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三島由紀夫の総合研究

創立35年の老舗「三島由紀夫研究会」の会報を兼ねた、あらゆる角度からの総合研究メルマガ

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三島由紀夫研究会メルマガ

2018/12/10

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『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
  平成30年(2018)12月11日(火曜日)
         通巻第1301号   
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後藤修一・井上正の両氏をおくる
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                         菅谷誠一郎(事務局長)

 今年、弊会にご縁のある二人の方が相次いで幽界に旅立たれた。
幹事・後藤修一氏(享年66歳)が7月19日に心不全のため横浜の自宅で逝去され、幹事・井上正氏(享年63歳。筆名井上正義)が11月16日に肝臓癌のため立川市内の病院で逝去された。
人の世にいつか別れが来るのは必定であるが、両氏が弊会の運営に果たしてこられた役割を振り返るとき、無念の思いを禁じ得ない。
先日、平成最後の憂国忌も滞りなく終わり、寸暇を得たので、ここに両氏を追悼する小文を草して生前のご交誼への謝辞に代えたい。


▲後藤修一さん

後藤修一氏は昭和27年、横浜に生まれ、昭和52年に玉川大学文学部外国語学科を卒業されている。
ドイツ語に堪能であり、ナチス政権時代を中心としたドイツ近現代史についての該博な知識をお持ちであったことで有名である。後藤氏が邦訳に携わったジャン・ド・ラガルト(石井元章監訳)『第二次大戦ドイツ軍装ガイド』(並木書房、2008年)掲載のプロフィールによれば、軍事史学会会員、ドイツ行進曲愛好会会長、元日本郷友連盟常務理事、元日独協会青壮年委員会副委員長、水木しげき『劇画ヒットラー』原作協力、ドイツ日本文化紹介イベント「コンニチ」コーディネーターとあり、後藤氏が多くの顔を持っていたことがわかる。

歴史だけでなく、音楽やアニメ、プラモデルなど、後藤氏の趣味は多彩であり、7月28日、小雨の降る久保山斎場には弊会関係者約30名を含めて200名以上の参列者があった。
そのなかには各種同好会で活動を共にした若い世代の女性の姿も目立ち、生前における交友範囲の広さがうかがわれた。荼毘にふされる際には弊会幹事・比留間誠司氏が読経を務めた。
9月29日に弊会が開催した「後藤修一氏を偲ぶ会」(アルカディア市ヶ谷)には60名以上の出席者があった。
多くの人たちから慕われた人柄が偲ばれる次第である。

今から8年前、弊会はこれまでの活動内容を『「憂国忌」の四十年 ─三島由紀夫氏追悼の記録と証言─』(並木書房)としてまとめる機会があり、後藤氏も3篇のコラムを寄稿している。
それによれば、後藤氏は高校在学中の昭和43年、三島由紀夫氏が戯曲「わが友ヒットラー」の上演を計画しているとの記事を目にし、浪曼劇場に対して歴史考証上での協力を申し出て、それが翌年の三島との出会いにつながっている(「『わが友ヒットラー』の時代考証 ─三島さんとの出会い」)。
後藤氏は昭和46年1月、築地本願寺で催された三島氏の葬儀に参列し、その日に日本学生同盟の高校生組織「全国高校生協議会」に加盟している。その後、神奈川県高校生協議会責任者、全国高校生協議会事務局長を務め、同年の三島由紀夫研究会設立に際しては会員番号1番を手にしている(「『全国高校生協議会』のことなど」)。
玉川大学卒業後は三浦重周氏が設立した重遠社の国際部長に任命され、昭和54年にはドイツ、イタリアの愛国団体を表敬訪問するなど、語学力を活かした活動を残している(「重遠社国際部」)。

私が弊会で後藤氏とご一緒させていただいたのは平成17年に逝去した三浦重周氏が事務局長であったころからである。
最初にお会いしたのがいつだったか、正確には思い出せない。まだ学生であった私が憂国忌で司会を務めることになった際、外国人登壇者のお名前があると、その正確な発音を教えていただくなど、さりげない気配りをされる方であった。
幹事会や憂国忌実行委員会などの場では温和な立ち居振る舞いに徹し、難しい議題があっても、後藤氏の言葉によって場の雰囲気が和むこともあった。メールの文末に絵文字を挿入するなど、ユーモアに富んだ人柄であったことが思い起こされる。

今にして思うと、弊会以外の場所で若い世代の方たちと交友する機会があったからこそ、そうした所作を平素から心がけていらっしゃったのであろう。また、酒席で気分がよくなると、川内康範氏作詞による日本学生同盟歌を歌い始めるのが常であり、後藤氏の興に乗った姿を見るたびに、私たち一同、心が和まされるものがあった。
 ここでは後藤氏が遺した業績として、さきに挙げた『第二次大戦ドイツ軍装ガイド』を紹介しておきたい。
同書は2005年にフランスで刊行された『GERMAN SOLIDIERS OF WORLD WAR TWO』増補改訂版の全訳であり、後藤氏と北島護氏の二人が邦訳作業に携わっている。
同書には1939年から1945年までのドイツ陸海空軍の将校・下士官兵の軍服、警察部隊警察官の制服がカラー写真で掲載されている。その数は100種類以上に及び、いずれもドイツ人モデルが着用している。
各頁には詳細な解説が用意されており、これだけでもドイツ近現代史、特に戦史・軍事史に関心ある初学者にとっては、利便性の高い入門書となっている。後藤氏の学識があってこそ、邦訳の刊行に漕ぎ着けたと言えるだろう。同書冒頭に掲げられた後藤氏の「訳者のことば」(2頁)を引用する。

 「第2次大戦時のドイツの軍服は美しい。同時代の各国の軍服と比較しても断然優っている。それは、ドイツ軍の戦車や兵器が美しいのと同様に、ゲルマン民族の卓越した機能美への探究心と、それを支える最高の職人仕事(マイスターヴェルク)が、見事に融合したからだと言える」
「この本を手にされた方にぜひ申し上げたいのは、なぜ軍服が美しいのかということである。それは戦場に命をかけた戦士たちの死に装束だからなのだ。この写真集に収められた軍服には、どれも戦士たちの魂が宿っている。軍服の美しさを愛する者はこれらの戦士たちへの畏敬の念を忘れてはならない。実際にこれらの軍服を着て戦い、死んで行った大勢の名もなき将兵が存在したことを忘れてはならない」

 ▲三島由紀夫「軍服はファッションではなく、鍛え上げられた肉体にのみ着用が許されるものだ」と訓示した

 かつて三島由紀夫は自衛隊体験入隊を共にした楯の会学生に対して、軍服はファッションではなく、鍛え上げられた肉体にのみ着用が許されるものだ、と語っていたという。
私は後藤氏の逝去後に同書を手に取ったが、この「訳者のことば」を見たとき、後藤氏は間違いなく三島の思想を継承していたのだと感じた。

後藤氏はドイツ近現代史研究を通じて、戦後の日本が忘れた民族としての伝統や軍人に対する敬愛の精神を固く守り続けていた。それが生前の三島に接した者の義務と考えていたのであろう。
毎年、後藤氏には憂国忌実行委員会の役割分担として音響をご担当いただいた。開場前のリハーサルで私たちが演壇から合図を送ると、音響室から後藤氏が笑顔で手を挙げていた姿が目に浮かぶ。
近年、体調が思わしくないとうかがっており、最後にお会いしたのは昨年の憂国忌であった。
後藤氏の逝去後、10代から30代の頃の写真が数枚発掘されたが、顔立ちが青年時代と晩年でほとんど変わっていないことに驚いた。もともと童顔でいらっしゃったが、さきに述べたように、若い世代との交友が多かったことや、他者と衝突することのない人柄もあったのであろう。
あの笑顔をもう二度と目にすることができないと思うと、悲しみがひとしおに増す次第である。


▲井上正さん

私にとって、井上正氏(筆名「井上正義」)とのお付き合いも三浦前事務局長の時代に遡る。
当時、井上氏は重遠社総務という立場で弊会の運営に参画され、公開講座、憂国忌、墓前奉告祭など、様々な場で三浦氏を補佐してこられた。
井上氏が三浦氏と出会ったのは昭和49年であり、重遠社創建への参画も含め、爾来30数年にわたって活動を共にされてきた。
井上氏は中央大学経済学部在学中、教科書裁判で有名な家永三郎法学部教授(東京教育大学名誉教授)の授業に乗り込んだこともあったといい、後藤氏と同様、日本学生同盟出身者としての気概を社会人になってからも持ち続けていた。

平成17年12月に三浦氏が56歳で急逝後、弊会では三浦重周遺稿集刊行委員会を組織し、論文随筆をはじめとする資料の整理にあたった。
その内容は『白骨を秋霜に曝すを怖れず』、『国家の干城、民族の堡塁』(いずれもK&Kプレス、平成18年)として刊行されたが、そのゲラの校正作業は赤坂プリンスホテルで井上氏らが一晩かけて行ったものである。
井上氏は重遠社機関紙『新民族主義』の編集に携わっていた経験があり、井上氏の協力がなければ上記の遺稿集刊行はかなわなかったであろう。

平成18年4月、弊会では東京からバスを貸し切り、1泊2日の日程で三浦氏の生誕と終焉の地である新潟を訪問している。私も含め、30数名の参加者が新潟埠頭に到着した時、現地は横殴りの雨と風が吹き荒れていた。
埠頭で記念撮影をしたが、その前列中央で遺影を抱えていたのが井上氏であった。のちにジャーナリスト・山平重樹氏の執筆による評伝『決死勤皇 生涯志士─三浦重周伝─』(並木書房、平成27年)が刊行され、その年7月、弊会主催で「決死勤皇 生涯志士の人三浦重周を語るシンポジウム」が開催された。
フロアとの討論の際、井上氏からは『白骨を秋霜に曝すを怖れず』の巻頭論文「世界新秩序建設=大日本主義へ」(平成6年)にまつわる詳細な解説があり、改めて生前における両氏の紐帯がどれほどのものであったのかを感じさせた。

井上氏が入院中であることは今年8月の時点で幹事一同に知らされており、私も10月上旬に入院先の病院にお見舞いにうかがった。井上氏は毎年の憂国忌で会計責任者を務められており、ご本人も憂国忌までには活動に復帰することを希望していたが、その願いはかなわずに不帰の客となってしまった。
病室に滞在したのは10分足らずであったが、はっきりと両目を見開いて私の顔をご覧になっていた姿が記憶に残っている。
その前日に別の幹事が病床の井上氏を訪ねているが、かなり厳しい状態であると判断し、あえて口外しなかったという。
井上氏との出会いが最後になるとわかっていたならば、もっとゆっくりとお話ししたかったというのが正直な気持ちである。


▲入院、闘病、最後の日々

10年ほど前、井上氏が痩せた姿になったため、周りが驚いたところ、「食わないから痩せたんだよ」と笑いながらおっしゃっていた。
その時は「井上さんも健康のためにダイエットされたのか」と考えて特段の心配はしなかったが、今にして思えば、その時に最初の手術をされていたのであろう。酒席も含め、あまり饒舌な方ではなく、ご自分の体調のことは詳細にされなかったが、弊会のために多くのものを遺していただいた。
井上氏の逝去後、ある女性会員からは井上氏の思い出として、「政治は中道が肝心であると三島さんが作品の中で書いている」と語っていたことや、その温厚な人柄を偲ぶメールが他の幹事あてに送られてきた。
後藤氏と同様、多くの方々に慕われた人であった。奇しくも本稿を執筆している今日、都内では三浦重周氏追悼会である第13回「早雪忌」が開催される。生前、三浦氏は日本酒を好み、今頃は霊界で後藤氏、井上氏と共に一献傾けているのであろうか。
「後藤さん、井上さん。こっちに来るのが早すぎるんじゃないのか」という三浦氏の声が聞こえてきそうである。合掌。
(平成30年12月10日記) 
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 事務局よりお知らせ
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西部邁さんの一周忌が近付いています。
 三島由紀夫のよき理解者でもあり、憂国忌に馳せ参じてくれた評論家の西部邁先生が入水自殺をとげてから一年となります。御命日は1月21日ですが、月曜日にあたるため、二日繰り上げて1月19日に一周忌イベントを行います。
 2019年1月19日(土曜)午後二時 場所は永田町の「星陵会館」です。
 現時点でのプログラムは榊原英資、富岡幸一郎、宮崎正弘各氏のほか、多彩な顔ぶれで追悼挨拶、シンポジウムなどが計画されています。具体的な内容は決まり次第、弊誌でも告知しますが、まずはスケジュールをお空け下さい。
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