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三島由紀夫の総合研究

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三島由紀夫研究会メルマガ ]反抗と仁愛 ──日本の浪曼主義(その1)

2018/11/03

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『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
    平成30年(2018)11月3日(土曜日)
         通巻第1286号   
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<<短期集中連載>>

反抗と仁愛 ──日本の浪曼主義(その1)
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                                    澤村修治
 
 ◆はじめに
 
ご紹介いただいた澤村です。本日はお招きくださりありがとうございます。どうも近年はネット文化が行き渡ったせいか役立つ情報を端的に得てハイ次という時代のようで、咀嚼に時間がかかりすぐに役立つわけでもない文学・思想は冷遇されがちです。
公務としては編集者を長くやっていますが、本格的な教養書の書下ろしが商業出版の世界で成立しなくなっている状況はひどいものです。それを考えると、いま文学・思想の問題を真剣にご議論なされている三島由紀夫研究会の方々の存在は、まさに暗夜の一灯というべきでしょう。
今日はみなさまの前でお話しすることが出来て喜ばしい限りです。
 
平成三十年の今年は自然災害が立て続けに起きました。年初は記録的な厳冬で、東京も滅多にない大雪に見舞われています。真率なお付き合いをさせて頂いた西部邁先生が自裁された日も、異様な寒波の夜でした。夏は連日の猛暑です。地震や台風、水害が相次ぎ、何十年に一度あるかないかというほどの災害が列島のあちこちを襲っています。
私は日本近代史で本を何冊か書いているのですが、歴史の転換点というのは、まさに「天が怒る」というのか、自然災害が頻発しているのがわかる。幕末もそうで、安政の大地震があり天候異常による飢饉続きで大混乱です。
金融恐慌を経て非常時・戦時と歴史が動く昭和前期も、実は地震が多くありました。戦前日本での御用邸や離宮を扱った『天皇のリゾート』を先年、上梓しましたが、そこに登場した箱根離宮は明治を代表する洋風建築ながら、昭和五年の伊豆地方大地震で全壊です。附属の官舎は芦ノ湖に陥没しています。
昭和の大戦争の時期、昭和一八年から二〇年にかけても、鳥取地震、東南海地震、三河地震と千人を超える被害を出した巨大地震が連続している。それだけ当時の日本は自然災害が多かったのです。

 では平成も終わろうとしている当代はどうでしょうか。
データと効率にひた走る管理社会の到来に、ついに天が怒った、堪忍袋の緒が切れたのか、そう考えたくもなります。だとしたら、天も怒りふるえる地上の変動期を過ごす我々にとって、人間復興の思想は今後どうあるべきなのか。理性だけでは把握出来ない人びとの「心」、そこへの配慮を社会的に洗練させて保持せんとする「伝統」をどう見つめ直すべきなのか。保守思想の真価が試される時代がやって来たと思います。
保守の運動に関しては、実践的には浪曼主義へのまなざしが重要だと私は捉えており、本日のテーマでもあるのですが、日本で浪曼主義、浪曼の運動が復興する余地はあるのか。そのあたりを問題意識として持ちつつ、西郷南洲から保田與重郎をへて三島由紀夫に繋がる「系譜」について、お話ししていきたいと思います。
 
◆南洲の詩人性
 
今年はNHK大河ドラマもあって、西郷南洲があちこちで取り上げられています。私が『西郷隆盛──滅びの美学』(幻冬舎新書)の元文を書いて『表現者』に載せてもらったのはもう四年前です。その頃は誰も南洲のことを言いませんでした。
その後、維新百五十年というので一気にブームが来たわけで、私の本もそれがなければ上梓と至らなかったかもしれず、滅多なことはいえませんが、鹿児島の城山で自裁し天にのぼった南洲は、このブームをみて、そろそろ「頼むから静かにしてくれ」と言い出しそうな気がしてなりません。地味で簡素で、奥ゆかしい人でしたから。そのなかで私も、いわば騒壇人の一人としてあちこちで南洲についてしゃべっているわけで、いささか忸怩たるところです。ただ今回は、ほかならぬ三島由紀夫研究会での講演であり、南洲もあの黒ダイヤのような巨【おお】きな瞳で「まあいいだろう」と寛恕してくれるのではないか。そう信じて話を進めたいと思います。

 まず、西郷南洲とは何者なのか。
いくつか整理的に、私の見方をお話しします。
 すぐれた実践家として、維新第一等の功労者でありながら、明治政府への最大の反逆者となり、絶対少数にまで追いつめられた挙げ句、鹿児島の城山で滅びたのが西郷隆盛(南洲)です。
庶民層に愛される一方で、その生涯は後代の思想家・表現者に「魂の共鳴」をもたらした。それはどういうところにあらわれているのかというと、南洲に理解を示す者には一定の傾向があります。
まず反時代、反体制的で、在野の人間が多い。功利的かつ合理一辺倒の考え方を嫌い、利害損得を超えて行動する者への鋭い共感力を宿した人間が、南洲をきわめて印象的に語っている。すなわち、西洋化一辺倒でいいのかと疑問を持ち、古き懐かしき東洋的・日本的なものを半身でも保持しないと、日本は結局日本でなくなってしまうのではないか、こういった危機感を抱く人間こそが、南洲に仮託して、日本人が近代という時代を相渉【あいわた】っていくなかで失ったもの、その喪失の痛みを語るわけです。他方、西欧万歳で計算高く、武士道や儒教的道徳、国学的美意識といった伝統的なありようは遅れた古いスタイルだ、と考える連中はだいたい南洲を嫌う、あるいは敬遠し、まるで居なかったかのごとく冷淡に扱います。

二つに引き裂かれた南洲への態度には、ほとんど文明的な意味があると私は思います。南洲という人間の物語は、明治初期で滅びたものを過去の整理棚へと追いやり、追想するだけの話ではない。二十一世紀もだいぶ進んだ当代、むしろ南洲は再発見され、語り直される価値のある対象なのです。
なぜかというと、いま日本で、世界で起きているのは、西洋化していった果ての近代的発想が行き詰まった姿でありましょう。近代主義の総本山であるアメリカがトランプ現象、欧州がブレグジットや反EU勢力の拡大といった、ほとんど自己矛盾の先鋭的な体【てい】をさらしています。専制や破戒の雰囲気が顔を覗かせている。やっかいなニヒリズムと混沌がやって来ている。

 まさに不安な時代相に立たざるを得ない現今、ここは落ち着いて、近代のはじまりに一度立ち返り、自分たちの歩みを検証してみるのも必要ではないか。そのなかで南洲という存在が注目されます。
彼は日本近代の扉を開いた。〈一八六八年の日本の維新革命は、西郷の革命であった〉と、内村鑑三にいわしめた人間でした。稀有の実践者だといっていい。〈すべてを始動させる原動力であり、運動を作り出し、「天」の全能の法にもとづき運動の方向を定める精神〉であった、とも内村は評しています(鈴木範久訳)。彼は近代日本国家のスターターだったのです。そのうえで南洲は歩み出した近代日本に叛逆した。南洲が歩んだこの異様な矛盾のなかに、近代の矛盾、またそれが行き詰ってくる深層みたいなものも見出せるのではないか。こういう問題意識を抱かせます。

南洲自身が全くの矛盾人間です。人格的には、近代社会を生きるにそぐわないほど、伝統的な東洋人の面を強く宿しました。その南洲が日本近代の扉を開いたわけで、そこには途轍もない矛盾があった。
南洲はその矛盾に苦悩しながら明治の世を生きた。彼は大功労者であるはずなのに、お茶の一杯も飲まず、対価も受けずに、飄然【ひょうぜん】と去ってしまうところがある。恬淡【てんたん】無欲のうちに達人帰郷した。いうなれば高等勇退で、これを批判する者もいますが、むしろそういった、富貴を求める欲情から自在な人間だからこそ、「近代」が袋小路に入り二進【にっち】も三進【さっち】もいかなくなった当代、こよなく貴重な存在として浮上してくるのではないか。南洲の物語はむしろ近未来の物語なのではないか。私はそのように把握したいと思っています。

さて、南洲という希有の歴史的人間を懐かしみ、その存在の意味を説いたものといえば、すぐ次の作品が頭にのぼってきます。内村鑑三『代表的日本人』、林房雄『西郷隆盛』、江藤淳『南洲残影』、葦津珍彦『永遠の維新者』、平泉澄『首丘の人 大西郷』、そして三島由紀夫「革命の学としての陽明学」「銅像との対話」です。そこで語られた肖像を紹介しながら、南洲の魅力について、ひとつひとつ見ていきたいと思います。
 
南洲の魅力とは何か。まず何よりすぐれた「詩人性」です。平泉澄『首丘の人 大西郷』にはこうあります。
〈西郷は詩を作つた。詩を作つた人は、明治の功臣に数多くあるが、西郷のは文字を弄び平仄【ひょうそく】を合せた程度のものでは無く、生命が躍動してゐて、人間そのものが詩であるやうに感ぜられる。〉
 もちろん明治維新の功臣たちで、詩歌を残した者はほかにもいます。意外かもしれませんが、山縣有朋はなかなかよい短歌を残しています。
一つ挙げると、〈山もさけ 海もさけんと みし空の なごりやいづら 秋の夜の月〉があり、城山陥落時のうたとされる。山縣は南洲を滅ぼした政府軍の代表でしたが、このうたを通じて、言葉であらわせぬ深い思いを吐露している。自裁した南洲は山縣にとって、同じ武人として一緒に維新戦争をたたかった仲間であり、指揮を仰いだこともある親しき先輩でした。その南洲を自分は滅ぼしてしまった。凄惨な戦場と、かけがえのない兄のような存在の死を、自分の軍がもたらした。それは山縣にとって、〈山もさけ 海もさけんと〉いわんがばかりの事態だったのです。
 
その南洲は漢詩人でした。彼の詩は、文字を並べ、規則通り数を整え、定型表現を入れ込み、平仄を合わせて一丁上がり、というものではありません。平泉澄もいうように、南洲の詩には脈々たる生命の躍動があります。作文的な巧みさ、言葉づらだけの「美」ではない。浮辞虚言【ふじきょげん】はなく、またいわゆる風雅の墨客【ぼっきゃく】風情もない。そこにあるのは無類の「素直さ」だと思います。それが人を惹きつける。南洲の全人格、南洲の生きざまがそこから溢れ流れている。苦難のなかでの運命の受容感覚、そして天命に従おうとする武士道的な決意の高さが、気障【きざ】なところが全くない、率直なうたになり、叫びになって、まさに〈人間そのものが詩であるやうに〉なる。これが南洲であり、そのすぐれた詩人性なのです。

(本稿は四回に分けて連載されます。平成三十年八月二十四日におこなわれた講演内容に加筆したもので、文責は三島由紀夫研究会事務局にあります。)
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