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三島由紀夫の総合研究

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2018/09/30

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『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
    平成30年(2018)10月1日(月曜日)
         通巻第1282号   
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 << 書評 >> 

 佐藤秀明編『三島由紀夫紀行文集』(岩波文庫)
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 「アポロの杯」「マドリッドの大晦日」「ニューヨーク」など、懐かしい紀行の名場面の集大成。版元が岩波書店というのは不思議な取り合わせだが、これも時代の変化だろうか。いや昭和二十年だから三十年代までの朝日新聞の文化欄では、あの林房雄が文藝時評を書き、小林秀雄をロシア紀行を寄稿していたように、政治イデオロギーが文化コラムにまで決定的に及ぶ時代ではなかった。
 通読して、初めて読んだ気になったのは「南蛮趣味のふるさと」(初出『婦人生活』昭和36年6月)である。
「リスボンほど美しい町を見たことがないとういうと誇張になる。(中略)日本人の血の中には、安土桃山時代からのポルトガルへの南蛮趣味的あこがれが、深くひそんでいるのだろうか? 隠居するならリスボンに限ると思った」(202p)。
 へぇ、そうなんだ。しかしポルトガルに隠居したのは檀一雄だった。
 「リスボンは又、人口の少ない町で、どこもかしこも深閑として、下町へ行かなければ人の群れに会わない」。
 いずれの記述も昭和三十六年の話だから、当時はきっとそうだったのだろう。評者(宮崎)がリスボンをあちこちうろついた時(平成二十八年頃)は、下町も住宅地も人でごった返し、世界中から観光客が押し寄せ、地下鉄も満員に近かった。ファドを演奏する小さなバアが軒を連ねており、また日本の漫画アニメのセンターがあった。「隠居したくない町」だと思った。
 三島は香港で「もっとも醜悪な」ものを見た。
 以下は『新潮』昭和36年4月の旅行記である。
 「その色彩ゆたかな醜さは、おそらく言語に絶するもので、その名をTIGER BALM GARDEN というのである」(224p)。
 ちなみに案内板には「東洋美の典型的風景が」云々とあって、「少なくともこの庭が美を目指したものであることは明白である」
 しかし、その美は中国人特有の価値観に基づいていた。
 「この庭には実に嘔吐を催させるやうなものがあるが、それが奇妙に子供らしいファンタジイと残酷なリアリズムの結合に依ることは、訪れる客が誰しも気がつくことであらう。中国伝来の色彩感覚は実になまぐさく健康で、一かけらの衰弱もうかがはれず、見るかぎり原色がせみぎ合つてゐる。こんなにあからさまに誇示された色彩と形態の卑俗さは、実務家の生活のよろこびの極致にあらはれたものだつた。胡氏は不羈奔放を装ひながらも、この国伝来の悪趣味の集大成を成就したのである。中国人の永い土俗的な空想と、世にもプラクティカルな精神との結合が、これほど大胆に、美といふ美に泥を引つかけるやうな庭を実現したのは、想像も及ばない出来事である。いたるところで、コンクリートの造り物は、細部にいたるまで精妙に美に逆らつてゐる。幻想が素朴なリアリズムの足枷をはめられたままで思ふままにのさばると、かくも美に背馳したものが生れるといふ好例である」(232p)。

 評者が香港によく行ったのは昭和四十八年から五十五年ごろまで、すでにこの庭はマンション用地に切り売りされており、平成12年には完全に閉鎖された。
最後の期間に、その一角だけを見学したことを思い出すが、「借景」という発想がない中国人のグロテスクな作り物展示会という印象が強かった。
他にも巴里でコクトォの演出現場に立ち会ったときの通訳が岸恵子だったとか、懐かしき三島の修業時代のみずみずしき感覚、その美意識の所在がどこにあったかなどを思い出させて呉れた。
                       (評 宮崎正弘)
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 ■ 事務局からおしらせ ■ 事務局からおしらせ
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10月公開講座は、憂国忌発起人で元朝日新聞記者・編集委員の井川一久氏
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 講演テーマのクァンガイ陸軍中学とは戦後残留した日本人将兵が教官としてヴェトナム青少年を教育して精強なヴェトミン軍、ヴェトナム軍の指揮官、将校を育成した陸軍士官学校である。
昭和29年ディエンビエンフーで仏軍を撃滅した戦いも、昭和50年サイゴンを陥落させて米軍を撃退した戦いも正にこの学校で鍛えられた日本精神を発揮したが故の勝利であった。井川氏がこの歴史と経緯を熱く語ります。

日時  10月25日(木)午後6時半開会(午後6時開場)
会場  アルカディア市ヶ谷(JR・地下鉄「市ヶ谷」徒歩2分)
講師  井川一久氏(元朝日新聞記者、編集委員、憂国忌発起人)
演題  ヴェトナム独立戦争に挺身した日本人たち
       〜典型としてのクァンガイ陸軍中学教官団
会場分担金 2000円(会員と学生は千円)。
   
 (講師略歴 昭和9年生れ。愛媛県出身。早稲田大学政経学部卒後朝日新聞入社、以降、外報部で活躍。ハノイ初代支局長をはじめ長年インドシナ情勢を取材。現在も大東亜戦争終結後ヴェトナムに残留し、インドシナ戦争(対仏独立戦争)やヴェトナム戦争(対米戦争)で戦った日本人将兵の記録に取り組んでいる。

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創刊日:2006-01-12  
最終発行日:  
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