文学

三島由紀夫の総合研究

創立35年の老舗「三島由紀夫研究会」の会報を兼ねた、あらゆる角度からの総合研究メルマガ

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三島由紀夫研究会メルマガ(森田必勝烈士実兄よりメッセージ)

2010/11/23


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『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
      平成22年(2010)11月23日(火曜日)貳
          通巻第447号 
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(メッセージ)

 あの衝撃の日から四十年を迎えて、過ぎ去った日々が走馬燈のように瞼に点滅します。
 弟が三島由紀夫先生と行動を共にして、自らいのちを絶って以来の日本はますます国の形を失っていくかのようです。
 毎年、弟が憂国忌で祭られ、身内として感謝の言葉を述べたいところです。粛々として盛大なる会の成功を祈ります。
                    森田治

(もりたおさむ氏は元三重県議会副議長。勲四等。現在80歳、四日市のお宅に庭には森田必勝記念碑と銅像が建てられております)。
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あの日の自衛隊の現場では
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                         西法太郎

元帝国陸軍軍人で戦後自衛隊に奉職した平城弘通氏の著書『日米秘密情報機関「影の軍隊」ムサシ機関の告白』を手に取りました。平城氏はその中で三島と楯の会隊員の市ヶ谷駐屯地での決起について記しています。
 山本舜勝氏に紹介されて三島と出会い手紙のやり取りもあった平城氏は昭和43年から東部方面総監部の市ヶ谷駐屯地に勤務していました。昭和45年11月25日平城氏は東京近郊に出張して市ヶ谷にいませんでした。
その日、三島と楯の会隊員4名が益田兼利総監を縛め、総監室(戦前の陸軍大臣室)を占拠し、入り込もうとする自衛官を斬りつけた行為を、平城氏は恩を仇で返すものだと厳しく批判します。

その一方、同駐屯地に配属されていた第三二連隊の柔剣士10人ほどに籠手などで装備させ木銃を持たせて直ぐ突入させていれば三島を死なすことはなかったと述懐しています。その用意に要する時間はたった10分だったのです。
そして事態の収拾に警察機動隊を導入した幕僚副長たち(当日幕僚長は不在)の判断を痛罵しています。之以後警察は自衛隊を軽蔑するようになったというのです。
 当時角材や鉄パイプを振り回し敷石を剥がして投げつける暴徒に対して警察は防護盾だけで対処していたのですが、殉死者が出てそれまでの防御だけから攻撃態勢を敷くことに転換し、その教えを自衛隊請うていた警察は彼らを尊敬していたのだそうです。しかしそれは自衛隊員への尊敬ではなく旧帝国軍人に対してだったのでしょう。

投降し連行されて外に出てきた楯の会隊員に自衛官たちは殴り掛かかり機動隊員が庇ったというのですから、バルコニー上の三島に加えられたヤジも勘案すれば当時の自衛隊員の士気とモラルは機動隊員のそれをはるかに下回っていたのです。
鳥居民風に推論累積的に記せば機動隊投入は次のような次第だったのでしょう。
機動隊を市ヶ谷駐屯地に投入する決断をしたのは防衛庁長官の中曽根康弘だっただろう。それを了解し機動隊を総監室へ突入させ三島以下楯の会隊員の捕縛を請け負ったのは警察庁警備課長の佐々淳行だろう。総監が拘束監禁され幕僚長も不在で周章狼狽した幕僚副長たちは中曽根長官の指示に抵抗せず自衛隊自らの力で異変を鎮圧することを放棄してしまったのだった。・・・。

平城氏は生存している関係者がいるためか筆を止め、この経緯を書いていませんが「三島事件は自衛隊史上最大の汚辱事件」だと述べています。
平城氏のその憤悶は益田陸将の憤悶でもあったでしょう。むしろ益田陸将の心中を察してそう述べているのでしょう。なぜ幕僚副長たちは機動隊導入の指示を跳ね返し自衛隊の軍力で総監室に立てこもった三島と楯の会隊員たちを鎮圧しようとしなかったのか。
自衛隊は「突発非常の事態に対して迅速的確に判断し処置する」ものと平城氏は述べています。自衛隊は有事において起動すべき組織なのです。そのファンクションを不甲斐なく易々と放棄してしまったのですから、益田陸将は幕僚副長たちが機動隊に鎮圧を任せたことに慙愧の念を禁じえなかったことでしょう。その内心は怒りで煮えたぎったことでしょう。

事件後、中曽根長官は総監に辞任を強いていたのです。
長官が強いなくても益田陸将は自ら身をただしく処していたことでしょう。終戦時益田参謀はサイパン戦を担当した同僚の自裁を見届けています。総監を辞めて間もなく亡くなったのはあの日自衛隊が自らを貶めたことを忘れられず憤死したのでしょう。
自衛隊はあの日三島と差し違えてしまったのです。自らの存在を正当化していない、継子扱いの憲法に抗して起とうとしない自衛隊を覚醒させようとした三島と。
三島の予想の外だったのは自衛隊が機動隊を基地内に導き入れたことです。軍隊が基地内の騒乱を収めるのに警察の力に頼るとは想像できなかった。
有事に対応すべき軍隊の、その基地内で起こった異変を平時の治安をつかさどる警察権力にお願いして鎮圧してもらったのです。そのブザマな失態を同盟国の米国はあきれて見ていたはずです。

  自衛隊がその力で三島たちをねじ伏せていたら、外にその気概を示せていたし、内の士気は高まったことでしょう。
三島は自らを楯にしてそれを狙っていたのです。しかし自衛隊は警察に鎮圧を委ねたことで軍隊となることを永久に放擲してしまいました。つまりあの日自衛隊は死んだのです。自ら命脈を絶ったのです。泉下の三島は、それは俺の目算外れだったなあ、と生前のように高らかに哄笑し、益田氏は深く嘆き悲しんでいることでしょう。
平城氏は、三島の振るう太刀で一番傷を負った寺尾氏が昨年郷友連の月刊誌『郷友』に書いた三島を擁護している一文を引いて、益田総監と三島が総監室で最後に交わした会話について推測しています。益田陸将は最後の話の中身は秘密にすると三島と約束しているから話せないと、退院して挨拶に行った寺尾氏に語ったというのです。
平城氏はそれを推測して、三島が自衛隊の決起を益田総監に求め、総監はそんなことをしたら力をつけてきた警察と相闘うことになるからダメだとこたえただろうと述べています。じつはこれは推測ではなく、益田陸将は寺尾氏にそう打ち明けていたのでしょう。平城氏はそのことを寺尾氏から聞いたのでしょう。
寺尾氏は「檄」の精神に感じていることをうかがわせ、!)三島由紀夫氏の霊安かれと心から念ずる!)とその一文を結んでいるそうです。

ドナルド・キーン氏は次のように語っています。
「1930年代の日本に起こったクーデターやクーデター未遂事件を見て、外国人にとってとても印象深いことが、少なくとも一つあります。それは、改革の原動力になった青年将校たちが、私腹をこやすとか、自分たちがえらくなるなどという邪念をまったく抜きにして、ああいう暴挙を起こしたことなのです。
実利ではありません。彼らは、なにか純粋な理想のために行動を起こしました。その理想は、あるいは完全にまちがった、狂ったものであったかもしれません。しかし、彼らに似た完全に無償の行為は、ドイツのナチやイタリアのファシストのあいだからは、絶対に起こりえないことでした。」(徳岡孝夫、ドナルド・キーン著『悼友紀行』)

三島と楯の会隊員の決起は1930年代のクーデター同様、いえ、それ以上に邪念のない、純粋な理想のための、完全に無償の行動でした。40年前の三島と楯の会隊員の決起はわれわれに何を伝えたかったのか。
今年は三島や三島の決起に関わる雑誌の特集、書籍が夥しいまでに氾濫しています。さまざまなセミナー、講演会も開催されています。そんな状況からするとそのこたえを日本人は懸命に探しているのでしょう。
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第四十回追悼会
 『憂国忌』
 ――三島由紀夫を通して日本を考えようーーー

 とき  11月25日 午後五時(四時開場)
 ところ 九段会館大ホール
     (東京メトロ『九段下』、都営地下鉄も『九段下』下車、徒歩二分)。

 会場分担金  お一人1000円
 プログラム
第一部鎮魂祭(齋主 乃木神社神職。祭主 松本徹)
第二部シンポジウム 『没後四十年 日本はここまで堕落したか』 
井尻千男、遠藤浩一、桶谷秀昭、西尾幹二(司会 宮崎正弘)
 当日会場ではロビィに関連グッズの展示。また関連図書の頒布があります。
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(編集部から)小誌は「三島由紀夫研究会」(昭和四十六年創設)の会員だけに限定せずに、三島研究の論文、エッセイをつねに募集しております。比較文学論(たとえば「村上春樹と三島」とか)、作品論(たとえば『美しい星』や『仮面の告白』に新解釈)、読後感、政治論、芸術論。まるで分野を問いません。三島さん自身、古典から前衛まで、映画からシャンソンまで万能の人でしたから。
 「憂国忌」への御感想、御希望でも構いません。皆さんからの御投稿を広くお待ちします。原則として実名。簡単な肩書きをつけて下さい。ただし三島文学批判も構いませんが、明らかな誹謗中傷のたぐいの投稿は採用しません。ゲスト寄稿者コーナーも常設しております。一部の原稿は年二回以上発行のメルマガ合本に掲載させていただくことがあります。    
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  三島由紀夫研究会 HP URL http://mishima.xii.jp/
      メール  yukokuki@hotmail.com
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