成長するクリスチャン
子供の成長を願わない親はいませんね。同じように神様は、その子となったクリスチャンが、聖書の全てのみ言葉を栄養にして、大人に成長するように願っておられます。これは成長なさりたいクリスチャンのための励ましのメ−ルマガジン
です。
聖霊に導かれる(5)
2006/08/16天野牧師はこうも言っています。
聖霊様の働きは私の理解を超えます。私の想像した通りにはなりません。
英国のある有名な司祭がその集会に参加しておりました。詰め襟の、カソリックか聖公会のような服装をしていました。
彼は言いました。「今まで私の信仰生活は、真面目に忠実にやったけれども、集う人びとにいのちを与えることはひとつもできなかった。」と。
彼らの礼拝はこのようなものでした。「アナタガタハ−、神ノ御加護ニアッテ−、祝福ガ−アルヨウニ−。ア−メン、ア−メン。」と。毎週やっていました。
その結果、ほとんどの教会員たちは堕落し、教会の生活と自分の生活が分離して行き、罪に打ち勝つ力がない。異性の問題を起こすなどして、彼らは神様から離れて行ったのです。
ところが、彼はやはり聖霊様に打たれて、今までの習慣的な、儀礼的なあるいは律法主義的な、何かそのような霊的なものが悲鳴とともに出て行き、全部出て行った後、彼の内側から満たしが来て、喜びが来て、自分のやっていたことは聖書から外れていた、聖書的ではなかったと悟り、それから彼の教会はカリスマ・カソリックとして、今1万2千人の教会を牧会しています。
(以上は、天野牧師の言葉です。)
日本の教会で、聖霊が働いても、それを避けて冷静に礼拝するのが正しいと思っている牧師や信徒がいます。
聖霊体験をして倒れてしばらく動けなかった、礼拝中に泣きじゃくって涙が止まらなかった、そんな経験がないまま、またその機会も与えられないまま、真面目なクリスチャンであることだけが信仰であると思い込んでいる人たちがいます。
もちろん責められることは何一つありません。しかしその信仰は燃える信仰ではないのです。神から与えられるすごいエネルギーを体験できないし、そのエネルギーによって、すごい生きかたもできないのです。
ここで、クリスチャンのあり方、あるいは教会のあり方が大きく分かれます。
聖霊の働きは使徒の時代にだけあったことだ。
聖霊の働きだと思っていても、それは所詮、宗教的恍惚状態にあるに過ぎない。
牧師の叫びやバックグラウンドの激しい音楽、会衆の叫びによって、マインドコントロールされた状態に陥るのが聖霊体験だ。
こうした考えの牧師も信徒もおられます。
ここが福音派と聖霊派の分かれ道だと思います。
しかし福音派の教会でも聖霊派に近かったり、リベラル派に近かったりすることもあります。カトリックにも、少数ですがカリスマ・カトリックがあります。
ただし、ここで注意していただきたいのは、聖霊の働きでないものまでも聖霊によるとすることです。霊の賜物には見分ける霊もあります。
(続く)
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創刊日:2002-03-24
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