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三島由紀夫の総合研究

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三島由紀夫研究会メルマガ <<浅薄な国体論批判に反論する 藤野博

2018/08/06

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『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
    平成30年(2018)8月7日(火曜日)
         通巻第1272号   
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浅薄な国体論批判に反論する
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                 三島由紀夫研究会会員  藤 野   博

 1 「国体」の本来の意味と国体論の歴史的意義

 「国体」という言葉は今日では死語となり、その思想も歴史の遺物として埋蔵された。しかし、三島由紀夫の日本国家観を解きほどいてみると、その国家思想の中核は「国体」であり、三島にとって「生きた言葉」であった。

では、「国体」とは何か。国体学者・里見岸雄によれば、「国柄」という一般的な意味のほかに、我が国固有の国体観念が生まれた。その源流は、大日如来の化身・天照大神を本位とする「国体」を説いた、平安時代の真言密教の言葉にある(『科学的国体論』)。そして、この「国体」という言葉を復活させたのが、江戸時代の前期水戸学派・栗山潜鋒(くりやませんぽう)であり、思想として大成したのが後期水戸学派・會澤正志齋(あいざわせいしさい)である。
 そこで會澤の著書『新論』を読み解いてみると、「国体」は次の五つの理念によって構成されている。

・天上の神の子孫である天皇による統治の永遠性――統治者と神話の結合
・君民一体(君臣一体)――統治者と国民の心情的一体性
・忠孝一致――統治者と道徳の融合
・祭政一致――政治と宗教の一致
・政教一致――政治と教育の密着

 政治的統治者である天皇が、「神話」を主軸として、「心情」、「道徳」、「宗教」、「教育」によって支えられており、複合的な構造から成り立っている。「国体」とは、天皇統治を支える「理念」の体系である。
 
そして水戸学の国体論は、幕末の動乱期に欧米列強の外圧に対抗するために、日本国家の統一と国民の精神的一体化を図った国家防衛論であった。
やがて国体論は、吉田松陰とその門下生である高杉晋作・桂小五郎(木戸孝允)・伊藤博文や、水戸学者・藤田東湖に心酔した西郷隆盛・大久保利通らの、薩長の下級武士たちに深甚な影響を与え、尊王攘夷運動の求心的理論へと発展する。国体思想は、明治維新という日本史上未曾有の国家大変革の理論的基盤となったのである。

さらに水戸学国体論は明治以降の我が国の国家思想の中心的原理となる。近代日本の支柱を成す軍人勅諭、大日本帝国憲法。教育勅語などの礎石となり、国家理念及び国民道徳の一大原理となった点で、日本史上最も重要な思想と言っても過言ではない。
 その上で三島の国体理念を分析すれば、「天照大神の子孫である天皇の永遠性」・「君臣一体」・「祭政一致」は水戸学と共通しているが、水戸学の「忠孝一致」・「政教一致」は三島には見られない。
したがって、官製の国体思想ともすべてが一致しているわけではない。加えて、「言論の自由」と結びついた〈文化概念としての天皇〉理念を〈古くて新しい国体〉として立てており(「反革命宣言」)、三島独自の創造的国体論である。
 
明治期以降、水戸学を継承した官製の国体論のほかに、多彩な国体論が出現した。三島がいみじくも「一億国民の心の一つ一つに国体があり、国体は一億種あるのである」(「二・二六事件と私」)と語ったように、「国体」は多義的な概念へと変貌していくのである。

 2 国体論にまつわる今日の思想状況

  近年、「国体」という概念を蘇えらせた論考が現れており、それ自体は大いに意味のある営みである。しかしながら、国体論を巡る現代日本の思想空間において、いかに厳密性を欠いた言論が横行しているかを浮かび上がらせてみたい。

 文学者・松浦寿輝氏の〈空疎な表象〉
 詩人・作家・批評家として華々しい活躍を見せている東大名誉教授・松浦寿輝(まつうらひさき)氏は、著書『明治の表象空間』で「国体」を詳細に考察している。「はじめに」の中で結論的に述べられている一節を引用する。

 「『国体』は、絶えざる反復の中で近代日本の全体を回遊しつづけた特権的な『表象』である。(中略)『国体』は、それが何を表象しているかを明言(明徴)しない『表象』なのである」

 松浦氏の基本的認識は、「国体」は〈何も表象しない空疎な表象〉であり、反復されることによって強大な政治的効果を発揮し続けたというものである。〈強大な政治的効果を発揮し続けた〉という指摘は正鵠を射ている。
しかし、「国体」は決して空疎な表象ではない。氏はここで、「国体」を明確に定義していない。ただ、會澤の『新論』の内容を読み取って、〈記紀神話を基礎としつつ、日本は万世一系の天皇をいただく「神州」であるという皇国思想〉と説明しているだけである。

しかしこの解釈は、水戸学国体論の全体像を把握したものではない。
先に指摘したように、五つの理念から成る水戸学国体論は、天皇統治と多彩な精神文化とが結合した複合的な理念を内蔵しており、その実体は空疎な内容ではない。氏は、『新論』の内容のごく一部を「国体」と捉えたに過ぎず、精密な読解を怠ったことが露わになっているのである。

さらに本論では、「国体」をこのように説明している。
 「他動詞的効果によって代理=表象された『皇祖皇宗の遺訓』の召喚と、その反射を受けて正統的権力主体として構成された『朕』の自動詞的な自己提示行為とからなる、『表象』の二重の意味作用の錯綜したキアスムの謂いではないのか」

〈キアスム〉(対句変換法――評者注)などという、日本語化されていないフランス語を臆面もなく用いて、あたかもアカデミックな理論であるかのように装う高踏ぶりはさておくとしても、「国体」という概念の実体を正確に把握しないままにその意味付けを行っているのである。つまりこの一節は、正しい事実認識に基づいて判断を下さなければならないという、言論の基本的規範を踏み外した「虚構の言説」である。気の利いた言葉を羅列し、いかにも意味あり気に語る自己陶酔ぶりこそ、〈空疎な〉観念論にほかならない。

 次に、大日本帝国憲法と教育勅語を「国体論」の完成形態と見なし、この二つの作成過程で、自由民権運動の高揚への危機意識が決定的に重要な役割を演じたと説いている。確かに、帝国憲法については、自由民権思想や福澤諭吉の英国型議会主義論に対抗して、天皇大権を認めるドイツ型の立憲君主制が採用された。

しかし、教育勅語の場合は、地方官会議の徳育涵養の決議が直接的契機であった。文明開化による道徳心の退化を防ぎ人心の統一を図ることと、苛酷な帝国主義時代において、国家の独立と国民の精神的一体化を目指したことが主たる目的であり、自由民権思想が決定的な役割を演じたわけではなかった(片山精一編『資料・教育勅語、井上哲次郎『勅語衍義』)。憲法と勅語の作成には異なった意図があったのである。

ただ、本論で教育勅語を解きほぐして、勅語は天皇の命令ではなかったが、結果的に命令装置となったという指摘は、透徹した洞察力を示していると言える。

さらに、昭和期の政府公認の解説書『国体の本義』を取り上げている。
この書は、「大日本国体」の冠絶性を記紀神話から説き起こしていて、水戸学の神憑りの言説以来何の進展もない、空疎な観念であると断定している。
しかしこの論断は、この書を何も読んでいないに等しいのである。『国体の本義』を精読すればわかるように、水戸学国体論の五つの理念のすべてを網羅しており、水戸学の国体論の実体を改めて確認したものである。
国体思想を確立した水戸学国体論を便宜的に「正統的国体論」と名付けるなら、『国体の本義』は水戸学を継承した正統的国体論であり、決して空疎な内容ではない。
しかも広範な視野の下に、「記紀」、詔勅、御製、『万葉集』・勅撰和歌集・民間歌人などの和歌、思想家・学者の言葉などを幅広く引用し、「国体」の精神が一千年以上にわたって表象されている歴史を明らかにしているのである。

 また、穂積八束(ほずみやつか)の「国体政体二元論」は、「美濃部達吉批判に端を発する天皇機関説問題に至るまで、定説として以後の日本の政治的・法的言説を支配しつづけることになる」と述べているが、これは事実誤認である。
 なぜなら、穂積を継承した上杉愼吉と美濃部の論争のあと、憲法学会や政界では美濃部の天皇機関説が優勢となり、「国体政体二元論」は衰頽したからである(長谷川正安『日本憲法学の系譜』)。そして天皇機関説事件で、狂信的右翼や帝国議会の議員によって美濃部が糾弾されると、政府は国体明徴運動を起こし、天皇機関説を否定した。そこで穂積の理論が再び脚光を浴び、彼の著作が再版されるようになった。

したがって穂積の理論は、衰頽と復活という変転をたどったのであり、定説として我が国の政治的・法的言説を支配し続けたわけでないことは、すでに常識となっているのである。

 次に、多様な国体論の出現に眉をひそめた里見岸雄の著作を引用して、「国体」の語の意味がインフレーションを起こし、変幻自在な可塑性を帯びるのは、「体」を欠いた記号であり、何一つ表象しないがゆえに、かえって何もかも表象し得る記号である、と捉えている。
 しかしこの点についても、私見は異なった解釈をする。
明治期以降、「国体」を論じた政治家・学者・思想家はおびただしい数に上る。政治家では岩倉具視、西郷隆盛、大久保利通、伊藤博文、大隈重信らが「国体」を新国家建設の主柱に据えた。

また思想家の西村茂樹、加藤弘之、杉浦重剛、徳富蘇峰、哲学者の井上哲次郎、仏教哲学者の井上圓了、法学者の穂積八束、上杉愼吉、文学者の高山樗牛などが「国体」を重視した。さらには、歴史学者の白鳥庫吉、平泉澄(ひらいずみきよし)、神道学者の河野省三、日蓮主義を奉じる国体学者の田中智學、里見岸雄などが現れており、挙げれば際限はない。
このような現象は、国体思想が儒学、国学、神道、仏教、西洋の哲学・歴史学・法学などの多種多様の学問・宗教と混交しながら、多岐にわたって派生する思想であったことの証しである。
空洞化した母胎からこれほど多種多様の理論が生まれることはあり得まい。

 つまり、国体論は実体のない、空虚な観念ではなく、水戸学という太い幹から、多様な枝が分岐する発展的思想だったのである。
勿論、分岐した国体論がすべて一致していたわけではなく、無視できない差異があった。また、正統的国体論に反逆した北一輝や里見岸雄の、異類の国体論の発生や、いわゆる国体論者ではない福澤諭吉(『文明論之概略』)や、西田幾多郎(「国家理由の問題」)も、「国家の独立性・特質」という一般的な意味で「国体」に言及していた。これらの事実は、「正統的」「非正統的」を含めて、国体論が近代日本の強力な思想的磁場となっていたことを証明しているのである。

 松浦氏にはこのような広角的な視野は見られない。
水戸学、帝国憲法、教育勅語、『国体の本義』、穂積八束、里見岸雄、北一輝など、国体論や反国体論の一部に着目し、正確さを欠いた単純な結論を導き出しているに過ぎないのである。
 にもかかわらず、北一輝を論じた箇所は、北の『国体論及び純正社会主義』を細密に解読していて、見るべきものがある。
官製国体論を徹底的に批判した北の反国体論を見事に描き出しており、「熱烈なファシスト」といった安易なレッテル張りに加担していないからである。

 ただし、北の『日本改造法案大綱』に言及した一節には異論を唱えざるを得ない。
「『国体』観念なしで成立しうる『国家』の法的=政治的形態を実際に組み立ててみせた言説であった」と評価する一方で、「北の思想の内容それ自体は、有り体に言ってしまえば奇矯な一個人の脳に宿った妄念を示す一症例以上のものではなく、精神分析の対象にこそなれ、まともな議論に値する主題を構成しうるとはとうてい思えない」と、厳しく批判している。
 しかし、この論断は『日本改造法案大綱』を正確に読み取っていないのである。すべての人間は平等であるという法華経の教えに帰依していた北は、華族制・貴族院の廃止、普通選挙法の実施、国民の基本的人権の擁護などを主張した。

無論、天皇大権の発動による、軍隊のクーデター容認の理論は、このような民主的国家像と明らかに矛盾しており、北の最大の欠陥である。
しかしこの欠陥を除けば、天皇のみに主権を持たせず、天皇と国民による〈君民統治〉を説いた理念は、国民の政治的地位の向上と基本的人権の確立を目指したものであり、帝国憲法から現憲法へ至るまでの過渡期の思想と見なすこともできるのである。「北一輝論――『日本改造法案大綱』を中心として」の中で、現憲法を予見していたかのような北一輝を〈預言者〉と呼んだ三島由紀夫の洞見は、当を得ていたと言うべきであろう。

北の著作の全体像を正視せずに、その理論を〈精神分析の対象になる妄念〉と一刀両断した松浦氏こそ、精神分析の対象とならねばならない。

 松浦氏における最も根本的な問題は、「国体」に対する歴史的視点が欠落していることである。
国体思想を明治以降の近代のみに限定して評価してはならない。
先にも述べたように、水戸学国体論は、幕末期の西欧帝国主義の圧力に対抗し、植民地化されることを防ぐための国家防衛論であった。

藩中心の武士意識を統一的な国家意識へと覚醒させ、尊王攘夷運動の聖典となって、明治維新の起爆剤となった。国家の危機的状況の中で、国家大変革の中心的理論となった画期的な思想であり、そこには歴史的必然性があったのである。

 明治維新によって誕生した明治国家は、武士が支配する厳格な身分制国家を解体させ、今日から見れば不完全な国家であったにせよ、近代的な国民国家の原型を創り上げた。
近代国家が生まれたからこそ、現代国家が存在しているのであり、ここに歴史の連続性がある。

 そして明治国家は、我が国の伝統的理念と西欧文明を融合させて、アジアで初めて近代国家を形成した。
西欧帝国主義の攻勢に対抗するために、国体理念に基づき西欧思想を摂取した帝国憲法と教育勅語によって、国家の独立と国民の精神的統合を可能にしたのである。したがって松浦氏は、幕末から近代における帝国主義時代という、当時の世界状況を全く視野に入れていないのであり、ここにも歴史感覚の欠如を見て取れるのである。

 ただし私見は、国体思想のすべてを讃美するわけではなく、「負」の要素を認めるものである。
水戸学の国体論は、基本理念に加えて、付随的に「天皇は世界の頭首であり、万国を統括する存在である」と説いていた。この自国優越主義が教育勅語に謳われただけでなく、対外的侵略政策に悪用されたからである。

 また、帝国憲法は「不磨の大典」として絶対視され、議院内閣制の導入や、言論の自由・基本的人権の確立などの改良を怠った。教育勅語には現代にも通用する徳目もある反面で、国家や天皇を超える精神世界や、世界との協調の精神などの世界的視野が欠けており、改善に取り組まなかった。
その意味では、松浦氏が教育勅語を〈国家を超えた普遍的な知ではない〉という指摘に全く同意する。

 さらに、「国体」を不可侵の原理としたため、治安維持法の制定によって「思想の自由」を抑圧した。「国体」の中軸である記紀神話を神聖視して、異端の学問を弾圧し、記紀神話の文化的価値を削ぐことになった。「国体」や記紀神話自体には基本的に「負」の要素が内在していないにもかかわらず、政治によって悪用されたことは、近代国家の不幸と言わねばならない。
 一言で言えば、近代国家は国家の統一性を確立したが、反面で個人の自由な主体性や創造性に対する配慮が不足していたのである。

 このように、国体思想に「負」の側面があるにもかかわらず、国体思想を戦前国家の悪の根源と決めつけて、葬り去ってはならない。歴史の潮流の中に据えて、その「正と負の遺産」を冷徹に見極めるべきである。
 なお、松浦氏は三島由紀夫にも言及しており、三島の自衛隊駐屯地突入を、こう評している。

「通常の法規範が無効化されてしまった時空に、『決断』の主体としての天皇を登場させ、かくして彼を『主権者』として復権させようとする欲望を、三島とその同伴者たちはオナニストの夢想のように紡いできたのである」

この評言も、事実誤認に基づいている。
三島は「政治概念としての天皇」を断念し、「言論の自由」と結びついた〈文化概念としての天皇〉を定立したのであるから、天皇を〈主権者〉と見なしていないのは明白である。
三島の死をどう批評するかは、個人の自由である。
しかし、その批評が事実に基づかないものであれば、無意味な戯言(たわごと)に過ぎない。松浦氏こそ、〈夢想するオナニスト〉にほかならない。

しかも、三島の死を〈笑劇として演出してしまうという異常な決断〉と断じている松浦氏は、人の死を「喜劇」と決めつけている。
三島は〈生命以上の価値〉と〈永遠の生命〉を希求した。近代合理主義に支配された松浦氏が、命の根源から発現される宗教的心性を理解できないのは、当然なのかもしれない。

  社会学者・大澤真幸氏の〈マジックワード〉

 次に、精力的に著作活動を行なっている、元京大教授の社会学者・大澤真幸(おおさわまさち)氏に照明を当てる。大澤氏は憲法学者・木村草太氏との対談『憲法の条件』で、こう語っている。

「国体がいったい何を意味しているかは、本当はよくわからない。昔、『国体明徴運動』というものがありました。明徴、すなわち明らかに証明することなど誰にもできないし、実際にしていないのに、なぜ明徴運動なのか、こっけいです。つまり国体というのは一種のマジックワードだったんです」

ここには、松浦氏と同様の国体観が示されている。改めて「国体」の本来の意味を繰り返さないが、すでに明らかにしたように「国体」の意味は証明することができる。
みずからの力で国体概念の意味を追究としようとしないで、その意味は「わからない」「明らかに証明することなど誰にもできない」と断定しており、知的探求心の喪失を自白しているようなものである。

 さらに悪いことには、松浦寿輝氏の『明治の表象空間』を詳しく引用して、松浦氏の論考をそのまま鵜呑みにしているのである。
松浦氏の見解の受け売りであることに加えて、不正確な国体理解の受け売りであるという点で、二重の知的欠陥を露呈しているのである。

 とは言え、氏には首肯できる見解もある。
例えば、国体の「天皇」の位置に「アメリカ」を代入したのが、戦後護持した「国体」であったという指摘は、実に鋭利な所見である。
ただし、これを別の視点から考察し直すなら、アメリカ的思想に浸潤された根源的要因は、GHQの政策にあることに気づかなければならない。
GHQは、いわゆる「神道指令」によって『国体の本義』を禁書にし、国体思想を抹殺した(大原康男『神道指令の研究』)。GHQは国体思想の歴史的意義を理解できずに、安易に軍国主義イデオロギーの元凶と見なして、国体思想を圧殺したのである。

GHQの、自国の思想を絶対視した傲慢さが、我が国の歴史と伝統を踏みにじった。そして、戦後社会が未だにGHQに呪縛されている現状を見ると、私たちはGHQの思想的支配から脱却し、自立的に思考しなければならない。これが「歴史の教訓」であり、このような意味で、大澤氏に同調できるのである。

なお氏は、ナショナリズムと関連して西田幾多郎に言及し、このように述べている(『近代日本のナショナリズム』)。

「後年、西田は日本のウルトラナショナリズムを支持する著作を書いた。このことは、ハイデガーがナチズムに傾倒したことを想起させる」

しかし、この所論は事実無根である。なぜなら、〈ウルトラナショナリズム〉(超国家主義――評者注)を支持した西田の著作は存在しないからである。西田の言葉を明るみに出して、この点を立証してみよう。

西田は「国家理由の問題」で、国家をこのように論じている。

「我々の社会は主体が環境を、環境が主体を形成し、主体と環境との矛盾的自己同一として、作られたものから作るものへと、世界が自己自身を限定し行くところに始まる」

「国家」と「個人」を、〈矛盾的自己同一〉という西田独特の用語を用いて説明しているが、要するに、「国家」と「個人」は対立しているように見えるとしても、個人は国家の中で形成されると同時に、国家を作るものとして働きかける主体的・創造的存在であると捉えたのである。
国家至上主義でもなく、個人至上主義でもなく、「国家」と「個人」の相互作用を重視し、「国家」と「個人」の均衡と調和を理想と考えたのである。

さらに、国家は世界性を獲得すべきであり、国家の個性と世界的理念を調和させねばならないと主張した。ナショナリズム(国家主義)とインターナショナリズム(世界主義)の調和を説いたのである。したがって西田の思想は、断じて(ウルトラナショナリズム〉ではない。
まして〈ハイデガーのナチズム礼賛〉と同じでないのは、明々白々なのである。

 看過できないのは、当代もてはやされている学者が、論じる思想家の著作を全く読まないで、事実を捻じ曲げた見解を堂々とまき散らしていることである。西田の思想をねつ造し、西田を貶めるための悪意に満ちた論調と言わねばならない。

 今や「国体」観念は消滅しつつある。
しかし、いかなる思想であっても、それが生まれた歴史背景を見据えて判断すべきであり、歴史的意義があれば、それをすくい上げ、「負」の要素があれば、それを改善せねばならない。国体思想の中心的原理である記紀神話の文化的価値が消滅することはないであろうし、天皇と国民の精神的つながりである「君民一体」の精神が、天皇制度を支える重要な要素であることに変わりはないであろう。

「国体」の中の良きところは生かし、悪しきところは改革すべきであり、「伝統と革新の均衡」を図るべきである。ここに取り上げた両氏は、すべて「現在」の価値観に立って「過去」を裁断している。伝統の意義を顧みることなく、伝統を全否定して、歴史を断絶させているのである。

松浦氏は著書の「結論」の項で、こう述べている。

「すべては浅くなり、薄くなり、「極薄」と化して、その「表層化」した世界の滑らかな表面上で、ひたすら水平方向に展開してゆく戯れだけが果てしなく変奏され、反復されつづけているようではないか」

この詩的文章こそ、松浦氏と大澤氏の言説に適用できるのではあるまいか。両氏の国体論批判は、国体論は「悪」であるという固定観念に捕縛されており、理性を白紙の状態にして対象に向かわせるという、思考の基本的規準を逸脱している。
狭小な視野の下に浅薄な判断が導き出されており、「極薄」と化して「表層化」された世界に彩られているのである。

今日の思想界に大きな影響力を持つとされる著名な文学者と社会学者の、厳密性と実証性の欠如した非学問的態度と、独断的なイデオロギーがまかり通っている今日の思想状況は、一刻も早く是正されなければならない。

 ○参考文献
・松浦寿輝『明治の表象空間』(新潮社、二0一四)
・大澤真幸『近代日本のナショナリズム』(講談社選書メチエ、二0一一)
・大澤真幸/木村草太『憲法の条件』(NHK出版新書、二0一五)
・三島由紀夫『決定版 三島由紀夫全集』34〜36(新潮社、二00三)
・里見岸雄『科学的国体論――国体科学入門』(日本国体学会、一九七七復刻版)
・今井宇三郎他校注『日本思想大系』53水戸学(岩波書店、一九七三)
片山清一編『資料・教育勅語』(高陵社書店、一九七四)
・井上哲次郎『勅語衍義』(成美堂、一九0一)
・文部省編纂『国体の本義』(内閣印刷局、一九三七)
・長谷川正安『日本憲法学の系譜』(勁草書房、一九九七)
・慶應義塾編纂『福澤諭吉全集』第四巻(岩波書店、一九五九)
・西田幾多郎『西田幾多郎全集』第十巻(岩波書店、一九六五)
・北一輝『北一輝著作集』第一巻・第二巻(みすず書房、一九五九)
・大原康男『神道指令の研究』(原書房、一九九三)

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 事務局からおしらせ 事務局からおしらせ
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8月の公開講座は澤村修治氏
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        記
日時   8月24日(金)18時半開演(18時開場)
場所   アルカディア市ヶ谷(私学会館)
講師   澤村修治(作家・文芸評論家)
演題  「西郷隆盛、日本浪曼派、そして三島由紀夫」(仮題)
<講師略歴>昭和35年生れ。東京都出身。千葉大学人文学部人文学科卒。大手出版社勤務、新書や選書の編集長をつとめる傍ら、主に評論と評伝の執筆を行う。『表現者』にも寄稿。主な著作『悲傷の追想「コギト」編集発行人、肥下恒夫の生涯』(ライトハウス開港社)『敗戦日本と浪曼派の態度』(ライトハウス開港社)『唐木順三―あめつちとともに』(ミネルヴァ書房〈日本評伝選〉)『西郷隆盛 滅びの美学』(幻冬舎新書)その他多数。
会場分担金 会員・学生1千円(一般2千円)
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9月公開講座講師は作家・伝統文化評論家の岩下尚史氏。
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         記
 日時 9月25日(火)18時半開会(18時開場)
 場所 アルカディア市ヶ谷(JR・地下鉄「市ヶ谷」下車2分)
 演題 拙著「ヒタメン」について
    https://honto.jp/netstore/pd-book_28077482.html
講師 岩下尚史(いわした ひさふみ)作家・伝統文化評論家、國學院大客員教授
 講師略歴 昭和36年生れ。熊本県出身。國學院大卒、新橋演舞場企画室長を経て作家・評論家に。平成19年『芸者論:神々に扮することを忘れた日本人』で和辻哲郎文化賞受賞。三島由紀夫を論じた『見出された恋:「金閣寺」への船出』や『ヒタメン』の著作がある。(いずれも文春文庫)
 会場分担費 会員・学生1千円、一般2千円

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後藤修一氏を偲ぶ会を9月29日に開催します
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 当会幹事の後藤修一氏(享年66)を偲ぶ会を9月29日に開催します。
友人、同志が集まって誰からも愛された後藤修一氏の人柄を偲び、語り合う場です。

日時 9月29日(土)午後6時〜8時半(午後5時半受付開始)
会場 アルカディア市ヶ谷(私学会館。JR・地下鉄「市ヶ谷」徒歩2分)
    形式 立食パーティ
会費 1人7千円
主催 三島由紀夫研究会
 尚この会は当会関係者には後日正式のご案内をお送りします。一般の方で参加を希望される方は当会事務局までご連絡願います。
 事務局 TEL 090-1611-9839
       Eメール yukokuki@mishima.xii.jp
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  三島由紀夫研究会 http://mishima.xii.jp/contents/index.html
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