文学

三島由紀夫の総合研究

創立35年の老舗「三島由紀夫研究会」の会報を兼ねた、あらゆる角度からの総合研究メルマガ

全て表示する >

三島由紀夫研究会メルマガ(『春の雪』の日付がもつ意味)

2010/12/31


 ●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
 『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
    平成22年(2010)12月31日(金曜日)
           通巻第462号 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(小論)
 改めて気がついた『春の雪』の日付の意味
                    浅野正美


 △
三島由紀夫氏没後40年という節目の年に、「豊穣の海」を通して読み返した。
前回読んだのは私の年齢が三島氏の生涯の年齢を超えた5年前、奇しくも三浦重周氏が自決した年であった。
 恥ずかしいことだが、今回の読書で初めて、春の雪というこの作品の題名を理解することができた。初読以来30年が過ぎたが「豊穣の海」は私が今までの生涯で一番多く、繰り返し読んできた文学作品である。

にも関わらず私はずっと、春の雪とは清顯と聡子が雪の朝、車に乗って逢い引きをし、初めての接吻を交わしたあの美しくも印象的なシーンから取られたものとばかり思っていた。
この作品にはもう一つ印象的な雪のシーンがある。それは物語の終幕近くで、聡子会いたさに清顯が月修寺に通う場面である。

 この場面の前後を時系列に並べると、物語は次のように展開している。年号は大正3年。

2月21日    清顯東京を出発
2月22日    帯解着 宿屋から車を雇い月修寺へ
2月23日    午前と午後に月修寺へ 車は門前まで
2月24日    月修寺へ 宿屋から徒歩
2月25日    月修寺へ 発病
2月26日    月修寺へ 車は門前まで 雪(風花) 深夜本多合流 病悪化
2月27日    本多月修寺へ その日の夜行で帰京 意識混濁
2月28日    午前6時新橋駅到着
3月 2日    清顯死去

 お気づきの方もおられようが、2月26日!は清顯が月修寺から最後の否を宣告された日である。
病に蝕まれた体にはもう寺に通う体力は残されていない。そして雪。

この雪を三島氏は作品の中でこう描写している。
「この日大和平野には、黄ばんだ芝野に風花が舞ってゐた。春の雪といふにはあまりに淡くて羽虫が飛ぶやうな降りざまであったが・・・・」(単行本351頁)

 清顯は車を門前に待たせ、喘ぎながら参道を往く。
「命を賭けなくてはあの人に会へないといふ思ひが、あの人を美の絶頂へ押し上げるだらう。そのためにこそぼくはここまで来たのだ。」(同354頁)

 三島氏はここで初めて「春の雪」という言葉を使っている。この日付は偶然であろうか。春の雪には、ここまではっきりと日付がわかる個所は他にはほとんどない。例えば先にあげた雪見のシーンでも、日付は明確にされていない。前後の文章から、この日が正月から飯沼の卒業試験までの間ということがわかるので、おぼろげに、1月か2月であろうということくらいが読み取れるだけである。

 命を賭けるべき絶対の美(天皇 聡子)、そして絶対の美からの峻拒。この主題は三島氏が金閣寺や2.26事件に関する一連の発言の中で繰り返し訴えて来たことに繋がる。
 三島氏が2.26事件を意識してこの日付を設定したかどうかは、今となってはわからない。

ただし、先にも触れたように、絶対の美、雅からの拒絶、雪、主人公の死、と並べてみると、偶然とは思えない。雪の2月26日に向けて、清顯は聡子に会いたいという執念を抱いて帯解に旅立つが、思いはかなわず19年の生涯を閉じる。それから22年後の同じ日に、国を憂える青年将校、兵士達は昭和維新を志して決起するが、ここでも思いは届かない。

第二巻の奔馬では、この2.26事件とほぼ同時代を生きる主人公の飯沼勲が、昭和の神風連たらんとする。

 小説「春の雪」は、2.26事件へのオマージュであったというつもりはない。この二つの日付の一致はすでにだれかによって指摘されていることだと思う。ただ、鈍感な私が最近初めて気が付いたというに過ぎない。
また、多くの読者にとって、題名の春の雪が、雪見の逢瀬からではなくて、帯解に舞った淡雪から取られていることも自明のことだろう。

 本年は没後40年ということで、例年になく多くの三島本が出版された。そのすべてを読んだわけではないし、同様に特集記事で賑わった雑誌に関しては、気になるものを二、三本立ち読みしたに過ぎないが、失礼を承知でいえば、つまらない本も多かった。

ただし、生前三島氏と親交のあった方々も年齢を重ねており、歴史の証人としてもう残された時間が少ないということであろうか、そういった方々が文章を残すということの意味は大きかったと思う。
  ◎
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
(訂正)田中孚実さん『1号も欠かすことなく来年の4月には4000号となるものです。』の「4000号」を「400号」に訂正します。小誌460号(12月24日付け『読者欄』)。
 ◎
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 MMMMMMM 三島 MMMMMMMMMMMM 三島 MMMMMMMMM
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
(編集部から)小誌は「三島由紀夫研究会」(昭和四十六年創設)の会員だけに限定せずに、三島研究の論文、エッセイをつねに募集しております。比較文学論(たとえば「村上春樹と三島」とか)、作品論(たとえば『美しい星』や『仮面の告白』に新解釈)、読後感、政治論、芸術論。まるで分野を問いません。三島さん自身、古典から前衛まで、映画からシャンソンまで万能の人でしたから。
 「憂国忌」への御感想、御希望でも構いません。皆さんからの御投稿を広くお待ちします。原則として実名。簡単な肩書きをつけて下さい。ただし三島文学批判も構いませんが、明らかな誹謗中傷のたぐいの投稿は採用しません。ゲスト寄稿者コーナーも常設しております。一部の原稿は年二回以上発行のメルマガ合本に掲載させていただくことがあります。    
     ◎ ◎ ◎
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  三島由紀夫研究会 HP URL http://mishima.xii.jp/
      メール  yukokuki@hotmail.com
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(C)三島由紀夫研究会 2010  ◎転送自由
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2006-01-12  
最終発行日:  
発行周期:半月刊  
Score!: 98 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。