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三島由紀夫の総合研究

創立35年の老舗「三島由紀夫研究会」の会報を兼ねた、あらゆる角度からの総合研究メルマガ

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三島由紀夫研究会メルマガ

2019/05/29

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『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
   令和元年(2019)5月29日(水曜日)
          通巻第1344号 
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蘇る三島由紀夫            
平井陽二

▲三島由紀夫氏の死を思う

「あらゆる天才的な、または新しい人間思想、あるいはただ単になんぴとかの脳裏に生じたあらゆる真面目な人間思想にあってすら、どうしても他人に伝えることのできない何物かが残っているものだ。たとえ何巻もの書物を著わし、自分の思想を三十五年かかって解説したにしろ、所詮は同じことである。頑としてその人の頭蓋骨のもとから出てゆくことを肯んぜず、永久にその人の内に、とどまっているような何物かが、常に残っているものなのである。したがって人は、おそらく自分の思想のうちで最も主要なものかもしれぬものを、空しくなんぴとにも伝えずに死んでゆくのだ」
(ドストエフスキー、神西清訳『白痴』より)

■1.自決後の三島論へのいらだち ■
 三島・森田両氏の壮烈なる割腹自決ほど世人を驚かせたものはない。事件翌日の各紙の社説に始まり、後に続々と続き、週刊誌、月刊誌の論評はまことに虚妄というか空虚というか、どれ一つとして人々を納得させるものはない。これらマスコミは、三島氏の死を説明する様々な説を並べはしたが、事件の指示した根元的命題は故意に軽視または無視して、興味本位の報道に堕して行った。あの事件を通して三島氏が訴えようとしていることを真剣に考えてみようとする人々にとって、これらマスコミの浮薄な論調は、何とも言い難い腹立たしさや、いらだちを覚えさせる。現に私もその一人である。このいらだたしさは日が経つにつれて増しこそすれ、減りそうもない。このいらだちを
 少しでも鎮めるためには、私のとらえ得た三島像を世に問う以外なさそうである。もちろん、私は三島氏を語るにふさわしい人間ではない。第一に三島氏は私の理解を遙かに超えた存在といってよい。第二に私は三島文学のファンではないし、氏の文学作品はほとんど読んでいない。それでもなお私の三島論を開陳せずにおれないのは、世上に見聞する三島論に強い疑惑といらだちを禁じ得ないからである。
 この小論が三島氏の真意をとらえ得て精確なるものだと自負するつもりは毛頭ない。ただこれを書くことにより私のいらだちが少しでも鎮まり、同時にいささかなりとも三島・森田両氏の鎮魂になればと思って書いた。

■2.信じてもらえない苦悩 ■
 何であれ、人のしてしまった行為を傍人が遡って分析すれば、自動人形のからくりの他に何が得られるだろうか、というのは小林秀雄氏の言葉であるが、マスコミ上に現れる論評はたいていこの類である。率直にその人の置かれた状態に身を置いて思えば、何かが見えてくるはずであるが、そこにはだいたい言葉がない。そういうところまでいったんおりて行って、何とかして言葉を見つけるのが真の批評というものであろう。このことは言うは易くして行うは難いことであるが、出来れば私はこういう姿勢で書いていきたいと思う。

 三島氏の死の真意を探る意味で、狂気説、美学説、文学説、果ては情死説と諸説入り乱れているが、三島氏にとって望ましからざるこれら諸説が乱れ飛ぶ責任の一端は、やはり氏自身にもあるといえるであろう。三島氏自身ある対談(昭和41年)で、次のようなことを口にしている。「私は絶対わかってもらえない。身から出たさびだと思います。やはり僕の行跡がたたってましてね、何をやったって信じてもらえない」…「やはり自分が悪いのだと思います。」

 三島氏にとって好ましからざる諸説の中にも、それぞれいくらかの真実はあるかもしれないが、それらは決して三島氏の核心を突いていないし、少なくとも三島氏の意図したところではない。先の対談での発言は、三島氏が国防を考える上で自衛隊に体験入隊することを決意したり、天皇について公に語り始めた頃のものであるが、何をやっても分かってもらえない、信じてもらえない当時の苦悩(とは言っても氏は苦悩を表に出すような人ではなかった。むしろ「理解されない誇り」と言っているくらいであるが)は、そのまま自決前後の苦悩へと続いているとも言えるのである。

■3.生の原理・死の原理 ■
 世間一般の三島氏誤解の第一は、氏が政治的言語で発言したり、政治(行動)の世界で活動していることを、すべて文学的用語で説明解釈し、文学の世界でとらえようとしていることである。もちろん氏自身にも、この二つの世界の無意識の融合はあったであろうが、意識的には、両者を峻別しようとたえず努めた人であることは明白である。

 三島氏が文学を「生の原理、無倫理の原理、無責任の原理」と規定し、行動(政治)を「死の原理、責任の原理、道徳の原理」(「砂漠の住民への論理的弔辞」)と規定していたことはいろんなところで表明している。文学の世界、芸術の世界というのは簡単に言ってしまえば、結局「ウソで遊んでいる」世界である(野坂昭如氏との対談)。従ってその世界においては、たとえいくら不道徳、無倫理なものであっても認められるし、責任はない。この世界には決して政治が入って来てはならない。この世界に政治が入ると、いずれは言論統制につながるからである。しかし、言論の自由そのものには何らの価値があるわけではない。戦後は言論の自由そのものが価値として政治的に利用されがちであるが、それ自
体は価値ではなく、「動物としての最低限の要求」である。それはたとえば、夫婦の会話を聞かれないとか、はばかりをのぞかれないとかと同じような、いちばん低俗な権利で、しかもいちばん必要なものである。これが保障されなければ、文化なり何なり築きようがない。従ってこういうところから防衛意識というものが出てくるはずである。

■4.本音の思想化 ■
 三島氏は、「文武両道」という言葉を好んで使ったが、これは結局、デリケートな文(文化と考えてよい)の世界をよく知っている者が、同時に武(防衛、行動、政治)の世界を知り、それを身に付けておかなければならないということである。文の世界というものは、非常にか弱く、こわれやすいものである。これを守るためには武が必要である。しかし文を解せぬ武の独走は危険であるし、文と武の癒着も文の世界をだめにする。この危険を防ぐためには、文と武の両方の原理をしっかり握っていなければならなぬ。「この二つをくつつけぬために両方持つてゐなければならない」と氏は言っている。これがすなわち氏の言う「文武両道」である。

 では武の世界、行動(政治)の世界とはいかなるものであろうか。それは先に書いたように、責任の原理、道徳の原理によって支配された世界である。芸術、文学の世界は結局「ウソで遊んでいる世界」であったが、政治(行動)なり実人生なりにおいては、「本音を思想化」(野坂氏との対談)していけばよいのである。本音以外にモラルはあり得ない、と氏は言っている。しかし、モラルは究極的には命をかけることを要求する。氏は「文学自体がモラルを喪失させるという危険をいつも感じていた」(「文弱の徒について」)。文学にモラルや生きる目的を見出そうとする人間は、現実生活に何かしら不満を持っている。そして現実生活の不満を現実生活で解決せずに、文学の中に解決策を見つけようとする
。文学の中に生きる目的やモラルを求める人間が、文学の毒にあたると、奇妙な優越感にとりつかれる。自分には何のモラルも力もないくせに、人間の世界に対して、ある「笑ふ権利」を持つてゐるのだという不思議な自信のとりこになってしまう。そして「あらゆるものにシニカルな目を向け、あらゆる努力を笑ひ、何事か一生懸命やつている人間のこつけいな点をすぐ探し出し、真心や情熱を嘲笑し、人間を乗り越えるある美しいもの、人間精神の結晶であるやうなある激しい純粋な行為に対する軽蔑の権利をわれ知らずに身につけてしまふ」(「文弱の徒について」)のである。(これはまさしく、生前、死後の三島氏の行動に対する文弱の徒「知識人」の反応である)。かくのごとき「文弱の徒」は、文学の
中でだけ許されるような無道徳、無責任、ふしだらを現実生活に持ち込み、人に迷惑をかけて省みない。このような文学の毒を人一倍知っていた三島氏は、「そのうち…自分の冷笑・自分のシニシズムに対してこそ戦わなければならないと感じるやうに」なり(「果たし得てゐない約束」サンケイ 昭和45年(1970)7月)、「無責任、無倫理の芸術の世界に満足しない一個の人間精神」(前掲・砂漠の住民への…)として、「責任の体系と道徳の体系とそして死の原理をみづから引き受けようとする政治行動」に「みづから飛び込んで」いったのである。

■5.内面的モラル ■
 このように、文学(芸術)の世界と政治(行動)の世界をはっきり区別しようとしていた三島氏は、当然それぞれの世界で使う言葉の責任範囲もはっきりしていた。すなわち、文学の世界の言葉には「絶対責任はとらない」。自分の小説に他人がどんな影響を受けようと自分には一切責任はない。文学の言葉に責任を持つとすれば、「言葉の味」に関してだけであって、それ以外は一切責任は持たない。
 しかし、一歩文学の世界から出て、政治の世界、行動の世界に入ると、責任は完全にかかってくる、と言明している。だからこの世界で「11月に死ぬぞ」という言葉を使ったら、絶対に死ななければいけない(村上一郎氏との対談・昭和45年(1970)1月「日本読書新聞」)。
 三島氏は、政治の世界、行動の世界における自分の言動の責任ということを、これくらい厳しく自己規制していたのであるが、誰もそれを冗談半分しか受け取らなかったのである。いや、そういう言葉が冗談としてしか聞けないくらい言葉というものが馬鹿にされているのである。「一度言葉を馬鹿にしたら、あと永遠に馬鹿にしなければならない」(前掲・村上一郎氏との対談)。これは、文学者としても行動人としても三島氏の我慢できないところであった。こういう気持ちは、昭和35年(1960)の安保闘争の頃から強まってきたようである。当時の新聞に、「ものを書く人間の現代喫緊の任務は、言葉をそれぞれ本来の古典的歴史的概念へ連れ戻すことだと痛感せずにはゐられない」、というようなことを書い
ている。「ウソの言葉をそれと知りながら使ふといういふのは、まぎれもないニヒリズムの兆候である」(昭和三十五年(1960)六月 毎日新聞)。

 政治・行動の世界での言動にはすべて責任がかかってくる、という考えは三島氏の内面的モラルであったといってよい。内面的モラルとは、三島氏が晩年によく使った言葉「士道」ということである。士道とは、「内面的なモラルといつてもいい。内面的なモラルといふものは、自分が決めて自分がしばるものだ。それがなければ、精神なんてグニャグニャになってしまふ。」(昭和45年(970)7月 サンデー毎日)

■6.反革命宣言 ■
 今まで見てきただけでも判るように、三島氏は政治・行動の世界においては、自分の言動に対する「責任」ということを非常に強調している。他に向かって責任を強調する以上は、そのことを自分の肝に銘じていたであろうことは想像に難くない。三島氏とはそういう人である。氏はこの「責任」のために死んだといっても過言ではない。
 このような三島氏が“これだけはどうあらうと責任を持つ”と言明しているのが、『反革命宣言』である(前掲・村上一郎氏との対談)。政治・行動の世界に属する三島氏の所謂「政治的言辞」で書かれた評論や、対談、討論等での発言は(特に晩年の三、四年のものは)、煎じ詰めれば結局この『反革命宣言』に要約されると断言してよい。これは三島氏のいう所謂「本音の思想化」と考えられる。『反革命宣言』の思想的背景として書かれているものに『文化防衛論』、『橋川文三氏への公開状』、『栄誉の絆でつなげ菊と刀』(雑誌「日本及日本人」昭和43年(1968)爽秋号)などがあるが、それらを私の理解したところに従って解釈すると次のようになる。

■7.終極目標は天皇を守ること ■
 日本の文化・歴史・伝統をぬけがらでなく、生きたものとして守るためには天皇(制)を絶対守らなければならない。何故なら、天皇はわれわれの歴史的連続性・文化的統一性・民族的同一性の、他のかけがえのない唯一の象徴だからである。また、文化の全体性を保障するのは、言論の自由である。この言論の自由によって最大限に容認される日本文化の全体性と、先に述べた文化概念としての天皇制との接点において、今後の日本の発見すべき新しくまた古い「国体」が現れてくるであろう。文化の全体性を保障するところの言論の自由をこれまた保障するのは複数政党制による代議制民主主義である。言論の自由であるから、共産党や共産主義者あるいはこれに準ずるものは容認され得るが、彼らと行政権は
絶対に結びつけてはならない。これはあくまで阻止しなければならない。手段としてどのようなことを言おうと、それは最終的には生きた日本の歴史・文化・伝統を否定するものであるし、複数政党による代議制民主主義とは絶対に相容れないからである。ということは言論の自由が保障されないということである。だから形としては言論の自由を保障する複数政党制による代議制民主主義政体を守るということになるかもしれないが、終極目標は天皇を守るということにつながっていなければならない。それは日本文化を生きた生命あるものとして守るためには不可欠の要件である。

■8.栄誉の絆でつなげ菊と刀 ■
 文武両道のところでも述べたが、文(文化と考えてよい)を守るには武が必要である。日本の国という立場から見れば、武にあたるのは自衛隊である。この自衛隊が最終的には何を守るのかということを明確にしておかなければ、政治状況によっては、「人間の本能的な最低限の要求である」言論の自由はもちろん、それに生きた内容を盛り込む日本の歴史的文化的連続性・統一性・全体性とその象徴的体現者である天皇を終局的に否定する政治勢力の指揮下に自衛隊が行動する可能性も出てくる。これを防ぐためには、「文化概念としての栄誉大権的な天皇の復活をはからねばならない」(「栄誉の絆でつなげ菊と刀」)。栄誉大権とはそう難しく考えなくとも、「現在の天皇も保持してをられる文官への栄誉授
与権を武官へも横辷りさせるだけ」でもよいのである(「橋川文三氏への公開状」)。また、自衛隊の儀仗を天皇がお受けになればよいのである(同上)。(いつ頃からかはっきりしないが、その後三島氏の考えは改憲論へと発展したようである)

■9.日本の純粋性をくもらすもの ■
 以上は『反革命宣言』に代表される三島氏の思想的背景を、私の理解したところに従って解説したのであるが、三島氏は日本及び日本文化というものを考える上で、「天皇(制)」の問題を本当に真剣に考えていたと思われる。これは「檄」にももちろん見られるし、自決の一週間前に行われたという対談(日本図書新聞・昭和45年12月12日号)で「これ(天皇制)は利用されようとされなかろうと、ぜったい理想的に復活されなきゃいけない」と言っている。
 戦後二十五年以上経っていながら、依然として敗戦後遺症の続いている日本の思想界では、はっきりした「尊皇」やはっきりした「反共」は絶対タブーとなっている。はっきりそれを唱える者は、分別ある知識人・文化人とは思われないことになっているし、マスコミや論壇はそれらをまったく無視するか排撃しなければならないことになっている。戦後の偽善を打ち破るためには、このタブーを打破しなければならないと三島氏は考えていたに違いない。三島氏ははっきりした「反共」であったが、その言葉のもつ雰囲気は嫌っていた。「僕は反共といふのは実は嫌ひなんですよ。…日本の純粋性をくもらすものは、共産主義であらうが、資本主義であらうが、民主主義であらうが、なんでもいかん。だから日本
人でいいです、」(「文武両道と死の哲学」)と言っている。

■10.急速に失われ始めた日本の魂 ■
 以上ずっと書いてきたのは、三島氏の発言をもとにして、私のとらえ得た氏の思想であり精神である。少なくとも氏の思想の重要な一面であることはまちがいないと思う。だがマスコミに現れる三島氏に関する論評の多くは、これらの点を故意に軽視または無視しているように思われる。いや軽視や無視などよりもっと次元の低いのは、三島氏はどこまで本気であんなことを信じていたのか疑わしい、自分を飾るためにする言動に過ぎない、というような見解である。これは己の次元の低さの告白以外の何ものでもない。だがこのような次元の低い見解にも無理からぬところがある。こういう発言をしている当人も含めて、戦中、戦後の知識人の言動とは、たいていそのような無責任なものであったからだ。それが
習い性となり、他人もそういうものだと思ってしまうのである。
 「精神といふものは、あると思へばあり、ないと思へばないやうなもの」(「若きサムライのために」の「あとがき」)である。このような漠とした「精神」というものも文字や言説によって表現され得る。表現され得るけれども最終的には証明されない。だから先ほどのように、どこまで本気か疑わしいと言われても、文字や口先で言っているかぎり証明のしようがない。従って精神というものは文字表現だけでは足りない。これは三島氏が当然導かれていった結論である。「かうした結論には、戦中戦後の知識人の言説といふものがいかにたよりなく、いかに最終的責任をとらなかつたかといふことをわが目で確かめてきた」(同「あとがき」)氏の経験が大きく影響している。

 精神の存在証明は、「あくまでも見えるものを通して、成就される。」「行為は見える。…
従って、精神の存在証明には行為が要」るのである(同「あとがき」)。行為とは身近な日常生活での言動から究極的には死を賭けた行動まで含まれる。三島氏は文字で表し、言葉で語った(あるいは語り得なかった)精神の存在証明のために死んだ。「今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目にみせてやる」(檄)。これは明らかに「留魂」の行為である。何のための留魂か。敗戦後急速に失われはじめ、いまだにとどまるところを知らぬ日本の魂を救わんがためである。自決直前(当日?)にコロンビア大学のアイバン・モリス氏に書き送ったといわれる手紙で、「四年間考へに考へたあげく、いま日ごとに急速に消へていく日本の古き美しき伝統のために、僕はわが身を犠牲にすることを欲する
やうになりました」、と言っているそうである。私はこれを言葉通りに受け取りたい。しかし、日本の魂・日本の伝統を救うといってもただ昔に戻せばよいと言っているのではない。日本の文化・伝統の核(天皇)を守れば他のものは自ずと生命力を持ってくるというのが三島氏の考えである。この直感は論理的に証明できるような底の浅いものではないが、私は当たっていると思う。

■11.魂のぬけがらとしての空っぽな経済大国 ■
 三島氏が真に恐れていたのは、外国からの侵略や革命ではなかった。もちろんそれらも警戒し防がなければならないと考えていたが、それ以上に氏が心を痛めていたのは、日本が魂のぬけがらとしての空っぽな経済大国に堕して行きつつあることであった。

 『このままいつたら「日本」はなくなつて、その代わり、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気になれなくなってゐるのである』(「果し得てゐない約束」サンケイ・昭和45年(1970)7月)。

 いまのままで十年いや五十年くらい経てば、この直感の正しさが、特別神経の鋭くない人にも判るようになるかもしれない。この文を読んだ時、すぐ頭に浮かんだのはD.H.ロレンスの手紙であった。それを要約すると彼は次のように言っている。

 「私は民主主義というものを見れば見るほど嫌いになる。すべてが賃金と価格、電燈と水洗便所という卑俗な標準に引き下げられてしまう。それ以外の何ものでもない。ここの生活は給料はよく、服装は立派で、自動車を乗り回している。人はたえず何ということなしに、無意味に活躍している。すべてがまったくからっぽで、ナッシングで、本当にむかつくくらいである。彼らは健康で、私にはほとんど白痴的と思われる。生活はただ物質的、外面的になって、内面の生活、内面の自己は消滅し、機械仕掛けの人形のように無意味にカタカタと動き回っている。そして意味のある言葉は一語も語れないようになる。にもかかわらずここの人たちは誠実で親切で、仕事には有能で、外面の生活はまことに気がおけな
い。だがそれでおしまい、その他に何もない。万事が出たとこ勝負で、じれったがりようもない。どうでもよいという気持ちになる。皆がそうなのだ。胸の底では、何もかもどうでもよい。自分の小さなエゴだけが大事なのである。本当に大事なものがないので、小さなものを後生大事にしているのである。まったくからっぽで人生に『内容』を与えるものに欠けている」。

 これは、日本を含めた先進諸国において現在しだいに深刻になりつつあり、これからますます深刻になるであろう重要な問題を直感している。ロレンスは五十年ほど昔の豪州を見てこのようなことを直感したのであるが、五十年経って改めてこの直感の鋭さに驚かされるのである。三島氏の直感もまさにこのような性質のものである。三島氏が死の直前まで天皇を語ったのもこの予見と無関係ではない。

 工業化、都市化、福祉国家等あらゆる近代化の行きつく先には必ずフラストレーションが起こる。それを救い得るのが天皇である(「文武両道と死の哲学」参照)、というのが三島氏の予見であり、鋭い直感である。これは天皇御自身がどうこうなさるというのではなく、天皇の御存在そのものがこういう性質を持ち得るという意味である。このことも理論化し得ない直感であるから時間の証明、歴史の証明を待つ以外ないのかもしれない。だが証明され得る時がもはや取り返しのつかぬ時でなければさいわいである。

■12.留魂・精神の存在証明 ■
 とにかく三島氏は予見し行動し、そして死んでいった。否定により、批判により「約束」してきた何事かを果たすために、自己の言動に最終的責任をとるために、三島氏は死んでいった。もちろん現時点であのような死に方をすればどのような扱いを受けるか十分承知の上であったろう。「責任を自己においてとらうとするとき、悪鬼羅刹となつて、世人の憎悪の的となることも辞さぬ覚悟がなくてはならぬ。それなしに道義の変革が成功したためしはないのである」(「砂漠の住民への論理的弔辞」)。

 三島氏は結局自己の言動に最終責任をとるために死んだ。精神の存在証明をわれわれに見せてくれたのである。

■追記■ この文は三島由紀夫氏の死後三カ月後くらい経った頃に書いたものである。(昭和46年)三月二十三日より三島事件の裁判が始まったが、これから新しい事実が次々と判明し、この文も多少の変更を余儀なくされるかもしれない。だが根本的には変更の必要はないと確信している。また、所謂「知識人・文化人」はこの文を一笑に付すであろうが、三島氏の精神はこのように素直に考えないとつかめない面があることは確かである。
 次に、森田必勝氏の死についていろいろ言われているが、森田氏は三島氏に共に死ぬことを要請されて死んだのではなく、自ら進んで死ぬことを申し出たものと私は思っている。このこともやがて裁判で判明するかもしれない。
 最後に、これはある雑誌の記事で知ったのであるが、森田必勝氏は昭和二十年の七月生まれだそうだ。筆者は同年の八月、すなわち敗戦の直後に生まれた。どちらも純然たる戦後派である。筆者が森田氏と同年、しかもほぼ同じ頃生まれたということを知ったとき、ある種の感動を覚えたことを付記しておく。
昭和46年(1971)3月29日

※原文はすべて歴史的仮名遣いで書いたが、今回新仮名遣いに直した。
※傍点が何カ所かあるが、今回は表示できない。

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 事務局よりお知らせ
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『三島由紀夫研究』第十九巻が刊行
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 待望の『三島由紀夫研究』(鼎書房)第十九巻が刊行された。
 特集は『豊饒の海』で、編集委員は松本徹、佐藤秀明、井上隆史、山中剛史の四人。
 此の号もまた力作揃いで、どれも読み応えがある。
 目次を掲げる
 「豊饒の海」構想の基本     松本 徹
 「春の雪」にけるシャム王室と留学制度   久保田裕子
 アダプターション作品の生態学  山中剛史
 「豊饒の海」における老い    細谷博
 「天人五衰」論         有元伸子
 その構成(海を見る少年)    佐藤秀明
 三島由紀夫の輪廻について    犬塚潔
 書評              井上隆史、富岡幸一郎 ほか

 なかでも出色は、犬塚潔(楯の会研究家にして資料収集家)の「輪廻」論である。
 三島における輪廻は仏教的六道とは異なり神道的解釈だと松本徹が冒頭でも指摘しているが、豊饒の海のテーマは、まさに輪廻転生である。
資料収集にかけて斯界一と言われる犬塚氏は、この輪廻の概念の、三島における変遷を、戦前に書いた「夜告げ鳥」にまで溯っての論究である。
 そのうえ、犬塚氏は、三島が中河與一に宛てた手紙に、その輪廻の概念を発見し、解説を加えながら、一方で手塚治虫が三島に接近して映画への協力を依頼したところ、けんもほろろに断られたことなど、知られざる逸話も紹介されている。初めて知ることが多かった。
            
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六月の「公開講座」は渥美饒児氏(文藝賞受賞作家)
浜松在住の作家・渥美饒児氏が小説家を志した20代より30年間にわたって蒐集した「三島由紀夫コレクション」を通じて、三島由紀夫への熱い思いを語って頂きます。渥美氏は文藝賞受賞作家です。
      記
日時  令和元年6月24日(月)18時半より(18時開場)
会場  アルカディア市ヶ谷(私学会館)
https://arcadia-jp.org/access/
演題  「私の三島由紀夫コレクション」
講師  渥美饒児氏(あつみじょうじ、小説家)
   <講師プロフィール> 昭和28年生、静岡県浜松市出身。日本大学文理学部卒。『ミッドナイト・ホモサピエンス』(河出書房新社)で昭和59年度文藝賞を受賞。『十七歳、悪の履歴書―女子高生コンクリート詰め殺人事件』(作品社)を原作とした映画「コンクリート」(中村拓監督)が平成16年に上映される。その他『孤蝶の夢―小説北村透谷』(作品社)、『原子の闇』、『沈黙のレシピエント』(何れも中央公論新社)。その他最新作として警察小説の傑作として評価の高い『潜在殺』(河出書房新社)がある。浜松市在住。
 平成25年浜松文芸館で「三島由紀夫コレクション展」を主催した。 


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 7月公開講座は、蓮田善明とともに『文芸文化』を創刊し、また三島由紀夫の才能を見出し三島由紀夫が世に出ることに尽力した清水文雄について論じて頂きます。
荒岩氏がこれまで当会で取り上げた蓮田善明、保田與重郎、伊東静雄、影山正治に続く浪曼派文学シリーズの第5弾になります。
      記
日時  令和元年7月26日(金)18時半より(18時開場)
会場  アルカディア市ヶ谷(私学会館)
演題  「清水文雄の国文学と教育」
講師  荒岩宏奨氏(あらいわ ひろまさ、展転社取締役編集長)
略歴   昭和56年山口県生まれ。広島大学教育学部卒、プログラマー、雑誌編集者を経て現在展転社取締役編集長。著書『国風のみやびー国体の明徴と天業の恢弘』(展転社)。
会場費  会員・学生千円(一般2千円)


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九月「公開講座」の講師が新国立劇場演出家の宮田慶子さんに決まりました。日程などは下記の通りです。
      記
日時  令和元年9月20日(金)18時半開演(18時開場)
場所  アルカディア市ヶ谷(私学会館)
    https://arcadia-jp.org/access/
演題  「三島由紀夫演劇の世界」(仮題)
講師  宮田慶子氏(新国立劇場演出家・同演劇研修所長)
<講師略歴>昭和32年生まれ。東京都出身。学習院大学文学部中退後青年座(文芸部)に入団。その後新国立劇場演劇部門芸術監督を経て現在は同劇場演劇研修所長。三島由紀夫作品の「朱雀家の滅亡」など多くの作品の演出を手掛ける。第9回読売演劇大賞最優秀演出家賞をはじめ受賞歴多数。
会場費 会員・学生1千円(一般2千円)
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  三島由紀夫研究会 http://mishima.xii.jp/contents/index.html
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(C)三島由紀夫研究会 2019  ◎転送自由
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