文学

三島由紀夫の総合研究

創立35年の老舗「三島由紀夫研究会」の会報を兼ねた、あらゆる角度からの総合研究メルマガ

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三島由紀夫研究会メルマガ

2019/10/25

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『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
   令和元年(2019)10月25日(金曜日)
        通巻第1374号  
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三島研究会「公開講座」講演録
          令和元年9月20日(アルカディア市ヶ谷)
                       宮田慶子(演出家)

魅力的な三島戯曲(その1)
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 演出家は、自分が手掛ける戯曲に対しては、まるで重箱の隅をつつくように戯曲の端から端まで必死に勉強して、一番の専門家のつもりになったりもするのですが、本日のように三島戯曲の全体をお話しするとなると、いささか恐れ多い気持ちになります。そこで本日の目的は、皆さんに改めて三島戯曲ってすごいなということ、そして今なお上演するに当たってこんなにワクワクドキドキする戯曲であるということを、何とかお話しできればと思っています。

▲山中湖での近代能楽集・リーディング公演

 私は山中湖の三島由紀夫文学館において企画された「リーディング」という形式で、平成24年から30年まで7年間「近代能楽集」の演出を担当いたしました。
一作だけ「班女」が残ってしまい心残りなので、いつかどこかで絶対に実現させたいと思っております。
 リーディングとは、俳優が台本を持ってそしてほぼ動きもなく、お客様にひたすら台詞の魅力をお伝えするという上演です。わずかに効果音を使うこともありますが、私はスピーカーから流れる音がどうしても俳優の生の声との相性が悪いように思いまして、基本的に山中湖でのリーディングに関しては、すべてその場で出せる生の音、例えば主に鈴でありますとか、時にはギギギギという音のする木をねじってみたりとか、いろんな物を効果音として使いながら上演をしていました。
 この山中湖でのリーディング公演は、私自身にとりましても大変収穫の多い貴重な機会となり、そして何よりもやはり三島戯曲の言葉の美しさ、密度の濃さ、ドラマの圧力の高さといったものを実感しながら、そのことをお客様にも共有していただけたという、非常に幸運で有益な経験になりました。

近代能楽集は能の幽玄の世界の特性を下敷きにしているため、時空が自由に移動します。これを普通の舞台で上演するとなると一体どうやったらいいのか、どのくらいの舞台転換が必要なのか、照明の力、音響の力をいくら借りても、時間・空間ともに一気に変えていくということは至難の業です。ですが、リーディングにはト書きを読む担当の俳優もいますので、どんな大きな場面変化でもト書きで言ってしまえば済む訳で、演出家としては内心密かに「リーディングでよかった」とほっとしていました。

▲三島戯曲の出発

 今日はまず、近代能楽集のお話の前に、學燈社の三島由紀夫必携から戯曲一覧55本を抜粋して皆さんのお手元にお配りしましたので、それに沿ってお話したいと思います。
三島さんの戯曲第一作は昭和14年の「東の博士たち」、14歳と早いですね。同時代の小説と同じように、学習院の輔仁会雑誌に載ったものです。私も中学から学習院でしたので、輔仁会雑誌には馴染みがありますが、14歳で戯曲を書くというのはちょっと考えられないです。私は女子中・高等科で演劇部でしたので、高2くらいでは戯曲を書いたりもしましたが、もちろん足元にも及びません。三島さんの時代と私の時代とは大分離れていますが、学習院には好きなことをやらせてくれる気風があり、それぞれの才能を伸び伸びと育ててくれる校風がありました。そんな中で三島さんもお書きになったんだと思います。

▲戦後の意欲作から近代能楽集へ

 戯曲執筆はそこからスタートしまして、その後一気に戦後に飛びます。昭和23年に「あやめ」という作品が発表になります。対話形式のメルヘンですが、鵺(ぬえ)が出てきたり、不思議な現実ではないものが登場する幻想的な作品にいきなりなっています。昭和23年「火宅」、24年「愛の不安」。そして「燈台」、「ニオベ」、「聖女」、これらはどれも家族間の愛憎物語です。
「燈台」はホテルの一室が舞台になっていて、妹が主人公ですがその子の兄が父の後妻と恋に陥る。「ニオベ」は良家の妻でありながら不貞を重ねてきて出来た五人の子供を殺す。「聖女」にいたっては、姉と弟とその恋人が三角関係になる。三島さんが後にもテーマにしている複雑にもつれ絡み合った家族、男女の問題が、このころから取り上げられています。

9番目、10番目が「邯鄲」と「綾の鼓」。ここで近代能楽集が登場します。「綾の鼓」の初演は三越劇場で行われました。近代能楽集に収められた戯曲は、昭和25年から35年の10年間に書かれています。西暦でいうと1950年代です。戦後5年目から高度成長期に向かっていく35年までというなかで近代能楽集は書かれています。勝手な想像ですが、先ほど紹介した非常に入り組んだ男女の愛憎であるとか、日常を超越したようなお話とか、こういうことを三島さんは早々と戯曲の形で取り上げながら、それらの土台となるものとして、新たに能を再発見なさったのではないかと思います。
三島さんが幼いころから造詣の深かった能の謡曲の中に、こんなに自分と同じような題材がいっぱいあるのだと、これを題材に書いていくのも面白いと思われたのではないかと私は勝手に思っています。一本一本ゼロから作品を立ち上げていくのが常である創作活動の中で、慣れ親しんだ世界にもうすでにこんなにすごいものがあるではないかと。
 謡曲は現代に伝わるもので400から500あるといわれています。その中から、現代にも通じる、そして脚色にふさわしいものを見つけ出して、そしてそれを土台に再創造なさった。無限の宝の山にぶつかった、そんな気持ちがなさったのではないかと思うのです。
そして最初に手掛けたのが昭和25年の「邯鄲」。26年の「綾の鼓」。そして昭和27年には近代能楽集の中でも名作といわれ、もっとも有名な「卒塔婆小町」が書かれました。

 一方、昭和28年の「地獄変」は初めての歌舞伎劇です。三島さんは幼少のころから祖母に連れられて歌舞伎をとにかくたくさんご覧になっており、また母方の祖母には能に連れて行っていただいたようで、一説によりますと、昭和20年二十歳の終戦まで、いわゆる近代劇は観たことがないという記述があったというくらいほとんど歌舞伎で育っています。歌舞伎劇を書く方が、むしろ馴染んでいたのではないかと思えます。 
 昭和29年の「溶けた天女」は珍しく音楽劇(ミュージカル)で、越路吹雪に当て書きされています。彼女にはこの後もう一本当て書きしていますが、非常に親交が深く、彼女ならばということでミュージカルを書いたのだと思います。三島さんの劇作はとても多彩で、現代劇、歌舞伎、ミュージカル、舞踏劇、オペラと幅広いジャンルの台本を書いています。

 ▲黄金の昭和30年代

 昭和30年に「班女」を書いたころ、「小説だけでは満たされなかったものが、戯曲によって欲求を満たしてくれるようになった」ということをおっしゃっています。そして、いよいよ戯曲にのめり込むようになりました。

「白蟻の巣」は私が所属する青年座に書かれた唯一の作品として思い入れが深く、いつか自分で手掛けたいと思っている作品のひとつです。青年座は昭和29年に設立され、30年9月の第三回公演で上演されました。ブラジルのリンスでの滞在の経験から書かれた「白蟻の巣」は、コーヒー農園主の家のお話です。新国立劇場の芸術監督時代、2016/2017年のラインナップに取り組んでいたときに、昭和30年代に書かれた日本の戯曲をまとめて取り上げたくて、そのときにこの「白蟻の巣」を上演しました。演出は谷賢一さんという若い方にお願いしましたが、もともとは私自身がやりたくてずっと温めていた作品でした。
当時旗揚げしたばかりの青年座はお金がなく、最小限の人数の芝居を書いてくれと勝手なオーダーを出しています。逆にその制約を三島さんが楽しんでくださり、「こういった制約があった方が面白い」と上演のパンフレットにも書いておられます。一杯道具(装置転換がない)で少人数の、凝縮された人間劇がこうして出来上がりました。物語は、夫婦養子でリンスの農場の跡継ぎに入った夫婦の妻が、使用人の運転手と不貞を犯し心中未遂を起こしていく。それを夫はずっと寛容に全部受け止め許してゆくのですが、それでいて関係性も主体性も白蟻の巣のように、すべてがぼろぼろの穴食い状態になっています。戦後10年経った昭和30年に書かれていますが、戦後の高度成長期に向かおうとするこのとき、日本はすでに肝心のものはぼろぼろではないかという思いの詰まった本ではないかと、思っています。

 昭和31年「鹿鳴館」、この年に小説では「金閣寺」と「永すぎた春」が書かれていますが、いったい作家としてどれほどの創作エネルギーがあるのだと驚嘆せざるを得ないような大作続きの年でした。
 昭和34年「熊野」はアートシアター新宿文化での初演でした。演劇・映画界では伝説上のプロデューサーといわれた葛井欣士郎という方がいて、その葛井さんが運営していた劇場が新宿の伊勢丹の向かいにありました(後年映画憂国もここで上映)。この劇場がこの後、60年代以降の新しいムーブメントの発信基地として、演劇的にも映画的にもATGの映画であるとか様々な実験的な取り組みが行われ行く母体となりました。

60年あたりの演劇界はアンダーグラウンドの時代に突入していくのですが、その時にただ破壊のエネルギーだけではなく、実験性があり、なおかつ文学性があり、演劇的にしっかりしたものを上演していくというのが信条だったのがこのアートシアターでした。単なる若い、破壊のエネルギーだけでやって来た一連の芝居とは一線を画していました。ここから蜷川幸雄氏も育って行きました。まさに、演劇的に大きなターニングポイントの拠点となった劇場がこのアートシアター新宿文化でした。「熊野」がここで初演されたということは大変に面白いことだと思います。

それより前この新宿文化では、アメリカ演劇の記念碑的作品であるエドワード・オールビーの「動物園物語」を取り上げています。男二人が、セントラルパークと思われる公園のベンチに座って、文庫本なら10ページにも渡る過剰な長台詞をずっと喋る、そんな舞台です。最終的には一人が自殺をするのですが、追い詰められたこの時代の若者像が見事に描かれた、アメリカでも衝撃的な話題作だったものをいち早く日本に取り入れて上演し、大成功をしたのがこのアートシアター新宿でした。昭和35年の「弱法師」もアートシアター新宿で初演されました。

 ▲「喜びの琴」をめぐって

 昭和38年の「喜びの琴」は演劇界に一大物議をかもしました。ここまで三島さんは文学座に所属していろんな作品を書いていましたが「喜びの琴」は反共的な人物が主人公の台本だったので、上演にあたって文学座の俳優が、この台詞は喋りたくないという事態が起こりました。この頃の演劇界は新劇が中心になっていて、政治運動の気運が拡がっていました。文学座は政治色なく設立されたはずなのですが、「時代」でしょうか。最終的には上演拒否という形になりました。それで、「君たちはそういうことを考えているんだね」ということで、三島さんは非常に厳しい声明(注)をお出しになり、袂を分かつという事件がありました。

(注)「文学座の諸君への『公開状』――『喜びの琴』の上演拒否について」(朝日新聞 昭和38年11月27日)以下全文を引用します。
 『諸君が芸術および芸術家に対して抱いてゐる甘い小ずるい観念が今やはつきりした。なるほど「喜びの琴」は今までの私の作風と全くちがつた作品で、危険を内包した戯曲であらう。しかしこの程度の作品におどろくくらゐなら、諸君は今まで私を何と思つてゐたのか。思想的に無害な、客の入りのいい芝居だけを書く座付作者だとナメてゐたのか。さういふ無害なものだけを芸術と祭り上げ、腹の底には生煮えの政治的偏向を隠し、以て芸術至上主義だの現代劇の樹立だのを謳つてゐたなら、それは偽善的な商業主義以外の何ものなのか。
 諸君によく知つてもらひたいことがある。芸術には必ず針がある。毒がある。この毒をのまずに、ミツだけを吸ふことはできない。四方八方から可愛がられて、ぬくぬくと育てることができる芸術などは、この世に存在しない。諸君を北風の中へ引張り出して鍛へてやらうと思つたのに、ふたたび温室の中へはひ込むのなら、私は残念ながら諸君とタモトを分つ他はないのである。

 今年一月の分裂事件以後、私は永年世話になり、かつ、相共に助けてきた諸君のために、微力をつくしてきたつもりである。諸君に対する愛情は、今急に吹き消さうとしても、吹き消せるものではない。しかし、諸君が愚劣の中へおぼれようとするとき、私にはもうその手を引張つて助け上げる力はない。むりにさうすれば、私も共に愚劣へおぼれ込む他はないからだ。』

▲晩年の大作と建築的論理構造の美

 昭和40年の「サド侯爵夫人」は三幕仕立ての見事な建築的構造を持った名作です。台詞が格調高く難解で、超絶技巧のある役者でないととても喋れない戯曲です。現在までの舞台でどなたがなさったのが成功したでしょうか。とにかく、普通の女優さんではとても歯が立たないような台詞です。女優にとって最も難しい戯曲の一つなのではないか思っています。

昭和30年代後半からは、「黒蜥蜴」「サド侯爵夫人」「朱雀家の滅亡」「わが友ヒトラー」「癩王のテラス」といった晩年の大作が続いて発表されます。そのベースになるようなたくさんの演劇的な実験を、昭和35年発表の「弱法師」までの近代能楽集の中でなさり、その手ごたえを元に、その後の大きな舞台をお書きになったのではないかと私は思っています。
三島さんは小説ではできなかったことを戯曲でやりたかったとおっしゃっていました。「小説は足を地につけた大建築物である。それに較べて戯曲といふのは、空中に浮かんだ楼閣なのである。」と。ただし、どちらも“建築”なんです。三島さんの劇作の意識の中には、建築的な論理性という大きな芯が貫かれています。何といっても論理的な構造の美しさというのが芸術の一つのひな型であるとも言っています。構成というものへの意識が、戯曲の場合だと思う存分楽しめるということでしょう。

演劇は時間芸術です。ある一定の、長くても三時間程度の中に、近代能楽集で言えばわずか30分から1時間の間に、どうやってドラマを構築していくかが全てを左右します。ただ思う存分いろんなことを詰め込んで書いたとしても、その時間の中に収めることはできません。そこには、かなり綿密な設計図と力学的計算がないと成立し得ないのです。時間を繰りながらドラマの緩急を作って行くというのが、戯曲の一番大きな特徴です。そのことを三島さんは楽しみながらお作りになったように思います。

それと同時に舞台というのはご存知のように、生身の人間が目の前で演じるものです。同時性です。ライヴです。このライヴという制約を受けている中で、時空を自由に飛ばすという面白さ、現実の生身の肉体を持っている俳優が演じているのに、時間がいくらでも先に飛んだり後ろに戻ったり、そして時には人間ならざる鬼になったり蛇になったり、いろいろなものに自由に姿を変えることも、この制約の中でそれがいかにしたら成立するのか。このことに挑戦なさりながら、わくわくしながら筆を進めて、わくわくしながら想を練っていらっしゃるなということを、私はいつも三島さんの戯曲を読むと強く感じます。

「宇宙的法則のひな型である」という言葉を使っていらっしゃる。もちろん、ギリシャ悲劇に遡って演劇というものに非常に深く寄り添っていらした三島さんとしては、かつてギリシャ悲劇で成立していたような、そして歌舞伎や能で成立しているようなものが何とか現代劇で成立しないものかと、常々ご自分の命題としてお持ちになっていたんではないかと思います。歌舞伎の場合、演技の様式によって目の前の客と共感を得ますが、俳優の生身の姿によって共感を得る新劇・現代劇の場合、何によってお客と切り結んだらいいんだろうかということをお考えになり、三島さんは台詞の力にすべて託されたのだと思います。言葉ですね。文体によって客と切り結ぶという表現をなさっています。

能の舞台では、地謡(じうたい)がいます。謡曲で物語の背景や主人公のこころの内、ドラマの情景描写といったものが地の謡によって行われます。それとともにシテ方が台詞と謡を語っていきますが、それらをすべて、登場人物達の台詞の中に乗せようとしたのが、例えば近代能楽集の一番の課題であり使命であり、そこにポイントが置かれていたのだと思います。
 (続く)
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◎事務局よりお知らせ   ◎事務局よりお知らせ
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三島由紀夫氏追悼 第四十九回 追悼の集い『憂国忌』の御案内
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 ことしも憂国忌の季節となりました。三島由紀夫先生の没後四十九年にあたり、政界、言論界でも「最後の檄文」の主張にもある憲法改正の方向性が出てきました。
また去る五月新帝が御即位されて令和の御代となりました。今秋には大嘗祭が執り行われますので、本年は「三島由紀夫の天皇論」をテーマとするシンポジウムを開催します。
万障お繰り合わせの上、ご臨席いただきますれば幸甚です。
 実施要綱は左記の通りです。                      
            記
 日時   十一月二十五日 (月) 午後六時 (午後五時開場)
 場所   星陵会館大ホ|ル (千代田区永田町二|十六|二)
 資料代  お一人 二千円 

<プログラム>                       (敬称略、順不同) 
午後六時  開会の挨拶     三島由紀夫研究会代表幹事  玉川博己
                   
 シンポジウム  「三島由紀夫の天皇論」
               金子宗?、荒岩宏奨、藤野博、菅谷誠一郎 
 追悼挨拶    「憲法改正の時が来た」 参議院議員   中西 哲  
午後八時十五分    閉会の辞  全員で「海ゆかば」斉唱    
        (なおプログラムは予告無く変更になることがあります。ご了承下さい)
(憂国忌代表発起人)(五十音順)入江隆則、桶谷秀昭、竹本忠雄、富岡幸一郎、中村彰彦
西尾幹二、細江英公、松本徹、村松英子
(実行委員会責任者 宮?正弘 研究会代表幹事  玉川博己)

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墓前報告祭の予定が決まりました。
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毎年「憂国忌」を終えて、多磨霊園の平岡家墓前における報告祭ですが、ことしは下記の通りです。

とき    12月1日(日曜) 午後二時
ところ   多磨霊園 平岡家墓前
集合場所  多磨霊園正門前「よしの家」(1330)
      墓前祭は神式で行われ、お一人づつの玉串奉奠があります
      終了後の直会に参加される方は会費千円か、二千円ほど。

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新年の公開講座が決まりました。
令和二年初の公開講座は下記の要領です。

とき   令和2年1月20日(月曜) 午後六時半
ところ  市ヶ谷「アルカディア市ヶ谷」
講師   長田育恵(劇作家、脚本家、劇団ユニットてがみ座主宰)
演題   「『豊饒の海』の舞台化」(仮題)。
参加費  おひとり2000円(会員は千円)
     講師の長田氏は早大卒、文化庁芸術祭賞。鶴屋南北戯曲賞を受賞。
また『豊饒の海』上演で、紀伊国屋演劇賞を受賞。
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  三島由紀夫研究会 http://mishima.xii.jp/contents/index.html
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(C)三島由紀夫研究会 2019  ◎転送自由
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最終発行日:  
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