文学

三島由紀夫の総合研究

創立35年の老舗「三島由紀夫研究会」の会報を兼ねた、あらゆる角度からの総合研究メルマガ

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三島由紀夫研究会メルマガ(短期集中連載 「三島事件の真相」、その1)

2012/11/12

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 『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
    平成24年(2012)11月12日(月曜日)
        通巻第695号  
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第246回公開講座の記録
平成24年10月22日/アルカディア市ヶ谷

【講演ノート】三島由紀夫事件の真相 (その1)
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?日本郷友連盟顧問 神奈川県郷友会副会長・元陸上自衛隊中央会計隊長・陸将補
寺尾 克美

(本講演ノートは寺尾克美氏の講演草稿をもとに事務局にて加筆修正して作成したものです。
文責:三島由紀夫研究会事務局)
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第1章 事件の概要

 第1節 全般概要

1.自衛隊に働きかけてクーデターを計画
2.当日は「楯の會の訓練優秀会員を表彰したので総監に紹介したい」と、面会方式をとり、一連のシナリオの内でクーデターを呼び掛ける企図
3.突然、面会を居直り総監を監禁しクーデターを強要・総監不同意で逆に諫める
4.総監監禁を重要会議中の数人の幹部が報告を受け救出に行ったが、三島由紀夫の日本刀で阻止され九名が負傷(各論で詳細に説明)
5.幕僚副長との交渉で総監を人質に演説を強要・隊員を集めさせて檄文の垂れ幕を掲げて演説を強行
6.隊員達の怒号で傾注するものはなく、三島由紀夫はクーデター失敗と判断し、シナリオ通り三島由紀夫(日本刀所持)、森田必勝(短刀所持)の2名が割腹自殺
7.「楯の會後継者」生き残った3名(棍棒とか十手所持)は総監を解放し投降

 第2節 クーデター計画の遠因

1.60年安保闘争(岸信介総理負傷・樺美智子死亡)
2.楯の會結成と隊員を自衛隊で体験入隊訓練
 ?「国土防衛隊」(民兵組織)構想
  志願制とし、成年以上の前科のない男子で体格検査・体力検査のうえ採用。経費は国費・地方自治体・国民醵金で各3分の1支出。内閣総理大臣に直属。
 ?「祖国防衛隊」(部外に秘匿)
直接間接侵略に備えるだけでなく、関心は軍事力よりも国民の魂にあった。昭和43年7〜8月、体験入隊訓練。
 ?「楯の會」
「祖国防衛隊」の名称を「楯の會」と改称。昭和43年10月5日、隊員全員に制服(堤清二氏の西武百貨店で仕立てる)を配る。
  民兵構想が三島部隊に変わった。44年2月、28人の学生と合宿、対ゲリラ訓練。3月には富士学校で楯の會3期生と訓練、5月には対ゲリラ訓練。
 ?『論争ジャーナル』系の7名が楯の會を退会、持丸学生長も辞めて、森田必勝を学生長に任命(昭和44年)。

 第3節 クーデター計画の近因

1.70年安保闘争では治安出動を予想していたが
 ?「10・21国際反戦デー」(昭和44年)が、70年安保闘争最大の山場。
  警視庁機動部隊4,500人を基幹とする32,000人の警察力が投入され、検挙された人数は東京だけで1,221人、自衛隊の治安出動は全く必要がなかった。「楯の會」の出る幕がなかった。
 ?44年10月か11月頃班長が集まり、三島由紀夫が「治安出動もなくなった、楯の會はどうすべきか」と言ったとき、森田必勝が「楯の會と自衛隊で国会を包囲し、憲法改正を発議させたらどうか」と提案した。
  三島由紀夫はこのとき賛同しなかった。(小賀正義被告の裁判記録)
 ?昭和45年4月初旬頃三島由紀夫が発案し、森田必勝が参画して計画が進められ、同月10日頃小賀正義、小川正洋らが最後まで行動をともにすることを打診されこれを承諾した。(裁判記録)9月に古賀浩靖を同志に加え決行を11月25日と決定していた。
 ?東部方面総監を人質にする計画が6月の末から第32普通科連隊長に変わり、後に連隊長が当日不在と分かって再び東部方面総監に戻った。
2.ノーベル文学賞候補に(スウェーデンのテレビ局が来て家族まで撮っていった)。
各メディアは三島論の予定原稿を書いていた。しかし川端康成が受賞した(昭和43年)。

 第4節 三島由紀夫の思想・信条・判断

1.思  想
  手段はクーデターにより国会占拠、憲法改正・天皇制復帰。
2.信  条
 ?日本人の心が失われている。
 ?日本人は平和ボケしている。
 ?日本人は経済大国ボケしている。
  日本を滅亡から救うためにはクーデターしかないと判断。
3.判  断
 ?三島由紀夫が蹶起を呼び掛けても動かないことを予知し、不成功を承知の上で死を賭して「魂の叫び」を後生に残すことだった。
  10月19日、4人の若者と共に楯の會制服姿で記念写真を撮った。
 ?ノーベル賞候補として文筆で訴えるよりも、自ら死を選んで訴えた方がインパクトが強烈で効果が遙かに大。クーデター失敗でも効果が期待できると判断した。

 第5節 事件後の評価

1.佐藤栄作総理は「天才と気違いは紙一重」と一蹴し、国民の判断も誘導された。
2.中曽根康弘防衛庁長官は「甚だ迷惑な話だ」と一蹴し、責任は東部方面総監に取らせて一件落着とした。防衛庁長官が責任を取らなかったのは初めて。
3.死者の裁判はなかったので、真相が解明されず「犬死」扱いで成仏できない状態。
4.三島由紀夫研究会では研究され顕彰されていても、国民一般の理解は不十分。
5.彼の信条を無視したので、バブル崩壊・心の教育問題など、社会の混乱が憂慮される昨今の日本。


第2章 総監と面会から監禁

 ?三島由紀夫は自衛隊に乱入したのか??
 マスコミの報道は自衛隊に「乱入」としているが、売らんがためにセンセイショナルに書き立てているだけである。

 第1節 東部方面総監に面会の経緯

 最初は、第32普通科連隊長宮田朋幸1等陸佐に連絡したが、不在のため急遽東部方面総監益田兼利(ましたかねとし)陸将に変更し面会の予約を取った。総監は計画では第12師団(相馬原)検閲の予定だったが、防衛庁防衛局長の送別会に出席を要請され、検閲を三好秀男幕僚長に代行させて残っていたのである。

 第2節 面会の様子

 11時に三島由紀夫が森田必勝・小川正洋・小賀正義・古賀浩靖の4人を伴って訪れ、自衛隊体験入隊訓練で成績優秀で表彰したのでお目通りに預りたいと、4人を末席の折り畳み椅子に座らせ、三島はソファーで総監と紅茶を飲みながら面談していた。

総監 三島に「その長いものは何ですか?」と尋ねた。
三島 「これは『関の孫六兼元』の銘刀です」
総監 「そんなものを持って、よく入門出来ましたね?」と糺したところ、
三島 「これは美術品で、所持証明がありますから…、ご覧になりますか」
総監 「どれどれ、拝見しましょう」
三島 「波模様の三本杉が特徴です」
総監 「ここに何か付いていますね」(油を垂らしていた)
三島 どれどれと刀を受け取り、「おい、ハンカチ」と言った途端、森田必勝ら4人が一斉に総監に駆け寄りソファーに縛り付けた。(ハンカチが合図だったようだ)
   総監にクーデターの計画を話し、一緒に立っていただきたいと強要した。
総監 「三島さん、早まってはいけません」と諭したが、もはや聞く耳を持たない。

 第3節 総監監禁

 丁度その頃、業務室の秘書がお茶を出す頃合を見ようと秘密の覗き窓(曇りガラスにセロテープを貼っていた)から覗いたところ、衝立の位置が変えられていて中が見えない。ドアも開かず様子がおかしいと、業務室長・原勇1佐に急報した。原1佐は、「三島さんが何故?」と思いながらも、総監室内の異変を確認し、木刀を持って近くの会議室に走った。
 会議室では行政担当幕僚副長・山崎皎将補、防衛担当幕僚副長・吉松秀信1佐、第1部長(人事)・功刀松男1佐、募集課長・清野不二雄1佐、第1部総括班長・高橋清2佐、第3部長(防衛)・川久保太郎1佐、第3部総括班長・川邊晴夫2佐、会計課長・川名守治1佐、会計課予算班長・寺尾克美3佐、予算班員・松井伊之助3佐の10名が1971年度東部方面隊業務計画予算吻合の審議中であった。このため会議室の入口ドアには内側から鍵がかけられていた。原1佐はドアをガタガタ揺すった。何事かと松井3佐がドアを開けると、原1佐は木刀を持ったまま血相を変えて部屋に飛び込み、総監が監禁されていると報告した。
 山崎将補は、黒板の予定表で三島由紀夫が来ることを知っていたが、学生を帯同することは知らなかった。事態を呑み込めぬまま、会議室を飛び出し総監室へと向かった。会議室にいた他の幹部達も続いた。(学生達が居直ったか? と咄嗟に思った幹部もいた)。
 三島由紀夫は楯の會を作り、「警察による治安維持が出来なくなって、自衛隊が治安出動するまでに時間がかかる。この空白を埋める力になりたい」と自衛隊で体験入隊訓練を受けていた。彼ら幹部は、三島由紀夫率いる楯の會にいわば友軍のような感覚を持っていた。誰も敵だとは思っていなかった。


第3章 総監救出の行動

 正面は内鍵で開かないが、左側の幕僚長室からの入り口と右側の幕僚副長室からの入り口は外鍵である。

第1節 幕僚長室側正面

 幕僚長室側入り口には、三島由紀夫が日本刀を持ってガードしていた。この正面に駆け寄り入ったのは、会議室の隣部屋にいた第3部防衛班長・中村董正2佐、川邊2佐、防衛班員・笠間寿一2曹、原1佐の4名であった。
 中村2佐が最初にドアを開けたら、いきなり三島が日本刀を振り上げて阻止した。中村2佐は玩具の刀と思ってそれを掴んだ途端に刀を引かれて、血が天井まで飛んで手のひらが二つに裂かれ退室し、医務室へとなった。
 それを見た川邊2佐は、嘗て体験入隊訓練で教官として指導したことがあり、お互いに面識があるので話せると思い、「三島さん」と声をかけながら入ったら、額を二太刀斬られ、手で庇ったら腕を二太刀斬られた。これはいかん、三島さんは後ろからは斬りつけないだろうと、背中でドアを押し開けて入ったらまた二太刀肩を斬りつけられた。やむを得ず医務室へとなった。
 笠間2曹は、斬りつける刀を腕で受け、手首の外側を負傷して退室し、医務室へとなった。
 剣道5段の業務室長・原1佐は、木刀で立ち向かったが、木刀の先端3寸程斬り落とされ、引き斬りに合わないように切り返しながら退室したので怪我はしなかった。

 第2節 幕僚副長室側正面

 こちらも内鍵がないのでソファーやテーブルでバリケードが築かれ、3名が正面入り口と併せて進入を阻止していた。
 この正面に駆け寄り入ったのは、山崎将補、清野1佐、高橋2佐、寺尾3佐の4名であった。
山崎皎将補の「ドアを破れ」の一声に力を合わせて体当たりするとバリケードは吹っ飛んでドアが開いた。そのとき小川正洋が応接テーブルを入り口に向かって投げつけてきたが、それを交わして入室した。
最初に目に入った光景は、益田兼利総監がソファーに縛り付けられ、森田必勝が総監の胸元に短刀を差し付けて、「一歩でも近寄ると刺すぞ」と脅かしていたのと、真向かいの幕僚長室側入り口には、木刀のようなものを振り上げている三島由紀夫の姿が目に入った。小賀正義と古賀浩靖が入り口から総監の周りに集まってきている。
高橋2佐は、隣の自室に備えていた木刀を持っていた。他の自衛官は素手であった。
私(寺尾3佐)は、この4名のうち一番若手幹部で41歳、素手のままで森田必勝の3メートル手前で睨みあっていた。下手に近寄って総監が刺されてはと考えながら、隙を見計らっていたのである。
その時、山崎将補が入ってきて、私と森田が睨み合っている側方から「人質に俺が変わる、総監を解放しろ」と言いながらつかつかと総監のそばまで行った。
私はこれは危ないことになったと心配しながら森田と睨み合っていたので、森田は私に気が取られ、山崎将補には気が付かない様子であった。山崎将補は人質のそばまで行って初めて短刀が目に入ったらしかった。
山崎将補が後ろから森田を抱きかかえようとする瞬間に、「これは危ない」と私は森田の短刀を持った右腕に飛びつき捻り伏せて短刀を足で踏みつけた。森田が抱え込まれるときに、総監を刺したが胸を外れて右手の方に流れたと思う。森田がもう一度腕を引いたときは、私が腕首をしっかりと捕まえて捻り伏せたのである。
縛り付けられた益田総監がこの目の前の光景を一部始終見ていたわけである。総監の右手にかすり傷があったのはこのときの格闘を物語っている。
高橋2佐が捻じ伏せられても短刀を放さない森田の右腕を木刀で殴っているとき三島由紀夫がこれに気付き森田を助けにきたが、立ち向かった高橋2佐の木刀には鍔がなかったので、右手の親指が真ん中から切れてぶらさがった。
清野1佐は三島由紀夫に「出ろ、出ろ」と日本刀でつつかれて、傍らにあった立て灰皿で防戦しながらバックしていたが、躓いて尻餅をついた。このときなおも日本刀でつつかれ、大腿部を斬られた。
私が押さえつけている森田が短刀を放さないので顔面を殴ったが、振り上げた右腕に流れ刀が当たったのか「渡辺綱(わたなべのつな、平安中期の武将)」になる一歩手前の負傷をした。その後三島由紀夫が「出ないと殺すぞ」と言いながら森田を押さえつけている私の背中に三太刀斬りつけた。一太刀、二太刀を浴びても、はじめは木刀で軽く殴られている感じだった。2、3発殴られても短刀さえもぎ取れば、後はゆっくり話ができると思い、もぎ取り続けた。次第に声も力も大きくなり、我慢してとうとうもぎ取った。
短刀をもぎ取った瞬間には、「ぶすっと相手の腹を刺したら過剰防衛」「警察が捜しやすいように顔に×印を」「西部劇のようにホールドアップさせてかっこよく綱を切ろうか」「相手は5人、取り戻されたら元の木阿弥」…などの考えが閃いたが、結果は短刀を取って廊下へと飛び出した。
この乱闘の間に腕に一太刀、背中に三太刀の重傷を負った。背中の三太刀目は、ばしっと戸板で殴られた感じで、その衝撃でめがねが落ちた。高橋2佐は、一人殺されたと思って飛び出したと話していた。
廊下に飛び出し、業務室の澤本3佐がいたので、「ロッカーに入れて施錠」と言って短刀を突き出したら澤本3佐はびっくりして後ずさりした。血相を変えて短刀を突き出したから驚くのは当然で、「悪かったなあ」と刃の方を手前に持ちかえて渡した。
(つづく)
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サロン劇場 和敬塾サロン第十回公演  『冬の怪談』(語り芝居)
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 三島戯曲の殆どに主演された女優・村松英子さん主宰の「サロン劇場」です
 村松英子さんは「憂国忌」代表発起人のお一人です

 11月30日から12月8日
 目白台和敬塾内 旧細川邸サロンにて
 (東京都文京区目白台1−21−2)
 入場5000円(全席自由) 前売り開始11月2日
 お問い合わせ(03)3945−5384

 『冬の怪談』(小泉八雲「雪女」ほか、夏目漱石「夢十夜」より)
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 出演 村松英子、中山仁、村松えり フルート=鈴木章浩、演出=藤井ごう

 日程
 11月30日(金曜)         午後7時
 12月 1日(土曜)  午後二時  & 午後7時
    2日(日曜)  午後二時
    3日(月)   午後二時
    4日(火曜)         午後7時
    5日(水)   午後二時
    6日(木曜)          午後7時
    7日(金曜)  午後二時
    8日(土曜)  午後二時

 語り芝居は一時間ほど、上演後自由参加のパーティがあります

 お申し込み要領 ご希望の日と枚数を(3945−5384)にお申し込み下さい
 チケット代金は郵便口座(00180−7−583124)です
 細川亭サロンですので、受付での現金受渡の煩雑さを避けるため、ご協力いただければ幸いです。
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 三島由紀夫氏没後四十二年『憂国忌』の御案内
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ことしのご命日(11月25日)は日曜日にあたりますので、午後いっぱい時間が取れます。下記三本の講演を予定しております。
万障お繰り合わせの上、ご出席いただければ幸いです。
謹白
              記
とき    十一月二十五日(日曜) 午後二時(一時開場)
 ところ   星陵会館ホール(東京メトロ「国会議事堂前」か「永田町」)
 プログラム                      総合司会  佐波優子
         開会の辞               松本徹(三島文学館館長)
記念講演第一部
「三島由紀夫とワグナー 芸術と政治的思想、あるいは愛と死」
 在独作家 川口・マーン惠美
    「三島由紀夫が下田に来た夏」       横山郁代
                          (休憩十分)
  記念講演第二部
「『三島は、日本です!』(モーリス・ベジャール)―世界に向けて発せられたその死と美のメッセージ」    竹本忠雄
       「海ゆかば」                 全員起立斉唱
       「閉会の辞」            冨岡幸一郎(鎌倉文学館館長)

会場分担金 おひとり 二千円(学生千円)

         代表発起人 井尻千男、入江隆則、遠藤浩一、桶谷秀昭、佐伯彰一
竹本忠雄、中村彰彦、西尾幹二、細江英公、松本徹、村松英子
 特記        賛助会員の皆様には御招待状をお送りします
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Yukio Mishima Yukio Mishima 
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  三島由紀夫研究会 HP URL http://mishima.xii.jp/
      メール  yukokuki@mishima.xii.jp
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(C)三島由紀夫研究会 2012  ◎転送自由
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創刊日:2006-01-12  
最終発行日:  
発行周期:半月刊  
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