文学

上井紙縒日記

日記を綴ること十六年。数年前より本を読む日日を送る。時折異国の町に暮らす。

メルマガ情報

創刊日:2002-05-31  
最終発行日:2019-08-30  
発行周期:季刊  
Score!: 85 点   

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマ!ガ オブ・ザ・イヤー 2005 受賞メルマガ

このメルマガは最新記事のみ公開されています。

【上井紙縒日記】 2019年8月30日号

2019/08/30

.




















2019.8.30配信 / 読者1212人










□■□━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

         上  井  紙  縒  日  記

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
http://www.tomatonikki.net 
https://twitter.com/uwai_tomato 
https://www.facebook.com/uwai.tomato 
http://www.youtube.com/user/UwaiTomato 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━□■□













━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  近 況
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



上井とまと、改め、上井紙縒です。

前回の配信から再び六箇月が経ちました。

今年は一月に四年に及んだ読書行脚を終え

二月からはありったけのお金を集めて

シドニーへと飛びました。



シドニーではこれまでのように本を読むこともなく

ただただ英語を学んでいたので

シドニーにいた間と、日本に戻って暫くの間は

出版に向けての活動を進めることが出来ませんでした。

それでもこのシドニーでの時間が

いつの日か

有意義な形で未来に繋がって呉れれば良いなと思っています。

およそ二箇月に及ぶシドニーでの日記から

幾日かを抜いてみましょう。





  一月五日
  連日の学習塾。明日を越えれば三日の休みがある。身体が疲れ
  ているためだろうか、私は三週間のちに迫った異国暮らしに後
  ろ向きである。けれども二月三月で綺麗な英語を身に附けるこ
  とが出来たならば私の未来は少しばかり広がって行くに違いな
  い。そうした理屈で以て私は感情をねじ伏せようとしている。
  候補はフィリピン、ダブリン、ベオグラードである。


  一月十一日
  学習塾。試験本番まで八日。私の気持ちは日本に残ると云う案
  に大きく傾きつつある。二月に読書行脚を終え、三月に気に入
  ったものを読み返し、四月からは執筆に入ると云う算段である。
  調べて見るに宿の仕事が幾つかある。もしも今のように休むこ
  とが出来るならば私はお金を稼ぎながらに英語を学ぶことが出
  来る。夏は東欧で執筆を続ける。秋には執筆と宿の仕事。冬は
  再び旅に出る。そうして本が出来上がるまでこれを続ける訳で
  ある。なんと愉しみと希望に満ちた線路であることよ。


  一月二十三日
  休日三日目。久しぶりに空を見る気がする。金を稼ぐために先
  生を演じる一日も、こうして家で転がっている一日も、神様は
  欠かさずに空を寄越して呉れるのだと当たり前のことを思う。
  読書及び英語。近頃私は四国の宿にいた頃を思い出すことがあ
  る。あれは二十九の頃で、私は五週間、山あいの小さな宿で居
  候をしていた。その家は八十年になる木造で、私より三つ上の
  宿主は隣の庭で朽ち果てようとしている納屋に手を加え、そこ
  に住むべく苦心しているのであった。夜は宿主と私と客で炬燵
  を囲むのが常であったが、宿主は次の納屋には囲炉裏を設える
  のだと云って毎夜飽きることなく囲炉裏の本を眺めていた。そ
  うして気に入ったのがあると、これなど良いですねえと云って
  私にそれを見せるのだった。或る夜一人の客が来た。顎に髭を
  たくわえた四十ほどに見える男で、その日の客は男一人であっ
  た。夜も更け、宿主は納屋へと戻り、私は男と二人炬燵で茶を
  啜っていた。男はこの宿に来るのは二度目であると話した。前
  に来たのは三年ほど昔のことで、確か宿が始まって間もない頃、
  あの頃宿主さんは外に風呂を作ると云って石を組んでられまし
  た、それが今日来てみると風呂も出来てますでしょう、感慨深
  かったですよと云うのであった。風呂と云うのは野外にある釜
  風呂で、山水を入れ、藁を燃やし、薪を数本くべた上で頃合い
  を見て入るのである。私は男に聴いた話と、毎夜囲炉裏の本を
  眺めている宿主とを思い並べ、一事を思い続けていれば事は成
  るのだと云うことを沁み沁み考えたのだった。近頃この宿のこ
  とを再び思い出したのは、私も宿主に負けないほどに異国のこ
  とを考えているではないかと気が附いたためである。私は五年
  前では想像も附かないほどに異国のことを考えている。


  一月二十七日
  相変わらず学校を探している。シドニーに発音を直す学校があ
  り無理をすれば五週間通うことが出来ると云う訳で一度は消え
  たオーストラリアが再び手の内にある。明日はバンクーバーと
  ダブリンを調べ直さねばならない。学校が決まらないために今
  週のうちに日本を発つことは諦めることにした。これが戦国武
  将であれば私は戦の最中に何事も決められないで首を取られて
  いるだろう。深更読書行脚四百冊目読了。


  一月二十八日
  学校を調べる。幾つかの道は消えシドニーへ行くか否かと云っ
  た処である。飛行機も宿も高いのでこれから算盤を弾かねばな
  らない。しかしロシアやロンドンのときと同じように無理を押
  してでも行きたいと云う気持ちもあるのでシドニーが今回の正
  解のような気もする。


  二月三日
  学習塾。六歳になる子供たちの入塾試験を見る。今宵ついに四
  年に及んだ読書行脚を終えた。四百冊を越え更に数冊手を伸ば
  したけれども読む必要を認めなかったために綺麗に四百冊で終
  わりと云うことになった。その殆んどは何も憶えていないけれ
  どもゲーテの旅行記を読んだのちに自然と文章が変わったよう
  に私のなかの何処か深い処に何かしらの痕跡が刻まれている筈
  である。四年で四百冊の読書行脚。もう一度遣れと云われても
  出来ないがあのときは他に道がなかったためにこうして進んだ
  のである。今は言葉に結晶しないけれども私はこの修行のよう
  な四年の間に何かを得たような気もする。


  二月六日
  現在三十時。詰まり翌朝の六時である。冬の最中であるので窓
  の外は暗い。夜更かしをしてシドニー行きの切符を取った。ロ
  ンドンと同じく二箇月近く向こうにいることになる。一体どん
  な町だろう。私の日課に英文を少しだけ読むと云うのがあるけ
  れども今日は学校の誓約書を読まねばならなかったのでそれで
  良しと云うことにした。学課が始まる四週間前までに申し込み
  を取り消したときは授業料の七割が返還されるなどと云う全く
  面白味のない文章の羅列である。しかし一つ曖昧であった文法
  を学ぶことが出来た。


  二月十三日
  二十九時。出発前日。暦の上では当日である。荷造りを終えこ
  れより四時間ほど眠る。先程インドにいた頃の日記を少し読み
  返した。案外良く書けた処があったので今は幸せである。私が
  心を乱すのは社会の多くの人たちとは違った生き方をしている
  ためで、しかし物を書く人間としては何も違っていないのであ
  る。私は較べる処を誤っている。これから生きようとする処と
  較べねばならない。


  二月十五日
  飛行機にて九時間。明け方飛行機のなかより素晴らしい朝焼け
  と信じられないほどに大きな星を一つ見る。あの異様に大きな
  星はあとから思うに宇宙に漂う基地ではなかったかと思う。午
  後海辺、劇場、植物園を居眠りを混ぜながら歩く。学校の近く
  に見附けた宿は柔道部の部室のように耐え難い薫りがする。こ
  の週末は柔道部を辞めるための二日間となる。


  二月十八日
  英語学校初日。八時半より五時間の授業。のち荷物を引いて新
  しい住居へと移る。案内されたのは集合住宅の十四階で男部屋、
  女部屋、そして居間がある。買い出しより戻ると唄声が聴こえ
  る。ニューヨークから来たと云う赤い髪の娘さんは、私が何か
  を訊ねる度に流れている曲に合わせ、まるで場末の哀しい歌い
  手のように即興の唄で返すのだった。彼女の背には大きな月と
  シドニーの摩天楼。今朝まで部室にいた私は、これは夢かと思
  った。芸術家の気質と敏感な感受性を持つ彼女は首のうしろに
  傷を持つ。八年前に三階の窓から飛び降りたのよと彼女は唄う。
  夢はあるかと訊ねると、馬鹿を装いながらみんなを幸せにする
  ことよ、とこれまでに聴いたことのない哀しく洒落た答えをか
  すれた声で唄うのだった。彼女を一言で云い表すのは難しい。
  英語ならばセクシーと云うことになろう。


  三月二日
  蚤の市。のち公園にて昼寝。少しばかり復習。高校生たちがラ
  グビーをしている。一人だけ小太りの背の低い男がいて球拾い
  ばかりしているので何故あの男はこの活動を辞めないのだろう
  と不憫に思っていたが近くへ行って見るに彼は先生なのだった。
  偉そうに指導していた。夜、年に一度開かれると云う同性愛者
  の祭りへ行く。何万人と云う人たちが大通りを練り歩き、何十
  万と云う人たちが物見のために繰り出す。学校教師、消防隊員、
  海兵隊員と云った人たちも歩く。とりわけ第一団の行進は忘れ
  られない。彼らは音楽をかけて踊り狂うこともなく仮装するこ
  ともなくただただ普通の格好で時に裸に近い格好で自動二輪に
  またがり静かに進んで行くのである。彼らの顔には誇り、解放、
  悦び、そして私には到底窺い知ることの出来ない感情が広がる。
  私たちは歓声と握りこぶしと拍手でもって彼らを迎える。警備
  をしている警官の一人がもっと爆音を出せと仕草でもって煽り
  立てる。私は思いも寄らずこの光景に涙を抑えた。物見のなか
  にも行進する者のなかにも涙を抑える者がいた。この美しい光
  景は私に何かしらの影響を与え続ける筈である。


  三月五日
  学校。昼休みの食堂。韓国と日本の男の子が深刻な顔で話して
  いる。彼らの話柄は数箇月のちに畑へ働きに出るか工場へ働き
  に出るかである。韓国の男の子が云う。もし畑へ行けば俺たち
  は確実に腰を痛める、それに畑は昼間は相当暑くなる、かと云
  って工場へ行けば気温は零度、俺たちは間違いなく身体を壊す
  だろう、詰まり道は二つ、無茶苦茶に暑い処で働くか、無茶苦
  茶に寒い処で働くかだ。日本の男の子がむううと頷く。韓国の
  男の子が続ける。俺は寒いほうが良いと思う、何故なら服を着
  ることが出来るから。私はこの哲学的にも聴こえる幼稚園児が
  するような会話をけたけたと笑いながら聴く。彼らにとっては
  笑い事ではない。授業を知らせる鐘が鳴る。彼らは悩みを抱え
  たまま教室へと向かう。


  三月九日
  午後蚤の市。のち犬の競争を見に行く。犬の競争は少し小さな
  競馬場と云った処を八匹の犬が駆けて行く。私は彼らの名前も
  素性も物語も知らないので、ただ元気に走るなと云った印象で
  ある。月曜日の試験は上司の愚痴の暗唱なので私は常にジェイ
  ムスの悪口を云いながら歩いている。


  三月十日
  午後蚤の市。古書のなかに一冊私の目を引いた装丁があった。
  森だか林だか公園だかを二人の小さな女の子が歩いているので
  ある。色は全体に緑色を帯びている。私は近い将来纏める積も
  りでいる日記を散歩道と名附けてはどうだろうかと考えた。若
  しくは夢でも良い。深刻な顔をしていたためか店の主人が一体
  君は何を見ているのかと訊ねる。


  三月十五日
  暫く日記が空いているのは学校と復習だけで日日が終わるため
  である。今日は試験明けの週末と云う訳でのんびりと過ごして
  いる。この数日で記憶に遺る断片二つ。一。数日前より集合住
  宅に備わる自動昇降機が動かない。そのために動いている一台
  は酷い混雑振りである。昨日の朝私は十四階で昇降機に乗った。
  十六階より降りて来たそれには三人が乗っていた。十三階で扉
  が開く。一人乗る。十二階。一人乗る。十一階を遣り過ごして
  十階。一人乗る。成程そう云うことですか。九階で再び止まる。
  私はにやにやとし始める。七階。再び止まる。六階、五階、そ
  して三階で扉が開き、掃除夫が諦め顔で五つほどの大きな荷物
  に埋もれて坐っているのを見てまるで風船が割れたようにみな
  が笑ったのだった。シドニーの集合住宅の一角に台詞のない喜
  劇映画のような空間があったものである。二。二週間ほど前よ
  りコロンビアから来た姉妹が私たちの家にいる。彼女たちは一
  から十を英語で習っている具合で殆んど英語は話さない。今日
  自動昇降機で妹さんと二人になった。何処に行くのと訊ねると
  彼女は鞄のなかを掻き回すばかりなので言葉が通じなかったの
  だろうと思っていると、くしゃくしゃになった食料品店の領収
  書を広げて、ここと指差した。そして私は彼女が初めて英語を
  話すのを聴いた。私飴が好きなの。


  三月二十三日
  英会話倶楽部掛けるの二。印象に遺った断片三つ。一。チリか
  ら来たと云う男が祖父に教わったと云う格言だか箴言だかを話
  して呉れた。曰く、男は本を書き、木を植え、子供を作るべき
  だと云うものである。二。その男はチリに太陽発電の会社を持
  っており私に太陽発電の素晴らしさを熱く語るのであった。私
  は新興会社で投資の話を聴いているような気になった。男は熱
  く語るためか頻りと首を動かす癖があり、私は焦点が定まらず、
  まるで残像と話をしているようで妙に草臥れた。三。二つ目の
  倶楽部が引けたのち白髪のお爺ちゃんが声を掛けて来た。彼は
  生粋のオーストラリア人であって酒を御馳走して呉れ二時間ほ
  ど話をした。何と素晴らしい夜だろう、これだから君、行動を
  起こさねばならないのだよと思っていたが最後に彼は男色だと
  判った。


  四月十日
  飛行機にて十時間。夜大阪に着く。今は二箇月振りで自分の蒲
  団のなかにいる。昨日の日記では省いたけれども未だに心に遺
  っているのでここに記して置こうと思う。昨日は二十四時辺り
  から宿の食堂で日記を書いたり転た寝をして過ごした。大きな
  食堂に人気がなくなった頃、欧州風のお婆ちゃんがひたひたと
  遣って来た。ひたひたと云うのは彼女は裸足のままに歩いて来
  たためである。何やらぶつぶつと呟いているので、何を探して
  るんですかと訊ねると、何を探してるかって、何も探してやし
  ないけど、ここは一体何処かしらと云う。家族の人たちは何処
  にいるんですかと訊くと、家族ではないけれど私を知っている
  人は沢山いるわと云う。下に受附がありますから其処へ行けば
  何か判りますよと云うと、其処へ行けば私のことを知っている
  人がいるのねと云って、ふうと息を附いた。二人で階段を降り
  て行く。お婆ちゃんは、一、二、三、四、と階段を数えながら
  ゆっくりと降りるのだった。踊り場で一息附き、この先ですよ
  と促すと、一、二、三、あ、さっきが七だったから、十一、十
  二、十三、と呟きながらに受附を目指した。お婆ちゃんにとっ
  ては階段の数が重要であるらしい。深更三時のことである。





シドニーより戻ってからは

少しばかり忙しい時間を過ごし

今はこれまでに書き溜めた日記を

どのように纏めればよいかと考えています。

一歩一歩進むしかないと云うことは判っている積もりなので

これからは足もとを確かめながら

ゆっくり進んで行くのみです。







━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
  日 記
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━



 日 記 は 現 在

 配 信 を 休 止 し て い ま す 。

















━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【上井紙縒】(うわい・こより)
日記を綴ること十八年。時折異国の町に暮らす。

 info [at] tomatonikki.net 
 https://twitter.com/uwai_tomato 
 https://www.facebook.com/uwai.tomato 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ラジオ/ネット配信版
『やねうら』     http://www.tomatonikki.net/yaneura 
『われおかき同好会』 http://www.tomatonikki.net/wareokaki 
『784WAVE』     http://www.tomatonikki.net/784wave 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■メールマガジン
 まぐまぐ  http://www.mag2.com/m/0000091734.html 
 メルマ    http://www.melma.com/backnumber_151305 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 上井紙縒日記(メールマガジン版)

 編集・発行者   上井紙縒(うわい・こより)
 発行者サイト   http://www.tomatonikki.net 
 とまとに手紙   info [at] tomatonikki.net 
 ツイッターー   https://twitter.com/uwai_tomato 
 フェイスブック  https://www.facebook.com/uwai.tomato 
 ユーチューブ   http://www.youtube.com/user/UwaiTomato 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
   (C) 2001-2019 このメールマガジンは 上井紙縒 が書いています
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

















2019.8.30配信 / 読者1212人













.

最新のコメント

  • コメントはありません。