文学

三島由紀夫の総合研究

創立35年の老舗「三島由紀夫研究会」の会報を兼ねた、あらゆる角度からの総合研究メルマガ

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三島由紀夫研究会メルマガ(ヒタメンを論ず その2)

2011/12/30

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 『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
    平成23年(2011)12月31日(土曜日)
       通巻第597号 
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細江英公写真展が銀座のど真ん中、BLDギャラリーで
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三島モデルの「薔薇刑」は4月25日から5月13日まで
毎日午前11時から19時まで。
http://bld-gallery.jp/access.html

 細江英公先生(憂国忌代表発起人のおひとり)の写真展が来年1月6日からロングランで五ヶ月つづきます。
とくに4月25日からの最終展示は三島由紀夫「薔薇刑」です。

BLGギャラリーは銀座2−4−9 SPP銀座ビル八階
電話(5524)3903 
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◆BOOKREVIEW ◆書評 ◇しょひょう ◇ブックレビュー ★
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 あの愛憎と灼熱の色恋沙汰も歳月の流れの果て美しき物語に
  三島由紀夫が愛した女たち、その明かされた実相と回想の行間に潜む何かが

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『ヒタメン 三島由紀夫が女に逢う時』(岩下尚史 雄山閣)
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 本書に関しては、すでに西法太郎が書評をしている(小誌595号。12月24日付け)ので、ここでは概略を記し、つぎに雑感を述べるに留める。
 三島は初恋女性との失恋のあと、しばし女の出入りがなかった。ひたむきに小説をかき、『仮面の告白』と『潮騒』で文壇の寵児となり、いくつかの話題作や実験的小説に挑んだ。この時期に、三島は或る女性(当時、十九歳)に惹かれ、デートを重ね、ついには曖昧宿で逢瀬を重ねるという濃密な男女関係にあった。三島29歳から32歳までの三年間、ほとんど毎日、三島は彼女と逢って、豪華なレストランやナイトクラブをハシゴし、熱海や伊豆にも旅行した。
 その体験を通して比喩的な箴言やアフォルズムが挿入される『沈める滝』『金閣寺』を書いた。
 「書けて書けて、仕方がないんだ」と三島は彼女に言った。
 本書では時系列に逢瀬における三島との会話の追憶をたどりながら、三島が残した作品からの引用を重ねて、効果を盛り上げる手法を用いている。とくに『永すぎた春』『美徳のよろめき』や『橋づくし』はこの女性との恋愛を通じてうまれた作品群だった。
 『金閣寺』の取材では彼女が三島に同伴し京都へ旅行した。
死後、最初にこの灼熱の色恋沙汰の女性、豊田貞子の存在を世に知らしめたのは、三島の親友であり『鏡子の家』のモデルといわれる湯浅あつ子だった。湯浅は『ロイと鏡子』(中央公論社、1982年)を書いたが、実名は伏せた。
それをもとに猪瀬直樹が『ペルソナ』を書き、村松剛の『三島由紀夫の世界』でも存在は示唆されたが、ともに奥歯にもののはさまった描き方、いったい実在するか、どうかさえ曖昧模糊としていた。
それから歳月が流れ、過去の愛想劇は、時間というフィルターを通して淡々と回想し、客観視できる、美しい物語に変貌した。三島が三年にわたって入れあげた女性が、実名で、しかも写真を添えて登場したのだ。豊田貞子は三島とのスナップを二枚だけ保存していた。
さて具体的プロセスは本書にあたっていただくしかないが、やはり一方的回想の個所は客観的に事実とそぐわない読後感が残る。いかに両者が深く愛し合ったとしても、ときにぎこちなく、とくにおやと思えるほどにイヤな性格もでてくる筈であろう。
それが「公威さんには一切なかった」と貞子は言い切る。
それなら何故結婚しなかったのだろう?
貞子は「だこ」という渾名で呼ばれ、料亭の娘、女中が何人もいて、毎日着物を変え、ひがみ(毎日美容室へ通う)を結うほどに贅沢な恵まれた経済環境に育った。三島と別れて十年の歳月が流れ『憂国』が上映されたとき、「以前とは、すっかり人が変わってしまった」「険しい目」になっていて、じぶんが逢っていたときの「美しい目」ではなかったと豊田貞子は回想する。
三島は独占欲がつよく、男友達や男の知人に貞子を会わせることがなかった。石原慎太郎には絶対に引き合わせなかったが、後輩で安心感のあった藤島泰輔だけはべつで、三人で何回か食事したという。小生、この話の断片を何回か藤島さんから直接聞いた記憶があるが、すっかり忘れていた。貞子と藤島は、後年六本木のおなじマンションに住んでいたこともあるという。
余談ついで書くと、三島記念館の場所を豊田貞子が「河口湖」としているのは間違いで、山中湖である。

湯浅あつ子は三島が貞子と逢瀬を愉しんだ三年間というもの、「全身から霊気(オーラ)がでていた」と証言し、「もしあのふたりが結婚していたら」、三島はもっと良い作品をたくさん書いたはずであり、楯の会なんか、造らなかったとまで言う。
これは親友として女性としての狭窄なプリズムであり、三島は女性を前に政治の話をしたことはほとんどなかった。別世界のことであった。
貞子との恋が突然終わりを告げ、三島が杉山瑶子と見合いをしたのは湯浅の斡旋だった。以後、瑶子夫人は三島の友人達を遠ざけだし、親友だった黛敏郎もその犠牲者だったという解釈をとる。
湯浅は黛敏郎が三島の諫死事件のあとから建国記念日運動にかかわるなど、爾後の影響という解釈をとっているが、これも間違い。黛は昭和四十三年頃からテレビのコメントのレギュラーを務めており、その憂国の発言に注目して、たとえば小生も彼に接触し、44年頃からしきりに保守民族派学生の集会に出席してもらった。三島事件のはるか以前からである。
 ともあれ回想、追憶は美しさだけが一人歩きし、いつしか不都合な思い出や嫌な過去は忘却されている。
しかし、この要素を割り引いて、読み直しても三島の恋愛関係の三年間は精神の安定がみられ、かつ作品群がつぎつぎと産まれた時期でもある事実に符合する。最後になるが、作者の謡曲風な和風の文体はみごとである。
                        (評 宮崎正弘)
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三島由紀夫研究会「公開講座
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    記
とき  平成24年2月13日 午後六時半(六時開場)
ところ アルカディア市ヶ谷(私学会館)四階会議室
講師  ヘンリー・スコット・ストークス
演題  未定
ストークスさんは三島体験入隊に同行取材し、英語の伝記を書いた、当時ロンドンの『タイムズ』東京支局長だった。この英語伝記は世界に読まれ、ギリシア語訳もでた。
邦訳は「三島由紀夫 死と真実」(清流出版、徳岡孝夫訳)

会場分担金 おひとり2000円(会員は千円)

特記  ストークスさんがスライド多数を用いて、初公開の逸話も多数聞ける筈です。講演は同時通訳で行われます。当日の通訳はベテラン藤田裕行氏です。
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  三島由紀夫研究会 HP URL http://mishima.xii.jp/
      メール  yukokuki@mishima.xii.jp
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創刊日:2006-01-12  
最終発行日:  
発行周期:半月刊  
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