文学

三島由紀夫の総合研究

創立35年の老舗「三島由紀夫研究会」の会報を兼ねた、あらゆる角度からの総合研究メルマガ

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三島由紀夫研究会メルマガ(産経「集う」に寄せて)

2010/12/17


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  『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
    平成22年(2010)12月17日(金曜日)
       通巻第459号 
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(下記は没後40年目の「憂国忌」の模様を報じた産経新聞の「集う」というコラムは三島的「伝統保守」への回帰はっきりという見出しのもと、当日の様子をレポートし、その末尾を「帰り際、会場入り口に設けられた祭壇の前で、一心に手を合わせ続ける車椅子のおばあさんの姿があった。40年前、この人はどこで事件のニュースを聞いたのだろう。今日は何を思って参加したのだろう。祭壇の三島の遺影が、何かを言いたげに見えた」(以上は産経新聞から引用)と結ばれていた。
車椅子で憂国忌に参加した当の田中さんから寄せられたものである)。


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「思いがけずも、貴紙の集う「憂国忌」の記事にわたしのことを書いてくださっておりましたので、手紙をしたためることに致しました。磨井慎吾様(産経記者)が目に留めてくださいました車椅子の私は、只々、中孚…中なる孚を貫く祈りの中におりました。
 中孚という易卦には
「鳴鶴在陰、其子和之」
 という、とても美しい句があります。
 親の鶴が鳴けば、たとえ遠く離れていてもその鳴き声に子が和す・・・(心を通い合わせる)
 たとえ40年の昔に、遠い彼の岸にみまかられても、ひたすらに国を思い日本国の安寧を願い、いやさかに・・・という深い想いは、今も尚、今のこの時代だからこそ、強いバイブレーションで私たちに語り続けていてくださる・・・。
 浅学非才の身ではありますが、国を思い、将来(未来)の日本国の安泰を願う心は同じです。
 その波長に響き合うものが、私の全身全霊をひたしておりました。
 其のときの私を磨井様が見ておられて、”祭壇の三島の遺影が何かを言いたげに見えた“と書いて下さった。・・・その感性の鋭さ、直なる心で感得なさいましたればこその一行だと感じ入りました。

 産経新聞の「集う」の文中で二つの問いかけをしておられます。多少長くなるやも知れませぬが、目を通していただければ幸いです。

 私は当時、東大宮に住んでおりました。
 4歳と5歳の年子を連れて東京に反物の商いに出かけておりました。
 風呂敷に包んだ反物を背負い、二児の手を引いて「好みの色に丹後ちりめんを染め上げて届ける」という内職。その訪問先のお宅のテレビで“三島由紀夫決起”の事件を知りました。
 帰路の赤羽駅での乗り換えは疲れ果てた母子に夜風が冷たかったことを覚えております。
 その当時の私はまだ、彼の意を汲むだけの精神性を育てておりません。しかし、眠ってしまった下の子を抱き上げ、もう一人の子をやっとの思いで電車に乗せホッとしたとき、一筋の涙が頬を濡らしておりました。
 内職は夫を支え明日へ備えるためのことでしたから、そのための涙ではありませんでした。
 テレビで(映像で)訴える三島さんの姿が、ヤジと怒号と早口のアナウンサーの向うで、孤高の哀しみを味わっているのでは、と感じた涙だった・・・と今では、そう思っております。

 事件当日の鮮烈な記憶と私の一筋の涙はその後、私の奥深くに鎮まり続け、そのあいだにも、私自身は大きな波風の中に大変化を余儀なくされていく中に揉まれ続けての40年でした(その中に育てられもしてきました)。
 今、私は年の半分を外国で、半分を日本で暮らしております。
 外国から帰ってくる度に、日本の国はどうなっているの、と驚くことばかりです。どこの国でも自国を愛し、そのシンボルとして国旗国歌をとても大切にしています。自国の旗をひきずり降ろしたり、降ろされたり燃やされたりを平気で笑って見ているのを見たことも聞いたこともありません。
 後進国だとみなしあなどっている日本人もありますが、それらの国の人たちは、どんな状況下といえど国を愛し、誇りに思い、守る心を是としております。
 それに引き替え、わが国の人々の意識の低さ、無国籍人の集まりではないかと思うばかりのひどさ・・・。
 亡国の道へひた走るがごとき有様を、どうしたら食い止めることが出来るのか、三島さんの「果たし得ていない約束」、彼は日本人に大して希望をつなぐことは出来ない・・・と述べておられるが、・・・本当に絶望的なのか、私は自問自答します。
 否、希望を捨てるわけには行かない。希望はつないでいかなければ・・・。
 でも、もうそれほど長くはないであろう歳月のなかで、命の灯火を全て捧げ尽くしたとしても、地位も名も才に長たるものも何もない私に何が出来るというのでしょう。
 ――自問自答はめげそうになりますーー
 それでも為さねばならぬ・・・と、心の奥深く鎮めた鮮烈な記憶と一筋の涙は、私の一大命題として私を揺り動かします。

 11月25日、祭壇の遺影に、私は語りかけております。
“希望をつないで、次の世に生きてくれる若者たち一人一人に、日本人の魂を喚起すべきを呼びかけていきます。どうぞ力をお貸下さい”・・・と。

 その時、心に期したものがありました。
 私は昭和53年より33年間、月刊(B4 2枚のささやかなものではありますが)で発行を続けてきたものがあります。
 1号も欠かすことなく来年の4月には4000号となるものです。が、もう古希も迎えたし、いつ終りにするかを思ったりもしていましたが、祭壇への祈りのなかでーー倒れて筆が持てなくなるまで、続けていくことーーを決心しました。
 その中で、一言でも伝えていこう。
 美しい日本と、それを愛する心の大切さをこつこつ書いていかねば、と改めて心を堅固にさせていただきました。
(宇都宮市・田中孚実)
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(事務局よりお知らせ)
<1>賛助会員の皆様には記念冊子ならびにメルマガ合本(24p、憂国忌記録を特集)を発送しております。未着の方はお知らせ下さい。
<2>賛助会員のかたで五口以上の賛助金をいただいた皆様にはDVD全二巻の憂国忌四十年の記録をお送り申し上げます。また別途お申し込みいただきました皆様には年末までに発送業務を済ませます。
<3>弊会編集の『憂国忌の四十年』(並木書房)は売り切れました。
<4>下記は弊会ホームページを更新しました
憂国忌実行委員会「没後四十年 憂国忌」
http://mishima.xii.jp/40th/index.html
墓前報告祭
http://mishima.xii.jp/bozen/index.html
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(編集部から)小誌は「三島由紀夫研究会」(昭和四十六年創設)の会員だけに限定せずに、三島研究の論文、エッセイをつねに募集しております。比較文学論(たとえば「村上春樹と三島」とか)、作品論(たとえば『美しい星』や『仮面の告白』に新解釈)、読後感、政治論、芸術論。まるで分野を問いません。三島さん自身、古典から前衛まで、映画からシャンソンまで万能の人でしたから。
 「憂国忌」への御感想、御希望でも構いません。皆さんからの御投稿を広くお待ちします。原則として実名。簡単な肩書きをつけて下さい。ただし三島文学批判も構いませんが、明らかな誹謗中傷のたぐいの投稿は採用しません。ゲスト寄稿者コーナーも常設しております。一部の原稿は年二回以上発行のメルマガ合本に掲載させていただくことがあります。    
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  三島由紀夫研究会 HP URL http://mishima.xii.jp/
      メール  yukokuki@hotmail.com
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創刊日:2006-01-12  
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