文学

上井とまと日記

日記を綴ること十六年。数年前より本を読む日日を送る。時折異国の町に暮らす。

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創刊日:2002-05-31  
最終発行日:2018-01-26  
発行周期:季刊  
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【上井とまと日記】 2018年1月26日号

2018/01/26

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2018.1.26配信 / 読者1259人










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         上  井  と  ま  と  日  記

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  近 況
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上井とまとです。

前回の配信から八箇月が経ちました。

経ち過ぎですね。

相変わらず本を読む日日です。

前回から読んだ本は八十冊。

二年八箇月で読んだ本は三百冊を超えました。

そしてこれから読み度い本が百冊以上残っています。



この期間に読んだ本は

スワミ・ヴィヴェカナンダの著作三冊

ウェストン『日本アルプスの登山と探検』

シング『アラン島』

ギッシング『南イタリア周遊記』『ヘンリライクロフトの私記』

ルナールの日記及び『にんじん』『葡萄畑の葡萄作り』『博物誌』

ユゴー『ライン河幻想紀行』

ヒルティ『眠られぬ夜のために』

シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』

マーク・トゥエイン『人間とは何か』

キャサリン・マンスフィールドの日記及び短篇集

リルケ『マルテの手記』『ドゥイノの悲歌』『若き詩人への手紙』

ルナン『思い出』

ベルクソン『時間と自由』

オスカー・ワイルド『獄中記』

チェホフ『六号病棟』など五冊

ジンメル『断想』

などです。



この辺りで、ロシア、ネパールに続き異国の町に暮らすべく

ロンドンへ行きました。

行きましたと簡単に書いたものの

それまでには大きな大きな葛藤があり

それは主にお金に関してのことですが

当時の日記にはその辺りの葛藤について



  七月二十三日
  学習塾。六年生の試験三十三名を見る。<中略>昨夜心が折れ
  そうになり一年前ロシアへ行く前の日記をぱらぱらと読んでみ
  た。今は忘れて仕舞ったけれども一年前の私はかなりぎりぎり
  の綱を伝ってロシアへ渡った様である。最後の最後まで本当に
  希望が絶たれるまでロンドンを目指して見ようと思う。



この様な記述がちらほらとあります。

飛行機を手配したのは六日前

入国に必要な書類を揃えたのは三日前だった様です。

ロンドンでの五十日より幾日かを抜いて見ましょう。



  八月十一日
  飛行機で三時間、中国天津の空港にいる。天津は北京に程近い
  様である。この空港で十八時間を過ごす。飛行機では三人坐席
  の真ん中が空いていたので、私と中国の髪の長い娘さんはお互
  いの荷物をそこへ乗せた。娘さんが坐席の安全具をかちりと締
  めたので私たちの鞄は恋人のようになった。深更空港の椅子で
  微睡む。物音に目を覚ますとお爺さんが弁当箱を取り出し赤い
  液体に米が入ったようなものをもしゃもしゃと食べている。余
  り旨そうではない。辺りでは二十名ほどが椅子の上に眠ってい
  る。詰まりはこれが人間の営みと云う気がする。遠くに咳を聴
  きながら細切れに眠る。


  八月十二日
  天津より重慶での乗り継ぎを経て飛行機に乗ること十四時間、
  夜ロンドンに着く。ふらふらと辿り着いた宿は下級水兵の船室
  のような気の滅入るものである。身体を洗わない者のすえた薫
  りがする。真暗闇のなか三段寝床の二段目に入る。私はこの船
  室で二日を過ごすことになる。現在二十四時。駅の広場で日記
  を書いている。顔を上げればまるで教会のようにも見える駅の
  時計台。闇夜に浮かぶ文字盤は満月のようである。


  八月十三日
  ロンドン二日目。図書館へ行く。静かな館内では多くの人が勉
  強をしている。雨が降ればここへ来ることになるだろう。かつ
  て大英博物館の一部であったこの図書館にはシェークスピア、
  ダヴィンチ、モーツァルトの資料が、マグナカルタの原本があ
  る。喫茶店、駅の構内、満月の広場にて一箇月前に序文丈を読
  んでいた緋文字を読み始める。満月は二十一時から二十二時の
  間に同じ処に現れる。


  八月十四日
  朝不快な薫りのする船室を出る。新たな宿は歩いて直ぐの処に
  ある。のち学校へと向かう。歩くこと三十分。途次公園が四つ
  ある。二つは地図を見ても名前もないような小さなもので本を
  読むのに良い場所である。鳩が落ち葉をかさかさと踏む。隣に
  来たお姉さんにそのパンは何処で買えるのかと訊ねる。十五時
  英語学校の初日。六級あるなかの四つ目である。生徒は十五名。
  欧州、中東、南米からの生徒許りでブラジルなどは地球の裏で
  はないかと思うけれども英国よりブラジルは然程遠くはないの
  である。帰路国会議事堂を見る。二十六時まで読書。


  八月十五日
  朝テムズ河畔にてオクターヴ・ミルボー『小間遣いの日記』を
  読む。のち学校。授業が始まると隣に坐るトルコの男がバタン
  はいるかと云ってアーモンドを五つ呉れる。私は何故今なのだ
  と笑いながらバタンをかじる。美味である。後半は筆記試験。
  私は学習塾で判らなくとも最後まで力を出しなさいと話してい
  るのを思い出す。しかし判らないものは判らない。トルコの男
  が、一番の問題無茶苦茶難しくて一つも解けないよと小声で話
  し掛けて来る。放課後先生と話していると試験のときに思い出
  せなかった言葉を口にしていて悔しい思いをする。そして自分
  は久方振りに学生をしているのだと改めて噛み締める。


  八月十九日
  休日。宿の食堂で朝を食べる。ここに居ると色んな人と話をす
  ることになる。私の手帳には多くの人の名前が書かれ、最早誰
  が誰であったか今となっては判らない。連日余りにも多くのこ
  とが起きているようでもあり、結局は何も起きていないのでは
  ないかと感じる日日である。午後スペインからの婦人とブラジ
  ルからの紳士と美術館へ向かう。単語帳に綴った言葉を次の日
  に聴くと云うことが度度ある。今日は高級品店、親権、暴風な
  どを聴く。美術館ではモネ、マネ、マチス、シラーを見る。ゴ
  ッホがアルルで描いた向日葵や椅子、それからマドリードでも
  見掛けたザルバランにも出逢う。ルノワールなどは余り好まな
  いけれどもそれでも絵の前に立って見ると暫し離れ難くなる。
  絵画とは何か。絵画とは何かを封じ込めようとした画家の魂で
  ある。


  八月二十日
  朝チリの南端プンタアレナスからの婦人が宿を去る。数日前彼
  女が声を掛けて呉れてそこから人が繋がり繋がり今となっては
  どれだけの人と話をしたのか知れない。プンタアレナスと云え
  ば古の航海士がマゼランがダンピアがクックが太平洋への路を
  求めて航海をした土地である。私の友達は宿をしているのよ、
  いつかおいでなさいよと婦人は云う。船で南の島へ渡ればペン
  ギンたちが居ると云う。午後コスタリカの娘さんと大英博物館
  へ行く。夕刻帰宿。食堂にて読書。隣に欧州顔をした初老の紳
  士が来る。彼は若者が歩きながらに食べるような、羊肉をパン
  で挟んだものを大きな皿の上へ広げ、傍らには紙を添え、ナイ
  フとフォークを遣いながら羊肉を口へと運ぶ。お店のようです
  ねと云うと彼は静かに頷く。私は再び本を読む。あなたは旅行
  者ですかと訊くと、彼は私の声など聴こえていないかのように
  ナイフとフォークを皿に置き、紙で口元を拭い、ワインの小瓶
  をくぴと飲む。私は餌を待つ小動物のように紳士の答えを待つ。
  紳士はワインの小瓶を置くと、私には家族が沢山居てね、休暇
  で逃げて来たのだと云い、再び食事を始める。紳士はアメリカ
  で英語を教えて四十年になる。ロンドンは二十五度目。パリに
  一箇月、ローマに一週間、ロンドンに一箇月。ロンドンでは毎
  日遠くの大聖堂へ歩いて通っていると云う。君は毎日歩いてい
  るのかいと訊くので、そうですと答えると、それはいいと呟く。


  八月二十六日
  休日。一日イタリアの若者たちと町を歩く。彼らは値段を見る
  度に、ここは駄目だ高いと云って店を出る。チョコレートを振
  る舞う店を見附けると早く早くと急き立てる。私は彼らに背中
  を押されチョコレートの欠片を食べる。しかし私には見える。
  十年後海軍志望の青年は良い服を着て高い時計を嵌めているこ
  とだろう。そのとき彼は今日のことを憶えているであろうか。
  夜宿にて読書。フランスの娘さんと談話。フランスまでは列車
  で二時間と聴き突如フランス熱が沸く。あれは宿に来て数日目
  私は缶詰を開けて呉れと中国の男の子にそれを託した。缶詰は
  幾人かの手元を経巡りスペインの心理学者が缶詰を開けた。翌
  朝心理学者に今日は何をするのかと訊くと、美術館へ行くのよ、
  あなたも一緒にどうと云う。私は断ったけれども、駄目よ、一
  緒に行くのよと云う訳でブラジルの紳士も含めて美術館へと行
  った。それから心理学者とは連日言葉を交わす。今夜にしても
  私は野菜の煮物を、彼女は紅茶を飲んでいると、娘さんが遣っ
  て来た。あなたは何処から来たのと心理学者が尋ねると、フラ
  ンスからですと娘さんは答えた。私は何もしていない。そうし
  て始めは三人で、のちに私と娘さんは深更まで話をした。私は
  話をしながら何故こんなことになっているのだろうと考えた。
  するとその始まりは中国の男の子に渡した缶詰なのである。日
  日には小さな扉が溢れている。そしてその奥には幾枚扉がある
  のか知れない。


  八月三十日
  ロンドン十九日目。初めて雨が降る。気温十二度と云う肌寒い
  一日。日数を決めて異国に暮らすのは人生と似ている。半分が
  過ぎた、残り十日、残り五日と私は日数を数える。途上には別
  れもある。二十六時販売員主任の男を駅へ見送りに行く。旅の
  者が道を尋ねに来ると、彼は三週間の勉学の成果を少しイタリ
  アの薫りがする優雅な英語で返した。中空には連日見える満月。


  九月一日
  ここ数日メキシコの男と言葉を交わす。彼は背丈もあり身体も
  しっかりしているけれどもその声は弱弱しく哀愁を帯びている。
  いつであったか彼が、ぼくは明日この町に行くよ、ここにはロ
  ーマ時代の建物が沢山あるんだ、ほら綺麗だろうと云って我我
  に写真を見せた。するとイタリアの販売員主任の男が、これは
  全部新しい建物だよ、これも、これも、それにこれは写真じゃ
  なくて絵だよと云ったので、メキシコの男はものすごく哀しい
  声で、絵、ああ、と呟いた。その声は最早溜め息とも云えるも
  ので私は隣でけたけたと笑った。今宵男が冷蔵庫の前で両膝を
  つき背中を丸め探し物をしているので眺めていると、麦酒が見
  附からないと云う。名前は書いたのかと訊くと、名前は書いて
  いないと云う。大きな背中を丸めながら、でも今朝はあったん
  だ、ああ、ああ、と情けない声を漏らすので私はけたけたと笑
  った。半時ほどして食堂を出る頃に男は食堂の隅で酒盛りをし
  ている男たちを見て、ああ、ぼくの麦酒だと飛び切り哀しい溜
  め息を吐いた。何故君はいつも笑うのだと男が云う。それは彼
  の声が何とも云えぬ哀愁を帯びているからである。本日よりア
  ランの幸福論を読む。


  九月五日
  ロンドン二十五日目。日記より漏れたものを記して見る。更に
  これよりも漏れて忘れて仕舞ったものもある。一。朝になると
  同宿の者は、六時頃がさがさと音がするから眠れなかったわな
  どと云う。しかし私は疲れている為か全く気附かない。そう話
  すとかつて私の上に寝ていたメキシコの女獣医は、そうね、あ
  なた気持ち良さげに寝ていたものねと云った。一体私はどんな
  顔をして眠っているのであろうか。二。アメリカから来た初老
  の紳士は今も宿に居る。時には博物館で、そして勿論宿でも顔
  を合わせると今日は何をしていたかと云う話をする。そして彼
  は、君は歩くのか、そうかそれは良い、歩くのがロンドンを知
  る一番の方法だといつかも話したことを初めてのように話す。
  私も、ははあ、そうですかと云う顔をする。三。十日ほど宿に
  居た中国の娘さんは郊外のと或る町に三箇月居たそうである。
  何をしていたのかと訊くと、草を愉しんでいたのと云う。更に
  詳しく問い質すと、草に転がり太陽と風を浴びながら小説を読
  んでいたと云うことである。四。学校で席を隣にするのはトル
  コの男である。彼は私に何処に住んでいるのかと訊いた。私は、
  歩いて三十分ほどの宿で五十人ほどが泊まっていると答えた。
  次に彼は食事はどうしているのかと訊いた。私は毎日作ってい
  る答えた。すると彼は二つの話をごたまぜにして君は五十人の
  食事を作っているのかと訊いた。作る訳がない。五。今夜劇場
  でオペラ坐の怪人を見た。私はこの演目を二十五の頃に見たこ
  とがある。私は常常感情を抑えるようにしているけれども今日
  はそうはしなかった。私は何度も泣いた。人間と云う生き物は、
  殊に芸術に生きる人間と云う生き物は何と美しいのだろう。六。
  あの愛すべきメキシコの男、大きな身体で哀愁を帯びた声を出
  すメキシコの男は昨夜が最後の夜であった。けれども彼は今朝
  病に倒れ病院で注射を打ち今も宿に寝ている。心理学者は云う。
  彼はここに居たいから病を得たのだと。そして私たちは、彼は
  ベルリンもローマも諦めてここからメキシコへ帰れば良いのだ
  と話している。


  九月七日
  学校を終えたのち劇場へ行く。今日の演目は私の意に沿わなか
  った。席が遠いのと私が言葉を解さないのと、否、やはり作品
  に力がなかったのである。アラン『四季にまつわる五十一のプ
  ロポ』読了。


  九月十二日
  朝駅前にある電話屋へ寄る。中東風の女が私に説明をする。暫
  くして身体の大きな髭を生やした店主の男が、そんなに時間を
  掛けることはないのだと云う。だけどこの人は困っているじゃ
  ないのと云って女は話を続ける。少しして再び髭が、ここには
  客が沢山来る、だからこれは幾らこれは幾ら、それ丈で良いの
  だ、それ以外の余計なことはと口を挟むと、女は店主の額をぴ
  しゃりとはたいた。店主は有難うと呟いた。私はこの人を知っ
  ているよ、数日前に私が話をしたからね、この人は今困ってい
  る、私は助けることが出来る、この人は悦ぶ、私も嬉しい、そ
  う云うことじゃないか、それに私は日本の人が好きなんだよ、
  アメリカの人も云ってるよ、日本人は礼儀正しくてそれに頭も
  良いってね、それに日本人は、そう、東洋の青い薔薇なんだよ、
  ねえ兄さん、そうだろうと私に訊ねる。さあどうでしょう、よ
  く知りませんがと私は答える。本日よりサマセット・モーム
  『月と六ペンス』を読む。


  九月十五日
  朝元の宿へと戻り学校へ行く。ロンドンに居る間に学校を休む
  と云うこともして見たいと思いながらも結局休めないでいる。
  私の心根は真面目なのかも知れない。夜劇場でシェイクスピア
  の劇を見る。この演目は一年前ロシアの劇場へ赴いた折に、こ
  れは五年前に終わっているよと云われたものである。言葉は判
  らなかったので復讐を果たしたとは云い難い。けれども私はこ
  の町で出来得る限りの芸術を自分に見せようと考えている。そ
  れらの空気や薫りは私に何かしらの良い影響を与えるに違いな
  い。今朝地下列車で爆発があった。これからは歩くか乗合いで
  の移動となる。


  九月十七日
  午後町の東で蚤の市を見る。ネパールの首巻きが六倍の値で売
  られている。世界中の地図を揃えた店もある。けれども途中で
  人の顔を見ているほうが愉しいことに気附いた私は店主や行き
  交う人の顔を眺めながらに歩いた。夜はエチオピアの娘さん、
  それからケニア帰りの日本からの娘さんとそれぞれ二時間ほど
  話す。人間には別れもあれば死もある。仮にそうしたものがな
  ければ人は幸せだろうか。否。そうした哀しいもの寂しいもの
  忌むべきものがあるからこそ人生は輝くのだと私は頭では解す
  ることが出来る。幸か不幸か感情はまた別である。


  九月十八日
  近頃宿では香港の娘さんたちと時折言葉を交わす。彼女たちは
  食堂や洋服店で働いていてこれから二年ほどここに住むと云っ
  ている。そのうちの一人は顔を合わせる度に菓子やら何やらを
  呉れる。彼女は今朝十八人部屋から四人部屋へと移ったので、
  そうか今日は別の部屋かと云うと、すごく遠いねと可愛い声で
  呟いた。恋に落ちて仕舞わぬよう気を附けねばならない。


  九月二十日
  朝ロンドンに十年住んでいるマレーシアの男と話す。仕事は何
  かと訊ねるので、学習塾で働いているけれども物書きを目指し
  ているのだと話すと、君が物書きと云うのは判るよ、人は何か
  を発しているからねと云う。午後現代美術館を見納める。何か
  に反応することは才能であるけれども、何かに反応しないこと
  もやはり才能であり能力である。二十時帰宿。エチオピアの娘
  さんと話す。三日前彼女に日本茶の効能を説かれて以来私は砂
  糖入りの紅茶をやめ日本茶を飲んでいる。彼女は夜は眠らずに
  明け方に漸く眠る。八人部屋に居る彼女はみなが目を覚まさな
  いよう息を潜めているけれども或る明け方の四時頃炭酸の入っ
  た飲み物の蓋を開けると二人が起きたと云う話が下らなくて笑
  った。朝のマレーシアの男は建築家である。彼は心の動く風景
  を見ると写真ではなく絵に描く。欧州やアジアの町並み。場末
  の人びと。卵を産む海亀。彼はロンドンで地下鉄の駅も建てて
  いる。


  九月二十二日
  学校。のち級友たちと酒場へ出る。上級組のイタリアの娘さん
  と話をする。彼女はソルボンヌで文学を修め、今はハーバード
  を目指している。マルクス・アウレリウスのような哲学者では
  ないけれども私はこの詩人が好きなのよと薦めて呉れたのはヴ
  ェルギリウスであった。担当教師とも話す。私にとって四人目
  となる先生は寡黙で愛想はないけれども味わい深い男である。
  或る日彼は生徒たちに、この言葉は君たちの国の言葉で何と云
  うのかと訊いた。生徒の一人が、英語と同じですと云うと、彼
  は恐ろしいことだと呟いた。今日彼は、この国で失望するのは
  人びとが普段着で劇場へ行くことだと云った。彼はこの話をす
  るのに敬意と云う言葉を用いた。彼はロシアに居たことがあり、
  言葉を忘れないためにロシア語を学んでいる。ロシア語を学ん
  だのちはフランス語を学ぶと云う。曰く、英語が商売のための
  言葉である為らばフランス語は芸術のための言葉なのだそうで
  ある。


  九月二十四日
  ロンドン四十四日目。最後の日曜日。郊外へ出ることもなくロ
  ンドンの町を歩く。英語を聴き本を読み溜まった日記を書く。
  自分にとってはこれが最も正しいロンドンの過ごし方であるよ
  うに思う。馴染みの小さな公園はヴァージニア・ウルフが小説
  の着想を得た公園であることを知る。


  九月二十七日
  蚤の市。のち学校。先生は文法を教えるために時間軸を描く。
  ここが過去、ここが現在、ここが未来。すると四十七歳になる
  ポーランドの男が、我我の現在はそんなに死に近くない、それ
  じゃあ未来がないじゃないか先生と訴える。不意を突かれた先
  生は珍しく笑いながら現在を左へ移す。茶目気のあるポーラン
  ドの男は隙があれば軽口を叩く。しかし彼は時折寡黙になるこ
  とがあり、そんなとき彼の目は不思議な色を帯びている。私は
  彼の何か物事の奥深くまでをも見透かしているような、静かで、
  穏やかで、何処かの森の泉を思わせるような青い目が好きであ
  る。彼は働きながら英語を学び冬を越せば祖国の小さな村へと
  戻る。深更スコットランドの女性と話す。彼女は幾つになるの
  だろうか、妙齢の淑女で、美しい顔をしている。そして恐らく
  は育ちも良いのであろう、穏やかに言葉をひとつひとつ紡ぎ、
  文化、芸術、政治のことを話す。けれどもただ水を飲むとき彼
  女はその大きな容器に口を附け、がぼがぼがぼと相当な量の水
  を一気に喇叭飲みにするので私は思わず吹き出す。彼女は云う。
  だってこれはお酒じゃなくて水なのよ。けれども私は容器の水
  が凄まじい勢いで減って行くのを見る度に声に出して笑う。彼
  女は明朝宿を出る。頬を三度合わせての別れ。


  九月二十九日
  午後最後の授業。のち送別会と云う訳で酒場へと繰り出す。最
  後の別れ際に愛想のない先生が、君は良い生徒だ、そして恐ら
  くは良い男だ、ぼくも昔はものを書いていたけれども今は書い
  ていない、君が何をしているのか時折連絡を呉れ給えと思いが
  けないことを云った。最後の夜。荷造りを済ませたのち宿の食
  堂でオーストラリアの娘さん、フランスの娘さんと積木崩しを
  する。三日後から恐い教師を演じることを思うと可笑しな時間
  だと思いながら私はへらへらと積木を抜く。現在二十八時。こ
  れから空港へと向かう。


  九月三十日
  五十日目。朝八時の飛行機。一時間でドイツの小さな空港に着
  く。飛行機を乗り継ぎ十一時間、時差が加わることでバンコク
  に着いたのが二十九時。泥のように眠っていたので記憶はない。
  ただ食事が給されない私を不憫に思ったのか隣のドイツのおじ
  さんが鶏肉と野菜の炒めものを手も附けずに私に呉れたのは憶
  えている。私はそれをぱくぱく食べた。



ロンドンに居る間に読んだ本は

ナサニエル・ホーソーン『緋文字』

オクターヴ・ミルボー『小間遣いの日記』

タゴールの詩集

徳富徳次郎の日記

周恩来の日記

アラン『幸福論』『四季をめぐる五十一のプロポ』

サマセット・モーム『月と六ペンス』『サミングアップ』

と云った辺りで

余り本を読むことは出来ませんでした。



日本へ帰ってきてからは

ジイドの日記及び『背徳者』『狭き門』

カフカの日記、短篇集及び『変身』『審判』『城』

ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』

和辻哲郎『イタリア古寺巡礼』

メンヒェン・ヘルフェン『トゥバ紀行』

コクトー『恐るべき子供たち』

ジョージ・オーウェル『パリ・ロンドン放浪記』

プリーストリー『イングランド紀行』

ミスリード『村の日記』

ハンス・カロッサ『幼年時代』『指導と信従』

カミュ『異邦人』

神谷美恵子の日記

サン・テグジュペリ『夜間飛行』『星の王子さま』

サルトル『嘔吐』

アンネ・フランクの日記

エーリヒ・ケストナーの日記

ヴィクトル・フランクル『夜と霧』

川端康成『雪国』『山の音』

ヘミングウェイ『老人と海』

を読みました。



秋頃までには読み度い本を読み終えて

そこからはこれまでに書き溜めた

十六年十七年に及ぶ日記を編み直す積もりでいます。







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  日 記
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 日 記 は 現 在

 配 信 を 休 止 し て い ま す 。







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  更 新
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ならどっとエフエムでひっそりと放送していた

『やねうら』の第十三回、十四回のネット配信版が完結しています。

第十三回は音響技術者でタイムドメイン社長の由井啓之さん。



 ■第十三回 之 三  プーチンのタペストリー
 https://www.youtube.com/watch?v=hfhN_lAQ7x4 


 ■第十三回 之 四  鋭い悦び
 https://www.youtube.com/watch?v=RvkNhqu4aGo 


 ■第十三回 之 五  スイカと豆粒
 https://www.youtube.com/watch?v=zW4ejlXhKlE 


 ■第十三回 之 六  法に従う
 https://www.youtube.com/watch?v=MMo38C4uOuQ 



第十四回はケニアのスラム街で学校を運営されている早川千晶さんでした。



 ■第十四回 之 一  ケニアのスラム街
 https://www.youtube.com/watch?v=qtO6liq0ADE 


 ■第十四回 之 二  学ぶためのステップ
 https://www.youtube.com/watch?v=R1PsbB_CK2s 


 ■第十四回 之 三  生きる意味
 https://www.youtube.com/watch?v=5vK_73Z7WRg 


 ■第十四回 之 四  モラルの度合い
 https://www.youtube.com/watch?v=G8x61w91TaY 


 ■第十四回 之 五  旅
 https://www.youtube.com/watch?v=zv3qPgbmvs8 


 ■やねうら(これまでの配信)
 http://www.tomatonikki.net/yaneura 



これまで四年に亘り

ネット版も含めると五年に亘り続けてきた『やねうら』は

ひとまずこれが最終回です。

これからは日記を遺すこと丈に力を注ぎたいと思っています。

















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【上井とまと】(うわい・とまと)
日記を綴ること十六年。数年前より本を読む日日を送る。時折異国の町に暮ら
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■ラジオ/ネット配信版
『やねうら』     http://www.tomatonikki.net/yaneura 
『われおかき同好会』 http://www.tomatonikki.net/wareokaki 
『784WAVE』     http://www.tomatonikki.net/784wave 
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