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日刊デジクリ[#4292] 数学の悪魔は無限の彼方から病根を抱えてやってくる

2017/02/24

 
       《BGMは天馬ルミ子「教えてください、神様」》

■ Otaku ワールドへようこそ![251]
 数学の悪魔は無限の彼方から病根を抱えてやってくる
 GrowHair

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■ Otaku ワールドへようこそ![251]
数学の悪魔は無限の彼方から病根を抱えてやってくる

GrowHair
http://bn.dgcr.com/archives/20170224140100.html
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「数学だと、いつでも答えはひとつなんでしょ」とか、よく言われる。種々あ
る学問のうちでも数学というのは、一般的なイメージからすると、なんでもか
んでも白黒はっきり決着をつけられて、一点のしみやよごれもないもんだ、と
思われているようだ。そのイメージ、だいたい合っているとは言える。

ガウスは、「数学は科学の女王であり、数論は数学の女王である」と言ってま
すね。

けれど、数学の世界全般を見渡してみるとき、いたるところ清廉潔白な妖精ば
かりが住んでおり、妖怪変化とか魑魅魍魎とか、なんだか薄気味悪い病的な怪
物が、どこにも跳梁跋扈していないと保証できるだろうか。

ところで、星新一の短編小説『鏡』に、悪魔を捕まえる方法が書いてある。13
日の金曜日の深夜11:55pmに合わせ鏡をつくる。鏡の中には、同じ像が奥へ奥
へと無限に反復して映っている。

奥のほうから悪魔が現れ、1秒ごとに、境界をひとつ飛び越えてこっちへ近づ
いてくる。0:00amちょうどにこっちの世界へ出てきた瞬間、反対側の鏡の中へ
入ってしまう前に、素早く聖書で挟みつけて、とっ捕まえるのである。

数学の悪魔も似たようなもんで、やっぱり無限の彼方からやってくる。

●数学の舞台はイデア界

数学と物理学は、一見、似ている。図形や数式がわんさか出て来るあたりとか。
わずかに分かる微分やら、分かったつもりの積分やら。偏微分方程式が偏頭痛
を引き起こすあたり、頭の中で発火して焦げる部位も似ていると思われる。

けど、物語の舞台となる世界や、目指すゴールや、採択する方法論においては、
けっこう異なる。まずはそのへんから言っておきましょうかね。

物理学の舞台は、われわれが住んでるこの世界、すなわち、現実世界である。
これがないと始まらない。まあ、物理学に限らず、たいていのことは現実世界
なしには始まらないけど。

天体の運行を眺めたり、遠い宇宙から飛んでくる電磁波やら粒子やらをキャッ
チしたりする観察や、傾いた塔から鉄球を落下させたり、分子と分子とを高速
で衝突させて破壊してみたりする実験により、この世でいったい何が起きてい
るのかという現象についての情報を獲得する。

目指すゴールは、この世で起きているありとあらゆる現象に対して、それらの
底流をなす根本原理を発見することである。観察された現象の中に、法則と齟
齬をきたすようなものがひとつでもあってはいけない。

事例の集まりから、通底する法則を抽出することを「帰納する」という。つま
り、物理学でとりうる方法論は、帰納法である。

これには限界がある気がする。帰納法により得られた法則は、人類発生以前の
遠い過去や、誰も見てない死角で今現在起きている現象や、これから起きる未
来の現象に対しても、適用してだいじょうぶなのだろうか。

野球ボールを両側面からつかみ、その手を放せば、落下する。十回やっても百
回やっても落下する。いつやっても落下する。どこでやっても落下する。誰が
やっても落下する。しかし、一億回やったら、そのうち一回ぐらいは違うこと
が起きたりしないものだろうか。

起きたりしないのは確かなような気はするけれど、誰かが保証してくれている
わけでもない。一億回は、ちと多すぎて、実行して確認してみるのは現実的で
はない。

「同一の条件下においては同一の現象が再現する」。こういうのは、もはや宗
教的信仰の領域と言わざるを得ないのではないかと。

素粒子レベルのミクロの世界を観察すると、上記の現象再現性はすでに崩れて
きているらしい。なので、もうちょっと緩い信仰に改宗しなくてはならないか
もしれない。

いずれにせよ、あらゆる時刻において、あらゆる場所で起きている現象をひと
つの例外もなく説明しきる法則は、きっと存在し、不合理なことは、きっと起
きないであろう、という信仰が底流にないと物理学は成り立たない。

「神様は、ある時点で急に物理法則を変更したりしない」。あるいは、「物理
法則を適用しなくていい特区みたいな領域をこっそり設けたりしていない」。
みたいな感じか。

物理学のことを考えているわれわれ主体との関係性について、疑い始めると、
またややこしいことになる。観察や実験によって、現象を把握したと言っても、
目の前で起きた現象や計測器が出力した数値を見て、脳内で再構築したイメー
ジにすぎない。

目に飛び込んだ光線が視神経を刺激し、光電変換により電気信号に変換され、
それらを統合して、自分の周辺の三次元世界のイメージを脳内で再構築してい
る。そのこと自体、ひとつの現象にすぎない。

われわれが「こうある」と思っている周辺世界は、現実にその通りにあるとい
う保証がどこにあるのか? 根底から錯覚したりしてはいないか?

そこを疑い始めると、「現象学」のような唯心論のほうに行っちゃうので、物
理学ではなくなってしまうのだけれど。

基礎の基礎のまた基礎のところを疑って問い詰めていくと、結局、信仰みたい
な領域に行きついて、よく分からなくなっちゃう物理学。この世って、詰まる
ところ、なんなのか。実在するのか、幻にすぎないのか。

一方、数学はどうだろう。

物理屋さんが、方程式を立てるとこまで仕事したら、そいつを数学屋さんに丸
投げして、解いてもらう。数学屋さんは、物理屋さんの下請け業者。いやいや、
そういう側面もあるにはあるけど、それが本来の形ではない。

数学には数学の対象世界ってもんがあり、物理学の下僕ではない。

数学の教科書を読んで勉強したり、うんうん唸りながら練習問題を解いたりす
るのは、われわれの脳内で起きている活動である。そこは物理学と同じだ。

しかし、その思考の対象としている数理そのものは、どこにあるのか? 
数学で「一本の直線があります」と言ったとき、それはどこにあるのか?

紙の上に、定規を当てて、鉛筆で一本の線を引いたとしよう。一見、直線のよ
うであり、伝達手段としては、直線の役割を充分に果たしていると言える。

しかし、この線を顕微鏡で拡大して見てみた日には、直線とは似ても似つかな
いものを見ることになる。

第一、直線には太さがあってはならない。けど、鉛筆の線は、いくら細く描こ
うとしたって、太さはゼロにはなりっこない。ゼロになったら見えないし。完
璧にまっすぐでなくてはならず、ちょっとでもガタついてはならない。これも
不可能。しょせんは炭素の粉だ。

それに、直線とは、両方向に無限に長く延びてなくてはならない。両端が途中
で行き止まりになってるやつは「線分」と言って直線ではない。これも不可能。

だけど、それは現実世界において、紙や定規や鉛筆などの道具を使って、目の
前に直線を出現させることが、厳密には不可能だと言っているだけのことであ
って、概念としての「直線」が、ありえないものとして否定されているわけで
はなかろう。

駱駝シャツにステテコ姿の頭の禿げ上がったおっちゃんが「なにぃ、直線だぁ? 
オレはな、生まれてこのかた、直線なんちゅうもんは見たことねぇぞ。あるっ
ちゅうなら、今すぐ、目の前に出してみろ! ほーら、出せまい。オレはそん
なもんは認めねぇぞ」みたいな。

頑固親父みたいなのは置いといて、たいていの人は「直線が一本あります」と
言われたら、その状態を頭に浮かべることができるし、その存在を認めること
ができるはず。

じゃあ、そいつはどこに存在しているのか? それは、イデア界。たぶん。

数学において、対象とする数理や図形が存在する舞台として、現実世界は必要
としない。対象を頭に思い浮かべる主体としての、われわれ人間すら必要とし
ない。

円周率が3.14なにがしであるのは、宇宙が存在しようとするまいと、われわれ
が存在しようとするまいと、そうなのである。数学の舞台は、純粋理性によっ
て、ものごとの合理性を明快に判断することのできる、抽象的な、絶対世界で
ある。それが、イデア界。

純粋理性とは、人間に備わった属性なのではなく、人間の存在を必要とせず、
人間界から超越して切り離され、それ自体で独立してある、絶対論理を取り扱
う機能である。

ちなみに、短いスカートの裾とニーハイソックスのトップとの間に露出した脚
を「絶対領域」と言い、これもまたひとつの理想様式である。

ものごとを「それはなぜ?」「それはなぜ?」と問い詰めていくと、もうこれ
以上「なぜ?」と問う必要もないくらい自明なことがらに行き当たる。

相異なる二つの点が任意に与えられたとき、それらを通る直線を一本引くこと
ができ、一本だけに限られる。こういうのは、証明なしに正しいと認めちゃっ
たところで、そうそう間違ってはいないだろうと思えるくらい、自明なことで
ある。

こういうのを「公理」と呼ぶ。公理セットを出発点として、論理的な操作のみ
を用いて、正しい定理を次々に導出していく。それが数学である。

既に正しいと分かっている命題から、論理を用いて、別の正しい命題を導出す
ることを「演繹する」という。数学でとりうる方法論は演繹法である。

数学の目的とするところは、公理セットから出発して、論理的操作によって、
定理を次々に導出していき、数理体系を築き上げることにある。物理学とは、
住んでいる世界がだいぶん異なるのである。

●数学の強みのひとつは無限の場合を内包している点にある

三角形の例をひとつ挙げてみよ、と言われる。理想の三角形はイデア界にしか
ないにせよ、現実界において、それっぽいものをひとつ紙の上に鉛筆で描いて
みることはできる。

例えば、正三角形を挙げたとしよう。3つの頂角のすべてが60°である。

最初の三角形と異なる三角形をひとつ挙げてみよ、と言われる。これもできる。
例えば、最初に描いたやつと、頂角のひとつが1°だけ異なるものを描いてみ
ればよい。3つの頂角は、それぞれ59°、61°、60°。

今まで描いた三角形のどれとも異なる三角形を挙げてみよ、と言われる。
これもできる。最初のやつから2°ずらして、58°、62°、60°。

もうひとつ挙げよ、と言われる。できる。もうひとつ挙げよ、と言われる。
できる。...この作業は、永久に終わらない。

整数の角度が尽きたところで、60.5°とか、60.001°とか、半端な角度はいく
らでも作れる。すべての三角形を列挙し尽くすことは、できない相談である。

しかし、数学には次のような定理がある。「任意の三角形の3辺の垂直二等分
線は1点で交わる」。

一般的には、直線が3本あったら、交点は3つできる。これらが一致して、1点
で交わっているというのは、非常に特別なことである。しかし、上記の定理は、
すべての三角形について成立すると言っているのである。

これは、ちゃんと証明できる。その道筋を実際に追うのは省略しますけど。

ひとつひとつ例を挙げていくことで、しらみつぶしに確認しようとすれば、そ
の例が無限にあるために永久に終わらないようなことであっても、論理の力を
用いれば、包括的に扱うことができ、法則化することができる。

これは、数学的にものごとを扱うことによって生じる強みのひとつなんじゃな
いかと思う。

数学の定理は、無限の場合を内包していることがほとんどである。

●しかしわれわれ自身の側に限界がある

われわれの脳神経細胞は、十億個だか、百億個だか、とにかくいっぱいあるに
はあるけど、そうは言ってもしょせんは有限個にすぎないわけで、無限に多く
のものごとを記憶し尽くすことはできない。また、われわれの生きている時間
にも限りがあるので、無限にあるものを、ひとつひとつ、しらみつぶしに調べ
ていく作業をしようとしても、志かなわず死んでしまう。

空間的にも時間的にも限られた存在たるわれわれであるからして、無限に続く
列の先の先の先が実際にどうなっているのかを、ちゃんと把握することはでき
ないのである。

つまり、数学は、われわれの知ることのできる限界以上のことについて、何が
正しいのかを論理の力をもって述べようとしていることになる。これって、ほ
んとうに安全にできるのだろうか?

イデア界の出来事について、いったいどういうふうになっているのか、人知の
及ばないようなことで疑問が生じた場合、いったい誰に聞けば正解を教えても
らえるのか。

ここにおいて、数学における魑魅魍魎が、チラっと顔を出したな、と直感でき
て、ゾクゾクっとされた方は、たいへん勘がいい。

●変な話・その1、無限に続くマッチ棒の列は、全部燃えるのか

マッチ棒を100本、用意する。

まず、そのうちの一本を使い、水平な面の上で、頭を上にして垂直に立てて、
接着剤かなんかで固定する。地面からキノコが生えてるみたいな感じ。

次に、別の一本を使い、最初のマッチから1mmだけ間隔を置いた右側に、同様
に立てて固定する。

3本目のマッチ棒は2本目のマッチから1mmだけ間隔を置いて右側に立てる。

n本のマッチ棒がすでに立てられているとき、(n+1)本目のマッチ棒は、n本
目のマッチ棒から1mmだけ間隔を置いて右側に立てる。

これを続けていくと、最後には100本のマッチ棒全部が、1mmずつ間隔を置いて
一列に整列して立てられている状態になる。

さて、一番左のに、火をつけてみよう。隣接しあうマッチ棒どうし、間隔が狭
いので、すぐ右隣のに燃え移るであろう。そうしたら、そのすぐ右隣のに燃え
移り、次々々々と燃えていくであろう。ピタゴラスイッチみたいなアレ。

この設定において、次の2つの条件が仮定できる
(仮定1)一番左の端にあるマッチ棒が燃える
(仮定2)任意のマッチ棒が燃えるとき、それのすぐ右隣のマッチ棒が燃える

このとき、100本のマッチ棒は、すべて燃えるであろう。

(結論)すべてのマッチ棒が燃える。

上記2つの仮定が満たされていると、上記の結論が言えることになる。
この論法を「数学的帰納法」という。紛らわしい名前がついちゃってるけど、
「数学的帰納法」もまた「演繹法」の一種である。

さて、マッチ棒の本数が100本ではなく、千本だったり一万本だったりしたと
しても、話は変わらないであろう。では、無限に続いていたら、どうか。

一番左端のマッチ棒はあるけれど、右の方へはマッチ棒の列が無限の彼方まで
続いているものとする。

数学の記述のしかただと、「右端の最後の一本というのはない」と言うけれど
感覚的には「無限の彼方に最後の一本がある」という感じもする。

このとき、すべてのマッチ棒が燃えると言えるだろうか。

次のことは、確実に言える。「nがたとえどんなに大きな自然数だったとして
も、有限の値である任意の自然数nに対しては、第n番目のマッチ棒は、待って
いれば必ず燃える」。

では、無限の彼方にあるのかないのかよく分からない最後の一本まで含めて、
「結局、すべてのマッチ棒が燃える」と言えるのか、言えないのか。

ひとつ隣りへ燃え移るのに1秒かかるとしよう。100本あれば、99秒で全部
が燃える。1,000本あれば999秒で全部が燃える。

じゃあ、無限にあったら? 「無限の時間が経ったのちには、すべてが燃えて
いる」と「いつまで経ってもすべてが燃えることはない」は、同じことを言っ
ているようにも感じられる。

しかし、「燃える」のと「燃えない」のとでは、ぜんぜん違うことのような気
もする。

どうなんでしょ、神サマ。BGMは天馬ルミ子『教えてください、神様』。

なんか、イヤ〜な感じが漂ってこないだろうか。ひたひたと近づいてくる悪魔
の足音、みたいな。

試しに、燃え移る速度をちょいと加速してみたらどうだろう。
1本目から2本目へは、1秒で燃え移る。
2本目から3本目へは、その半分の1/2秒で燃え移る。
3本目から4本目へは、その半分の1/4秒で燃え移る。
4本目から5本目へは、その半分の1/8秒で燃え移る。

この調子でいくと、マッチ棒が無限にあっても2秒ですべてが燃える。

これでいいのだろうか。

●変な話・その2、1÷3×3は元に戻るか

数学の専門家に対して、一般の方々からよく寄せられる苦情のひとつに、「1
を3で割って3倍したら元に戻りません」というのがある。

将棋における「下手の棒銀、上手が困る」じゃないけど、聞かれると、けっこ
う困る。

1を3で割ると、0.333...になる。

  1 ÷ 3 = 0.333...

そいつを3倍すると、0.999...になる。

  1 ÷ 3 × 3 = 0.999...

1 に戻らないじゃないか、ってわけである。

下記のことは、確実に正しい。

・1と0.9とは等しくない。その差は0.1である
・1と0.99とは等しくない。その差は0.01である
・1と0.999とは等しくない。その差は0.001である

これは、次々に続けていくことができて、任意の自然数nに対して、

・1と0.999...999(9がn個続く)とは等しくない。
 その差は0.000...0001(小数点以下に0が(n-1)個続く)である

が言える。

つまり、0.999...における、9の並びをいくら長くしたところで、1には決して
到達できない、ということが証明されちゃったわけである。受けた苦情を肯定
してしまった格好になる。困るではないか。

ただし、0.999...における9の並びの個数nは、有限の値に限る、という条件が
つく。つまり、9の並びがどんなに長くなったとしても、それが有限個で終わ
っている限り、ちょうど1までは到達していない、と言っていることになる。
これなら、アタリマエダ、と納得がいく。

有限の値nが無限個あるっちゅうのも、なんか変な感じがするんだけど。
そこは、まあ、置いといて。

じゃあ、nが有限でない場合、つまり、ほんとうに限りなく9が続いている場合、
その値はぴったり1に到達していると考えていいのか?

われわれの感覚では、無限の彼方なんて、とうてい想像がつかないんだけど、
数学の様式では、それでいいことになっているらしい。

数列0.9, 0.99, 0.999, 0.9999, 0.99999, ...を見てみると、上記したように、
1までの間合いを10分の1、10分の1、と詰めていっている。

つまり、目標の1までぴったり到達することはないにせよ、そこまでの距離は
どんどん詰まっていき、これ以上、近づけないという限界はない。

同じことを、言い換えると、次のようになる。どんなに小さな正の実数ε(イ
プシロン)に対しても、そのεの値に応じて、じゅうぶん大きな自然数Nを持
ってくれば、第N項以降すべての項において、1までの差がεよりも小さくなる
ようにすることができる。

これが成り立つとき、この数列は、n→∞の極限において、1に収束する、とい
う。平たく言えば、この数列は1に限りなく接近していっている、ということ
である。この状態をもって、9の列が無限に続く場合には、その値はぴったり1
になっている、と解釈していいのではあるまいか。

まあ、そういうことである。歯切れ悪くてすいません。だって、無限の彼方の
出来事なんて、オレにだってよく分かんないんだもん。

このあたりで、イヤ〜な悪魔が、ちょろっ、ちょろっと顔を出してきているな〜、
って感じがしませんか?

数学って、本当にいつでも白黒の決着がはっきりつくような健全な学問なんだ
ろうか、と、疑念が頭をもたげてきていませんか?

●こんなのはまだまだ序の口

数学を専門としない、一般の方々の多くは、数学に対して、常にものごとの白
黒をはっきりとつけることのできる、明晰な学問というイメージをお持ちのよ
うですが、実際に数学の中へ立ち入ってみると、あんまり健全でない妖怪みた
いなやつが住みついてたりする気配が漂ってくることもあるのだとほのめかし、
単純すぎるイメージに疑問を投げかけたく、本稿を書き起こしたわけです。

で、手始めに、自然数における、無限の彼方に住んでいそうな悪魔を召喚して
みたわけです。任意の自然数nに対して、ある命題P(n)が成り立っているか
らといって、nが有限の域を超えて、ほんとうに無限の彼方まで飛び去ってい
ったとき、P(n)は真なのか偽なのか、有限な存在であるわれわれに知る手段
があるのだろうか、という疑問です。

ほんのちょっとだけでも、冷やっとした風を感じ取っていただき、ゾクゾクっ
としていただければ狙い通りなのですが、いかがでしたでしょうか。

ここまでのお話に出てきたやつは、数理体系の中に住む不健全な妖怪変化のう
ちでも序の口で、まだまだかわいいほうなのです。

もうちょっと深い藪の中にまで足を踏み入れていくつもりで書き始めましたが、
気がついてみると、もうずいぶんな分量を書いてしまいました。

なので、このへんでいったん区切り、続きの、もっとヤバい話は、またいつか、
できればそんなに遠くないうちに、書きたいと思います。

ここでは、その予告編みたいな感じで、あらすじ的な、話の見通しを書いてお
こうと思います。

まず、可算無限の話ですね。100に1を足して101を得れば、元の100よりも確実
に1だけ大きくなっています。ところが、話が無限の世界に及ぶと、1を足した
ぐらいでは焼け石に水で、ちっとも増えていきません。

その感じを数式っぽいもので表すと、

  ∞ + 1 = ∞

となります。

しかしながら、そういう数式を実際に書いてはいけないことになっています。
というのも、上記の数式の両辺から ∞ を差し引くと、

  ∞ + 1 ─ ∞ = ∞ ─ ∞

となり、(∞-∞)の部分を0で置き換えると、結局、

  1 = 0

となってしまいます。これは本当の矛盾です。これを引き起こさないために、
最初の式を書いてはいけないことになっているのです。でも、気持ちはその数
式に表れている通りです。

じゃあ、その数式さえ書かなければ安全かと言えば、そうでもなく。満室だっ
たホテルに空室を作るトリックが生じたりします。

1を足してもちっとも増えないのであれば、2倍ぐらいしてみれば増えるかと思
いきや、やっぱり増えません。

これは、割と深刻な問題を引き起こします。部分と全体が等しくなってしまう
という問題です。

自然数は奇数と偶数とに分類でき、交互に出てくる以上、個数は半々であろう
という感じがします。ところが、自然数全体と偶数全体との間に一対一の対応
関係をつけることができてしまう。

つまり、全体と、その半分くらいを占めるはずの一部分とが、同じになってし
まうという問題です。そういうもんだ、ってことで受け入れちゃえば、問題な
いとも言えますけど。

さらに、無限倍しても、実は、ちっとも増えていない。

そうであってみれば、無限というのは特別なもんで、もはやどう料理しても、
これ以上大きくなることはないもんなんだ、と思いたくなるでしょう。
ところが、その期待が、裏切られます。

2の肩に乗せて、「2の∞乗」とやると、元よりも大きくなっています。

無限と無限とを比較して、一方が他方よりも大きいということがある、ってわ
けです。こんなのは、もはや、われわれが直感的に把握できる範囲を遥かに超
越しています。

これを証明するのに「対角線論法」というのを使います。同じ論法は、「ゲー
デルの不完全性定理」の証明の中でも使われています。

このあたりでも、すでに、そうとうイヤな地獄を垣間見た気になるものですが、
さらにやっかいなやつが控えています。

「選択公理」ってやつです。ラスボスみたいに、手ごわいやつです。公理とし
て採択すべきか、棄却すべきか。有限しか見えないわれわれにはさっぱり分か
りません。イデア界では、いったいどうなっているのでしょう。

というか、ここまで来ると、数学って本当にイデア界が舞台なんだろうか、っ
て、依って立つべき基盤が、そこまでぐらついてきます。

数学という学問の、イヤ〜な限界を見てしまった感じがします。うー、数学の
やつ、完全無欠の美を体現した女王かと思ってたら、意外と中身は病んでんじ
ゃん、みたいな。

というわけで、続きをお楽しみに〜。待ち遠しいという方には、下記の本がお
薦めです。

遠山 啓(著)『無限と連続 - 現代数学の展望』岩波書店(1952/5/10)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4004160030/dgcrcom-22/


【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。
http://www.growhair-jk.com/

スペインのマドリードに行ってきました。2月11日(土)、12日(日)に開催
された漫画・アニメ・ゲーム系のイベント「Japan Weekend Madrid 2017」に
参加するためです。

2014年9月にも、同じイベントに参加してましたけど、会場の広さといい、来
場者数といい、規模が三倍くらいになってました。フランスの「Japan Expo」
に迫る勢いです。

国営テレビの生中継に映ってきました。帰りの出国審査で、審査官の人が
「昨日テレビ見たよー」と言ってくれました。

写真:
https://goo.gl/photos/Ss5PL92vGqEHky3E6


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編集後記(02/24)

●服部剛「感動の日本史」を読んだ(2016/致知出版社)。第6話「三つの奇跡
を起こした将軍・樋口季一郎」がこれまた大感動だった。杉原千畝の「6000人
の命のビザ」は有名だが、大勢のユダヤ人を救った日本人は杉原だけではない。
1919年、日本は国際連盟の発足にあたり世界で唯一の「人種差別の廃止」を提
案した国である。その主張は欧米各国に受け入れられなかった。樋口は49歳で
ハルビン特務機関長に就任、ユダヤ難民を保護する方針を打ち出した。1938年、
シベリア鉄道の終点、満州国と国境を接するソ連のオトポール駅で、ナチスの
迫害から逃れてきたユダヤ難民約2万人が、酷寒の中で立ち往生していた。

樋口は南満州鉄道の松岡洋右総裁に、特別列車の運行を要請した。事態の深刻
さを理解した松岡も快諾、オトポール駅から数百メートル離れた満州との国境
に特別列車を配し、13本が運行されすべてのユダヤ人を救出した。当然、ドイ
ツからは抗議文が外務省に届く。関東軍の東条英機参謀長は、言い分を聞かせ
ろと樋口に迫る。ドイツは同盟国だが、そのやり方がユダヤ人を死に追いやる
なら、それは人道上の敵だ。日本とドイツの友好を希望するが、日本はドイツ
の属国にあらず、また満州国も日本の属国ではないと信じているので、満州国
代表部に忠告した、と樋口は応ずる。東条は樋口の処置が正しいと納得する。

日本政府はドイツの抗議を「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」と
一蹴した。その後もユダヤ人は続々と満州に押し寄せた。満鉄は松岡の命令で
乗車賃を無料とし、後々までそれを踏襲した。この後、杉原千畝がいくらビザ
を書いても、満州国で止められてしまったら意味がない。ユダヤ人入国の既成
事実があったからこそ、杉原ビザは生きたのだ。樋口が助けたユダヤ人の数に
は諸説あるが、オトポール事件自体が機密事項扱いだったため、正確には分か
らない。いずれにせよ、世界中で差別されているユダヤ人を大量に救出した事
実は変わらない。人種差別しないのが日本だという道義を世界に示した。

日本の武士道を体現した樋口の行為も、世界に誇るべき日本政府の方針も、と
もに奇跡に等しい事実である。ところが、戦後のマスコミや教育界は、戦前の
日本を良く評価したり、軍人を誉めたりは絶対にしない。この素晴らしい出来
事も決して表に出さない。杉原千畝の行為も「個人の善意」に矮小化し、日本
政府の国是が「人種平等」であったことを隠蔽し続けている。とにかく、戦前
の日本を悪魔化することに血道をあげているのだ。樋口季一郎の第二の奇跡は
「キスカ島撤退作戦」。第三の奇跡は「ソ連軍を撃退せよ」で、降伏を表明し
た日本に、必ずソ連が侵攻してくると読んだ樋口の決断を語る。キスカは映画
で知ったが、オトポールもソ連軍撃退も知らなかった。続く。  (柴田)

服部剛「感動の日本史」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4800911273/dgcrcom-22/


●NASAの地球に似た7惑星のニュース。私が生きている間には解明されないん
だろうなぁ。/他にもいくつかニュースを見たような気がしたが忘れた。

/エンゲル係数絡みの続き。食費が上がるなら、所得が1.2倍になり、1.5倍に
なるといいねぇ。残業を減らせ、プレミアムフライデーで早く帰れ。なら、仕
事の量も減ったらいいねぇ。持ち帰る人やサービス早朝出勤が増えそう。

残業時間の上限が厳しくなると、お手当が減っちゃう。残業推進しているわけ
じゃないよ、家計に直撃するって話。味の素は労働時間を1時間減らし、基本
給は引き上げるんだって。素晴らしいなぁ。

副業推進に保育所整備、家事サービスに……。みんな、そんなに働いて大丈夫
なの? 家族分の家事って楽じゃないよ。家事サービスって毎日来てもらうわ
けじゃないんでしょ? 学校や保育所の行事や連絡帳のチェックもいるんだよ。
頭の中ぱんぱんにならないの? 続く。          (hammer.mule)

本当に生命は存在する? 地球から移住は? NASAの新発見した7惑星を分析
http://www.gizmodo.jp/2017/02/nasa_seven-earth-sized-exoplanets.html

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創刊日:2000-08-22  
最終発行日:  
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