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レイキで始める癒しと気付きの毎日

体と心を癒すことで運気もUP!レイキを身に付けることで生活のクオリティを向上させよう。レイキのある生活を通して感じたこと、思ったことを書いています。
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レイキで始める癒しと気付きの毎日・いい人ぶるな

2015/04/18

先日、役所に書類を出しに行きました。 その時に対応してくれた職員は両腕がありませんでした。 しかし、器用に私が出した書類を受け取り、処理をしていました。 その様子を見ていて、心に浮かんだ言葉 「すごいなあ、がんばれ」 そして、その自分の言葉に心が温まるような気がしました。 自分にも人を応援する優しい気持ちがあるんだなぁ・・・みたいに。 しかし、その次の瞬間、すごく居心地の悪い違和感。 それを辿っていくと、ハンディを持っている人を見下し、応援すること で優越感にひたっている自分がいました。 もしかすると、その人はただ出きることをこなしているだけで、人に応 援してもらうほどのことをしている訳ではないかも知れない。 それを私は両腕がないから、すごい曲芸をしているかのような目で見て 応援をしているだけではないか? こちらが勝手に相手を憐れんで、そんな自分を悦にひたっているのでは ないか? そのことに思いが至ったとき、自分の軽薄な応援の気持ちが恥ずかしく なった。 その人はその仕事を当たり前のように自分でこなしているだけだ。 確かに、これまでにいろいろな苦労や努力があったかも知れない。 しかし、そのことばかり考えたり、今目に見えているハンディのことば かりに目をやるのは、その人の今している仕事をあるがままに見ていな いような気がした。 それは人対人の関係においてはとても失礼なことだと思う。 ただただ、その時私はその人が役所の職員として、やるべきことをして くれたことだけに目をやることが本当のその人を見つめることだったの だろう。 確かに困っている人がいれば、手をさしのべることは絶対大切だ。 躓きながらも、頑張って前に進もうとしている人を励ますことも尊い思いだ。 しかし、ハンディはあろうとも、今困っているわけでもない、躓いたり 苦しんで仕事をしている訳でもないその人に、がんばれと思う私の思考 は、明らかに優越感であり、高慢な意識だったと思う。 もっとあるがままを見られるようになれれば、思い込みの妄想に振り回 されることもなくなるのかも知れない。

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創刊日:2005-02-17  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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