個人ニュース

思うままに

 思うことが少し溢れてきて、それを他者と共有できたらなぁと、と思って不定期発行を始めてみます。
 いつ終わるかもしれませんから、のんきにお付き合いを!

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The long and widing road.

2005/07/15

 明確に何を記したいのか?前二回を読み直して、それが明瞭ではないなぁと、思
いました。

 何を記すのか?それは私の裁量次第であり、自由に任されています。しかし、そ
れって難しいなぁ・・・というのが本音です。自由であることって、かえって、大
変なことであったりします。

 これを記している私は何者なのか?日本という国に生まれ、34年ちょっと生き
てきて、定職にもついていないし、結婚もしていない。通信教育で学校とはつなが
っていますが、自分とはいったい何者だろう?という思いは消えてはいません。

 唐突かもしれませんが、神様のことを書いてみたいと思います。

 カトリックセンターという場所が、私の暮らす長崎にはあるので、その影響もあ
ると思うのですが、神様というとイエス・キリストに・・・その犠牲的な死によっ
てあがなわれた人類の罪を前提とした神様が、神様かなぁと、思います。

 私は、約7年前に、小学生のときの級友が亡くなるということがあってから、や
はり人生観が変わって来たというところがあったように思います。1998年、日
本の代表チームが始めてワールドカップのフランス大会に出場した年、級友は自ら
生涯を閉じました。

 前回、読み直すと何を書いてるのだろうと、自分でも思いましたが、小学生のこ
ろから塾通いをしている子どもでした。当時、私の家族は島原半島に暮らしてお
り、それは父が外科医としてその地域にあった県立病院に勤務していたからなので
すが、小学校5年生のころから、毎日曜日に島原鉄道という私鉄に乗って、それか
ら国鉄に乗り換えて、長崎市まで出てきて、海星高校という学校の校舎で行われて
いた東京標準テストという学習塾に通っていました。

 こうして、私は自分の過去の捉えなおしをしているのでしょうが、きっと現在、
今日は2005年の7月15日ですが、私が子どもの頃の過ごしたのと、似たよう
な環境下に置かれている子どもたちもいるのだろうと思います。

 亡くなった級友は、当時私がそのような環境で暮らしていたことを、あることか
ら知ることになって、亡くなった後に級友の母親と話をする機会がもてたときに、
初めてそのことを知り呆然としました。

 中学、高校と、私は私立の学校に通ったのですが、その時期に私は人間不信を強
め、高校三年の進路指導で提案された青森の弘前大学へ、それが自分の運命なのだ
ろうと観念して、大学へと進学したことがありました。5年を過ごしましたが、そ
こで出会った人々のことも、今となってはとても懐かしく感じることもあります。

 大学で教わった先生には、迷惑を掛けました。後悔することは、少なからずあり
ます。神様のことを書くつもりでいながら、こうしたことを書き連ねてしまいまし
た。

 ほんとにひょんな機会から、現在、長崎純心大学で教えてもいらっしゃる山内清
海さん、カトリックの司祭でもいらっしゃる方ですけれども、山内司祭の記された
「完全なる人間像」という小冊子を頂き、若くして亡くなった、当時33歳であっ
たのだそうですけれども、戦前は教師的な立場で若い人たちを戦場へ送り出し、戦
後になって洗礼を受けたクリスチャンの男性のいらしたことを知りました。

 神様を信じることとか、信仰を持つといったことは、個人的なことであって、他
の誰かから、強制されたり、命令されたりすることではありません。仮に、日本国
の内閣総理大臣が、靖国神社を参拝して、それに対するクレームに、日本の伝統文
化として理解してもらいたいと唱えても、日本国民の伝統や文化、信仰にたいする
考えを代表しているというわけではないのです。

 こういう問題に、何も感じない方も世の中にはおられるのかもしれません。しか
し、具体的に、こうした信仰や神様に関することを考えたりすることは無かったと
しても、意識しないうちに、影響を受けているということがあったりするんだと思
います。

 実は、私はプロテスタントですけれども、教会で洗礼を受けてみようと考えてい
ます。いろいろと紆余曲折があってのことだったのですが、個々人によって、信じ
ていたり、信仰として持っていたりすることに違いがあってよいと思います。けれ
ど、それぞれのやり方で、神様という抽象的な存在を信じたり、自らの生き方の支
えとしたりすることで、自他共に、よりよい人生を送ることにつながることもある
のじゃないかと思うのです。

 とはいえ、まだ理想の段階ですが、・・・私にとっては。

 統合失調症という病気とともに生きている男性のことを前二回記してきました
が、その方はかなり大変な生活環境で暮らしてきた方で、地域活動所に集う同じ病
気や、同様の問題を抱えた人たちのグループで旅行に出たときに、その男性は歌を
披露するということで、「君が代」を歌ってくれたことがありました。

 遭うと唐突に、「・・・くん、女欲しくはないね?」と、それは恐らく、生活
や、性行為もともにする、人生のパートナーとしての女性は欲しいと思いません
か?とか、あるいは、単純に、女性と性行為をしたくはないのですか?と言った意
味合いなのだろうと思いますが、この方は尋ねて来ることがあります。結婚の意味
することには、社会のなかで、男女が夫婦となって、性的な関係を結ぶことを公言
する意味合いを持つ社会的な通過儀礼という側面があると思うんですが、この男性
は自分がそうした人生を歩むことに、何か大きな不安があるのだろうと思います。

 それはちょっと、見方に誤りがあるとしても、そのようなことが、結婚という問
題には含まれており、信仰の問題や、生き方の問題に、そうしたことが、各個人に
のしかかってくるという性格が何らかの形であると思うのです。

 日本国首相の靖国参拝に意味されること、それが海外に向けても、日本の伝統で
あったり、日本人の精神文化であると唱えられてゆくこと、そこには各個人の問題
を、行政の責任者が介入して阻害するという側面を持ち合わせており、なぜ統合失
調症の男性が、同じ病を抱えた人たちのグループの小旅行で、「君が代」をみなさ
んの前で歌うのか、それはわかりません。

 しかし、戦前の日本には、憲法によって天皇を神と定め、それが社会文化の中心
として存在した過去があります。「君が代」という歌は、実は恋歌なのだと耳にし
たことがあるのですが、それは恐らく本当にそうなのだろうなぁという気がしま
す。いろいろな国の人たちに、母国の歌を教えてもらう機会をこれまで持ってきた
のですが、その中で共通していたことが、ふるさとを思う気持ちと、異性を思う恋
の歌、でした。彼が「君が代」を歌うのは、それなりに理にかなったことなのかも
しれません。

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創刊日:2005-06-28  
最終発行日:  
発行周期:不定期  
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