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アラブからこんにちは〜中東アラブの知られざる主婦生活

湾岸アラブ世界に住んで24年。UAE男性と結婚した筆者が、5人の子育て、地域活動、文化センター設立などを通して経験したアラブ・イスラーム社会を、深く鋭く観察し、エッセイで紹介します。

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創刊日:2005-05-04  
最終発行日:2018-02-23  
発行周期:月刊  
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アラブからこんにちは〜Vol.412 砂漠の人々(4)

2018/02/23

Vol.412 砂漠の人々(4)

私はひとり座りながら、ママ・アムナのことを考えました。
ママ・アムナは便宜上1930年代生まれとなっています。
便宜上と書いたのは、1971年にUAEが建国されて戸籍を作る際、
昔の記憶を頼りに出生証明を作ったからです。
それはほぼ、長老と呼ばれる年配の女性や男性の記憶に
頼っていました。
「Aの息子のBが生んだ孫Cは、そのミルク兄弟であるDの従妹Eと結婚し、
 二人の子どもはF、G、Hがいて、成人にまで達したのはHだけだった。
 それが隣の部族のIと結婚しJ、K、Lが生まれ、、、」
など延々と続く部族の歴史を、記憶に留めている人々です。
驚くことに1960年代生まれの私の夫でさえ、
正しい生年月日はわからないのでした。
当時は、戸籍を管理する省庁もなく、男性は仕事を求めて
カタールやクウェートまでも季節ごとに移住し、
女性と子どもは、夏には水源を求めて内陸に移住する生活を
していました。
移住する場合は、ヤシの木で作った家を全部たたんで、
ラクダに載せて、次の場所へ運んで行きました。
コンクリで作った省庁も存在しなかったし、その必要もなかったし、
この気候では記録した紙やインクも残りません。
人々の記憶が、最も信頼できる淘汰されない財産だったのです。

1930年代生まれといえば、夫の世代(1960年代生まれ)のように、
急激な変遷に立ち向かい、果敢に乗り越えてきた世代ではありません。
砂地に建てたヤシの木の小屋で、すでに成人を迎えています。
昔ながらの生活規範と部族精神で生きる人々で、
彼らが部族を維持し育む精神は、現在とはまったく違っていました。

ママ・アムナ自身は1回結婚して4人の息子を産みましたが、
その隣に住むママ・アムナの妹は、3回結婚して、
それぞれの夫に3人、2人、5人と子どもを産み、
離婚した後も大勢の子どもたちを部族の中で
一緒くたに育ててきました。
おまけに3番目の夫が連れてきた前妻との子ども4人も、
一緒に育てていました。
そして、一人っ子の私の夫も、同じようにその中で育ちました。
だから、(私にとって)戸籍上は血のつながりが
かなり遠いと感じるママ・アムナでも、
夫にとっては、実の母親や叔母と同じほど近しい存在なのでした。
一緒に育ったママ・アムナとその妹の子どもたちも、
自分の従兄弟だと考えています。

ママ・アムナの葬式には、外国人では私とインド人のヌーラ、
エジプト人のサバハがきていました。
こうした田舎の葬式で、外国人を見ることは滅多にありません。
全く違う世界から来て、同化できる人間は
簡単にはいないのだろうと、今さらながら思います。

サバハはママ・アムナの妹の息子(つまり甥)の嫁で、
私が結婚した当時は、10歳くらいの息子が2人おり、
もうすでに離婚していました。
離婚していても、別れた夫と同じ敷地内に住み、
その姑の庇護の下に住んでいました。
その同じ家に、ヌーラは嫁にきたのでした。
ヌーラの家には、ヌーラの夫の前妻であるサバハが
一緒に暮らしていたわけです。
ヌーラ自身、その10年後に離婚しましたが、
これもまた姑の家から追い出されるのでもなく、
サバハと同じように、別れた夫と姑と同じ敷地内で、
3人の子どもを育ててきました。
結婚したばかりの頃、その事実を知って驚き呆れる私に、
「他に行くことろがないんだから、当然だろう」と、
ごく普通に夫が言っていたのを、強烈な印象で憶えています。
おまけにもっと驚いたのは、
サバハはその後別の男性と結婚して、元夫の家を出て行きました。
ところが、わずか1か月で離婚して戻ってきたのです。
戻ったのは、やはり姑(ママ・アムナの妹)の家でした。
おまけにその短い期間に妊娠し、子どもを産み、
血筋の全然関係ないその子も姑の家で育てたのです。

不思議を通り越してその寛容さと許容度に驚き、
次の言葉が見つからない私に、
「家を追い出してどうする? どうなるかわかるじゃないか」
と誰もが口をそろえて言うのでした。
つまり、ママ・アムナたちの世界観は、
「砂漠の中に部族で力を合わせて住んでいた時代」のままなのです。
その世界観からすると、部族から追い出したら、
死刑を宣告するのと変わりません。
水もない、シェルターもない、部族の庇護がなければ、
砂漠では1日だって生き延びることはできません。
死ぬとわかっていて追い出すことが出来ないのは、当然でした。
だったら受け入れるしかない。
部族に害を為す人間以外は、誰にもでも庇護が与えられるべきだ――
彼女らの感性は、非常にシンプルで矛盾がありません。
離縁した嫁は、血縁でもないのだから、
自分で仕事を探して収入に見合う住居を構え、独立して生きればいい、
などとは考えません。
行くことろのない人間は、そのまま部族で引き取る。
地域から追い出して死なせてしまうくらいなら、
地域に生かしておく―――ママ・アムナの世代の人々と接するたびに、
私は驚きと、懐疑と、呆れと、深い感動とを
いつも同時に味わってきたのでした。


砂漠の人々(5)に続く

ハムダなおこ

最新のコメント

  • とおりすがり2012-07-29 19:03:46

    蛇口の色について調べていて、ここにたどりつきました。



    エジプトに年末年始に旅行したときの経験から、赤=水、

    だと思っていましたが、タンクの設備による生活の知恵

    があると知り、感銘を受けました。勉強になりました。



    暑い時期が長そうなので、赤=水、である時期が長そうですね。

  • にこにこ2008-01-22 02:18:36

    今でこそ国際結婚をしている現地の方にお会いすることはありますが、17年前の日本から来たお嫁さん…きっと大・スクープだったのでしょう。アラブ文化をこのような形で伝えてくれるハムダなおこさんに感謝です!

  • きみこ2007-09-27 02:43:55

    こんにちは、はじめまして。毎回中東の様子を拝見しまして、驚きとともにとても楽しんでおります。次は何をおしえてもらえるのだろうか、と期待しております。がんばってください。

  • dubai14282007-04-23 23:40:02

    U.A.E.在住1年、現地女性の知り合いがようやく増えてきました。アラブの習慣+イスラムの習慣に、各家族の価値観、流行などもあり、当地女性の服装を理解するのは難しいですね。

  • 名無しさん2007-04-08 12:39:00

    何十年振りかで現地に戻って、現地に嫁いだ方々の子女教育に関するやりきれないような問題を聞かされているような気分になりました。出来ればバックナンバーや読者コメントを閲覧致し度存じます。