文学

三島由紀夫の総合研究

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2019/08/14

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『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
   令和元年(2019)8月15日(木曜日)
          通巻第1358号   
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『私の三島由紀夫コレクション』(その2)
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〈公開講座〉講演要旨(令和元年6月24日 於アルカディア市ヶ谷)

                             渥美饒児

 三十代になると三島由紀夫は、何かに取り憑かれたように〈ボディビル〉や〈剣道〈空手〉〈ボクシング〉を始める。やがて肉体の改造に成功すると、筋骨隆々たる裸体をグラビア雑誌に披露した。
 そして彼は〈肉体について〉、以下のように語った。

 〈私は精神という目に見えないものが美を作り続けることに飽き足りないでいた。自分も目に見えるものになって、どうしていけないのか。しかしそのために必要な条件は肉体である。私は、ようやくこれを手に入れると、新しいオモチャを手に入れた子供のように皆に見せ、皆に誇り、皆の前で動かしてみたくてたまらなくなった……。〉 

 しかし晩年を迎えた三島氏は、鍛え上げ神殿化した愛(いと)おしい肉体を自らの手で葬り去ってしまうのだ。

 当時の三島由紀夫氏の作品に『憂国』がある。
『憂国』は、二・二六事件に参加できなかった青年将校と妻が自決する衝撃的な内容だ。その後三島氏は、『憂国』を自ら〈原作〉〈脚本〉〈監督〉〈主演〉をして映画化し再現する。この作品は、彼の〈精神世界を具現化〉した明確な証であろう。

  三島氏が求めた精神世界は、表面的な軍国主義の復活ではなく、日本人本来の心である 「報徳精神」や「礼儀」や「作法」ではなかったかと思う。
 私は若い頃、フランスの思想家であり哲学者のジョルジュ・バタイユという作家に傾倒した時期があった。『太陽肛門』『眼球譚』『エロティシズム』など、独自の思想の持ち主で随分と彼の影響を受けた。
後に、三島由紀夫氏も若い頃にバタイユに傾倒したことを知って驚いた記憶がある。
 ジョルジュ・バタイユについては、今でも忘れられないことがある。私が二十代後半の頃に、ふと立ち寄った古書店で一冊のバタイユの本を見つけたことがあった。それはエロティシズムに関する本だった。そこには、シナの処刑場の写真が掲載されていた。

 シナの処刑場で磔(はりつけ)にされた囚人の男は、処刑人の槍で腹部を引き裂かれた上に、両脚が切断されていた。未だに私の脳裏から離れないのは、その残酷極まりない行為ではない。磔にされ内蔵が垂れ下がった男の表情には、悦楽の笑みが浮んでいたからだった。
 G・バタィユの著書『エロスの涙』によれば、〈処刑人の生存を長引かせるために、罪人には一服の阿片(アヘン)が与えられていた……〉と囚人の恍惚的な表情について詳細に解説していた。

 三島由紀夫氏もエロティシズムについて、自らこう語っている。

 〈生の本質は非連続性にあるという前提から出発する。個体分裂は、分裂した個々の非連続性をはじめるのみであるが、生殖の瞬間にのみ、非連続性の生物に活が入れられ、連続性の幻影が垣間見られる。しかるに存在の連続性とは死である。かくしてエロティシズムと死とは、深く結ばれている。〉

 これこそがジョルジュ・バタイユが主張する究極のエロティシズムである。あまりの衝撃に古書の購入を私は躊躇(ためら)った。なぜなら、遥か二十年前に三島氏が同じ写真を目にして〈真のエロティシズムは死の瞬間にしかない……〉と断言していたからだ。きっと三島氏は、作家としてデビューした頃から常に「死の観念」を通して生を考察してきたのだろう。

 それ以後の彼は、バタイユのエロティシズム論を実践するかのように死の予行演習を幾度となく繰り返している。生前、三島氏は少なくとも、三度にわたり自決場面の再現をしている。割腹に際しては、毎回、実物の羊の腸を使用する熱の入れようであった。それは正に死のリハーサルでありながら、現実となってしまったのである。

 一回目の予行演習は、自作映画『憂国』での割腹シーン。二回目は、自決の前年に撮影された五社英雄監督の『人斬り』という映画だ。そして三度目は、矢頭保(やとうたもつ)氏の写真の被写体である。その矢頭保も同性愛の性癖があり、四十八歳で早世している。

  三島氏の割腹シーンでは、いずれも内蔵が飛び出る映像が映し出されている。しかし『葉隠』でも切腹について触れているが、武士に詰め腹をさせる場合には、作法に基づいて行なわれる。その作法とは、極力、当事者が苦痛を伴わない自裁方法である。

 しかし三島氏が選択した自決方法は、介錯人を必要としない死に方だった。介錯人がいるにも関わらず、自力で死のうと試みたのである。
 三島氏の後追いをした森田必勝氏は、作法どおり絶命した。このことから推測できることは、三島由紀夫は自らの言葉どおり〈真のエロティシズムは、死の瞬間にしかない……〉という持論を実践したのである。

 生前、野坂昭如氏が〈エロティシズム〉について語り合いたいと三島邸に呼び出された逸話が残っている。野坂氏は〈エロ〉については対等に話ができるが、〈ティシズム〉が付くことに難色を示したという。案の定、三島氏に見事に論破され、帰り道に腹いせに電柱を殴って小指を骨折。道中には、「三島が噛んだ、小指が痛い……」と歌いながら帰ったという。

生前、三島由紀夫は〈美・エロティシズム・死……〉について、こう語っている。

 〈私の考えるエロティシズムには、絶対者が必要です。体を張って死に至るまで快楽を追及して、絶対者に裏側から到達するのが私のエロティシズムです。そのためには、どうしても絶対者を復活させなければならなりません。私にとっての絶対者は天皇であり、戦後体制は天皇から非個人を失わせたためにダメになったと考えています……。〉

 そこには、三島氏独自のエロティシズムへの追及があったと考えられる。
さらに、彼はこう付け加えている。

 〈死とエロティシズムの最も深い類縁関係には、日本民俗学でいう〈晴(はれ)〉と〈褻(け)〉である。つまり現代生活は相対主義の中で営まれるから、〈褻〉だけの日常性だけになってしまった。そこからは超絶的なものは出てこない。つまり超絶的なものがない限り、エロティシズムは存在できない。エロティシズムは超絶的なものに触れる時に、初めて真価を発揮するものである……〉

 〈昭和〉という時代は、三人の文学者の死によって支えられてきた。
?  一人目は、芥川龍之介―→「未来に対する漠然たる不安……」
?  二人目、太宰治―→「戦前より悪い時代が来た。私は、そこに生きていけない……」
?  そして三人目は、三島由紀夫―→「日本は伝統と文化を失った経済大国になってしまう……」と失望して自刃した。

ここで重要なことは、生前から三島氏は文学者の自殺を認めていなかった……ということである。そのような三島由紀夫が、なぜ自殺をしたのか? 彼は生前から文学者の自殺は認めないが、武士としての自決には大義があると主張していた。

 事実、市ヶ谷駐屯地に乱入時に拘束した総監に向けて、「私は文学を捨てた……」と断言したという。しかし決起直前まで三島由紀夫は遺作として『豊饒の海』を執筆していた……ということは、文学者でないはずはないのだ。

三島氏は、『憂国』『英霊の声』を創作して死へと突き進みながら、『豊饒の海』で輪廻転生を図ろうとしたのだろう。氏自身の中では、現実よりも作品世界の方が先行していたと云っても過言ではない。私には、自分の作りだした文学空間に取り憑かれ、小説と心中したのではないのか……という気さえする。

 自決した昭和四十五年は、日本人の半数以上が来場した大阪万国博覧会が開催された年である。高度経済成長はピークを迎え、日本全体が平和で幸福に浮かれている時に、三島由紀夫は日本の将来を憂いて自決したのだ……。
 彼は死の四ヵ月前に、サンケイ新聞に現在の日本を予言するような文章を寄稿している。

 『私は、これからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日増しに深くする。

日本はなくなって、その代りに、無機質な、空っぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目ない、ある経済大国が極東の一角に残るであろう……』

 この一文は、死後四十九年経った今も〈日本の将来を予兆した名文〉として文学史に語り継がれている。この文章を推し量るかぎり三島氏は、来たるべき「無機質な日本を許す人たちとは一緒に生きていけない……」と絶望したのではないだろうか。生前、彼が声高に〈人生は短編小説のように決然と完結しなければならない……〉と云っていたことが思い出される。

〈三島由紀夫〉と〈天皇〉とを切り離して考えることはできないが、三島氏にとっての天皇は、イデオロギーというより絶対者という意味で位置づけていると思われる。このことを取り違えると、三島由紀夫の精神構造を大きく見誤ってしまうのではないかと思う。

 三島由紀夫は、戦後の日本の在り方はどうあるべきか……という課題を世の中に提起したのではないだろうか。そして独自の美学を追及した果てに殉教したのではないか……。極論かもしれないが、三島氏の遺作である『豊饒の海』を読み返していると、〈昭和四十五年十一月二十五日・十二時十二分〉に、日本の何処かで姿を変えた第二の三島由紀夫が転生(てんしょう)したのではないかと思えてならない。あの『豊饒の海』に登場する松枝清顕(まつがえきよあき)と同様、脇の下に三つの黒子を持った飯沼勲(いいぬまいさお)のように……。

 三島由紀夫が追求した文武両道には、最終的な目標があったと私は思えてならない。〈文〉においては大作『豊饒の海』の完結であり、〈武〉においては武士としての大義ある死ではなかったろうか。
 ここにイギリスの詩人・トーマス・エリオットの『ヒューモレスク』と題された一編の詩があるので朗読します。

 私のピエロが また一人死んだ
道化に疲れたわけではないが身も魂も弱り果て
機械時代のバネ人形は弱いからピエロの言うことは 全てこの世で間違いとされた
月なら 英雄だったものを彼の住むべき世界はどこに?

 三島由紀夫氏は、〈日本文化〉と個人的には〈超絶的なエロティシズム〉のために自刃したのではないかと思う。そして、〈天才は夭折(ようせつ)すべきである〉と考えた時に、三島氏独自の思想が死に結びついたのではないだろうか……。

 最後になるが三島由紀夫氏の死後、彼の書斎から一枚のメモ書きが発見された。そこには「限りある命ならば、永遠に生き続けたい……」と記されていた。
私はその事実を知った時、三島由紀夫という小説家の死がやっと納得できた思いがした。(文責 三島由紀夫研究会事務局)
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 ◎ 事務局よりお知らせ
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8月の公開講座は評論家で憂国忌発起人の西村幸祐氏が講師です。
           記
◇日時 8月30日(金)午後6時開場、6時半開演
◇会場 アルカディア市ヶ谷(私学会館)
       (JR・地下鉄「市ヶ谷」駅徒歩2分)
◇講師 西村幸祐氏(評論家、憂国忌発起人)
◇演題 「三島由紀夫は甦る」
◇講師略歴 昭和27年生れ。東京都出身。慶應義塾大学文学部哲学科中退。学生時代に『三田文学』の編集に携わる。現在評論、言論の世界で活躍中。主な著書に『21世紀の「脱亜論」中国・韓国との決別』(祥伝社新書)、『日本人に「憲法」は要らない』(KKベストセラーズ ベスト新書)、『韓国のトリセツ』(ワニブックスPLUS新書)など多数。
◇会場分担金 会員・学生千円(一般2千円)
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  三島由紀夫研究会 http://mishima.xii.jp/contents/index.html
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