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三島由紀夫の総合研究

創立35年の老舗「三島由紀夫研究会」の会報を兼ねた、あらゆる角度からの総合研究メルマガ

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三島由紀夫研究会メルマガ

2016/12/02

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『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
    平成28年(2016)12月3日(土曜日)
          通巻第1017号 
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三島由紀夫研究会第263回公開講座{28年9月29日の記録}
「国民社会主義者(National-Sozialist)三島由紀夫?」
福井義高氏(青山学院大学大学院教授)
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 三島の政治観を、日本に限定せず、19世紀後半以降、欧州大陸諸国で大きな潮流となり、第二次大戦後、政治の表舞台から去った「国民社会主義」との関連で論じてみたい。

1.19世紀後半以降の欧州国民社会主義:「右でも左でもなく」

 ポスト・ニーチェの時代、ナショナリズムと社会主義の統合を目指す動きが、独仏等大陸諸国で大きな潮流となった。それは、議会中心の自由主義政治・経済体制への根源的批判を旨とする、反自由主義・反マルクス主義の革命思想・運動である。国民社会主義者は、自由主義とマルクス主義の共通要素である国際主義、単線的歴史観、進歩主義、物質主義に激しく抵抗した。
 しかし伝統的保守勢力と異なり、国民社会主義者は、君主制とキリスト教には懐疑的であり、否定的ですらあった。国民社会主義者は決して「極右」あるいは「保守反動」ではない。その社会主義的性格は決して欺瞞ではなく、主観的にも客観的にも、彼らは革命家であった。

 だからこそ多くの共産主義者・社会主義者が、とくに第一次大戦後、国民社会主義者にスムーズに「転向」できたのである。イタリアのファシズムやドイツのナチズム(Nationalsozialismus)は、国民社会主義のひとつの現実化である。
ナチズムに見られる人種絶対視は国民社会主義の特徴ではない。たとえば、イタリア・ファシズムは、もともとユダヤ人を排斥するものではなく、ドイツとの関係が強化されてからの、political expediencyに過ぎない。ナチズムが血のつながりに基づく「民族」(Volk)を重視したのに対し、ファシズムは文化的共通性に基づく「国民」(nazione; nation)を強調した。思想としての国民社会主義の本流に近いのはファシズムである。ナチスはナチズムとファシズムは別の概念であり、自国の体制に関して、「ファシズム」という用語を一切使わなかった。
なお三島は『文化防衛論』で「国と民族の非分離の象徴であり、その時間的連続性と空間的連続性の座標軸であるところの天皇は、日本の近代史においては、一度もその本質である「文化概念」としての形姿を如実に示されたことはなかった」と述べている。

2.ジョルジュ・ソレル
 
国民社会主義の始祖というべき人物が、フランスのジョルジュ・ソレルである。当時、人間の主体的意志を基本的に否定する「歴史の必然」あるいは決定論に基づく「正統派」マルクス主義を表向き堅持しながら、現実には自由民主体制に取り込まれ議会政党化していた欧州社会主義政党を、ソレルは断固拒否した。このように、ソレルはレーニンのボルシェヴィスムと同じ問題意識に立つ一方、正面から「正統派」マルクス主義を否定し改良主義を肯定したベルンシュタインの修正主義を真摯な試みとして評価している。
 
主著『暴力論』で、反未来・反ユートピアの、神話に基づく少数精鋭の前衛主導によるviolence−権力を背景にしたforceから区別される−決定的重要性を強調したソレルは、一種の「知行合一」論者であった。
「反革命宣言」(『文化防衛論』所収)で、「暴力は暴力自体が悪であり、善なのでもない。それは暴力を規定する見地によって善にもなり、悪にもなるのである」とし、「われわれは彼ら[民衆]の未来を守るのではなく、彼らがなお無自覚でありながら、実は彼らを存在せしめている根本のもの、すなわち、わが歴史・文化・伝統を守るほかはないのである。これこそは前衛としての反革命であり、前衛としての反革命は世論…の支持によって動くのではない」と主張した三島とソレルの類似性は明らかである。
 なお、ソレルを受けて、革命の主体をnationとして新たな体制を樹立したのがイタリア・ファシズム、あくまでプロレタリアとして体制を樹立したのがレーニン主義であり、両者は同根といえる。

3.戦間期日本政治の「普遍性」
 
戦前日本の転向も、我が国独特の現象ではなく、当時の欧州同様、共通認識であった議会政治の行き詰まりを、国民社会主義によって克服しようとする大きな流れのなかで捉えるべきであろう。
転向者と青年将校はともに国民社会主義者であったともいえる。「『道義的革命』の論理」(『文化防衛論』所収)で、三島は二・二六事件が「尖鋭な近代的性格を包摂してい」たとして、こう述べる。「私は、少なくともこれが成功していたら、勝利者としての外国の軍事力を借りることなく、日本民族自らの手で、農地改革が成就していたにちがいない、と考える。…二・二六の「義軍」は、歴史に果たすべき役割に於て、尖鋭な近代的自覚を持った軍隊だった。そして私はむしろ、その成功のあとに来る筈の、日本経済の近代化工業化と、かれらが信奉した国体観念との、真正面からの相剋対立に、かれらが他日真に悩む日があったであろう…と思う者である。」

4.三島の政治観

 しかし、三島自身は、単純に国民社会主義者とは言い切れない、自由主義的傾向が顕著な人物であった。たとえば、三島は、「反革命宣言」(『文化防衛論』所収)で「われわれは天皇の真姿を開顕するために、現代日本の代議制民主主義がその長所とする言論の自由をよしとする」ととともに、「われわれは複数政党制による議会主義的民主主義より以上のものを持っていない」と述べている。
また三島は『小説家の休暇』で、「われわれは断乎として相対主義に踏み止まらねばならぬ。宗教および政治における、唯一神教的命題を警戒せねばならぬ。幸福な狂信を戒めねばならぬ。現代の不可思議な特徴は、感受性よりも、むしろ理性のほうが、(誤った理性であろうが)、人を狂信へみちびきやすいことである」とし、「多くの矛盾に平然と耐え、誇張に陥らず、いかなる宗教的絶対性にも身を委ねず、かかる文化の多神教的状態に身を置いて、平衡を失しない限り、それがそのまま、一個の世界精神を生み出すかもしれない」として、自らが相対主義者であることを強調している
実は、こうした三島が文章に残した政治観は、矢部貞治のそれにかなり近い。

5.矢部貞治
 
三島が東大法学部に入学した時の政治学教授であった矢部は、終戦後に辞任、戦争協力者として公職追放された。今日では半ば忘れられた存在であるけれども、ハンス・ケルゼンのデモクラシー論及び欧州国民社会主義とその背景への深い理解に基づき、戦前戦後一貫して、自由的民主政ではなく、協同的民主政を提唱した矢部の政治思想は、全く古びておらず、学ぶべき点は多い。
 矢部は『政治学』で、「現実的には、民主政の中に二つの型が分かれて来るのである。これを自由的民主政と協同的民主政と呼ぶことができる。自由的民主政は個人の自由を強調し、その自由も『国家からの自由』と考えるのに対し、協同的民主政は、共同生活の連帯と調和を優先的に考え、自由はむしろ、『国家内での自由』であり、『国家権力への参与』という意味の自由を重視する」としたうえで、「豊かな富や領土の背景に恵まれ、国民生活に高い水準が許されているような国なら、自由的民主主義の要素を保持する余地もあろうが、そのような恵まれた条件を持たない国で民主主義を維持しようとするなら、それはどうしても協同的民主主義ないし社会民主主義の形をとらざるをえないのである」と主張する。
 さらに、『民主主義の本質と価値』において、「民主主義は、何よりも人間が神ではないという自覚から発する。…寛容によつて、全成員の認識と体験を総合し、その上でできるだけ価値のある国家意思と指導者を、具体的に決定しようとするのである。それが正しい意味での民主主義的な相対主義である。…最高価値を目標としての、人間の相携え相率いての欣求の姿であり、建設的な批判主義であり相対主義である」と述べている。

6.三島は意外に穏当な協同民主主義者だったのか

 しかし三島は自決にあたって残した『檄』で、議会主義とその背景にある相対主義を激しく論難する。「実はこの昭和四十四年十月二十一日といふ日は、自衛隊にとつては悲劇の日だつた。創立以来二十年に亘つて、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとつて、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だつた。論理的に正に、その日を堺にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあらうか」。最後に三島はこう結ぶ。「共に起つて義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主々義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである。」

『檄』と『文化防衛論』それぞれで示された政治観が、三島のなかでどのように結びついていたのか。それは永遠の謎かもしれない。
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(会員から)
「河野多恵子さんは三島について、『正面から見ると立派な筋肉がついているけれど、後ろ姿は貧相』と書いている。鎧としての筋肉を必死になってつけたけど、後ろに回ると寂しい。その後ろ姿は、三島が一番見られたくなかったものでしょう。」(松浦寿輝 インタビュー『三島という大きな謎』」中央公論特別編集『三島由紀夫と戦後』2010年10月)

先に、以上を引用しました。 この河野多恵子さんのいう『正面から見ると立派な筋肉がついているけれど、後ろ姿は貧相』というのは、三島さんの(外形上の)「実像」でしょうね。私が三島さんを実際に自分の目で見たのは、昭和41年の春ごろだったか、日生劇場内で瞥見した際の一回だけで、講演なども聞いたことがありません。そのただ一回の瞥見でも瞬間的な印象は「背の低い人だなぁ」ということでしたね。 これは、三島さんと東大法学部での同級生であった故早川武夫神戸大学名誉教授も「東大での軍事教練で並びとなった。後ろを見たら、いやに背が低い男がいた。それが三島だった。」と述べられているとおりです。
三島さんは、こうした外形的、肉体的「現実」を必死になって改造しようとされたのでしょうが、いくらがんばっても身長を伸ばすことは不可能だったのです。

しかし、三島さんは、可能な限り、そのことを開顕しないように「努め」られたのでしょう。三島さんの全身像は、ほとんど全てが下から見上げたアングルで撮られたものです。

私は、この石原慎太郎の著作(『三島由紀夫の日蝕』)には、三島さんへの「礼譲」とも言うべきものが感じられないので、あまりよい読後感がないのですが、石原は、次のように述べています。

「三島氏は写真一つにも何か掛け替えないものを賭けているようなところがあった。氏は頼みもせぬのに私に文壇における所作その他についていろいろ忠告してくれたものだが、その一つに雑誌のグラビア写真は必ず自分で選べというのがあった。

氏にいわせると雑誌の編集者なるものはどれも作家のなり損ないかそれ以上に劣等感を持った手合いで、まかせると必ず中で一番悪い写真しか掲載しないということだった。氏はそれを例の哄笑とともに告げてくれたが、どうやら半ば以上本気に見えた。」 (石原;19)

「三島氏の肉体についてのとらえ方を証すような挿話がある。

Hという著名な編集者自身から聞いた話だが、彼が氏の家であったか滞在中のホテルかに原稿をとりにいった時三島氏は仕事を終えて裸で日光浴をしていた。話しこんでいる間中氏が太陽を仰いだまま体を伏せぬので気にした彼が、自分に構わず体の向きを変えてくれといったら氏は、『背中を焼いても前からは見えないから焼かないんだ』、といったそうな。観賞用の彫刻たらんとするにせよ背中を持たぬというのはいかにも半端な話だ。レリーフの立体感の限界は、所詮背中を持たぬということではないか。」 (石原;47)

橋本治氏も、次のように書いていますね(『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』。

「顔を見せることを商売にしている約者や歌手でもない、作家の顔写真は、特別に立派な顔をしているか、『参考資料』でもない限り、へんなものである。どうでもいいものでもある。しかし、三島由紀夫にはそういう意識はなかったらしい。『肖像写真』を撮るためにカメラを向けられた三島由紀夫は、いつでも『私はスターだ』という前提に立っている。」 (橋本;12)
(CAM)
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来年の公開講座は二月、松本徹先生
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三島由紀夫研究会公開講座

日時 平成29年2月23日(木)18時半より(18時開場)
場所 アルカディア市ヶ谷
講師 松本徹先生(文芸評論家、三島由紀夫文学館館長、憂国忌代表発起人)
演題 三島由紀夫の時代(仮題)
(講師プロフィール 昭和8年北海道生まれ。大阪市立大学文学部卒。産経新聞記者を経て文芸評論へ。近畿大教授、武蔵野大教授を歴任。現在三島由紀夫文学館館長。最近著に『三島由紀夫の時代 芸術家11人との交錯』、水声社)
会費  2000円(会員は千円)

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  三島由紀夫研究会   yukokuki@mishima.xii.jp
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(C)三島由紀夫研究会 2016  ◎転送自由
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創刊日:2006-01-12  
最終発行日:  
発行周期:半月刊  
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  • 名無しさん2016/12/03

    149568の、石原慎太郎について、

    ストークス⌈死と真実」の旧版 351頁に、石原が警察のおそらく佐々に、森田必勝氏との⌈関係」を問い合わせた、とあります。ゲスの勘ぐりを極めており、最低です。