文学

三島由紀夫の総合研究

創立35年の老舗「三島由紀夫研究会」の会報を兼ねた、あらゆる角度からの総合研究メルマガ

全て表示する >

三島由紀夫研究会メルマガ(藤純子ファンだった三島)

2010/12/23


 ●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○●○
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
    平成22年(2010)12月24日(金曜日)
       通巻第460号 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「藤 純子がいい」と三島由紀夫は言った

     渡部 亮次郎

三島さんが1970年(昭和45年)11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地内東部方面総監部の総監室を森田必勝ら楯の会メンバー4名とともに訪れ、隙を突いて益田兼利総監を人質に取り籠城。バルコニーから檄文を撒き、自衛隊の決起・クーデターを促す演説をした後割腹自殺した(三島事件)、45歳没。

現在、忌日は、三島由紀夫研究会による憂国忌(主に九段会館)をはじめ、全国各地で民族派諸団体が追悼の慰霊祭を行っている。
事件のおよそ10か月前、正月頃だった。東京・赤坂にあった「岡田」という料亭で、初めて三島さんを見た。2階の座敷で、その後官房長官や外務大臣に出世する園田直氏と三島さんを対談させたら面白かろうと新潮社出版部長の新田敞(ひろし)さんが言い出して簡単に実現したのだ。

「対談」は園田氏の後援会報「インテルサット」(月刊)に掲載されることになっており、当時NHK政治部記者で園田氏と親しい関係で、私が園田氏の付き添い役の私。
三島さんにはかねて親しかったやはりNHK社会部記者で宇和島藩主伊達一族の末裔伊達宗克さんが付き添い。新田さんが司会役で対談が始まった。

共通の話題は剣道から始まったが、話は皇室から頽廃する世相まで広範にわたり2時間にも及んだ。成功だった。初対面とは思えぬ盛り上がりだった。
終わって酒の席になったが、二人とも余りアルコールは呑まなかった。ただ三島さんが、当時映画で『緋牡丹博徒』で初主演し、大ヒット。主人公「緋牡丹のお竜」こと矢野竜子役で人気を集め、シリーズ化され当代一の人気女優になった藤 純子を「あれはいいねぇ」と褒めちぎった。

その頃、六本木の和食の店で藤純子が納豆ご飯を食べているのを見たことがあったので「先日、納豆を食べている藤純子を見ましたよ」と混ぜ返したら、三島さん真顔になり「渡部さん、美人が納豆を食っちゃいけませんか」といった。
三島さんにはかねて「ホモ」の噂があり、ボデービルや武道にこるのはそのせいだとも言われていたので、藤に拘る三島さんを不思議に思った。
そのうちに三島さんが居ずまいをただし、園田氏に切腹の作法を尋ねた。園田さんは切腹の仕方に三通りの作法があるなどと知識を開陳。三島さんは神妙に聞いていた。この10ヶ月後に冒頭の事件は起こった。

<総監室に戻った三島は、森田必勝らと共に「天皇陛下万歳」を三唱したのち、恩賜煙草を吸い、上半身裸となり「ヤアッー!」と叫び自身の腹に短刀を突き立てた。
この時、介錯人の森田は自身の切腹を控えていた為か、手の震えで二度も失敗してしまい(刀も曲がってしまったともいう)、剣道有段者の古賀浩靖が代わって一刃の許に刎ねた。
続いて切腹した森田必勝の介錯も行なった。警視庁牛込署の検視報告によると、三島は臍下4センチほどの場所に刀を突き立て、左から右に向かって真一文字に約13センチ、深さ約5センチにわたって切り裂いたため、腸が傷口から外に飛び出していた。さらに、舌を噛み切っていたことも報告されている。ノーベル文学賞候補として報道され、多方面で活躍した著名作家のクーデター呼びかけと割腹自殺は、日本だけでなく世界中で注目を集め論議を起こした。>(ウィキペディア)

事件について当時の佐藤栄作首相は「気違い沙汰だ」と吐き捨てた。園田氏は「まさか切腹する為に訊かれたとは思わなかった、小説の材料になるのだとおもったから丁寧に教えた」と嘆き、葬儀には国会議員でただ一人参列した。

伊達さん。
<1970年11月25日に交流のあった作家三島由紀夫から間接的に、サンデー毎日の記者だった徳岡孝夫と共に、遺書と檄文を受け取り三島事件の目撃者となった。
関連の編著書に『裁判記録「三島由紀夫事件」』(講談社、1972年)がある。また徳岡と共に1984年、瑤子夫人にインタビューを行い、月刊誌『諸君!』(1985年1月号)に掲載した。
皇室担当記者として『天皇の外交』(現代企画室、1975年)を出し、1980年4月『仁親王の婚約』、1983年4月には容子内親王の婚約をスクープ。1984年に放映された「NHK特集 皇居」の、中心スタッフとして取材折衝に当たった。1985年8月、NHKを定年退職、解説委員となったが、在職中ノ88年1月15日に亡くなった。>(同)。

新田さんも故人だ。だから岡田で出合った5人のうち、生き起のこっているのは私だけになった。
(終)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
藤純子は富司純子(ふじ すみこ)となり女優、司会者として活躍中。夫は歌舞伎俳優の尾上菊五郎、長女は女優の寺島しのぶ、長男は歌舞伎俳優・五代目尾上菊之助。(同)
  ◎
(わたなべりょうじろう氏は元NHK記者。メルマガ「頂門の一針」を主宰。この文章は同誌から転載)
  ◎
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
記録のページ
@@@@@@

 下記に掲げるのは憂国忌における「閉会の辞」です。


                      直木賞作家 中村彰彦
 ▽
「発起人を代表して一言申し上げます。本日はこれだけ多くの方々にご参集頂きまして慎にありがとうございます。シンポジウムを聴きながら思い出していたのは、江戸時代の文化人が頭の中で考えた「くだん」という動物のことであります。「くだん」というのは人偏に牛という字です。一件、二件、!)依って件の如し!)というときの件です。
江戸の文化人がなぜ「件」という動物を空想したのかというと、この件という字から思いついたと考えるのです。人偏、人間ですね、それと牛。「件」という空想上の動物は、体が牛で頭が人間、体が人間で頭が牛、そういう想像で描かれております。
そして「件」という一種の怪物の特徴は何かというと、天変地異が迫った時、あるいは国家の危機が迫った時、いち早くそれを予知して、一声悲痛に啼いて死ぬ動物であるということです。
そういう研究を最近読みまして、『憂国忌』にあたり、悪い意味ではなく、三島由紀夫という人は現代日本にとって、「件」のような一聲を放った予言する存在だったのではないかと思いました(拍手)。
日本は中国、ロシアから馬鹿にされて何もできない状況になった。これは三島が「檄」で予言していたことです。
没後40年の間にそれがますますリアルになり、酷いことになっている。そして三島の予知能力をますます痛切に感じるようになりました。これを以って閉会の辞と致しますが、こういうことを!)依って件の如し!)(「件」の予言が外れない様に嘘偽りがない)と謂うのです。(観衆の笑いと拍手)。


事務局より
 「憂国忌」のシンポジウムの記録は合本に収録されています。
 これを最後の説まで加えて、メッセージ、祭文、閉会の辞をすべて加えての冊子を刊行する予定です。
       ○
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  <<<<<<<<<<<<<<< 読者欄 >>>>>>>>>>>>>>>>>
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
(読者より その1)宇都宮市・田中孚実様へ。
貴誌459号にでた田中さんの記事を拝読しました。産経の記事を読んで、どんな方かしらと思っていましたので、田中様のご文章を拝読できました事は、奇跡のような気がいたします。私と同じ想いの方が居られる事に涙が止まりません。
そして、人との出会いは凄い相乗効果をもたらすものだと、感動しております。産経の記者の方が、1300名の中から、田中さんのお姿に感動なすって、記事に纏められた事がこの度の田中さんのお心の内を、私達三島さんを尊敬している者の心に一灯をともしてくださいました。
昭和46年2月号の「諸君」は、三島由紀夫特集となっております。その表紙は、とても素敵な三島さんです。つい最近、その本を手にしましたが、私の宝物だなぁぁと思っています。
何故なら、三島さんの生前のお知り合いの方たちが、「素のままの三島さん」を語っておられますから。
宝物がもう一つ加わりました。今日の田中さんの想いです。
田中さんの想いをしっかり受け止め、私もかねてから実行していた事をこれからも身体の続く限りやっていこうと、思えるまでになりました。
   (深井貴子、小平市)
    ♪
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 <<<<<<<<<<<<<<<< M >>>>>>>>>>>>>>>>>
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
(事務局よりお知らせ)
<1>DVDお申し込みの方へ。
 「憂国忌DVD」(全二巻)はお申し込みいただいた方全員への発送が終了しました。(クロネコメール便)。なお、現在歳末で運送方面かなりの渋滞ですので地域によっては、到着が28日から30日ごろになります。
 もし年内に届かない場合や、不良品があった場合は、申し込み時のメール・アドレス
m-asano@fujiya-camera.co.jp
 までその旨をお知らせください。折り返し代品を発送致します(不良品等はご返却いただく必要はございません)。
代金は同封の郵便払込取扱票をご利用ください。送金手数料が無料となります。        
                憂国忌実行委員会事務局
  ♪
<2>賛助会員の皆様には記念冊子ならびにメルマガ合本(24p、憂国忌記録を特集)を発送しております。未着の方はお知らせ下さい。
<3>弊会編集の『憂国忌の四十年』(並木書房)は売り切れました。
<4>下記は弊会ホームページを更新しました
憂国忌実行委員会「没後四十年 憂国忌」
http://mishima.xii.jp/40th/index.html
墓前報告祭
http://mishima.xii.jp/bozen/index.html
  ◎
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 MMMMMMM 三島 MMMMMMMMMMMM 三島 MMMMMMMMM
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
(編集部から)小誌は「三島由紀夫研究会」(昭和四十六年創設)の会員だけに限定せずに、三島研究の論文、エッセイをつねに募集しております。比較文学論(たとえば「村上春樹と三島」とか)、作品論(たとえば『美しい星』や『仮面の告白』に新解釈)、読後感、政治論、芸術論。まるで分野を問いません。三島さん自身、古典から前衛まで、映画からシャンソンまで万能の人でしたから。
 「憂国忌」への御感想、御希望でも構いません。皆さんからの御投稿を広くお待ちします。原則として実名。簡単な肩書きをつけて下さい。ただし三島文学批判も構いませんが、明らかな誹謗中傷のたぐいの投稿は採用しません。ゲスト寄稿者コーナーも常設しております。一部の原稿は年二回以上発行のメルマガ合本に掲載させていただくことがあります。    
     ◎ ◎ ◎
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  三島由紀夫研究会 HP URL http://mishima.xii.jp/
      メール  yukokuki@hotmail.com
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
(C)三島由紀夫研究会 2010  ◎転送自由
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2006-01-12  
最終発行日:  
発行周期:半月刊  
Score!: 98 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。