ニュース・トレンド

すべてのクリエイターのために【日刊デジタルクリエイターズ】

デジタルメディアで活躍する現役クリエイターたちのコラムで構成されている本格派。総発行部数約16000! 真のクリエイターを目指している方からデジタルに関わる方まで、すべてに向けて発行中!

全て表示する >

日刊デジクリ[#4361] 想像の限界を突破する論理の力

2017/06/09

 
 
            《以上、証明終わり。》

■ Otaku ワールドへようこそ![257]
 想像の限界を突破する論理の力
 GrowHair


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ Otaku ワールドへようこそ![257]
想像の限界を突破する論理の力

GrowHair
http://bn.dgcr.com/archives/20170609110100.html
───────────────────────────────────

数学で無限を扱おうとする際に、ちょろっ、ちょろっと気配を漂わせる悪魔に
ついて話をしてきました。今回は、シリーズ第6回目になります。

いよいよお待ちかねの、でもないかもしれませんが、カントールの「対角線論
法」の話を今回します。シリーズのひとつの核心です。

有限な存在たるわれわれには想像の域外にある無限の世界ですが、さらにいっ
そう想像の及ばない、無限を超えた無限の世界が存在していることを示すもの
です。

想像の力では霧の向こうであっても、論理の力をもってすれば、その世界の扉
を開けることができてしまったというわけです。想像力よりも論理力のほうが、
見通す射程が長いというのも、ちょっと意外な感じがしますけども。

証明の筋道に論理の穴が空いていないことを確認できた後においても、われわ
れは自転車の乗り方を体得したときのような「自分のものになった」という感
覚をもって、血肉化することは、けっしてできません。

「納得いかないけど、証明されちゃったもんはしょうがない」と屈する気持ち
で受け容れる以外にないのです。

数学って往々にして、そんなもんです。

●これまでのおさらい

集合の「濃度」という概念を覚えてますか? 集合Aと集合Bとの濃度が等しい
とは、集合Aの各要素と集合Bの各要素との間に、過不足なく、一対一の対応づ
けができることを言うのでした。

扱う集合が有限集合の場合、「濃度」は「要素の個数」と呼び替えても問題あ
りません。呼び替えていいなら呼び替えたほうが簡単なわけで、「濃度」とい
う概念が本領を発揮するのは無限集合に対してです。

たとえば、集合Aを自然数の集合Nそのものとしましょう。要素を書き並べる形
で表記すると、

  A = {1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, ...}

です。次に、Bを0以上の整数からなる集合としましょう。集合Nに、0という要
素を追加した集合です。つまり、

  B = {0, 1, 2, 3, 4, 5, 6, ...}

です。

さて、集合Aの各要素と、集合Bの各要素との間に、次のような対応づけを考え
てみましょう。

  1 ∈ A と 0 ∈ B とを対応させ、
  2 ∈ A と 1 ∈ B とを対応させ、
  3 ∈ A と 2 ∈ B とを対応させ、
  4 ∈ A と 3 ∈ B とを対応させ、
  5 ∈ A と 4 ∈ B とを対応させ、
  ...

そうすると、上記点々々の部分はどこまでも続けることができ、双方の集合の
要素間を過不足なく対応づけることができています。なので、集合Aと集合Bと
は濃度が等しいことが確認できたということになります。

自然数の集合Nと濃度が等しい集合を「可算無限集合」と呼びます。いま、集
合Bが可算無限集合であることが証明された、というわけです。

ところで、集合Bは、集合Aに要素を一個追加してできた集合でした。というこ
とは、「要素の個数」という考え方をすれば、一個分だけ増えている勘定にな
るはずです。

この一個の違いは、上記対応づけにおいて、点々々の中に消えてしまいました。

可算無限に1を足したぐらいでは焼け石に水で、ちっとも増えていかないとい
うことです。

で、ヒルベルトの「可算無限ホテル」のようなたとえ話が出てくるわけです。
可算無限個の客室を備えたホテルが満室状態だったところへ、新たに旅人が一
人やってきて「泊めてくれ」と言うので、部屋を一個ずつずれてもらい、空室
を作り出すことができ、無事泊まることができた、という話です。

可算無限個の客室を備えたホテルとか、可算無限人の宿泊客とか、現実に引き
寄せて想像しようとすると頭が痛くなってきますけど。無限に広い土地をどこ
に確保するか、とか、無限の食糧をどこからどうやって調達するか、とか、考
えないほうがいいです。

さて、可算無限は1を足したくらいじゃ、ちっとも増えていきませんでしたが、
2倍したらどうでしょう。これでも増えていかないことをみてきました。2倍し
て増えなければ、3倍しても4倍しても増えません。

では、2乗したらどうでしょう。これまた増えませんでした。ということは、3
乗しても4乗しても増えません。

では、2の肩に載せて、2の可算無限乗だったらどうだろうか、というのが前回
までの話です。

この場合も、やっぱり増えていかないということを示すことができたようにみ
えたのですが、それはニセの証明であって、論理の欠陥があることが明らかに
なりました。

ここまでが前回までの話で、じゃあ、本当のところはどうなんだ、って話を今
回します。本題に入る前に、いろいろと準備をしておきます。

●対応づけいかんでどっちが多いようにも見せかけられる

上記の集合Aと集合Bに話を戻しましょう。どちらからも余りの要素が生じない
ように、要素間の対応づけができることを示しました。

ここで、別の対応づけを考えてみましょう。

  0 ∈ B には A の中に対応する相手がなく、
  1 ∈ A と 1 ∈ B とを対応させ、
  2 ∈ A と 2 ∈ B とを対応させ、
  3 ∈ A と 3 ∈ B とを対応させ、
  4 ∈ A と 4 ∈ B とを対応させ、
  5 ∈ A と 5 ∈ B とを対応させ、
  6 ∈ A と 6 ∈ B とを対応させ、
  ...

こうすると、集合Bの中に、余る要素が出て来るように見せかけることができ
ています。

では、さらに別の対応づけを考えてみましょう。

  1 ∈ A には B の中に対応する相手がなく、
  2 ∈ A と 0 ∈ B とを対応させ、
  3 ∈ A と 1 ∈ B とを対応させ、
  4 ∈ A と 2 ∈ B とを対応させ、
  5 ∈ A と 3 ∈ B とを対応させ、
  6 ∈ A と 4 ∈ B とを対応させ、
  7 ∈ A と 5 ∈ B とを対応させ、
  ...

こうすると、今度は集合Aの中に、余る要素が出て来るように見せかけること
ができています。

有限集合だったら、どんな対応づけを考えようとも、要素の個数の多いほうが、
その差分だけ必ず余ります。無限集合の場合、そうはなりません。

逆の見方をすると、対応づけいかんによって余ったり余らなかったりするのが、
無限集合の特徴である、というふうにみることもできます。

対応づけいかんによって、一方の集合の要素が余るようにみえたとしても、ど
ちらからも余りが出ないような対応づけのしかたが一通りでもあれば、濃度が
等しいと言えます。

ここは大事なところです。

●濃度が等しくないことを証明するためには?

2つの集合の濃度が等しいことを言うためには、どちらからも余りが出ないよ
うな、要素間の一対一の対応づけをひとつ示せばよいのでした。

では逆に、2つの集合の濃度が等しくないことを言うためには、どんなことを
示さなくてはならないのでしょうか。

2つの要素間の対応づけのしかたにはいろいろあるけど、どんな対応づけを持
ってきても、必ず一方の側に余りが出ることを示さなくてはなりません。

これは大変です。無限集合が2つ与えられたとき、要素間の対応づけのしかた
なんて、それこそ嫌になるくらいたくさんあって、ひとつひとつ、しらみつぶ
しに確認していく作業は不可能です。シラミが無限に涌いてくる状況というの
は、あまり想像したくありませんが。

では、どうしたらいいのでしょう。こういうときのための強力な武器がありま
す。その名を背理法といいます。

いまの状況は、こうです。2つの集合の濃度が等しいことを示すためには対応
づけをひとつだけ示せばよかったのに対し、等しくないことを示すためには無
限にある対応づけを全部調べ尽くさなくてはならないのでした。

こういうときは、話をひっくり返しちゃうと、一気にラクになります。

●背理法は無限を避けるための強力な武器

背後にオソロシイ無限が控えていたとしても、それをきれいに隠蔽してしまい、
背後の無限の存在をまったく感じさせなくする魔法の手法があります。それが
背理法です。

いま、命題Pを証明したいとします。でも、正攻法でいくと、無限の大海で溺
れてしまうのが目にみえています。

背理法は、問題を背後から攻めます。命題Pの否定命題「Pではない」が正しい
と暫定的に仮定するのです。

そこを出発点として、正しい論理にしたがって、論を進めていきます。それで、
矛盾にぶち当たれば、一丁上がりです。

途中の論理の進め方が間違っていなければ、この矛盾が生じた原因は、最初の
仮定が間違っていたからにほかなりません。

つまり、最初の仮定「Pではない」が間違っていたということで、よって、命
題Pが証明された、というわけです。

●対角線論法の対角線とは?

「対角線」というと、ふつうは図形の話です。例えば、長方形があるとして、
左上の頂点から右下の頂点へ、長方形の内部を通るように引かれた線分が対角
線です。右上の頂点から左下の頂点へ引かれた線分も対角線です。

しかし、これから述べる「対角線論法」の対角線とは、それではなく、縦横に
整列する数の並びについての話です。

例えば、9以下の自然数が下記のように配置されているとしましょう。
配置される数の選択はまったく適当ですが。

  4 8 2 9 5 8 1 6 3 3 ...
  9 2 1 8 4 2 6 3 1 2 ...
  4 9 1 7 6 3 2 8 1 4 ...
  3 5 9 6 2 8 1 4 2 9 ...
  8 1 2 4 7 5 2 9 7 3 ...
  2 2 9 1 5 8 6 3 4 5 ...
  4 7 3 5 9 6 2 8 1 9 ...
  5 1 9 3 8 5 7 2 2 5 ...
  6 4 3 8 1 2 5 3 5 1 ...
  1 9 1 7 4 8 6 3 2 5 ,,,
  ...

ここで、対角線上にある数字というのは、1行(ライン)目の1列(カラム)目、
2行目の2列目、3行目の3列目、... というふうに、行番号と列番号とが一致す
るところに配置された数字のことを言います。

では、上の配置で、対角線上の数字だけを残して、それ以外を記号 _ で置き
換えてみましょう。

  4 _ _ _ _ _ _ _ _ _ ...
  _ 2 _ _ _ _ _ _ _ _ ...
  _ _ 1 _ _ _ _ _ _ _ ...
  _ _ _ 6 _ _ _ _ _ _ ...
  _ _ _ _ 7 _ _ _ _ _ ...
  _ _ _ _ _ 8 _ _ _ _ ...
  _ _ _ _ _ _ 2 _ _ _ ...
  _ _ _ _ _ _ _ 2 _ _ ...
  _ _ _ _ _ _ _ _ 5 _ ...
  _ _ _ _ _ _ _ _ _ 5 ...
  ...

数字が生き残っている場所、これが対角線です。

●これから証明したいこと

では、だんだんと本題に入っていきます。

すべての自然数からなる集合を集合Nとします。集合Nの部分集合の集合を考え
ます。これを集合2^Nと表記します。集合2^Nの要素には例えば次のようなもの
があります。

  {1, 3, 4} ∈ 2^N

  {2, 4, 6, 8, 10, 12, 14, ...} ∈ 2^N

  N ∈ 2^N

  φ ∈ 2^N

    ただし、φ は空集合を表す。

集合2^Nは、集合Nと濃度が等しいということを“証明”したのが前々回です。
でも、その証明は正しくないことを示したのが前回です。

しかし、これをもって、集合2^Nと集合Nとは濃度が等しくないと言えたという
ことにはなりません。等しいという命題が正しいことを言おうとした、ある
“証明”が間違っていることが指摘されただけであって、元の命題自体が正し
いか正しくないかは、今の時点では不明です。

結論を先に言っちゃうと、この命題は正しくありません。つまり、集合2^Nの
濃度は、集合Nの濃度よりも大きいのです。

これが、今から証明したい命題です。
「集合2^Nと集合Nとは、濃度が等しくない」。

●表記を置き換える

自然数の集合Nの部分集合の集合2^Nのひとつひとつの要素を表記する際、上記
の例のように、それの要素を書き並べる形式があります。これを最後まで押し
通しても、やってやれないことはない気がしますけど、視覚的にごちゃごちゃ
します。

そこをスッキリさせるため、「0と1の並び」による表記に置き換えます。この
表記の置き換えには、前回のニセの証明で用いた手が拝借できます。ただし、
ちょっとした点で違いがあります。

前回は、ある自然数n以下のすべての自然数からなる集合Nnを考え、後からnを
無限大へと持っていったのでした。で、そこがまずかったわけです。

今回は、最初っから、nを無限大にしておきます。つまり、集合Nから出発する
のです。

集合2^Nの要素の例として、上記の

  {1, 3, 4} ∈ 2^N

を再び引き合いに出します。これは、「1があり、2がなく、3があり、4があり、
5がなく、6がなく、7がなく、...」と言い換えることができます。

そこから、「1が」、「2が」、...の主語を省き、「あり」を1で置き換え、
「なし」を0で置き換えると、次のような表記になります。

  1 0 1 1 0 0 0 ...

この表記置き換えの過程は、逆向きにたどることもできます。つまり、

  1 0 1 1 0 0 0 ...

という表記を見たとき、元の

  {1, 3, 4}

という表記に戻すことができます。

末尾に点々々がついているところが前回と違うところです。0と1の列が有限で
終わっていないのです。

試しに集合2^Nの要素のいろいろな例に対して、表記を置き換えてみましょう。

  A0 = φ
  A1 = {1}
  A2 = {2}
  A3 = {1, 2}
  A4 = {3}
  A5 = {1, 3}
  A6 = {2, 3}
  A7 = {1, 2, 3}
  A8 = {4}
  E = {2, 4, 6, 8, 10, 12, 14, ...}

これらの例について、表記を置き換えると、

  A0: 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ...
  A1: 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ...
  A2: 0 1 0 0 0 0 0 0 0 ...
  A3: 1 1 0 0 0 0 0 0 0 ...
  A4: 0 0 1 0 0 0 0 0 0 ...
  A5: 1 0 1 0 0 0 0 0 0 ...
  A6: 0 1 1 0 0 0 0 0 0 ...
  A7: 1 1 1 0 0 0 0 0 0 ...
  A8: 0 0 0 1 0 0 0 0 0 ...
  E:  0 1 0 1 0 1 0 1 0 ...

となります。

集合2^Nのどんな要素が来ても、この形式に置き換えることが可能です。

つまり、集合2^Nの任意の要素は、「0と1からなる可算無限長の列」という形
式に置き換え可能ということになります。縮めて「0/1可算無限列」とでも呼
んでおきましょうか。

集合2^Nは、集合Nの部分集合すべてからなる集合なので、その要素を0/1可算
無限列の表現に置き換えた場合、0と1の並びについて、すべての場合を尽くし
ていなくてはなりません。

●対角線論法を味見してみる

例のニセの証明について、どこに誤りがあるのか指摘せよ、という問題を前々
回の最後に出題しています。

この問題自体は、いちおう自力で思いついたものです。もちろん、先に思いつ
いてたって人は、きっと何十年も前からいるでしょうけど。

カントールの対角線論法は前から知っていたので、あのニセ証明を容認しちゃ
うと決定的に矛盾が起きてしまうので、けっして容認してはいけないのは分か
っていました。

きっとどっかに間違いがあるはずだ、と。しかし、その間違いを発見するまで
にずいぶんと時間がかかりました。七転八倒の苦悶の日々でした。

さて、同じ問題を、関根正幸氏にも聞いてみました。関根氏は、3月29日(火)
から隔週くらいの頻度でデジクリに寄稿してくれており、高円寺の「岡画郎」
(誤字ではない)のことなど、すでに5回書いています。

関根氏に聞いた時点で、私は正解を知っていました。自力で答えに至るのはあ
んなにたいへんだったけど、関根氏はどうだろう、と実力を試す魂胆でした。
こういうのはものすごく失礼な態度で、中国には「鼎(かなえ)の軽重を問う」
という故事があります。

関根氏は、3月にJR高円寺駅の北口から徒歩3分ほどのところにある「バー鳥渡
(チョット)」で写真の個展を開催していました。3月3日(金)の夜、私が行
ったとき、在廊(在バー?)していたので、聞いてみたってわけです。

即答でした。「対角線論法を適用してみれば、一発で分かるんじゃない?」。
はい、仰せのとおりでございます。

私はいちおう早稲田大学の数学科で修士課程まで修了しているけれど、関根氏
は東京大学理科一類からの数学専攻で、博士号を取得しています。格が違う、
とはこのことです。

関根氏ご指摘の方法を、これからやってみましょう。

ニセ証明の論法では、0/1可算無限列を一行にひとつづつ書き出していき、す
べての場合を書き尽せば、1行目に自然数1を割り当て、2行目に自然数2を割り
当て、...と順番に番号を割り振っていくことができるので、自然数の集合Nと
の間に一対一の対応づけができる、としていました。

その書き出し順を下記のように設定していました。すなわち、0/1可算無限列
に対し、桁順をひっくり返し、それを自然数の二進表記とみなして、小さい順
に並べていくというものでした。

実際に書き出すとどうなるか、それが上記の集合A0から集合A8までです。この
調子でずっと続くわけですが。

では、これに対角線論法を適用してみる、とはどういうことでしょうか。

この論法の適用により、この並べ方では、すべての場合を尽くしていないでは
ないか、というのが、はっきりと浮かび上がります。「ほら、ここに、数え忘
れがあるではないか」と、具体的にその例をひとつあぶり出すことができるの
です。

その手続きとは、下記のようなものです。

先ほどの集合A0から集合A8に対応する0/1可算無限列を、まず再掲しておきま
す。これは、A9, A10, ... と限りなく続きます。

  A0: 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ...
  A1: 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ...
  A2: 0 1 0 0 0 0 0 0 0 ...
  A3: 1 1 0 0 0 0 0 0 0 ...
  A4: 0 0 1 0 0 0 0 0 0 ...
  A5: 1 0 1 0 0 0 0 0 0 ...
  A6: 0 1 1 0 0 0 0 0 0 ...
  A7: 1 1 1 0 0 0 0 0 0 ...
  A8: 0 0 0 1 0 0 0 0 0 ...
  ...

これの対角成分だけを残して、それ以外を記号 _ で置き換えます。

  A0: 0 _ _ _ _ _ _ _ _ ...
  A1: _ 0 _ _ _ _ _ _ _ ...
  A2: _ _ 0 _ _ _ _ _ _ ...
  A3: _ _ _ 0 _ _ _ _ _ ...
  A4: _ _ _ _ 0 _ _ _ _ ...
  A5: _ _ _ _ _ 0 _ _ _ ...
  A6: _ _ _ _ _ _ 0 _ _ ...
  A7: _ _ _ _ _ _ _ 0 _ ...
  A8: _ _ _ _ _ _ _ _ 0 ...
  ...

生き残ったやつをつなげて、ひとつの0/1可算無限列を生成することができま
す。これをBとしておきましょう。

  B: 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ...

次に、これに対して0と1の反転をかけます。つまり、1が出てきたら0に置き換
え、0が出てきたら1に置き換えます。こうしてできたやつをCとしましょう。

  C: 1 1 1 1 1 1 1 1 1 ...

さて、得られた0/1可算無限列CをA0, A1, A2, ... それぞれと突き合わせてみ
ましょう。

CはA0とは異なります。なぜなら1文字目が異なるから。
CはA1とは異なります。なぜなら2文字目が異なるから。
CはA2とは異なります。なぜなら3文字目が異なるから。
...

こうして、Cは、どれとも合致しないことが確認できます。

そーら、数え忘れですよー! 実際、Cを自然数の二進表記とみなすと、その自
然数とは、プラス無限大になっちゃいます。つまり、対応する自然数がないっ
てことです。

このCの表記を元に戻すと、

  C = {1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, ...}

となります。つまりは、自然数の集合Nそのものです。

まとめると、上記のような書き並べ方をしたのでは、集合N自身が、間違いな
く集合2^Nの要素であるにも関わらず、どこまで行っても決してリストに現れ
ない、ってことになります。

だから、この書き並べ方では自然数との間に一対一の対応関係がとれておらず、
集合2^Nの側には、集合Nに対して余る要素が生じている、というわけです。

いま見てきた手続きが、カントールの「対角線論法」の骨子です。

対角成分を拾い集めてBを作り、0と1とを反転してCを作ると、これはリストの
どこにも現れていない新たな0/1可算無限列となるので、これを数え忘れてた
でしょ、と指摘できるわけです。

ただし、今みてきたのは、関根氏の案にしたがって、例のニセ証明に対角線論
法を当てはめることによって、数え忘れをあぶり出すことができたということ
だけです。

証明の全体像については、まだ何も言ってなく、それをこれから述べます。

●カントールによる証明

準備は整ったので、いよいよ核心に入ります。ここまでしっかり準備しておく
と、案外、さらっと通り抜けられちゃいそうです。

証明したいことは、前述したとおりです。集合2^Nと集合Nとは、濃度が等しく
ない、と。

これを背理法で証明します。証明したいことの反対を暫定的に仮定します。
つまり、集合2^Nと集合Nとは、濃度が等しい、と。

濃度が等しいということは、すなわち、集合2^Nの各要素と集合Nの各要素との
間に一対一の対応づけができるということです。

そのような対応づけができているとき、自然数1に対応する集合2^Nの要素を
1行目に書き出し、自然数2に対応する集合2^Nの要素を2行目に書き出し、...
と続けることによって、集合2^Nのすべての要素を、可算無限の行に書き出す
ことができている、ということになります。

ここのところにしおりを挟んでおきます。☆みたいな。

さて、1行目にどのような要素が置かれているのか、具体的には分かりません。
2行目も3行目も、それ以降も、同様です。しかし、濃度が等しいと仮定してい
る以上、集合2^Nのなんらかの要素が、各行に配置することができているはず
だ、というわけです。

集合2^Nの各要素は、0/1可算無限列による表記に置き換えることが可能である
ことは、さきほど見たとおりです。なので、各行に配置されている集合2^Nの
要素を、0/1可算無限列表記に置き換えます。

これに、さきほどの手続きを適用します。つまり、対角成分を拾い集めて、ひ
とつの0/1可算無限列Bを作ります。それに対して、0/1反転を施して、0/1可算
無限列Cを作ります。

すると、いま作った0/1可算無限列Cは、先ほどと同じ論理で、1行目とは1文字
目が異なり、2行目とは2文字目が異なり、...という具合で、どの行とも異な
ることが分かります。

つまり、0/1可算無限列Cは、どの行にも表れてこない、ということになります。

さて、ここで、先ほどしおりを挟んでおいた☆の直前をもう一度見てみましょ
う。集合2^Nのすべての要素が書き出されていると言っています。

ところが、いま、0/1可算無限列Cは集合2^Nの要素でありながら、リストのど
こにも表れていないと言っています。これは矛盾ですね。

よって背理法により、証明したい命題、すなわち、濃度が等しくない、が言え
ました。

以上、証明終わり。

●結局、何が言えたのか?

対角線論法による証明で言えたことは、集合2^Nと集合Nの要素間に一対一の対
応づけをしようとどんなにがんばっても、集合2^Nの側に必ず余りが出てきち
ゃう、ということです。

言い換えると、集合2^Nの濃度は集合Nの濃度よりも大きい、ということです。

つまり、可算無限よりも大きい無限がある、ってことです。さしあたって、
非可算無限と呼んでおきましょう。

ならば、それよりもさらに大きい無限っていうのは、あるのでしょうか。
実はあります。いま得られた非可算無限を 2 の肩に載せてやると、これまた
大きくなります。それをまた、...と繰り返すことができ、いくらでも大きい
やつが出てきます。

いやはや、もう、なんか...、絶句しちゃいますね。

どうです? 想像の力の及ばない領域であっても、論理の力をもってすれば、
突破できちゃうことがある、って感じ、お分かりいただけたでしょうか。

突破できたからといって、得られた成果を、感覚的にも把握して、自分のもの
へと還元したい、と望んでも、まあ、無理なんですけどね。

カントール、すげぇ! 大天才っ! これが発見されたのが 1891年と言われて
おり、19世紀もそろそろ終わりに差しかかるころです。

われわれが、微分やら積分やらを、わずかに分かるとか、分かったつもり、と
か言って苦闘していても、それってだいたいニュートン(1642-1727)とかラ
イプニッツ(1646-1716)とかの功績であって、17世紀ごろの話です。

それなりに難解ではありますけど、数学の古典といいますか、古きよき時代の
素朴な香りがします。

それに引き換え、20世紀に入るあたりから、数学もなんか、ちょっと、病んで
きちゃったかなぁ、という感じがします。

現代アートがあんなことになっちゃってることと、なんか関係あったりするん
でしょうかね。


【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。
http://www.growhair-jk.com/

ここに書くネタもいろいろあったのですが、本文を書きすぎました。先送り。
このところ、硬ーい数学ネタが続いたので、次回あたりは小ネタを拾い集めて、
軽〜い感覚でいきましょうかね。

5月27日(土)、28日(日)の週末、大阪に行ってきました。レポートは後回
しにして、写真だけ。
https://goo.gl/photos/B3ViPzjZmYx4sCv87


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
編集後記(06/09)

●全編140分をワンカットで撮影したクライム・サスペンス、というフレコミ
の「ヴィクトリア」を見た(2015/ドイツ)。ドイツで映画賞をたくさん獲得
したという。舞台劇のようなワンシチュエーションの映画ならありそうだが、
アクションでやるとは大変だろう。とはいえ、映画の出来とは別の話である。

スペインからやってきて3か月のヴィクトリアが、地元の不良たちについてい
ったら、とんでもない事件に巻き込まれちゃった、という140分間の出来事を
カメラがリアルタイムで追いかけている、一種のPOVスタイルの映画だ。スト
ーリーよりも、140分ワンカットというふれこみを気にしつつ見ていた。

よくある設定、ではない。若い女の子が真夜中に一人でクラブで踊りまくって、
明け方の路上で若者四人の酔っ払いグループに声をかけられ、楽しく一緒に遊
んでいたのだが、これから決行する裏社会から命じられた一仕事のドライバー
役が酔いつぶれてしまったと、仲間のスキンヘッドが激怒してわめき出した。

その仕事をやらないと裏社会に消されてしまうとか。ヴィクトリアが代役を依
頼されて引き受ける。四人が恐ろしいギャング団に命じられたのは、朝一番の
銀行強盗だ。拳銃と興奮剤のコカインを渡される。失敗したら死ぬしかない。
ヴィクトリアの運転で銀行に到着、三人の男は目だし帽に拳銃で突入する。

銀行強盗大成功。逃走しようとしたら車が始動しない。動転するヴィクトリア。
見ているわたしも焦る焦る。ようやく走り出してホッ。四人はクラブで祝杯を
あげるが、騒ぎすぎて店から追い出される。車に戻ると、パトカーがいた。パ
ニくった四人が逃げ出したのはまずかった、たちまち男たちは撃たれて倒れる。

ヴィクトリアと重傷の男一人は、なんとかその場から逃走。といった話で(こ
のあとに重要な場面があるのだが)、まあ140分間のこのあたりでようやくこ
こまで来たかと感慨深い(ってほどでもないが)。面白くなるのは銀行強盗以
降で、それまでいらいらして過ごした長い長い退屈な時間はなんだったんだ。

いま見ているのはワンカット撮影の映画である、なんてことは途中で気にしな
くなるのは当然である。結果としての140分間、それほど矛盾なくうまく繋が
っているが、映画の鑑賞とはそんなところを見るのではなく、ストリーがいか
に面白いか、共感できるかにある。結局、この映画はたいして面白くない。

若い女の子に降りかかる悪夢のような一夜、ではない。異国の深夜早朝に、見
ず知らずの男たちにホイホイついていくとどうなるか、バカな女のサンプルと
いっていい。不条理にまきこまれた女の子、でもない。ストーリーはたいした
ことないが、撮影は大変だ、役者も大変だ、準備も大変だ、進行も大変だ、と
いう見えない部分を評価してもいいが、映画としてはイマイチである。(柴田)

「ヴィクトリア」 ヴィワトリアと読んでしまうアホなパッケージである
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B01IM7XFZY/dgcrcom-22/


●ダイエット続き。「Sleep Cycle alarm clock」。iPhone標準の「ヘルスケ
ア」とも連携していて、このアプリを使うと「就寝」と「睡眠」とが別に記録
される。アプリを起動してからアラームを止めるまでの時間が就寝、実際にア
プリが寝たと見なした時間が睡眠。

夜中に目が覚めてしまったり、なかなか寝付けないといった時でも実際に寝た
時間がわかる。

Apple Watchだと「AutoSleep」というアプリが良さそう。常に心拍数が記録さ
れているし、寝返りまでわかる。いびきの記録はないから「Sleep Cycle〜」
はやめられそうにないけど。続く。(hammer.mule)

Sleep Cycle alarm clock
https://itunes.apple.com/jp/app/id320606217?mt=8

Apple Watchを身に着けて寝るだけ! 自動で睡眠データをトラッキング
http://ascii.jp/elem/000/001/474/1474290/

ヘルスケア
https://www.apple.com/jp/ios/health/

「ヘルスケア」アプリの基本的な使い方
http://iphone-mania.jp/manual/standardappli-156789/

FitPort フィットネスダッシュボード for ヘルスケア
https://itunes.apple.com/jp/app/id914413310?mt=8

ヘルスケアのデータをわかりやすく表示してくれる。ヘルスケアだと記録への
アクセスまでに数タップ必要なので、欲しくなってきた

Noom AIとコーチが健康管理、食事記録、歩数計連携
https://itunes.apple.com/jp/app/id634598719?mt=8
本気でダイエットするなら良さそうだ

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2000-08-22  
最終発行日:  
発行周期:日刊  
Score!: 99 点   

コメント一覧コメントを書く

この記事にコメントを書く

上の画像で表示されている文字を半角英数で入力してください。

※コメントの内容はこのページに公開されます。発行者さんだけが閲覧できるものではありません。 コメントの投稿時は投稿者規約への同意が必要です。

  • コメントはありません。