子供の成長を願わない親はいませんね。同じように神様は、その子となったクリスチャンが、聖書の全てのみ言葉を栄養にして、大人に成長するように願っておられます。これは成長なさりたいクリスチャンのための励ましのメ−ルマガジン
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- 2012-05-23
- 発行部数:
- 243
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- 324776
- 創刊日:
- 2002-03-24
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- 毎日
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アナニヤ夫婦は、イエスの教え(マタイ19:21)に従い完璧な信仰生活をおくるために、財産を売り払い教団のメンバーとして宣教活動に専心しようと考えたものと思います。
家族を捨て、自分一人教団に身を投じる人は、少なくなかったでしょうが、全財産を売り払い夫婦そろってと言うのは、生半可ではありません。献納した額も、教団を数年維持するに足るような膨大なものだったかも知れません。もしそうなら、アナニヤ夫婦は当然教団内において大きな発言力を持つことになったでしょう。
パウロとマルコの不仲をあげるまでもなく、当時の教団は、決して一枚岩ではありませんでした。恐らく、アナニヤとその妻サッピラの事件には、原始キリスト教団内の不和が反映されているものと思います。
それにしても一体なぜルカは、この事件を書き遺したのでしょう。この記事を読んで、キリスト教に入信するものが増えるとは考えられず、信仰の妨げになっても、助けにはなりません。
使徒行伝が著されたのは、事件後十数年、あるいはそれ以上後のことでしょうが、にも関わらず、この事件を避けて通ることができないだけでなく、掩飾もままならないほど、アナニヤ事件は、教会内だけでなく、教会外部にも知れわたっていたのかも知れません。
自ら逆さづりの刑を選んだペテロは、熱烈な信者で、初期の教団を統率する能力を備えていたものと見えますが、その一方で峻烈な面もあったものと思います。ルカはマイナス効果は承知の上で、敢えてありのままに事件を書き残すとともに、ペテロ支持を表明したものと見えます。 村上厚2012/5/18 このコメントがついた記事>>
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>>「聖霊<による>バプテスマ」と「聖霊<の>バプテスマ」を区別して解釈することの方が自然で、前者は聖霊が授けるバプテスマであるのに対して、後者はキリストが授ける聖霊のバプテスマであると理解すれば、混乱は起きないはずです。<<
福音書の中で最も早く著されたマルコ伝の最も古い版は、墓穴からイエスの遺体が消えているのを発見した、イエスの母マリアと、マグダラのマリア、そしてサロメの3人が、その場に居合わせた若者から「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのであろうが、イエスはよみがえって、ここにはおられない。ごらんなさい、ここがお納めした場所である。今から弟子たちとペテロとの所へ行って、こう伝えなさい。イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう」、と告げられ、恐怖のあまり一目散に逃げ去た、と言う内容の16章8節で終わっているようです。同福音書は、結局『3人の女たちは、恐ろしさのあまり、誰にもそのことを伝えなかった』と書き添えています。
その後、後世のものが、マグダラのマリアに関して説明する9節前半とともに、長短2種類のエンディング・ストーリーを書き加えたようです。
特に長い方のエンディング・ストーリーは、弟子たちが当初、イエスの復活を誰も信じていなかったことを明らかにしています(11節)。もしそうであるとすれば、復活信仰は、弟子たちが、イエスの死の意味を反芻した結果、初めて形成されたものと見られます。こうした反芻は、それぞれの弟子たちの間で、その後も続けられ、マタイ伝、ルカ伝、そしてヨハネ伝が著されたものと思われます。
イエスはヨハネ伝14章17節と19節において「この世は、真理の御霊を受け入れることができない。なぜならこの世はそれを見ることも知ることもできないからである。しかしあなた方は、それを知っている。なぜなら真理の御霊は、現在あなた方とともにおり、これからもあなた方の内にとどまるからである」、「間もなくこの世は私を見ることができなくなる。しかしあなた方は見ることができる、なぜなら私は生きており、あなた方も生きるからである。(つまり十字架にかかって肉体はこの世から去っても、イエスの実体は、決して死ぬことはない。真理の御霊は、イエスが人類に伝える永遠の命そのものであり、この真生を得たものは、いつでもイエスを見ることができ、神と直接語り合うことができる。)」と説明しています。
ヨハネ伝の以上の立場からすれば、「聖霊<による>バプテスマ」と「聖霊<の>バプテスマ」にはなんら区別がないと言えそうです。 村上厚2012/5/4 このコメントがついた記事>>
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共観福音書や使徒行伝の記述からすれば、エルサレムに誕生したキリスト信仰は、ペテロやパウロ等により、ローマの支配地域に急速に普及したように見えますが、パウロやヨハネの書簡は、パウロ以前に帝国の首都ローマや、アレクサンドリアを含むその他の地中海沿岸地域各所にすでに教会が存在していたことを示しています。
一人や二人の信者が存在したと言うのならまだしも、教会が組織されるには、膨大な信者の集団が前提されます。当時の遅れた交通手段や言語や人種によって分断された社会環境からして、イエスの死後数年でその種の信者集団が地中海沿岸の各地に形成されたとは考えられず、それには、数十年、あるいは百年以上の時間を要したものと見られます。
つまり、パウロ等が主張するメシアによる贖罪、救済、あるいは終末論や、グノーシス主義者の唱える聖霊(本源的自己)久遠説(私の造語)と言ったキリスト教の中心的教義は、ユダヤ教が急速に地中海地域に浸透したハスモン朝初期の時代から主に非ユダヤ人の間に徐々に形成されていたものと見られます。換言すれば、原始キリスト教集団の形成は、イエスの誕生以前にすでに開始されていたと言うことになります。
テレアビブ大学の歴史学者シュロモー・サンド教授によると、ユダヤ教徒は最盛期にはローマ帝国総人口の8%を占めたようですが、これら信徒集団の周辺には割礼等の戒律や食事習慣等の違いから入信を躊躇するさらに膨大な予備軍が存在したとされます。これらの人々(非ユダヤ人準ユダヤ教徒)は、ユダヤ教の教義にギリシア哲学やエジプトの宗教思想等も取り入れたキリスト信仰の原型を形成していたものと見られます。
洗礼者ヨハネが正統派ユダヤ教の中心地エルサレムに近いヨルダン川河畔を拠点にしたのに対し、イエスは、ギリシアの植民都市群デカポリスに隣接したガリラヤを拠点に、この種の潮流の先頭に立ったものと見られます。
イエスの教えには、こうした新潮流の多様性が反映されています。このため、弟子たちが伝えた福音の内容も、パウロやペテロ兄弟のそれは、ファリサイ国際派に近く、トマス/ピリポ/マグダラのマリアのそれはグノーシス派に近く、ヨハネ兄弟のそれは両派の折衷に近く、マタイ/ヤコブ/ユダ兄弟のそれは、実践と個の信仰を重んじる行信派(造語)近いと言ったふうに、重心が微妙に異なっているようです。 村上厚2012/4/28 このコメントがついた記事>>
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>私たちが言う「聖霊降臨」とは、実は「聖霊のバプテスマが与えられる」ことだったのではないかと私は思うのです。
霊による洗礼がどのように与えられるかについて、イエスは、ヨハネ福音書14章27節において次のように述べています。
私はあなた方の下に平安を遺します。私の平安(この世の平安とは異なる)をあなた方に与えましょう。私はこの世が与えるような方法では与えません。ですから心配したり、恐れる必要はありません。
14:27 Peace I leave with you; my peace I give you. I do not give to you as the world gives. Do not let your hearts be troubled and do not be afraid.
『私はこの世が与えるような方法では与えません』と言う言葉に、『聖霊のバプテスマ』がどのようなものかを解く鍵が含まれているようです。
イエスは、ヨハネ福音書16章13−15節において「真理の御霊が訪れる時、御霊はあなた方を全ての真理に導いてくれるでしょう。御霊は私のものをとって、あなた方に示すことにより私に栄光をもたらすのです。父に属するものは全て、私のものです。ですから『御霊は私のものをとって、あなた方に示す』と言ったのです。(when he, the Spirit of truth, comes, he will guide you into all truth. He will bring glory to me by taking from what is mine and making it known to you. All that belongs to the Father is mine. That is why I said the Spirit will take from what is mine and make it known to you.)」と述べ、「御霊が解き明かす真理は父に属するものだが、父に属するものは全て元々イエス自身に属している。だからあなた方が真理を悟り、霊的に生まれ変わることは、神に栄光を与えると同時に私に栄光をもたらすのだ」と説いています。
イエスは、さらにトマス福音書88節において、「御使いたちと予言者たちがあなたがたのもとに来る。そしてかれらは、あなたがたに、あなたがたに属するものを与えるであろう。そしてあなたがたもまた彼らに、あなたがたの手中にあるものを与える。そして、あなたがたは、自らに、どの日に、彼らが来て、彼らのものを受けるかを言う。("The messengers and the prophets will come to you and give you what belongs to you. You, in turn, give them what you have, and say to yourselves, 'When will they come and take what belongs to them?'" )」と説き、「真理の御霊があなた方に施すバプテスマは、本来あなた方のものをあなた方に与えるのであり、バプテスマをいつ受けるかもあなた方自身にかかっている」と、一層丁寧に説明しています。
「聖霊のバプテスマを受けるとは、神と一体の本来の自己を悟ることであり、あなた方次第でいつでもできることである。だから何も心配することはない」と、イエスは説いていますが、神に属するものは全て自分に属しており、自分が道であり、真理であり、生命であると言う信仰に到達するのは、そうたやすいことではないでしょう。
しかしイエスは、「その日には、私が父の内におり、あなた方は私の内に、そして私はあなたがたの内にいることに、あなた方は気づくであろう(On that day you will realize that I am in my Father, and you are in me, and I am in you.)(ヨハネ14:20)」と励ましています。 村上厚2012/4/19 このコメントがついた記事>>
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2:4 And they were all filled with the Holy Spirit and began to speak with other tongues, as the Spirit gave them utterance.
この英文を字義通り解釈すれば、「すると聖霊に満たされた人々は、霊の力に導かれ、肉の舌ではない別の舌(霊の言葉)で話し始めた。」と言うことでしょう。
イエスはヨハネ福音書16章25節で「肉身を備えた私はこれまで比喩(現世の人間に理解できる言葉)を用いて、教えを説いてきたが、人間の言葉を用いないで、直接(霊の言葉で)父について語る時が来ようとしている。(Though I have been speaking figuratively, a time is coming when I will no longer use this kind of language but will tell you plainly about my Father. )」と述べ、「十字架にかかり、肉体から解放された自分は聖霊としてあなた方の内にとどまり、あなた方自身に、またあなたがたを通じて神について語ることになる」と予告しています。
2:6 And when this sound occurred, the multitude came together, and were confused, because <everyone> heard <them> speak in <his> own language.
こちらもより正確な翻訳は、「その物音を聞いて集まった大勢の人々は驚きあきれた。なぜなら彼らはてんでに自分の言葉で語っていたからである。」と言うことでしょう。
つまり、自分と相手の言葉が異なることなど問題にせず、てんでに語り合っているにも関わらず、同じ霊的体験(霊的再生/復活)を共有しあっていたものと見られます。
村上厚2012/4/17 このコメントがついた記事>>
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〈死者のゆえにバプテスマを受ける〉とは、「仮にイエスが復活しないなら、イエスの名の下にバプテスマを受けたものは、死んだものの名の下にバプテスマを受けたことになる」と言うことでしょう。
これは、パウロが、ファリサイ派の復活理論に基づいて、イエスの復活を理解していたことを証明しています。
しかし、イエスはヨハネ福音書(17:17-19)において、「十字架にかかることを通じて自分が聖別される(肉体や現世の所縁から解放され、本来の霊的存在に戻る)なら、弟子たちも自分を信じ、聖霊を内に宿すことを通じ、完璧に聖別される(霊的に生まれ変わる=復活)ことができる」と言う斬新な復活論を説いています。つまり、いつ到来するか知れない終末を、待ち続ける必要はない訳です。
マタイ福音書(22:32)においても、イエスは、「神は生けるものの神であり、死んだものの神ではない」、つまり、神は、死ぬことを運命づけられた肉としての人間の神ではなく、肉から解放され、常に生き続ける霊的存在としての人間の神であると説き、復活を否定するサドカイ派の指導者たちを納得させています。
このようにイエスが説く復活は、ファリサイ派とサドカイ派の対立を止揚するものでしたが、パウロはここでは、ファリサイ派の復活論や終末論の立場からイエスの復活を論じているようです。
コリントの信者の中には、あるいはイエスの本来の教えを信奉するグノーシス派が含まれいたのかも知れません。 村上厚2012/4/6 このコメントがついた記事>>
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イエスはヨハネ福音書3章において、ニコデモに対し、復活とは、天国の門をくぐるために霊的に生まれ変わること、換言すれば、『水と霊の洗礼を受ける』ことであると説いています。
神は霊であり、神と交わるには霊的に覚醒せねばならない。瓦を如何に磨いても、鏡にはならないように、煩悩具足の凡夫が、如何に戒律を守り精進潔斎し、修行を積んだところで、肉から生まれたものは、肉に過ぎない。先ず霊から生まれた存在になって初めて神と交わり、天国の門をくぐることができると言うことでしょうか。
群衆を従えロバに乗ってエルサレムに入城、神殿の商人たちを追い出したイエスは、その後十字架に処せられるまでのほぼ1週間、毎日、神殿に赴きファリサイ派、サドカイ派、ヘロデ党のリーダーらに対して最後の説教を行っていますが、その際、復活を否定するサドカイ派の指導者に対しては、出エジプト記を引用し「モーセも柴の編で『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と呼んで、死人が生まれ変わると言う意味を示している。神は生けるものの神であり、神にとっては全てが生きている」と説いています。肉体の復活は無意味であり、また霊的に覚醒さえすれば、別に肉体的に死ぬ必要もないと説くイエスの教えは、サドカイ派の教理にも矛盾しておらず、サドカイ派の律法学者らは「先生、全くおっしゃる通りです」と納得し、それ以上あえて質問しなかったと言います。
ちなみにこの時、イエスは、「カイサルのものは、カイサルに、神のものは神に」と説き、自分が目指すものは、地上に神の国を建てることであり、税金をローマ帝国に納めることとは何ら矛盾しないと述べ、ローマとの関係改善に腐心するヘロデ党も納得させています。
自分自身サドカイ派の大祭司カヤファは、ローマの支配下に、ユダヤ宗教界の統一を回復するようなメシアの出現が必要と考え、その役割をイエスに期待したようです。彼は、何度も代表チームをガリラヤに派遣、イエスにメシアとしての証を求めましたが、イエスは、突然、ローマ総督が駐在するカイサリアに赴き、そこで自分が贖罪のメシアとして十字架にかかる計画を弟子たちに明かしました。しかし、サドカイ派に示したモーセの言葉(出エジプト記柴の編3:6)の新解釈からも、イエスの説く復活は、終末や贖罪を重視するパウロを初めとするファリサイ派とは若干異なることが分かります。
イエスの説く復活は、肉体や現世の束縛を断ちきるために大死一番し、『再活現成』せねばならないと説く禅家の教えに共通しています。イエスのこうした教えは、トマスによりインドに伝えられた後、達磨により中国に伝えられ、日本の禅文化として結実したのかも知れません。また梁の武帝に仏教の功徳は何かと問われ、言下に『無功徳』と答えた碧眼の胡僧は、あるいはトマスの末裔であったかも知れません。 村上厚2012/4/2 このコメントがついた記事>>
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気がスピリットであるとすれば、元気とは、スピリットの中の最大のもの、イエスがヨハネ伝4章24節で「God is spirit」と述べた『神』そのものと言えるでしょう。
『 がんばる』とは、丹田にその元気を蓄え、苦難を耐え、神から与えられた使命を成就するためにひたすら努めることでしょうか。
『がんばる』には、ひたすら努める、と言う意味があります。無心になってひたすら神の意思を遂行する時、そこに至福が存在するとイエスは説いています。
道元も『己を進めて万法を修証するは迷いなり、万法来たりて己を修証するは悟りなり』と述べ、万法(神)に身を委ねることこそ、天地が創造される以前にイエスが神と共有していた栄光と愛を覚知する最良の道と説いています。汝の敵をも愛する絶対の愛、アガペーを実現する上からは、自力と他力の違いはないようです。
とはいえ、神父さんや牧師さん、あるいは禅の師家であろうと、手術の前に麻酔薬を注射され、意識がなくなる際には、恐怖に襲われるものと思います。
ですから、
>「がんばってください。」と言われても、その後すぐに麻酔されて意識がなくなるのに・・・<
と思うのも当然です。
ゲッセマネで、血の汗を絞り、「されど御心のままに」と祈ったイエスでさえ、十字架上において「父よ、なぜ私をお見捨てになるのですか」と絶叫したと、聖書に記されています。イエスは不安や恐怖を隠さず弟子たちに述べ伝えています。
この世から恐怖や不安が無くなることは決してなく、そこから逃れようとすれば、さらに恐怖が増します。ですからイエスは、御心に(道元は万法に)身も心を委ね、そこに安住の地、至福を見出しなさいと説き、釈迦はそうした境地を『悟り』と述べたものと思います。
>「私はがんばれません。ひたすらに主に頼って癒していただくのです。そのために私のできることは、つぶやかずに、ドクターやナースの指示に従うことではなかろうか。」<
ドクターやナースに生ける神、生けるイエスを見出されたように、かつて、孫文をかくまった頭山満と言う人は、「どなたに参禅していますか」と問われると、ちょうど庭の手入れに来ていた植木屋の爺さんを指さしたと言うことです。 村上厚2012/3/26 このコメントがついた記事>>
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イエスはヨハネ伝17章1節において「父よ、あなたの子があなたに栄光を与えることができるように、人の子に栄光を与えて下さい」と祈っています。
英語では『glorify』と言う言葉が使われています。『glorify』とは、斎める、聖化すると言うことで、聖別(sanctify)とほとんど同義でしょうか。『人が神を聖化する時、同時に神も人を聖化する』これが祈りの基本ではないでしょうか。
イエスは「人は、天地が創造される以前に、神と人の子が一体であった証としての聖霊を、皆備えている」、つきつめて言えば、「人の本質は聖霊であり、それこそが生ける神そのものである」と考えたようです。
イエスにとって祈りとは、御名を唱えることを通じて本来の自分、すなわち聖霊に立ち返り、人と神が一体であった原初にもどることのようです。
ですから、マタイ伝12章31節において「人は、その犯すすべての罪をゆるされる、神を汚す言葉さえもゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされない 」と述べており、またサマリアの水くみ女に対して、「神は霊である。従って礼拝者も霊と真をもって祈らねばならない」と説いています。(ヨハネ4章24節) 村上厚2012/3/19 このコメントがついた記事>>
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38:2 "Who is this who darkens counsel by words without knowledge?
このナレッジとは、『神に関する知識』、『カウンセル』とは、人の内にに存在する『神の息=聖霊』と言うことでしょう。
「神に関する知識が欠如したむなしい言葉を並べ立て、せっかく神から与えられた聖霊の啓示を暗くしているのは誰か。ヨブか、エリファズか、ビルダデか、ツォファルか、エルフか」と問うているように見えます。
つまり、ヨブ記の著者は、神の摂理、この世の正義、信仰に関する、当時のユダヤ教各派の主張を網羅した4人の討論を延々と書き連ねた後、神自身を登場させ、「神そのものを知らない冗長な言葉の争いは、無意味である」と裁断したと言えます。
グノーシス主義の開祖はイエスであり、ヨハネ福音書のみならず、共観福音書やパウロの書簡に記されたイエスの教えの中にも多くのグノーシス主義を見出すことができますが、その淵源はヨブ記や伝道の書までさかのぼることができそうです。
「本当に神を信じると言うなら、天地開闢の時あなたはどこにいたのか。もし知っているなら、光の住む所に至る道はどこか、やみのあるその場所はどこか、言ってみよ」と信仰者を追いつめる手法は、師家が入室した学人を追いつめる禅家の手法そのものです。
ヨハネ福音書14章において、「あなた方は、私が行こうとしている所に行く道を知っている」と説くイエスに対して、トマスが「私たちはあなたが行こうとしている所を知りません。それなのに、どうしてあなたは『そこに至る道を私たちが知っている』などと言うのですか」と問うと、イエスは「私が道であり、真理であり、命である。あなた方が本当に私を知っているなら、あなた方は父をも知っている。今から以後あなた方は父を見、そして天地開闢以前から神を知っていたのである」と説いています。これに対してフィリップが、「主よ、それだけおっしゃるなら、この場で私たちに神を見せて下さい。それで十分です」とたたみかけると、イエスは「私はあなた方とこれほど長くいたのに、お前には私が見えないのか。誰でも私を見たものは、神を見たのである」と述べています。
トマス福音書50節において、イエスは、また次のように説いています。
「もし彼らがあなた方に『あなた方はどこから来たのか』と言うならば、彼らに言いなさい、『私たちは光から来た。そこで光が生じたのである。それは自立して、彼らの像(エイコーン)において現れ出た』。もし彼らがあなた方に、『それがあなた方なのか』と言うならば、言いなさい。『私たちはその光の子らであり、生ける父の選ばれた者である』。もし彼らがあなた方に『あなた方の中にある父のしるしは何か』と言うならば、彼らに言いなさい、『それは運動であり、安息である』と」。 村上厚2012/3/8 このコメントがついた記事>>
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