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三島由紀夫の総合研究

創立35年の老舗「三島由紀夫研究会」の会報を兼ねた、あらゆる角度からの総合研究メルマガ

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三島由紀夫研究会メルマガ

2019/03/25

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『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
  平成31年(2019)3月25日(月曜日)
         通巻第1322号   
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書評

松本徹著作集第三巻「夢幻往来 師直の恋」(鼎書房)
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 三島由紀夫文学館前館長であり、憂国忌代表発起人でもある松本徹先生の著作集が現在刊行されており、本書はその第三巻に当たる。
歴史をテーマとした随筆と、中編・短編小説からなる本刊は、歴史にゆかりの地を訪ねる著者が目にした情景描写から書き出される形式が多い。移動手段は、郊外電車やローカル線、あるいは路線バスである。
 その「道行」はあくまでもゆったりとしていて、効率など問題にしないという姿勢である。この速度感が、歴史的仮名遣いの柔らかさとも、文章全体のゆるやかなテンポとも見事に調和している印象を受けるのだ。
そしてとにかくよく歩く。それもガイドを伴わず一人だけで、文献を頼りに、おおよそのあたりを付けて歩き回るのだ。 

著者には比較的最近の仕事として、三冊の長編紀行文学があるが、どれもしっとりとした余韻を残し、対象となった人物への深い思い入れを感じさせる作品である。
「風雅の帝 光厳」 鳥影社 平成二十二年
「天神への道 菅原道真」 試論社 平成二十六年
「西行 わが心の行方」 鳥影社 平成三十年
 
 本書に見られる、歴史と人物へのまなざしと触れ合いが、この三部作に昇華したといってもいいのではなかろうか。
どの書物にも言えることは、歴史のあった時代と現在とがあたかも並行に存在するかのようにシンクロし、自由に行き来をするということだ。まるで能楽が、空間と時間を自由に行き来するように。
いやむしろ著者が挑んだのは、能楽の持つ自由な時間と空間の往来を、散文により再現するという試みだったのではないか。
いにしえの人物が見たであろう海や山や松や岩を、あたかも今、著者と同時にその歴史上の人物も一緒になって見ているかのように描き出すのである。数百年から千年も経てば、地形も大きく変わっているだろうが、あたかもそこに平安時代の人物が現れて、著者と同じ視点から眺めている、そんな錯覚を覚えるのである。

▲古典芸能を観賞する

四二〇頁の本書は、ただし決して生易しくはない。ところどころに引用される古典の原文や和歌には、現代語訳や注釈のないことも多く、多少とも古典の教養がないと内容を理解できない。読後、読み進めるのが大変でしたと正直に伝えたところ、こんなご返事をいただいた。
「そんなに苦労を掛けてよかったかどうか。原文の引用、もう少しわかりやすくすればよかったかもしれません。しかし、少し苦労もしてもらおうという気持ちもありました。そして、できるだけ原文そのものを、読む人の胸の内に響かせたい、とも思ったのです。」

 本書では、古典文学とともに多く言及されているのが、能や歌舞伎といった古典芸能である。
歴史を題材に創作されたこれらの演したものは、オリジナルがさらに変形、脚色されていくつもの再創造の母胎となった。その比較にも触れているのだが、ここまで詳しく古典芸能を鑑賞し、細部を記憶していることは驚異的なことだ。著者の舞台に注ぐ愛着は、三島がそうであったように、大変熱烈なのだと改めて知った。
 悲哀傷心は、人の最も深い感情であろう。悲しみは、行為となって拡散せず、内に向って己れを噛むからである。男女の恋のはかなさ、悲しみを語るとき、その表現は一層思い入れが深い。

 さて、どれも印象に残る作品の中からなにを選ぼうかと迷い、随筆からは「大物浦(だいもつのうら)―入水再び」、小説からは「源氏供養」を取り上げようと思う。奇しくも平家物語と源氏物語という二大古典が典拠となっている。
大物は兵庫県尼崎市に実在する地名である。
かつての風光明媚にして交通(海運)の要衝、そして花町として殷賑を極めた面影は今はない。ここが歌舞伎の人気狂言「義経千本桜」二段目後半のクライマックスとなった舞台である。この芝居の構成は少し込み入っているが、平安末期に滅亡した平家一門の平知盛と安徳天皇が、江戸時代の「今」によみがえって船問屋の主人とその娘に変装し、義経を殺害する計略を練るが、その策略を見破っていた義経に敗れ、再び入水するという筋書きである。

しかも安徳天皇は、義経により命が助かることが暗示されているのだ。天皇まで利用してつかんだつかの間の平家の栄光だが、それは何よりも、天皇を利用するものの陥る因果となって滅亡する序曲であったと、この芝居はささやいているようにも思う。
 三島氏は『文化防衛論』でこのように書いた。

 『みやびの文化は、危機や非常時には「テロリズムの形態」さえ取る。よって文化概念としての天皇は、国家権力の側だけではなく、「無秩序」の側に立つこともある。もしも権力の側が「国と民族を分離」せしめようとするならば、それを回復するための「変革の原理」ともなるのである。』

歌舞伎では、幼い安徳天皇が知盛にこんなことを言う。

 「自分を守り面倒を見てくれたのは知盛の情け、今自分を助けるのは、義経の情け。どちらも自分にとってはありがたい大切な存在だから、義経を恨みに思うな、知盛」

 これはもちろん史実ではないが、ここに天皇制が長い歴史を生き抜いてきた謎の一端が暗示されているように思う。作者が天皇制につき刺した、一針の皮肉と言ってもいい。
この作品で印象に残った言葉の使い方について触れておきたいと思う。

 「この時、その幾つもの異質な層が鋭く衝突し、奇妙な倍音(ハーモニックス)を響かせる。そして、そのなかを、銀平にして知盛、かつまた、幽霊にして生身、生身にして幽霊の男が、その隔たつた在りやうの間を往復しつつ、うやうやしく膝行するのだ。」

 ▲「倍音」という音楽用語

 ここで著者は、登場人物の存在を「倍音」という音楽用語で表している。倍音とは、基本となる音の周波数の倍の周波数を持つ音であり、耳では感じ取れないのに、確実に混ざっている、忍者とでも言うべきか幽霊とでも言うべきか、そんな音のことである。これ以上的確な言葉はないと思うくらい、ツボにはまった言葉の選択だと思う。

 「源氏供養」は、紫式部が参篭の折に源氏物語の着想を得たとする伝承がある滋賀県大津市の石山寺を舞台とした短編小説である。こ
の寺で著者の分身である主人公は、源氏物語に恋焦がれてしまった三人連れの女性グループと出会い、この物語とそこから派生して生み出された古典の数々を巡る会話を交わすことになる。源氏物語の中でだれが一番好きかという問いは、この物語を読んだことのある人ならば、一度は考えたことがある遊びだと思うが、ここに登場する三人の女性はそれぞれが物語のヒロインになりきろうとさえする。そればかりか、源氏を世に送り出した紫式部の罪を糾弾さえするのだが、これは「源氏供養」で描かれた、紫式部に対する罪を現代によみがえらせたものである。

 「紫式部が虚言を以て源氏物語を造りたる罪によりて、地獄に堕ち・・・・・」

 平安末に編まれた「宝物集」の一節だが、「虚構をもってこの世のもろもろの情念を炙り出し、長大な物語を編み上げた罪を、紫式部は問はれたのだ。」
「描かれてゐるのは、あくまでも絵空事である。(略)それが現実のことのやうに生々しく付きまとつてくるのだ。(略)物語となると、絵空事なるがゆゑに、過去となることなく、いつまでもうつゝであるかのやうに、果てしなくまとひついてくる。そこには、自分の密かな夢まで織り込まれてゐるだけに、なほさら深く喰ひいつて、消えることがない。

「わたしたちは、源氏物語に狂はされた女なのですよ」
「言葉ひとつでひとを狂はせる罪は、重うございますわ」
「現にわたしたちのような読者が、後から後から現はれて、絶えることがありませんから。(略)落ちなければならないのですよ。平安の昔から千年、ずつと続いてきてゐることですわ」
「謡曲「源氏供養」では、光源氏が救済され、それに与るかたちで、作者の自分も救われることを期待する。」
「浄瑠璃になると、地獄で責め苦を受けるのは、紫式部でも読者でもなく、光源氏そのひとひとりで、彼を苛むのは、鬼ではなく、彼が関係した女たちである。」

これよりも流れし水のみなもとをわづかに汲める末をしぞ思ふ(正徹)

 ▲「今日のわれわれは「末」になお繋がり得ているか」と。

この歌は、源氏が書かれてから四百年後に詠まれた歌だが、これに続けて著者はこう書く。

「今日のわれわれは「末」になお繋がり得ているか」と。
著者にはだから、我が国の文芸の受用の伝統が滅びてしまうことへの不安があるのではないか、あるいはそんな兆候をすでに感じ取っているのではないか、と思う。
源氏狂いの三人の女性を登場させたのは、そうした思いを打ち消すための願望も込められていたのだろうか。

 三島由紀夫も戯曲「源氏供養」を書いた。若くして未亡人となり、その後小説家となった「野添紫」が書いたのは、五十四人の女から次々と愛された絶世の美男「藤倉光」を主人公とする小説「春の潮(うしお)」である。
この作品は、昭和三十七年に『文藝』三月号(河出書房新社)に、近代能楽集の九作目として発表されたが、後に「廃曲」として三島自身によって著作目録から抹消された。この件に関して、最晩年に催された三好行雄との対談のなかで三島は、「廃曲というか、自分で捨ててしまった」、そして「題材として、それをアダプトすることが、まちがいだった」と語っている。
 廃曲の理由についてはこれまでもいろいろと言われてきたが、ここでは取り上げない。
(なお、同作は新旧の全集には収録されている)

 野添紫の台詞を引用しよう。

 「それは月のやうな実在で、いつも太陽の救済の光に照らされて輝やいてゐた。だから女たちはその輝やきに魅せられて彼を愛した。彼に愛されれば、自分も救はれるやうな気がしたからです。いいですか。私のしたことはといへば、この救済の光りだけを存分に利用しておいて、救済は否定したといふことなの。これが天の嫉みを買つたんです。そんじよそこらの実在と安手な救済との継ぎはぎ細工なら、天は笑つて恕すでせうに、私の場合は恕せませんでした。何故つて光のやうな人間こそ、天が一等創りたい存在だからです。救済の輝きだけを身に浴びて、救済を拒否するやうな人間こそ。……わかりますか。天はそれを創りたくても創れない。何故なら光の美しさの原因である救済を天は否定することができないからです。それができるのは芸術家だけなんですよ。芸術家は救済の泉に手をさし入れても、上澄みの美だけを掬ひ取ることができる。それが天を怒らせるのよ。」

 ここに、三島も高く評価したトーマス・マンの「トニオ・クレーゲル」の主題に通じるものを感じないだろうか。しかし、三島はこの戯曲でこれを、芸術家の妄想として一蹴する台詞を登場人物の若者に語らせるのだが。

 石山寺は硅灰石(けいかいせき)群の岩盤の上に建立された寺院である。硅灰石については、本書の解説を写す。
「花崗岩になるべき鉱物組成の岩奬が上昇して来て、すでに固まつてゐた石灰岩に貫入して、接触変成作用を起こし、形成された岩である。石灰岩は柔らかく脆いが、生まれ変わつたこの岩石は、硬く、白い輝きを持つ。」

 そしてこの小説の終盤には、こう書かれているのだ。

「作品を読むとは、この接触変成作用のやうなものかもしれない、と思つた。読者はそれぞれに熱い岩奬を抱え持つが、それが作者の書きつけた紙の上の文字に貫入することによつて、輝かしくも確かななにものかに変はる。」

境内で女性の一人が語った次の言葉に対する、著者の返答だろう。
「しかし、少なくともわたしたちが、わたしたちの身をもつて、物語の世界に入り込んでいかなくては、物語は、決して生命をもたない」

だれ一人日本の古典を読む人がいない、そんな絶望的な未来など決して来ないのだという、著者自身の祈りにも似た思いだろうか。
                           (評 浅野正美)
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■ 事務局より 今後の予定
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四月の「公開講座」は金子宗徳氏(里見日本文化学研究所所長)に国体論をテーマに講演して頂きます。まさに御代替わり、改元の直前という時期にかなった内容になるものと存じます。

日時 4月19日(金)18時半開演(18時開場)
会場 アルカディア市ヶ谷(JR・地下鉄「市ヶ谷」下車2分)
演題 「御代替わりに際して〜あらためて国体とは何か」
講師 金子宗徳氏(里見日本文化学研究所所長、月刊『国体文化』編集長、亜細亜大学非常勤講師)
会費 会員・学生1千円(一般2千円) 
<講師略歴 昭和50年生。名古屋市出身。京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了退学。著作『安全保障のビッグバン』(共著・読売新聞社)『「大正」再考―希望と不安の時代』(共著・ミネルヴァ書房)『保守主義とは何か』(共著・ナカニシヤ出版)
          

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5月公開講座は元『正論』編集長の上島嘉郎氏です。

日時 5月28日(火)18時半開演(18時開場)
会場 アルカディア市ヶ谷(私学会館) JR・地下鉄「市ヶ谷」下車2分
演題 「三島由紀夫と西郷南洲」(仮題)
講師 上島嘉郎(かみじまよしろう)氏はジャーナリスト、元月刊「正論」編集長
(講師略歴)昭和33年生。長野県出身。愛媛県立松山南高校卒。フリーランスを経て産経新聞社に入社。月刊「正論」編集長を歴任。現在はフリージャーナリストとして活躍中。
著書として『韓国に言うべきことをキッチリ言おう!−いわれなき対日非難「サクサク反論ガイド」』(ワニプラス、共著に『大東亜戦争「失敗の本質」』(飛鳥新社)がある。
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六月の「公開講座」は渥美饒児氏(文蓺賞受賞作家)
 6月公開講座は下記の通り行いますのでお知らせします。浜松在住の作家・渥美饒児氏が小説家を志した20代より30年間にわたって蒐集した「三島由紀夫コレクション」を通じて、三島由紀夫への熱い思いを語って頂きます。
      記
日時 6月24日(月)18時半より(18時開場)
会場 アルカディア市ヶ谷(私学会館)
   JR/地下鉄「市ヶ谷」徒歩2分
演題 「私の三島由紀夫コレクション」
講師 渥美饒児氏(あつみ じょうじ、小説家)
   <講師プロフィール>昭和28年生、静岡県浜松市出身。日本大学文理学部卒。『ミッドナイト・ホモサピエンス』(河出書房新社)で昭和59年度文藝賞を受賞。『十七歳、悪の履歴書―女子高生コンクリート詰め殺人事件』(作品社)を原作とした映画「コンクリート」(中村拓監督)が平成16年に上映される。その他『孤蝶の夢―小説北村透谷』(作品社)、『原子の闇』、『沈黙のレシピエント』(何れも中央公論新社)、『潜在殺』(河出書房新社)など多数。浜松市在住。
 平成25年浜松文芸館で「三島由紀夫コレクション展」を主催した。


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 7月公開講座の日程とテーマが下記のように決りましたのでお知らせします。蓮田善明とともに「文芸文化」を創刊し、また三島由紀夫の才能を見出し三島由紀夫が世に出ることに尽力した清水文雄について論じて頂きます。
荒岩氏がこれまで当会で取り上げた蓮田善明、保田與重郎、伊東静雄、影山正治に続く浪曼派文学シリーズの第5弾になります。乞御期待。
    記
日時  7月26日(金)18時半より(18時開場)
会場  アルカディア市ヶ谷(私学会館)
演題 「清水文雄の国文学と教育」
講師  荒岩宏奨(あらいわ ひろまさ、展転社取締役編集長)
    講師略歴 昭和56年山口県生まれ。広島大学教育学部卒、プログラマー、雑誌編集者を経て現在展転社取締役編集長。著書『国風のみやびー国体の明徴と天業の恢弘』(展転社)。尚荒岩氏は来る4月より展転社代表取締役に就任予定です。
会場費  会員・学生千円(一般2千円)


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九月「公開講座」の講師が新国立劇場演出家の宮田慶子さんに決まりました。日程などは下記の通りです。
     記
日時  9月20日(金)18時半開演(18時開場)
場所  アルカディア市ヶ谷(私学会館)
    JR/地下鉄「市ヶ谷」徒歩2分
演題  「三島由紀夫演劇の世界」(仮題)
講師  宮田慶子氏(新国立劇場演出家・同演劇研修所長)
<講師略歴>昭和32年生まれ。東京都出身。学習院大学文学部中退後青年座(文芸部)に入団。その後新国立劇場演劇部門芸術監督を経て現在は同劇場演劇研修所長。三島由紀夫作品の「朱雀家の滅亡」など多くの作品の演出を手掛ける。第9回読売演劇大賞最優秀演出家賞をはじめ受賞歴多数。
会場費 会員・学生1千円(一般2千円)
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  三島由紀夫研究会 http://mishima.xii.jp/contents/index.html
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