文学

三島由紀夫の総合研究

創立35年の老舗「三島由紀夫研究会」の会報を兼ねた、あらゆる角度からの総合研究メルマガ

全て表示する >

三島由紀夫研究会メルマガ <<清水文雄の国文学と教育(その3)

2019/09/03

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
   令和元年(2019)9月4日(水曜日)
          通巻第1365号   
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
三島由紀夫研究会公開講座講演録
令和元7月26日   於:アルカディア市ヶ谷 

清水文雄の国文学と教育(その3)
@@@@@@@@@@@@@@@@

展転社代表取締役 荒岩宏奨

 ▲ 戦後の清水文雄

  戦後、清水は広島に帰京し、広島で教職につきながら、王朝文学、和歌文学の研究を続けた。また、「王朝文学の会」を結成し、『和泉式部日記』や『源氏物語』の輪読、解説など、戦前と同じく授業外でも教へ子たちと親しく接してゐたやうだ。

 王朝文学の会での様子を清水の教へ子である安宗伸郎は次のやうに記してゐる。

 思えば先生は教え子に対してはいつも、短所の批判ではなく、その人間の持っている長所を最大限にのばしていくという姿勢に終始されていた。慈愛あふれるお顔で、目を細めながら、うんうんとうなずかれながら、時折たしかめられるおことばには、話すこちらの考えの甘さが指摘される思いだった。(安宗伸郎『清水文雄先生に導かれて』)

 安宗伸郎は昭和二十七年に広島大学東雲分校に入学してから清水の教へを受けるやうになり、その後四十六年間、清水が死去するまで教へを受けてゐたといふ人である。三島といひ、この安宗といひ、生涯、清水を師と仰いでゐたといふことなので、清水文雄が教育者として優れてゐたことを証明してゐると思ふ。
 また、このやうなエピソードを紹介してゐる。

 先生は、いつも体をまっすぐにして、大股にさっさっと歩かれる。山登りや旅行のときなど、先生のご健脚には、みんな脱帽したものである。真っ先に歩かれながら、われわれの見落としたものを、いつもていねいに細かく、その本質を見抜いて進んでいかれる。(安宗伸郎『清水文雄先生に導かれて』)

 五十一年十二月十二日、先生は例会の帰りに自転車にはねられて、右手首を骨折された。ギブスをはめて教壇に立たれた先生は、左手で板書され、それのみか、左手でガリも切られたという。先生のお仕事に取り組まれる姿勢の厳しさには、襟を正さずにはいられなかった。

 先生を慕って例会に出席する顔ぶれは、その輪が広がって、比治山女子短大の卒業生も多くなった。一方、勤め先が遠くなって例会に出られなくなった者、結婚してやめていった人も多い。今、二十年間をふり返って、先生から受けたご恩のあまりにの深さに、お礼のことばも見いだせない思いである。(安宗伸郎『清水文雄先生に導かれて』)

  この安宗さんによると清水は、機関誌の『河』に載せるため、「教学相長」といふ色紙を渡したやうである。そして比治山大学女子短大新聞で、その「教学相長」といふ言葉について、かう書いてゐるやうだ。

   この言葉は『礼記』のなかにあるもので、教えることと学ぶことは、互いに助け合って伸びていくものだ、の意であろう。また「教フルハ学ブノ半バナリ」という同じ書の言葉とともに、「教えつつ学びつつ」と和訳して、いつからか自戒のよすがとするようになった。そのうち〈教育と研究は車の両輪である〉という命題が、おのずからに教師としての私の信条ともなっていった。(安宗伸郎『清水文雄先生に導かれて』)

 清水の教育信条は、「教えつつ学びつつ」であり、「教育と研究は車の両輪である」といふことみたいだ。かういふ信条だつたから、生涯師として仰がれたのだらう。

 そして、源氏物語を読む意義についてかう話したやうだ。

  中世では、戦乱のちまたにあって、陣中で、「源氏」の講義をさせている。明日をも知れぬ命、陣中で耳を傾けることによって、心の安定・よりどころを得たのではないか。「荒くれた男性の世界」にあって、「女性の生みだしたやさしい心」を読むところに深い意味がある。今、心の世界では「乱世」である。そういうとき「源氏」を読むことは中世の武士に通ずるものがあるのではないか。本当の強さは、本当のやさしさの中から生まれる(安宗伸郎『清水文雄先生に導かれて』)

 これなどは、文学者であった三島が、なぜ武士としての死に様を選んだのかに通じる精神があるのではないだらうか。

 また、王朝文学の会では保田與重郎の死去についても触れ「今年恩師斉藤衛先生がなくなられ、ちょうど七か月たって、保田氏がなくなられた。文学・人生について大きな影響を与えた人がなくなられたことは残念だが、誤解を受けていた人が、見直されてきはじめているのは心休まる思いがする」と話してゐたとのこと。

 さて、清水が教育と両輪であると考へてゐた研究の方にも少し触れておく。
 和歌の研究について次のやうに述べてゐる。

  戦後の私の研究課題は、和歌世界の構造を明かにすることが中心となった。和歌世界の構造を明かにすることは、とりもなおさず、わが民族の精神構造に究明のメスを入れることにほかならぬ。このような至難の課題が、私の力で容易に解明されるとは思わないとしても、この課題の解明に力をいたすことを、戦後に生きた私の責務と思うようになった。(清水文雄「王朝文学研究の道」)

  清水は戦後も転向することなく、民族の精神に迫るといふ研究を続けたといふことになる。
和歌と散文の違ひについては次のやうに説明してゐる。

  和歌が直観的・情緒的であるのに対して、散文の本質は分析的・論理的であるということである。従つてそれは、事象の客観的な叙述や描写に適していた。伝統的な和歌形態にあきたらず、新たに散文が書かれるようになったことは、散文でなければ表現しきれない文学的領域が、現実生活のなかに露呈されてきたことを意味する。もっと詳しくいえば、さまざまな現実的矛盾からくる王朝びと特に女性の苦悩は、いつの間にか、彼女たちに人生に対する冷静な観察批判の眼を養わせた。いったんこのような眼が開かれると、人生の哀歓を、ただ刹那的・断片的に歌い上げるだけでは満足されなくなる。当然、その刹那的・断片的なものを、持続的・全体的な世界のなかに位置づけせずにはいられなくなる。そこに散文文学としての物語や日記の生まれる必然性がある。
  (中略)
 ただ、散文と和歌との当初からの宿命的な結びつきは、日記文学にも受けつがれ、写実的な自己告白の日記のなかにも、和歌的な抒情性が湛(たた)えられていることは、やがて和歌的なものが、日本文学の伝統の芯(しん)となって今日まで流れてきている事実にもつながる事柄で、日本文学史上の大事な問題である。なお、贈答歌を資材として発展した日記が、若干の虚構性の参与によって、歌物語とよばれるものにもなりえた王朝の事情も、ここで心にとめておく必要がある。(『日本古典鑑賞講座 第六巻 王朝日記』)

  和歌は直観的・情緒的な文学であり、散文は分析的、論理的な文学であるとしてゐる。すなはち、おほまかに言ふと、平安時代以前の女性たちは直観的、情緒的な文学で満足できる表現ができてゐたのに、平安時代の女性の苦悩は、そのやうな直観的、情緒的な文学だけでは表現しきれないものがでてきたので、それを表現するために散文の物語や日記が書かれるやうになつたといふことである。ただ、散文においても、和歌的なものが流れてゐるとしてゐる。

 また、王朝文学の特徴の一つとして「きぬぎぬ」の場面を挙げてゐる。

  「きぬぎぬ」の場面を描いた箇所は、「源氏物語」をはじめとして、この時代の物語や日記に、枚挙にいとまもないほど見えている。むろん、「和泉式部日記」にも、何か所か出ている。「古今集」の恋三には、さきに引いた歌の前後に、「きぬぎぬ」のつらさを詠んだ歌が多数並んでいる。王朝女流文学のペーソスは、この「きぬぎぬ」の思いに源を発しているといえば、言い過ぎかもしれないが、これを裏返せば、「待つ恋」となる。「待つ」つらさが、強ければ強いほど、「きぬぎぬ」のつらさも激しくなり、「きぬぎぬ」のつらさが強ければ強いほど、ふたたび恋人の訪れを「待つ」つらさは激しさを増す。両者は異なった感情のごとくであって、実は、恋情の本質を両面から見たものにすぎない。すでに「きぬぎぬ」の思いが、恋の本情そのものであるとすれば、王朝女流文学のペーソスが、「きぬぎぬ」の思いに、その源をもつとしても、たいした見当違いではないことになる。(『日本古典鑑賞講座 第六巻 王朝日記』)

  では、「きぬぎぬ」とは何か。清水文雄は「夜が明けると、共寝した男女が、前夜脱いで重ねておいたふたりの着物を、めいめい着て別れることをいう。男女が逢った翌朝の意味」であるとしてゐる。

 逢瀬のあと、男性は家に帰ると女性のもとに、先ほどは別れるのがつらかつたといふ思ひを綴つた手紙を送る。そして、女性はそれ受け取ると、男性のもとに返事を送る。これを「きぬぎぬの文」と言ひ、和かが主でした。そのきぬぎぬの文を届ける役割の使者を「きぬぎぬの使ひ」と言ふ。このやうな呼び方があるほど、逢瀬のあとの手紙のやり取りは定着してゐた。

 多くの女性を苦悩させる問題は、やはり恋愛だといふことだらう。恋愛に対する苦悩の表現はすでに『古事記』や『万葉集』にもあるが、たしかに王朝文学では顕著にそれが主題として取り上げられるやうになつてゐると思ふ。

 清水のかういつた国文学に対する姿勢が、三島由紀夫を古典の世界に導いたのではないかと私は思つてゐる。

 戦後の日本は、清水が言ふやうに心の乱世である。だからこそ、文学が必要になると思ふのだが、現在の保守派の多くは、勇ましい「ますらをぶり」ばかりを語り「たをやめぶり」の強さを語らないので、なかなか本当の強さや民族精神に気づけない。

 我々はもう一度、和歌や文学を見直すことによつて民族精神を打ち出し、本当の強さを取り戻す必要があると思ふ。そのために、日本浪曼派を復権しなければならないと考へてゐる。

 わが広島大学の大先輩に、このやうな人物がゐたことを誇りに思ふとともに、私自身も大先輩を見習ひ、国体明徴、または民族の精神を明らかにするといふ運動を展開し、皆さんとともに戦後の荒廃した祖国日本を再建していきたい。
        ◎◎◎◎◎ ◎◎◎◎◎
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 ◎ 事務局よりお知らせ
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
    ♪
10月の公開講座は現在論壇で活躍中の朝鮮問題研究家の松木國俊氏です。
要領下記の通りです。

日時  10月23日(水)18時半開会(18時開場)
会場  アルカディア市ヶ谷(私学会館)
    JR/地下鉄「市ヶ谷」下車2分
講師  松木國俊氏(まつき くにとし、評論家・朝鮮問題研究家)
演題  「今日の日韓問題を考える」(仮題)
<講師略歴> 昭和25年生。熊本県出身。慶應義塾大学法学部政治学科卒。商社勤務(ソウル駐在含む)を経て現在は会社経営。評論家・朝鮮問題研究家として論壇で活躍中。主な著書に『ほんとうは「日韓併合」が韓国を救った』、『韓国よ「敵」を誤るな』(いずれもワック)など多数。
         ○◎○◎○◎○◎○◎○ 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  三島由紀夫研究会 http://mishima.xii.jp/contents/index.html
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(C)三島由紀夫研究会 2019  ◎転送自由
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2006-01-12  
最終発行日:  
発行周期:半月刊  
Score!: 98 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。