01/27

これは、今となっては古い著書ですが、最近読み返している「クラウド/タウンゼント共著:境界線(バウンダリーズ)地引網出版(2004年)」から引用あるいは、私村川が思うことを幾つか書き留めます。

この書は、心理学の書というよりも、聖書にその基本を置いて、神の境界線を取り扱っていることに、私は重要な意義を見出させていただきました。

その中に、なにか参考になることがありましたら幸いですが、読み飛ばしていただいてもちろん結構です。


注)ウィキペディアから:

バウンダリーとは、自分に対して行動をとってくる他人に対して、合理的・安全・許容可能な手法であるかを判別するために個人が作成する、ガイドライン、ルール、制約である。

このガイドラインは、結論、信念、意見、態度、過去における経験、社会学習の組み合わせから築かれる。このコンセプト、もしくはライフスキルは、1980年代半ば以降セルフヘルプ書籍で幅広く引用され、またカウンセリング業界で使用されてきた。

いくつかのカウンセラーによれば、境界線は個人の定義に役立ち、それは好き嫌いをおおまかに判別し、他人が接近できる距離を設定するものだという。境界線には身体的、精神的、心理的、精神的といった種類が存在し、それらは信念、感情、直感、自尊心などによって編成されるという。

ジャック・ラカンは、この境界線はピラミッド型に階層化されており、「人の生物学的・社会的地位のすべてを連結した包絡線」に基づくとしている。境界線は人間関係の相互作用において、内的・外的の2方向それぞれに影響する。 これらは時に、「保護」として働くこともあれば、「封じ込め」として働くこともある。



ニーナ・ブラウンは4つの境界種類を提案している。

(1)柔らかい  
自分と他人との境界線が重なっている人。この境界を持つ人は、心理的操作術の犠牲者になりやすい。

(2)スポンジ状
 時には柔らかく時には硬い境界を持つ人。彼らは柔らかい境界線の人よりも感情的伝染を受けることは少ないが、硬い人よりは影響を受けやすい。スポンジ状境界の人らは、何を受入れ、何を受入れないかははっきりとしていない。

(3)硬い 
 硬い境界線を持つ人は、閉鎖されるか壁で囲われている。誰も身体的・感情的に近づくことはできない。この状態は、誰かが物理的、感情的、心理的、性的に虐待を受けていた場合によく起こり得る。時間、場所、状況に依存する「選択的な硬い境界線」も起こり得り、その多くは過去の悪い経験と似た状況に遭遇した場合である。

(4)フレキシブル
 「選択的な硬い境界線」に似ているが、それよりも良くコントロールされたものである。その人は何を受け入れ、何を受け入れないかを決めているため、感情的伝染や心理的操作術に抵抗し、それを破ることは困難とされる。
(注終わり)


村川のノート:

今まで幾度か書き込みさせていただいたことですが、「あなた自身を愛するように、あなたの隣り人を愛しなさい。」という主イエスの最も大切な掟の一つは、介護施設入居のその日以来、私には重荷となりました。

愛の共同体である教会の中でそれは守れても、昨日まで見ず知らずだった人たちを、今日から愛しなさいと言われても・・・と、私は神に”No”と申し上げたのでした。

しかし人間との間にすでに境界線をお持ちの神は、私を厳しく悔い改めには導くことはなさらず、「愛することができないなら祈りなさい」とおっしゃって、私が次の聖書箇所へと導かれるのをお待ちになりました。

ピリピ人への手紙
4:13 私は私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。

じつは私は、クラウド/タウンゼント共著「境界線(バウンダリーズ)」を施設の個室に持ち込んでいたのを忘れていて、最近読み返したのですが、主はそのことをとっくにご存じだったのでした。

上記の書では、「隣人を愛しなさい」の解説の直後に、「善きサマリア人」のたとえを、次のように解説しています。その巧みな解説に色々と教えられました。



クラウド/タウンゼント共著:境界線(バウンダリーズ)から引用

良きサマリヤ人のたとえは、いろいろな意味で正しい行動のお手本です。境界線が守られた時
と侵された時の両方をわかりやすく表現しています。

もしこのサマリヤ人が境界線を持たない人だったらどんな話の展開になっていたか、少し考えてみましょう。


物語はご存知の通りです。

エルサレムからエリコヘ向かって、商用の旅をしていたある人が強盗に遭いました。

強盗は彼の着物をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにして逃げて行きました。祭司とレビ人は傷ついた人を無視して道の反対側を通り過ぎて行きました。

しかしサマリヤ人は彼を見てかわいそうに思い、傷に包帯をし、宿屋へ連れて行き彼の面倒をみました。次の日、サマリヤ人は宿屋の主人にいくらかのお金を渡して言いました。「介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私か帰りに払います」


ここでお馴染みのストーリーから少し離れてみましょう。

この時、怪我をした人が起き上がっでこう言ったとします。
                
「何ですって、行ってしまうのですか?」
          
「ええ、そうです。エリコでどうしてもやらなければならない仕事があるので」とサマリヤ人が答えます。

「それは少し自分勝手だと思いませんか。私はこんなにひどい目にあっているのですよ。一人で
置き去りにされるのは嫌です。イエスはあなたを(喩えとして)どのように用いるでしょうかね。

危急の場合だというのに私をこんなふうに置いていくなんて、まるでクリスチャンらしくないではありませんか!『自己を否(いな)む』というのはどうなったのですか」

「ううむ、あなたの言う通りですね」サマリヤ人は言います。「あなたを一人でここに放置して
いくのではあまりに不親切だ。もっと何かしてあげるべきですね。旅を二、三日延期することに
しましょう」

そこで彼はその男性と共にさらに三日間とどまることにします。

彼は男性の話し相手になり、その人が満たされ、快適であるようにと気を配ります。


ところが、三日目の午後、ドアがノックされ、伝言が届きました。エリコでの商売の相手からでした。
「もうこれ以上は待てません。ラクダは別の業者に売ることにしました。次の群れは六ヵ月後に来ます」


「何てことをしてくれたんだ!」サマリヤ人は受け取った伝言を振りまわしながら回復途中のそ
の男性に向かって金切り声をあげます。

「とんでもないことになってしまったじゃないか。このラクダは仕事で必要だったのに、君のおかげで失ってしまった。これでは商品を配達することができない。このせいで私は倒産してしまうかもしれない。何てことをしてくれたんだ!」

多かれ少なかれ、どこか聞き覚えがある話ではないでしょうか。

必要のある人に与えてあげようと同情心に動かされるものの、その人はあなたを巧みに言いくるめ、あなたが与えるつもり以上のものを与えさせるのです。

私たちは自分自身の生活に必要だったものまで失うことになり、その結果、怒り、恨みがましく思います。

あるいは逆に、私たちが他の誰かからより多くを得たいと願い、彼らが譲歩するまで圧力をかけることがあるかもしれません。

これでは、どちらの側にとっても益になりません。


このような状況を避けるために、境界線の内側には何か含まれるのか、私たちは何に関して責任を負うのか、考察する必要があります。
(引用終わり)

村川追記:

「広大無辺の神の愛」だとか、「愛は惜しみなく与えるもの」だとか、皆様もなにかでお聞きになった記憶がおありでしょうが、そうでしょうか?

あるいは、私が「境界線の欠如は、職場に問題を生じさせる」と言ったら、読者の皆様はどう反応なさいますか?

私はここ介護施設にあって、介護職員の境界線に関して、「職員と職員との間の境界線」と「職員と入居者(被介護者)との境界線」、さらに入居者どうしの境界線が守られていないことによって生じる問題を意識し始め、さらにこの書を読み進もうと思っています。

とくに、上記のクラウド/タウンゼント共著の本で、

第1部 境界線とはなにか 2章:境界線(バウンダリー)とはどういうものか など
第2部 境界線の摩擦 9章:境界線と夫婦 11章:境界線と仕事 13章:境界線と神 など
第3部 健全な境界線の発達 14章:境界線への抵抗 など
に注目しています。

(終わり)

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創刊日:2002-03-24  
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