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『三島由紀夫の総合研究』 
    三島由紀夫研究会 メルマガ会報
       平成18年2月28日(土曜日)  通巻第10号
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 昭和46年に結成された老舗「三島由紀夫研究会」の会報が、一般の読者にも開放する新編集方針のもと、メルマガとしてリニューアルされました。
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◎本号より三日連続の力作評論の連載が始まります!
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<< 短期集中連載 (その1)>>

 三島由紀夫と石原慎太郎
             秋山大輔


「三島氏の起こした事件は、私がこの欄で扱うべき問題ではないかも知れない。事件の直後申し込まれた記者会見でも、私は、政治家として、この事件の社会的政治的意味についての言及は避け、ただ文学を通じて彼を敬愛した一人の友人として哀悼を語った」(「三島由紀夫への弔辞『週刊現代』昭和四十五年十二月十日号」・『近代作家追悼文集成』第四十二巻所収)。

 ここにひとつのパンフレットがある。昭和四十三年四月に東横劇場で上演された「四月名作特別公演」。
 三島由紀夫「黒蜥蜴」そして石原慎太郎潤色「若きハイデルベルヒ」である。
「人生に再びはない。
青春の哀歓、愛と友情と
祖国への忠誠。
こんにちは青春。そして
さよなら青春。
   _石原慎太郎_

妖気の黒ビロードの上に
純愛のダイヤがきらめく
推理劇。
   _三島由紀夫_」

 二人の名前が連名で並ぶこのページに二人の関係が透かして読み取れるようである。
 しかし皮肉な事に「黒蜥蜴」は近年に至るまで繰り返し再演されているが石原戯曲はほとんど再演されていない。
「狼生きろ豚は死ね」などかつて日生劇場で演じられた諸作品も現在観ることは難しい。しかしこの頃はお互いが共鳴して新しい時代を構築しつつあった。

 三島由紀夫と石原慎太郎という若者に絶大な人気を得ていた二枚看板の演目。
 二人が連名のパンフレットは文学以上の強固な絆で結ばれた関係を象徴しているように思う。

 ここで石原と三島由紀夫を強固に結びつけた作品がある。
「その夜になって、何となく手持無沙汰になった二人は、食事に帰る合い間他の仲間を三人呼んで代らせた。
 礼次たちが帰って来る翌日の昼まで、夜っぴて五人の男たちが倦かずに代わる代わる、延べにして二十回以上も、同じことを女に向って繰り返した。仕舞いには女は呼吸をするただの道具のように横たわっているだけだった。男が、終って仲間と代ろうとする間も、女はびくりともせず同じ格好で倒れていた。誰かがそれを横にしたり起したりさせようとしても、女はゆるんだ何か重い荷物のように仰むけに延びたままだった。
 それでも、時折、女は強く甲高く叫んだり、自分で体を動かそうとしたりして彼らを驚かせた。
「こいつあ馬鹿見てえに好きだぜ」。
 見ていて一人が思わず叫んだ。
 後が気になってか、礼次たちはひる前に帰って来た。
「畜生、五人がかりでやりやがったな」
「見ろよ、死んだ魚みてえな顔をしてやがるぜ」
 次の部屋を覗き込んだ二人を、殆ど裸で転がったまま、女はぼんやりと見つめただけだった。入り込んで見下す礼次へ、女はふと何故か薄く笑いかけた。」(「完全な遊戯」・『石原慎太郎短編全集』所収)

 1970年十一月十八日。作家三島由紀夫は図書新聞の文芸評論家古林尚と人生最後の対談に臨んでいた。
 そこで石原慎太郎に話題が及んだ。
 古林は「石原慎太郎が「完全なる遊戯」を出したとき、三島さんが、これは一種の未来
小説で今は問題にならないかもしれないけれど、十年か二十年先には問題になるだらう、と書いてゐたやうに記憶していますが・・・・・・。」
 と三島に問いかける(この対談は録音されている。古林氏は「完全なる遊戯」を「殺人教室」と間違えている)

 そこでの三島の答えが愛に満ちた、後輩へのエールである。
「あれは今でも新しい小説です。白痴の女をみんなで輪姦する話ですが、今のセックスの状態をあの頃彼は書いてゐますね。ぼくはよく書いてゐると思ひます。ところが文壇はメチャクチャにけなしたんですね。なにもわからなかったんだと思ひますよ。」
 文芸評論家の平野謙は「文芸時評」にて「完全なる遊戯」を当時こうぶった切る。
「私はこういう作品をマス・コミのセンセーショナリズムに毒された感覚の鈍磨以外のなにものでもない、と思う。美的節度などという問題はとうに踏みこえている」
 どこかで聞いた論評だと思っていたら「太陽の季節」に関する佐藤春夫の発言に極めて、極めて酷似している。

 そして平野謙はこう続ける。
「私はこの作者の「処刑の部屋」や「北壁」には感銘したものだが、あの無目的な情熱につかれた一種充実した美しさは、ここでは完全にすりへらされ、センセーショナリズムのワナに落ち込んだ作者の身ぶりだけがのこっているにすぎない」と(「北壁」の帯文を平野謙は書いている)丁寧に過去の作品の対比までも付け加えて攻撃している。

 佐古純一郎は「もういいかげんにしたまえと叫びたいほどである。」(「産経新聞」昭和三十二年九月十四日)と痛烈な論評で攻撃を加える。
 佐古は「文学はこれでいいのか」で当時の文学界に姦通・強姦・近親相姦等が跋扈しているのに触れて、
「私はこういう現実はきわめて終末的な人間の症状だと考える。そして人間のモラルとは、そういうことでぐらぐらするようなふたしかなものではないはずである」と率直な意見を述べており、文学的論争を巻き起こした。

 文藝評論家山本健吉は「「したいことをするのだ」と言う、太陽族的世代はどうか。石原慎太郎の『太陽の季節』では、兄弟で恋人を売買するところがあり『処刑の部屋』では強姦が書かれている。だがこれらは恋愛とは言えないだろう。」(「最近の恋愛小説」、昭和三十ニ年五月二十七日 読売新聞・『山本健吉全集』所収)
 そして「文学とモラルとの関係」では山本は「姦通が、風俗・習慣の上からしか悪とされない今日の日本では、真の姦通小説を成立せしめる条件が、欠けていると言えるのである。そのことを、私は佐古氏の批判の対象となった一文でも、三島由紀夫氏の『美徳のよろめき』を例として、暗示しておいたはずだ」
と書き、三島由紀夫は「美徳のよろめき」で「よろめき」という言葉を流行させた。

 若い男との不倫と性交に悩みながらも体を任せてしまう女性の苦悩を描ききっている。
 石原慎太郎が「美徳のよろめき論」において、率直な意見を書いているのはあまり知られていない事実である。
「この作品は氏の他のどの作品よりも失敗作であると断言出来る。恐らくその失敗は他の作品について多くの評論家が云々し、或いは氏自身が感じたものとは全く異質なものではないだろうか。それは言葉の反乱であり氾濫である」(「美徳のよろめき論」・『孤独なる戴冠』所収)と、正に怖いもの知らずの論調を展開している。

 この時代はペンで論争する土壌がきちんとあった。後に三島由紀夫と論争する橋川文三は『三島由紀夫選集』の文を書き、三島の「文化防衛論」で論争をしていたが、本人達は一切顔をあわせなかった。しかし、それが成立していた。しかし、三島由紀夫と石原慎太郎は顔を合わせ、論じ合い、時には紙面でも殴りあった。

 三島由紀夫、石原慎太郎は文壇の古い概念を突き破り、ショックを、確実に刻み込んだのである。 
 そして新潮日本文学の「石原慎太郎集」において城山三郎は月報に「永遠の青年」と題して文を寄せている。
「戦争文学の話をしていた。日本文学での戦争小説の傑作は何だろうか、という話になった。
「短編では、ぼくの『待伏せ』ですね」
 彼はにっこり笑って言った。
 評論家に袋だたきにされた感じの『完全なる遊戯』についても、彼はいまだに、それが彼の最高傑作の一つであり、何十年か後にまで残る傑作であるという信念をくり返す。
 石原さんは、ナルシストなのであろう。自分の作品まで熱烈に愛するナルシスト。羨ましい作家である」と書いている。

 言わば「自己愛」の作家というところか。 三島由紀夫は筑摩書房にて出版された「新鋭文学叢書」の「石原慎太郎集」のあとがきに掲載した「石原慎太郎氏の諸作品」にて「完全な遊戯」を褒め称えている。
「私は一九五七年秋、送られて来た「新潮」誌上の「完全な遊戯」をニューヨークの旅舎で読んで感動した。しかし間もなく日本へかへつて、この作品に集中した文壇の悪評におどろいた。日本の批評はどうしてかうまで気まぐれなのであるか。

「完全な遊戯」は「太陽の季節」から「処刑の部屋」へと読んできた読者には一つの透明な結晶の成就であつて、それ以外のものではない」と大絶賛である。
 昔、文壇の異端児扱いされた三島由紀夫は未来ある後輩が新しい作風を生み出し、挑戦しようとする姿にエールを送ったのである。
「完全な遊戯」は全体的にプラスティックの如く人工的な世界が跋扈している。
 登場人物には人間味の欠片もなく、最後に多少恋愛じみた場面があるものの、凄惨で、狂気の世界が淡々と描かれており、これまでの文学では特殊な作風であった。

 三島はこう続ける。
「感情の皆無がこの作品の機械のやうな正しい呼吸と韻律を成してゐる」と「太陽の季節」以後、石原の作品は裕次郎の映画主演と車の両輪のように噛み合い、興行的に成功を収めるが文壇という分野ではなく石原慎太郎のタレント性が強調され、作家色が薄れ始めていた。そして評論家の猛攻撃が始まる。
「しかし石原慎太郎をめぐるジャーナリズムの扱いをみていると、それは中村錦之助や美空ひばりのそれと全く同質になってきている。無論、こういう一種の社会現象はジャーナリズムの触手をいざなうにたるものが内包されてはいる。しかし、私はその原因がどこにあれ、こういう現象はやはり正常ではない、と考える。

 中野重治は、石原慎太郎がジャーナリズムになぶり殺しにされてゆくのを見るにしのびない、というような発言をしていたが(新文学日本)、問題は石原個人のことより、それの若い世代全体に与えるあしき影響の方だろう。」「(文芸時評)」と、平野謙は昭和三十一年五月に書いている。
「なぶり殺し」という表現も凄まじいが、美空ひばりと中村錦之介(二人とも故人)の二枚看板と同列に持ってくることが当時の慎太郎人気の壮絶さを物語っている。そこに裕次郎人気が加わるが、この時点で文学者として正当に評価されることが困難になったのは否めない。「太陽の季節」は現代のハードボイルド小説の礎を築き、石原氏は推理小説にも手を染めていく。

 そして太陽族の映画を観るだけで学校を退学になると言う記事が新聞に踊る。文壇という世界から石原は隔絶されていく。
 そこで援軍を出したのは三島由紀夫である。三島由紀夫は「完全な遊戯」の帯に推薦文も寄せてる。
「ニューヨークにゐたとき日本から来た文芸雑誌を読んで、どの小説もピンと来なかったが、石原氏の「完全な遊戯」の神速のスピード感だけはピッタリ来た。会話のイキのよさ、
爽快な無慈悲さ、・・・・・・私は読者が抹香くさい偏見に煩はされずに、この、壮大な滝のやうではないが、シャワーになつて四散した現代的リリシズムを浴びせられるやうにおすすめする。」(「完全な遊戯」帯・新潮社・昭和三十三年3月・『決定版 三島由紀夫全集』三十巻所収)。

 石原自身、この作品について昭和四十年の「石原慎太郎文庫2」(河出書房新社)のあとがきで
「私の良き理解者である三島由紀夫氏の、文学的援護がなければそのまま抹殺されていたかも知れない。」と偽らざる心境を露呈している。
 この作品についての再評価の動きはないが、三島由紀夫と石原慎太郎を結びつける上で欠かせない一作になっている。

 そして石原は昭和三十三年、十月、『小説新潮』に掲載された「遊戯の終点」にて、競輪のノミ行為に絡むストーリーの中で、正常な女性を犯し、自殺するまでの顛末を書いた。言わば「完全なる遊戯」の姉妹版を残しており、このテーマはお気に入りなのかもしれない。しかしこの時期に「鱶女」を書いており、改めて彼の引き出しの多さには驚かされる。
 昭和三十年代前半の石原慎太郎は文壇の風習や、重鎮、評論家と常に対決しなくてはならない状況にいた。
 それは石原が若者の風俗や、社会情勢を先導しているように見られていたことの表れでもある。

 石原は現在でも「完全なる遊戯」を愛してやまない、ご執心な小説のようだ。
 福田和也との対談でその愛を高らかに宣言している。
「石原 「完全なる遊戯」は完全な小説だけれど、あれを書いてから四十年以上の時が流れて、私が想像の世界で描いた事件が現実に頻繁に起こるようになった。」(「月刊 石原慎太郎」平成十四年 マガジン・マガジン)
 四十年以上前の小説をここまで熱っぽく語れるのも凄いが、これらの発言を読んで浮き彫りになるのは三島由紀夫の先見の明である。
 小説としての「完全なる遊戯」はまだしも、三島は「未来小説」と称し、「問題になる」と語る。

 人間が思考を止めて、欲望のみで行動する時代の到来を石原の小説から眺めていたのかもしれない。
 現代の社会情勢。セックスの低年齢化や、性犯罪の多様化、ドメスティック・バイオレンスの横行を三島は予見していた、極論かもしれないが、「完全なる遊戯」の評論は、的を得ているのかもしれない。
 三島由紀夫と石原の自作品に対する思考は極めて対照的である。

 雑誌『国文学』五月臨時増刊の「三島文学の背景」と題する対談(昭和四十五年)で文芸評論家の三好行雄が冒頭に「今日はこの雑誌の特集の一環として、三島さんにいろいろお話して頂こうということなんですが、私のほうが準備不足で、なにをお伺いすればよいんだか(略)むしろ、作品と作者の接点のようなものをと、思うんですが」との問いに対する三島の答えは石原と対極的で

「ああ、そうですか。ぼくは過去の作品のことを話すのがいやで。・・・・・過去の作品なんて、いわば、排泄物といったら読者に失礼だが、トカゲのしっぽみたいなもので、トカゲのしっぽがちぎれて、向こうに並んでいるみたい。肝心のトカゲにはもう、あとのしっぽが生えているんですからね」と、そっけない。

 しかし過去に囚われず(一部焼きまわしと言うか、過去の作品を発展させた作品もあるが)新しい作風の小説や戯曲を生み出した三島と過去の作品を慰撫する石原。
 作品に対するスタンスが二人は根本的に違うことがよくわかる。

 さて「完全なる遊戯」は昭和三十二年十月『新潮』に掲載された。そして四十七年もの月日が流れた。ここで2003年に『日刊現代』のコラム「奇っ怪ニッポン」にて「『テロ容認』石原知事の本当の姿」と題して同じ一橋大学出身の作家で現長野県知事田中康夫が「「完全な遊戯」と題する初期短編集が、何故か今頃になって新潮文庫で再刊されています。紐解くや驚倒、卒倒。だって、知的障害と思(おぼ)しき少女を拉致監禁し、輪姦を始めとする恥辱の限りを尽くした後、海に突き落として殺害する筋立て。

 いやはや、それだけでも驚愕。のみならず、こうした犯罪こそクールな「純粋行為」だ、と彼は高言しているのですから、開いた口が塞がりません」と噛み付いた。
 現在でも「完全なる遊戯」の評価はこんなものであまり変化はない。
 文壇でも再評価の動きはまったくない。三島由紀夫の賛辞が当時、いかに破格だったかが理解できる。 

 石原慎太郎と三島由紀夫の関係は常人では考えられないほどの深淵があるのではないか。
 石原には、四つのカードがある。
 まず文学、政治、裕次郎(芸能関連)そして三島由紀夫である。
 三島由紀夫は文学とイコールなのであるが、石原は三島由紀夫との思い出を語ることを止めることはないだろう。石原にとって文学の世界を超越した師である三島は政治、芸術を超越した存在である。

 石原が三島由紀夫の存在に着目したエピソードがある。映画「純白の夜」(昭和二十六年八月三十一日に松竹で映画化、封切りされる)三島はダンスパーティのシーンに出演しているが野坂昭如は映画を見てもどこにに三島が出ているのかわからなかった。
 そこで野坂との対談で石原はこう言う。
「ハハハ・・・・・・。ぼくもその予告編を見た。予告編のほうが三島さんがはっきりわかって、ああこれが鬼才の顔かと思ったな」(「三島由紀夫へのさようなら」・「石原慎太郎=野坂昭如 『闘論』昭和五十年 文藝春秋社所収)

「私と三島由紀夫氏の出会いは、誰であったか、弟の裕次郎だったろうか、最近世の中に
二十歳前から小説を書いて天才ともいわれている三島由紀夫という作家がいると聞かされ、その名もよく覚えきれずにいたが、ある時、町の映画館でみた本編の前の「純白の夜」という作品の予告編で、その原作者である鬼才三島由紀夫が登場して、なにかのパーティのシーンにまだうら若い作者が映っていた。それはいかにも年齢に似合わぬ才気を感じさせるような、ひ弱そうな白皙の青年だった。
 
 しかしまた、当時一番女盛りだった主演女優の小暮実千代よりもなぜか存在感があった」(『三島由紀夫の日蝕』あとがき(余談だが裕次郎にも三島作品についての記述がある。「仮面の告白」についてで「三島由紀夫の『仮面の告白』のなかにも、バスガールのぴたっとした制服に少年が惹かれるくだりがあるけど、中学生くらいの男の子の心理なんてもんは、そうしたものさ」と言及している。確かに読書家としても有名な裕次郎は三島作品を詳しく読んでいるのではないかと思われる。)

 暗がりの戦後の映画館で少年石原慎太郎は人生を左右する恩人でもあり、ライバル視することになる男の顔を、当時の売れっ子女優、小暮実千代には目もくれず、凝視していた訳である。何処に運命の出会いがあるのかわからない。

 歴史に「もしも」はない。
 しかし、「もしも」、三島の弟が外交官ではなく、石原裕次郎のようなスターであったら歴史の針は大きく変化していたに違いない。
 しかし「もしも」石原の弟が裕次郎でなければ「太陽の季節」もなく現在もないのだが。

 この発言から石原はほとんど三島由紀夫の作品は当時読んでいなかった事が推測できる。その後「禁色」を読み始め、同世代の先輩作家として意識していく。
「僕は「禁色」を最初読んだ時、虚飾の凄さとかがすごくおもしろかった。男色の世界なんて全然興味もなかったけど、こういうものが実際にあるのかと思ったな。第一部は『群像』に掲載されていて、本当に次が楽しみでしたね。日本人の日本語による現代文学が、こんなにおもしろいのかなと思って読んだ覚えがある。あれは一種のショックだった」(「エンタクシー」平成十六年・「絢爛たる虚構の果ての美―三島由紀夫の逆説」

 三島由紀夫はスクリーンで観た、言わば映画スターの如き存在であった。いや、作品を読んだ後はそれ以上かもしれない。そして、誤解を恐れずに書くなら三島由紀夫と石原氏との文学に対するスタンスは完全に食い違う。
 前にも書いたが石原の場合、「小説は好きだったけれど、もの書きになってやろうという気持ちがそれほどあった訳じゃない」
 と述べているのに対し、三島由紀夫は
「小説家として暮らしてゐる今になつてみると、むかし少年時代の私が、何が何でも小説家になりたいと思つてゐたのは、実に奇体な欲望だつたと思ひ当たる。こんな欲望は、決して美しいものでもロマンチックなものでもなく、要するに少年の心がおぼろげに予感し、かつ恐れてゐた、自分自身の存在の社会的不適応によるのであらう」(「私の遍歴時代」)
と本気度の違いがわかる。

 三島の少年時代からの履歴は省くが、私が着目したのは三島と石原の間に流れるジェネレーション・ギャップである。
 三島は大戦中、いつ、赤紙で徴兵されるか、わからぬ世相のなかでかねてから憧れていた室町時代の足利義尚について「最後の」作品として執筆していた。
(「中世」)七丈書院から昭和十九年に出版した「花さかりの森」も祖父、樺太庁長官であった平岡定太郎の人脈をフル活用して紙を入手してどうにか刊行にこぎつけた本であり、ある意味、青年三島由紀夫の遺作であった。

 三島は自身の戦争体験について先にふれた最後の対談で生々しい発言を展開している。
「しかし、ぼくだつて、ぼくなりに戦争を見てゐるんですよ。たとえば勤労動員に行つて、仲間が艦載機の機関銃にやられて、魚の血みたいのがいつぱい吹きだしてゐるのを見たり、まあ多少は知つてるんです。そして「平家物語」ほどではないけれども、人間はすぐに死ぬんだ、死ねばどうなるかといふことを認識したんです」

 石原はどうだろうか。「もはや戦後ではない」というスローガンが町を跋扈し、処女小説も『一橋文芸』の穴埋めであり、浅見淵に褒められて「太陽の季節」を書いたら大当たりしてしまったという何とも棚ぼた的なイメージを持ってしまう。
 無論、彼の処世術が長けていたといえなくもないが、そもそも出発からこの二人は違う。時代からして全く違う。

 無論、石原は戦中に生きていたが当時十二歳の少年に何処まで戦死の概念が存在していただろうか。父の死を経験し、出生する若い兵士を身近に見つめていた石原だが、同級生が戦場に送られた三島と自分より年長者が戦場にいた石原とでは「死」、「戦死」に対する概念が異なるのは否めないだろう。

「日ましに戦況利あらずで空襲も頻繁となり、有望な海軍士官候補を温存するためにか警戒警報がなるとすぐに授業中止となってみんな帰宅を命じられそそくさと家に帰った。勿論私たちとすれば警戒警報は大歓迎だった。
 私は逗子から学校のある藤沢まで通っていたが往復とも大変な混みようで、よく列車の連結器に下駄ばきでぶらさがって通ったものだが、そんなスリルに比べれば東京へ向かうB29をはるか頭上に仰ぎながら帰ることなどさしたる冒険にも思われなかった」(「戦争にいきそこなった子供たち」・『わが人生の時の時』所収)。

 私がここで書きたかったのは明らかに異なる両者の戦争へのスタンスである。
 無論、戦争が身近に存在していたのは紛れもない事実だ。しかし石原は戦争で自分は死なないだろうという前提があった。もし戦争で死ぬとしても第二次大戦が成人になるまで継続していたら、という仮定の話である。
 石原は「私は戦中派と呼ばれる人々の、最近はどうかは知らないが世代論のさかんだっ
た頃の、ものの考え方が嫌いであった。たしかに戦争は人間にとっての大きな、過酷な体験には違いないが、それが十数年のたった今尚、現実に対応するのにどうしても自分の戦争体験を経て来なくては身動きのとれぬ人間が、自己の体験を誇大悲壮に装った女々しい人間に見えてならなかった」(『石原慎太郎文庫』3あとがき 昭和四十年一月)とストレートな考えを述べている。
 石原慎太郎は戦後派。三島由紀夫は明らかに戦中派である。考え方の落差はだんだんと露呈していくことになる。

 三島由紀夫が文章で石原の商業作家としてのデビュー作「太陽の季節」について最初に書いたのは日記体の評論文、「小説家の休暇」で、昭和三十年の七月六日に学生の小説について触れた最後のくだりで「ところで最近私は、「太陽の季節」といふ学生拳闘選手のことを書いた若い人の小説を読んだ。よしあしは別にして、一等私にとつて残念であつたことは、かうした題材が、本質的にまるで反対の文章、学生文学通の文章で、書かれてゐた
ことであつた」と触れていた。ここでは石原慎太郎の名前は登場しない。 

 三島由紀夫が他人に対して「太陽の季節」に着目した発言は昭和三十年十月にドナルド・キーンに「あれ(太陽の季節)には新しいものがある」と真摯な思いを語った発言ではないかと思われる。
 その後も三島は慎太郎への注目を継続していた。三島は当時の若い作家にも言及しているが一個人の作家に対して当時、ここまで多く書いている例はほとんどない。
 この三島の記述に慎太郎は純粋に、そして無邪気なほど喜びをあらわにしている。年齢の近い作家が著作物で「太陽の季節」をまともに評論したのはこの「小説家の休暇」にほかならない。

「石原(略)野坂さんにくらべて、ぼくのほうは三島さんにたいするデリカシーがなかったような気がするんだけれども、ぼくもあの人の保護だけは受けられるような庇護本能みたいなのが、ありましたよ。たとえば、「文學界」に載せたばかりで芥川賞の候補作になった『太陽の季節』について、あの人が『小説家の休暇』というソフィスティケイテッドなエッセイ集を出したときに、中にチラチラッと一、二行出てくるんですよ。それを見てぼくは文學界新人賞をもらったときよりもジーンときた。ついにこの人の目にとまったという感じがあってね」(「三島由紀夫へのさよなら」・「闘論」石原慎太郎=野坂昭如『闘論』昭和五十年文藝春秋社所収)

 そして三島は昭和三十一年、四月十六日の東京新聞で石原を擁護する論説を掲載する。
 題名もずばり「石原慎太郎氏」である。(新聞掲載時の題名は「石原慎太郎―ナマの青春を文壇に提供」)
 最初から三島らしい粋な文体で攻めてくる。
「赤ッ面の敵役があまり石原氏をボロクソに言ふから、江戸っ子の判官びいきで、ついつい氏の肩を持つやうになるのだが、あれほどボロクソに言はれてなかつたら、却つて私が赤ッ面の役に回つてゐたかもしれない。その點私の言ひ草は相対的であり、また、現象論的であることを御承知ねがひたい。従つて、ひいきとしては、氏の一勝負一勝負が一々気になるが、今まででは「処刑の部屋」が一等いい作品で中にはずいぶん香ばしくないものもある」(旧版『三島由紀夫全集』第二十九巻所収)と石原を擁護している。最強の応援団である。石原は時代と添い寝していた。そして石原は三島由紀夫という援軍を得て時代と手をつないだ。

 石原の幸運の始まりは当時の若者の時代感覚と作品が合致したことだ。
 文壇の若き鬼才、三島由紀夫と文学、風俗、政治と幅広く議論できた。そして海外にも足跡を残し、歴史にも記憶された三島由紀夫の「ナマ」を知る人間として語り続ける権利を得たのである。
 三島はこう続ける。
「氏の人柄のタイプは、文壇ではずいぶん珍種だが、避暑地の良家の子弟の間ではごくふつうのタイプである。たとへば「太陽の季節」の背景をなしてゐる葉山あたりでも、石原氏によく似た青年はたくさん見かける。物の言ひつぷりも典型的なそれで、文壇人種のはうが、よつぽど世間からずれてゐるのである。」
 そして三島は極めつけのセリフを言う。
「氏の獨創は、おそらくさういう生の青春を文壇に提供したことであらう。」
 三島は「われわれは文学的に料理された青春しか知らない」と書き、自身と石原の違いを最初から認識していたのかもしれない。

 三島の青春は軍事色一色で恋愛なんぞとんでもない。セックス描写はない。工場で密かに原稿を書くご時世である。
 方や、石原は「豊かさの象徴」としての「太陽の季節」を書き上げる。時代と握手していた石原は三島の目にも鮮烈に映ったに違いない。
 石原のヨット、海、ボクシング、セックス。
若者の欲望が心地よく料理された作品は後に「亀裂」に昇華され、「鏡子の家」での素材となる。

 そして三島はこの文の後半に石原に釘を刺す。最初から所有していた石原の健康な(実際にはかつては病気がちだったが)肉体に裏打ちされた作品への皮肉のようにも聞こえる。
「やつぱり着実に走つて、自分の脚が着実に感ずる疲労だけが、信頼するに足るものだといふことを、スポーツマンの氏はいづれ気づくにちがひない」
  (中編へ続く)

〔秋山大輔氏は三島研究会会員。この文章は氏が準備中の『三島由紀夫・石原慎太郎比較研究』(全380枚のなかの第三章を三回に分けて集中連載するものです)。
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<編集部より> 第九号の山崎行太郎論文は、「平河サロン編「甦れ、美しい日本」第45号より山崎氏の許可を得て転載しました」を「平河総合戦略研究所編「甦れ、美しい日本」第45号http://www.melma.com/backnumber_133212より山崎氏の許可を得て転載しました」と訂正します。
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 国家論 マルクス主義国家論批判
 国体論 大嘗祭を平成維新の転換点に
 改憲論 憲法改正の問題点
 文明論 新文明の興隆へ「新アジア主義」
        
第二部 資料
 重遠社創建宣言 綱領 誓盟など

第三部 エッセイ(「行雲流水」抄)
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(2月末までにお申し込みになりますと本代および郵送料、振込手数料を含めて2420円のところを2000円で)。二部以上の希望者が多いため、印刷部数確定の必要上、予約を承ります。

申し込みは簡単です
 ご住所、お名前、〒番号、電話番号(宅配メール便のため)をお知らせ下さい。
 Sna76980@yahoo.co.jp
 折り返し印刷物をお送りしますので、そのなかにある振込用紙で、一冊につき2000円をお近くの郵便局から。これで手続き完了です!
(お手元に四月下旬までに届きます)。
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  ♪ ♪
(編集部から)小誌は三島由紀夫研究会の会員だけに限定せずに、三島研究の論文、エッセイをつねに募集しております。
作品論、作品感想、読後感、政治論、芸術論。分野を問いません。ご投稿をお待ちします。原則として実名。簡単な肩書きをつけて下さい。ただし三島文学批判も構いませんが誹謗中傷のたぐいの投稿は採用しません。ゲスト寄稿者コーナーも常設しております。
       ◎ ◎ ◎ ◎ ◎
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三島由紀夫研究会
   HP   http://www.nippon-nn.net/mishima/contents/
  メール  yukokuki@hotmail.com
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(C)三島由紀夫研究会 2006 ◎転送自由
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宮崎 正弘

宮崎 正弘

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国際情勢の裏情報を豊富なデータと人脈から解析してゆく。独特な方法と辛辣な批判精神によるニュースの裏側で織りなされている人間模様に興味を持つ。筆者の人生観と執筆を継続する動機の基軸は同じ。ホームページは http://miyazaki.xii.jp/

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