文学

三島由紀夫の総合研究

創立35年の老舗「三島由紀夫研究会」の会報を兼ねた、あらゆる角度からの総合研究メルマガ

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三島由紀夫研究会メルマガ(三島のいない平成元禄)

2010/11/23


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『三島由紀夫の総合研究』(三島由紀夫研究会 メルマガ会報)
      平成22年(2010)11月23日(火曜日) 
          通巻第446号 
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 (本日の産経新聞社会面、突き出し広告にご注目下さい)

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 ▼「ミシマのいない平成元禄」
                        宮崎正弘
 
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 三島由紀夫が「精神的クーデター」を狙うかのごとく憂国の諫死をとげてから、早や四十年の歳月が流れた。
 あの驚天動地の衝撃は日本の思想界、言論界に強烈な影響を与えた。事件直後のテレビニュースにでた林房雄は、「正気の狂気」と比喩した。藤田東湖の正気の歌を思い出す人も多かった。
中曽根防衛長官が「狂ったのか」と発言したことに対して「はじめから終わりまで正気だった」と林は二重の意味を込めたのだ。正気(せいき)を正気(しょうき)と呼ぶのは戦後である。
新保祐司の比喩によれば、「美の世界から三島は或る日、『正気』に選択されて『義』に向かった」という。
正気とは領土とか人民の危機レベルではなく、磯部浅一は「正気の危機」だと言った。吉田松陰は大和魂と言ったが、どれもこれも外国人には分からない。いまの日本は「日本人」の顔をした外国人が多いから吉田松陰も三島も分からない。西郷さんも乃木将軍もわからない。


 三島事件直後に江藤淳は小林秀雄と『諸君』での対談で「(三島さんは)単に老衰しただけじゃありませんか」と言い、小林が「それなら君は堺事件をどうおもうか」と、日本の歴史にはときに訳が分からないことがおきるのであり、それが歴史だという意味のことを言った。
 戦争は悲劇であり、悲惨というレベルだけで戦争を総括するのは錯誤でしかなく、崇高という感覚が”狂気の正気”となる。石原慎太郎には、これが分からないらしい。なぜか、石原は三島となるとムキになって矮小化したがるからだ。

 戦後の日本は戦争を悲惨とだけ捉え、人間主義、自己実現だけとなって、他者実現、崇高さが失われた。義と美との距離は前者がユダヤー欧英に強く、後者はギリシア、ローマなど南欧に流れた。デビュー直後はギリシャに憧れた三島は明らかに美をもとめていた。
 そして歳月が流れ、正気が三島を選択した。
正気は50年、100年に一度、突発するのが日本の歴史であり、三島事件は乃木希典の殉死で日本中がわなわなと震えて感動した事件以来かもしれない。精神においては特攻隊以来であろう。


 さて筆者自身、学生運動を担っていた時代、三島由紀夫、林房雄、村松剛らの指導を仰いでいた。三島は筆者らが出していた民族派理論誌「日本学生新聞」の創刊号に祝辞を寄せてくれ「天窓を開く快挙」と期待を表明し、また全日本学生国防会議(森田必勝が議長)の結成大会に駆けつけて万歳三唱をしてくれた。その後、森田が楯の会専従となり、あの事件へと突っ走ることになる。直後の追悼会は池袋の豊島公会堂に入りきれず、会場前の公園に数万のファンが押し寄せた。
 しかし三島事件以後、日本の精神的堕落、知的頽廃はますます進行するばかりだ。まさに「芭蕉も近松もいない昭和元禄」と三島が書いたが、その「三島もいない平成元禄」になった。

 国益を考えない政治家がままごと政治をおこない、そのリーダーシップの劣化は官界におよび、ちっぽけな汚職がはびこり、財界には侍が不在となり左翼論壇は滅びたはずなのに失業互助組合のような媒体と支援団体でかろうじて息をつなぎ、偏向マスコミの売国的言論を維持している。
 三島由紀夫は「生命より大事なものがある」と精神的クーデターを企て、日本の文化伝統の尊さを日本人に覚醒させようとした。しかし「自分の行為は五十年後、百年後でしか理解されまい」とも言い残した。
 こうした三島由紀夫の憂国の情念、祖国への愛を継承し、ともかく努力をして祖国の復権のためになにがしかの努力をしようとする同士が集まって四十年前に「三島由紀夫研究会」が結成された。
 毎年の三島の命日には追悼会を挙行し、日本に正気が戻るまで継続し、「三島由紀夫と通して日本を考えよう」という標語で若者に訴えかけたのが「憂国忌」の始まりである。
 やはり三島が予言したように日本に正気が回復するには百年(ということは差し引き半世紀前後)を要するのだろうか?

 (国民新聞、11月号より転載)
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第四十回追悼会
 『憂国忌』
 ――三島由紀夫を通して日本を考えようーーー

 とき  11月25日 午後五時(四時開場)
 ところ 九段会館大ホール
     (東京メトロ『九段下』、都営地下鉄も『九段下』下車、徒歩二分)。

 会場分担金  お一人1000円
 プログラム
第一部鎮魂祭(齋主 乃木神社神職。祭主 松本徹)
第二部シンポジウム 『没後四十年 日本はここまで堕落したか』 
井尻千男、遠藤浩一、桶谷秀昭、西尾幹二
 当日会場ではロビィに関連グッズの展示。また関連図書の頒布があります。
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(編集部から)小誌は「三島由紀夫研究会」(昭和四十六年創設)の会員だけに限定せずに、三島研究の論文、エッセイをつねに募集しております。比較文学論(たとえば「村上春樹と三島」とか)、作品論(たとえば『美しい星』や『仮面の告白』に新解釈)、読後感、政治論、芸術論。まるで分野を問いません。三島さん自身、古典から前衛まで、映画からシャンソンまで万能の人でしたから。
 「憂国忌」への御感想、御希望でも構いません。皆さんからの御投稿を広くお待ちします。原則として実名。簡単な肩書きをつけて下さい。ただし三島文学批判も構いませんが、明らかな誹謗中傷のたぐいの投稿は採用しません。ゲスト寄稿者コーナーも常設しております。一部の原稿は年二回以上発行のメルマガ合本に掲載させていただくことがあります。    
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  三島由紀夫研究会 HP URL http://mishima.xii.jp/
      メール  yukokuki@hotmail.com
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創刊日:2006-01-12  
最終発行日:  
発行周期:半月刊  
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