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アラブからこんにちは〜中東アラブの知られざる主婦生活

湾岸アラブ世界に住んで24年。UAE男性と結婚した筆者が、5人の子育て、地域活動、文化センター設立などを通して経験したアラブ・イスラーム社会を、深く鋭く観察し、エッセイで紹介します。

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創刊日:2005-05-04  
最終発行日:2017-12-13  
発行周期:月刊  
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アラブからこんにちは〜Vol.408 同窓会に出る(4)

2017/12/13

Vol.408 同窓会に出る(4)

同席したシンガポール女性も、おもしろい体験談を話してくれました。

「マレーシアでホームステイに行ったら、水上生活者の家だったの。
 すぐ脇に地面があるのに、わざわざ水の上に家を造って生活する人間が
 いるんだねぇ。そんな生き方があるなんて、本当に驚いた。
 でも貧乏じゃなくて普通の家だったのよ。
 生活に必要なものは何でもあったんだから。
 あてがわれた部屋にはベッドもあったし、家族用のリビングもあった。
 部屋の床だけはコンクリートだったんだけれど、
 渡り廊下や玄関先からは水面が透けて見えてね。
 なにしろ岸とつながっているのは木を組んだ長い桟橋だけだったのよ。
 水面は、満潮だと床に着くくらい高くなって、
 夜に寝ろと言われても不安で眠れなかったの。
 私は太ってるから桟橋を踏み抜くんじゃないかと、
 一歩あるくたびに心配で。
 物を落としたら失くしちゃうかもしれないし、家は揺れるし、
 風は吹き抜けるし、ポッチャンボッチャンと水音がするし、
 高波でも来たら終わりだと気が気じゃなかった。
 これなら、同じ水に浮かぶのでも、船の方がよほどマシだった。
 一晩ずっと起きたままで、うとうとすると怖い夢を見て。
 夜中に起き上がって、毛布を抱えて地面に移って寝ようと、
 何度思ったか知れない。
 2日間の訪問国活動は、地上を歩いてたのに水面にいるようで、
 目がぐるぐる回ってひどいもんだった。」

次にマレーシア女性が言いました。

「私は、フィリピンで大きな庭を持つ家庭にホームスティに行ってね、
 その家の離れに泊まったの。そこは信じられないくらいお金持ちで、
 庭には噴水はあるし、熱帯植物園があるし、
 家の中には天井まで届く絵とらせん階段もあったの。
 おまけにセキュリティのために、3匹のドーベルマンを
 庭に飼ってたのよ。
 家人がいると大丈夫なんだけど、私が独りで離れと母屋を往復すると、
 耳をつんざくような声で吠えるの。庭に柵があっても怖かった。
 あるとき荷物を持って庭を移動していたら、放し飼いになっていてね。
 死ぬ気で逃げたんだけれど、庭の柵を飛び越えて、
 あっという間に追いつかれちゃった。
 飛びかかられてバッタリ倒れた時に、「あぁ、私は今日死ぬんだ」
 と思った。そこに庭師が来て犬を引き離してくれたんだけれど、
 犬の歯で服の袖に穴があいた。
 でもホームスティさせてくれている家庭に文句は言えないからね。
 命が助かって本当によかった。
 あれは命を懸けたホームスティだったのよ。」

そんな話を聞きながら、若い自分たちがどれだけ世間知らずで、
しかし柔軟で、世界の不可解を全身で受け止めても平気だったのかを
思い出しました。
自分の世界とは全く違う環境で生きる人々を知り、
実際に世話になって、世界にはさまざまな生活や人生があり、
是非で判断できないことを学びました。
また、そうした全く環境のちがう家族が、
見知らぬ自分たちを歓迎してくれる驚きと喜びを味わいました。
ホームスティ受け入れ家庭の多くは、本人あるいは親族が、
過去に同じようなプログラムに参加しています。
かつて自分が受けた歓待を、次世代の青年たちに同じように
分け与えているのでした。
たった2日間でありながら、ホームステイで疑似家族と生活することは、
世界の謎や不可解な思いが消し飛んでしまうくらい、
純粋に感謝の気持ちに満ちていました。

リユニオンで喜ばしかったのは、多くの参加青年たち、
特に貧しかった東南アジア家庭の人がそれなりの役職に就いて、
現在は活躍していることでした。
当時、私のグループには家に電話がない人(申請から9年も待っていた)、
8人の子どもが一部屋に寝ているような人、
せっかく日本に来てもディズニーランドの入場料が払えない人
などがいました。
しかし30年経ち、それぞれの国で成功し、政府高官として
日本に派遣されたり、大学で教鞭をふるったり、企業で重職を担い、
自由に日本を旅する立場になっていることは、
何よりも嬉しいことでした。
また、どんな職に就いている(あるいは職のない)既参加青年でも、
必ずどこかでボランティアに従事していました。
若くまだ何者でもなかった自分たちに、
世界の誰かが無償で行ってくれた行為が、巡り巡って、
同じことを自分が還元していこうとする意志につながっているのだと
感じました。

夕食会では、船上で歌っていたたくさんの国歌や国民歌を
合唱したのですが、私はまるで思い出せませんでした。
音程だけは思い出せても歌詞が口から出ることはなく、
意味もわかりませんでした。
だた、このリユニオンに参加したことで、
密封してきた記憶の氷を解凍する助けをもらいました。
密封するのに大きな覚悟と時間が必要だった分、
その記憶を解凍するのも、大きなきっかけと援助が必要でした。
それにはまず、2か月間の思い出がいかに楽しく明るい友情に
満ちていたかを思い出す必要がありました。

リユニオンに参加しなければ、私の今の生活からはるかに遠い場所に
しまった記憶を取り出すことはなかったでしょう。
その必要も感じないし、そのまま同じように生きていけました。
30年ぶりに会った遠い記憶の人々と、
当時と同じように若い心のまま接し合えるとは思いもよりませんでした。
凍った記憶を解凍しても大丈夫なのだ、
今の私は過去の記憶と共存できるくらい、強靭で幸福なのだと
気づくために、友の援けは大いに必要だったのでした。


同窓会に出る(了)

ハムダなおこ


 

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