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甦れ美しい日本

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甦れ美しい日本 第1689号

2019/02/11

□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2019年2月11日 第1689号 )

              
  ☆☆甦れ美しい日本☆☆


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☆☆ 偽 善 と 欺 瞞 を 憎 む 私 た ち は 書 き た い か ら 書 く の で す。☆☆
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☆☆☆日 本 人 の、 日 本 人 に よ る、 日 本 人 の た め の 政 治 を 取 り 戻 せ!☆☆☆
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目次

◎日本はブロックチェーン革命で独自のポジションを〜すでに戦争は始まっている〜 松田学
◎アメリカ映画監督クリント・イーストウッド名作のレビュー (2)奥山篤信
 (その3)『マディソン郡の橋』(原題: The Bridges of Madison County)1992
(その4)アメリカ映画<人生の特等席Trouble with the Curve>2012
(その5)アメリカ映画「インビクタス/負けざる者たちInvictus」2009
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◎日本はブロックチェーン革命で独自のポジションを〜すでに戦争は始まっている〜
元衆議院議員 松田政策研究所代表 東京大学大学院客員教授 松田学

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ファングとバティス?…。この言葉を聞いたことがあるでしょうか。

ガーファ(GAFA)はGoogle、Apple、Facebook、Amazonとして知られていますが、これにNetflix(ネットフリックス)を加えてFAANGです。こちらが米国の自由競争秩序のもとで日本のGDPに迫る売上高を示さんとするITプラットフォーマーだとすれば、中国の国家主導パラダイムのもとに躍進すさまじいのがBATIS。

これはAI発展計画で習近平政権が指名した5大プラットフォーマーであり、Bはバイドュ(Baidu:百度)で自動運転、Aはアリババ(Alibaba: 阿里巴巴)でスマートシティ、Tはテンセント(Tencent: ??)でヘルスケア、Iはアイフライテック(iFlytec: 科大訊飛)で音声認識、Sはセンスタイム(Sense Time: 商湯科技)で顔認識だとされています。

FAANGとBATISの対立軸構造の中に日本の存在はありません。電子データが世界の付加価値生産の最大の源泉となる中で、プラットフォームを取れない国は何をするにも寺銭を取られるのみの立場になります。

経済面だけではありません。ITに対する感度の低さは国を滅ぼします。

米国はファーウェイやZTEの排除に動き出しましたが、通信戦、諜報戦のために作られたとも言われるこれら中国の「スパイ企業」は米国のプラットフォーマーまでをも影響下に置きつつ、世界への浸透工作を展開。中国のスパイチップはサーバーからサプライチェーン、私たちが日常使用しているスマホなどの通信機器など、あらゆる所に入り込んでいるとされます。

私が代表をしております松田政策研究所の動画チャンネルにもご登壇いただいている深田萌絵さんは近著「日本のIT産業が中国に盗まれている」(WAC社)で、「戦争法案反対」、「子どもを戦争に行かせない」と、平和デモ活動のシュプレヒコールを聞くと、虚しい思いにとらわれると書いています。もはや「戦争に行く」時代ではなく、地政学的に見ても日本は敵国に取り囲まれており、いつ周囲から「戦争がやって来る」国かわからない…。米中貿易戦争どころの話ではなく、メディア戦、情報戦を含め手段を選ばない中国の「超限戦」戦略どおり、目に見える戦争は既に始まっているという指摘です。

諜報戦に関しては、エシュロンやファイブアイズで知られるアングロサクソン5(米・英・加・豪・NZ)に日仏独を加える流れが出てきました。これと中国(ロシア)との対抗軸の中で、日本には危機管理に向けた意識と体制の強化が迫られています。日本版NSC、特定秘密保護法、そして私も議員立法に携わったサイバーセキュリティ基本法など、安倍政権下で進展がみられましたが、ことサイバーに関しては、日本は未だスカスカ状態。何をどの水準で議論できるのかもわからないようなレベルだと指摘する専門家もいます。

情報戦に関しても、日本はかなり無抵抗なようです。集団的自衛権の限定行使を容認する平和安全法制について、多くの国民が事実とは正反対の「戦争法案」だと本気で思っていました。あの何ら実態の見えないモリカケ騒動での世論操作もそうでした。隣の朝鮮半島では文在寅政権のもとで、北主導の南北統一が本当に実現するかもしれない情勢ですが、その背景にも、韓国に対する世論操作戦が指摘されています。

私が親しくしている情報学の専門家、山村明義氏は近著「勝つための情報学」(扶桑社新書)で、情報に接する上で必要なのは「5W1H」だけでなく、これに「What Purpose」(何の目的で)なども加えた「6W2H1D」(+1HはHow Much、+1DはDoing or Done)であると書いているとおりです。

先の大戦で情報や諜報、危機管理などに対するネガティブな心性を日本人に形成することになった「戦争トラウマ」は、もはや早急に脱却すべき負の遺産ではないでしょうか。

他方で、日本経済の成長戦略を考えれば、やはり、電子データの分野の一角に信頼性の高い日本独自のプラットフォームを生み出すことが喫緊の課題です。幸い日本には、世界に冠たる課題先進国という強みがあります。さまざまな社会的課題の解決モデルの構築に「ブロックチェーン革命」を意識的に応用し、この分野で必要なイノベーションを先導する。すでにデジタルエコノミーで米中に後れをとった日本はせめて、「トークンエコノミー」で国際社会の中での存在を築くしか道はないかもしれません。

詳しくはぜひ、こちらの私のブログ記事をご覧ください。↓

「ブロックチェーン革命について(その1)〜情報覇権戦争における日本の立ち位置〜」

https://ameblo.jp/matsuda-manabu/entry-12439137692.html


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◎アメリカ映画監督クリント・イーストウッド名作のレビュー (2)
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(その3)『マディソン郡の橋』(原題: The Bridges of Madison County)1992
僕の尊敬する櫻井修氏のこの映画の素晴らしい映画評には足元にも及ばないが、それを踏まえて僕の批評など何の意味もないことは理解しつつ、この映画を久しぶりに鑑賞した。
この映画はアメリカのロバート・ジェームズ・ウォラー(Robert James Waller)の同名ベストセラー小説を原作にしたものでクリント・イーストウッドがプロデューサーおよび監督,イーストウッドとメリル・ストリープが主演した。
アイオワ州の片田舎で出会った、平凡な主婦と中年のカメラマンの4日間の恋を描く。
素晴らしい構成のこの映画の立役者はイーストウッド監督であることは間違いない。ここまで切なく美しく男女の愛を描いた凄みは監督の手腕であることは間違いない。
さて老齢になり人生とは何なのか?という問いに対して、僕の心境は、人生は長いが、その凡庸さとある時には渾身の力を入れる、そんな<皮肉>な人生の中で、誰もが感じるであろう、その長い時空間の中で、何か必ずしも喜びには限らないが自身にとって忘れがたい思い出があるはずだ。この物語ではたったの4日間の男と女のプラトニックでかつ人間的な愛の瞬間を描いている。人生とは何か?もちろん一生懸命手作りで作り上げた平凡かつ満足感に満ちた人間の幸せというものも存在するだろう。しかしそんな人間的な幸せの中で刹那的な人間の幸せの瞬間も絶対に存在する。その切なく儚い男女の不倫の愛をこうも美しくしかも一切の穢れない姿で描くことができる世界はまさに美学の世界としか言いようがない。
人間は常に制約の中で生きている。制約がない世界だったら獣と同じ世界だ。人間がそれと異なるのは社会的存在であるということだ。その中にアウトローな犯罪者もいる、そして瞬時の美しい不倫を謳歌する人間もいる。だからこそ人生は素晴らしいのだ。制約あって喜びや美しさもあることだ。
クリントという何か頑固で美意識がありかつ抑制的なある意味で男の中の男 かたや田舎臭い善良な亭主と子供達に恵まれているが、一方でイタリアの太陽と能天気のDNAを持ったイタリア出身女性、幸せだが退屈な片田舎の日々で突然降って湧いたようなアメリカの都会出身の写真家 どちら側も人間の品格を備えているところが、この不倫劇をソープオペラ化させない素晴らしさなのだ。舞台はその愛人も亡くなり、母親も亡くなった遺児である二人の兄弟がその遺産整理で弁護士事務所での会話から始まる。かかる不倫の事実を絶対に子供達に残したくないのが親の心情であるのは間違いない、しかしこの母親はむしろこの四日間の出来事を子供達に知らしめることにより、一人の女性の生涯のある燃え尽きた瞬間を伝えたかった、そして子供達はそれに最初は絶対拒否反応を示すが理解を深めていく過程を描いて、アメリカらしいハピーエンドとなっているのがアメリカ的で素晴らしいことを見逃してはならない。欧州や日本ではこうはならないことも間違いない。
・・・粗筋ネットより
1989年の冬、フランチェスカ・ジョンソン(メリル・ストリープ)の葬儀を出すために集まった長男のマイケル(ヴィクター・スレザック)と妹のキャロリン(アニー・コーリー)が母の手紙と日記を読み始める場面からストーリーがはじまる。「火葬にしてローズマン・ブリッジから灰を撒いてほしい」というもので、平凡だと思われていた母親の激しい恋を知ることになる。
1965年の秋、子牛の品評会に隣町まで家族が出かけ、4日間一人きりになった小さな農場の主婦フランチェスカ・ジョンソン。ウィンターセットに点在するカバードブリッジのひとつ、ローズマン橋を撮りにやってきたナショナルジオグラフィックのカメラマン、ロバート・キンケイド(クリント・イーストウッド)はフランシェスカと出会い恋に落ちる。橋まで案内し、帰りにアイスティーをごちそうする。野の花をつんでくれた彼を夕食に招待する。物静かさが夫たちとは違っていた。翌日は新しいドレスを着たのを「息が止まるほどきれいだ」といい、二人は自然に結ばれる。4日目の夜に「一緒に町を出よう」というのでトランクに荷物を詰める。しかし、家族を捨てる訳にはいかないというと「これは生涯に一度きりの確かな愛だ」という。
夫を看取った後に、ロバートを探すが、ある日遺品が届き、『永遠の4日間』という写真集が入っていた。遺骨はローズマン橋に撒かれたという。「せめて残りの身は彼に捧げたい」という遺言で、フランチェスカの遺骨は橋から撒かれ、風に乗って舞い落ちていった。

(その4)アメリカ映画<人生の特等席Trouble with the Curve>2012
この映画はクリントの監督作品ではないが製作と主演を務めている、クリントらしい映画である。
まさに名人芸なる勘を働かせて高校の有望な選手をプロ野球にスカウトする役柄だ。しかしこんな勘の世界は今やIT世界には通用しない。全てデータ主義(日本では昔野村監督データデータと鼻につくほど叫んでいたのが懐かしいがこのデータはいわゆる記憶力としてのデータ整理に過ぎず、人工頭脳的な解析などではない。勘だけよりはマシだろうが)として新人であろうと全て管理下にある人間の姿に、愛想をつかすというかついていけない男の生き方とその中にも現代に通用する勘もあるということが言いたいのだろう。狂言の節回しに愛する一人娘は、子供の頃構ってくれず親類の家に預けられ、孤独に悩んだ娘の恨み節と、まさに親に逆らうようなIT的会社の弁護士としてパートナーにならんと日夜働くキャリアーウーマンだ。まさに親父が嫌う<マッチポンプ>のような非情な弁護士の道とあまりにも合理主義の娘の生き方もあるが、それでも可愛い娘であり何としてもその道で成功したらとの願望もある。大事な仕事の時に視力の衰えで勘が働かないのではないかと首になりそうな親父を励ますために休暇を取って娘は故郷にやってきた。親父の野球狂の幼年時代もあり、娘には親父の血も引いている。会社からは代役を任命すると脅され、一方で親父の名人芸的人間的な社会風土への尊敬の心も生じ、会社へは戻らず滞在を延長してしまう。親への最後の親孝行という、表面いがみ合いながらも父親への思いやりは、ぐーっと画面から伝わる、クリントらしい映画だ。この娘には今や名女優エイミー・アダムスが見事な演技で圧倒させる。この二人の親子の生き生きとした愛がこれほどまでに画面に溢れ出る映画も素晴らしい。二度目の鑑賞だが良い映画とは何度見ても新鮮なのだ。そして鑑賞者の老いゆく己との感動の変化が自分でもわかる映画の面白さでもある。
。。。。。。。。
ネットより拝借
監督 ロバート・ロレンツ
脚本 ランディ・ブラウン
製作 クリント・イーストウッド
ロバート・ロレンツ
ミシェル・ワイズラー
製作総指揮 ティム・ムーア
出演者 クリント・イーストウッド
エイミー・アダムス
ジャスティン・ティンバーレイク
マシュー・リラード
ジョン・グッドマン
音楽 マルコ・ベルトラミ[1]
撮影 トム・スターン
編集 ジョエル・コックス
公開2012年9月21日
製作国 アメリカ合衆国
家庭を顧みず、メジャーリーグアトランタ・ブレーブスのスカウトマンとして生きてきたガス(クリント・イーストウッド)は長年名スカウトとして腕を振るってきたが、ここのところ年のせいで視力が衰えてきていた。彼の最後のスカウトの旅に手を貸したのは、父との間にわだかまりを感じ続けてきたひとり娘のミッキー(エイミー・アダムス)で(女の子なのに名バッターミッキー・マントルから名前を採った)33歳になり、弁護士として活躍している。39歳の妻を亡くし(墓参りでYou are my sunshine.を口ずさんで涙ぐむ)、男手ひとつで育てようとして育てられなかった父娘の旅の最後にそれぞれが見つけた人生の特等席とは…。
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奥山篤信 映画評 アメリカ映画『人生の特等席』(Trouble with the Curve)2012 公開2012年当時執筆
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本日封切り、
太郎(早稲田大学卒 還暦 元過激派 家庭内粗大ごみ)
花子(太郎を尊敬する外資系キャリアー女性 慶應義塾大学卒 ハーバード大学MBA 宗教カトリック)に登場し語って貰おう。その前に
この映画のキャスティング
監督: ロバート・ロレンツ 17年間クリント・イーストウッドに丁稚奉公監督術習得
主な俳優:
クリント・イーストウッド - ガス・ロベル
エイミー・アダムス - ミッキー・ロベル
ジャスティン・ティンバーレイク - ジョニー・フラナガン
マシュー・リラード - フィリップ・サンダーソン
ジョン・グッドマン - ピート・クライン
スコット・イーストウッド - ビリー・クラーク
エイミー・アダムズは『ダウト』『フィイター』の二回にわたってアカデミー賞助演賞にノミネートされた。イタリアで生まれたイタリア系アメリカ人。
会話
太郎:いやイーストウッド関係はワシの心にぐっと刺さるので見逃さないんで今日花子さに付き合って貰って封切りで見たんや
花子:私もイーストウッドの正義感や優しさ、それに悪に対して情け容赦なく立ち向かう姿、それに頑固一徹の偏屈老人のイメージが大好きなの!でも良かったね この映画!
太郎:なんちゅうても父と娘の葛藤を描いて最後はアメリカ映画らしく<現代西部劇>ともいえる大団円があってなんか見た後も気分が爽快や!
花子:ほんと<現代西部劇>とはぴったりね!でもこの結末はこれから見る人の為にネタばれしないように伏せておきましょうね!
太郎:この偏屈親父が緑内障で目が見えなくなりかけており、スカウト業にも問題が出て来たんだが、頑固それを隠し通す意地 頑固な男が絶滅品種になってきたな 特にこの日本では!
花子:娘は親父さんとそっくりの頑固者だが弁護士で出世すべく、いよいよ今の案件に勝訴したらパートナーと約束されている。そこに親父の友人が、親父の様子が変なので心配して娘に家に帰って親父さんと過ごして様子見てくれと頼まれるの
太郎:娘は6歳の時に母親を亡くし親父に一年間同居していたが次々と親戚やら寄宿舎に追い出された恨みからくるトラウマを持っている。その一方で親父さんのスカウト業からやたらに野球にマニアックに詳しい。親父さんへの恨みもあるがその一方で憧れもあるいわばアンビバレントな感情なんやな!
花子:最初はパートナーがかかった重要案件を休めないとケッポったが、やはり親は親!心配になって二日間休暇を取る。それでもいきなり無愛想に父親に当たられ頭に来る娘
太郎:でも娘は会社の仕事をしながら父のスカウト業のそばで助けるんや!ある有名選手をスカウトすべくレッドソックスから獲得命令を受けたんやが、父親は職人芸で目は不自由だが球が当たる音やバットの音でどうもその有名選手に疑問を感じていた。娘がそれを手助け直球には強いがカーブが駄目だというのを近くで確認するんや
花子:そんな中で元投手の男が球団からお目付け役で父親の傍にやってくる。そして娘とほのぼのとした恋に陥るのよね。
太郎:つまり構図として父親は解雇されるかの瀬戸際 娘は早く会社に戻るようにと業を煮やした会社から代役を登板させパートナーの夢も水泡に帰した。娘は勤務地でボーイフレンドがおり、一方こちらで新しい恋人候補ができる。
花子:アメリカに居た時そら私だって恋をしたのよ!面白かったのはアメリカ人って、例えば食事だけの段階、ネッキングまでの段階、そして本番とあるとするじゃない。段階ごとに<もう一歩踏み出すことはどうだろうか>と女性に聞くのよね?おかしくって、でもこれってあとで何とか未遂で訴えられるのを防ぐために事前合意という手順なのかしら?ほんとアメリカ人って雰囲気作れないのよね。欧州人と全然違う!
太郎:確かに付き合っているNYCのユダヤ人がそんなこと言っていた!ははは この映画では突然姿を消した娘に彼氏が電話でね電話ででよ!でこんな確認しようとして娘はそんな気分ではないとケッポって居たね。
花子:そしてこちらにきての男性ときたら、ネッキングを避けられ、何するかと思ったら突然パンツ一枚になって池に飛び込むの。おかしいったら!それで水の中から君も来ないって誘うだから。でもこの魔術的誘惑!彼女もついに下着姿で池に飛び込む。花子だってこんなことされたら負けちゃうかもね!くすっ
太郎:それで!この映画で一番大切なのは娘が父親に何故自分を抛りだしたかと問いただす場面。父親はしゃべりたがらない。二三回悶着があって、あるとき遂に父親が真相を語る。そして2人は和解する。
花子:泣けてくるわね!この場面 だって女の子って父親が基本的に憧れだし好きなのよ!それなのに娘の愛情に応えない父親って本当に悔しい思いだったんだと思うわ。だからこそ一流弁護士になるためにわき目も振らず働いたのよ!判るわ!太郎さん、ちゃんとお嬢さん大切にしてるんでしょうね!!
太郎:うーん わしもワーカホリックで家庭を顧みなかったから娘がどう思っているか心配なんや!
花子:大丈夫よ 太郎さんの優しい眼差しは娘さんも良く判っていると思うわ!
太郎:この映画は父と娘の和解に向けての涙の物語だが、なにしろ父と娘の仕事が失敗したかのように見えたが最後はハピーエンド この辺がすっきりして良いね
花子:エイミー・アダムズって名女優の卵だけど、本当にイタリア系というようりはヤンキー女丸出しの体格と気が強い感じで、頑固な親父の血をひきながらも向かい合って努力しようとする愛に満ち溢れている演技だったわね!わたしもカトリックだけどいがみ合って居ても和解を求める愛、そしてそんな強い愛が報いられる救いの業など・・愛する努力って損得勘定など離れてイニシアティブを取らないと駄目っていうことね!
太郎:ワシは唯物主義者で人生終わりかけで、花子さんの言うことは判るようで判らんようで、でもこんなあったかいストーリーにはつい泣いてしまった!
人生って素晴らしいもんや 人生万歳
花子:太郎さん映画のあとご馳走までしてくれてありがとう。家に帰ったら娘さんに私が見立てたお土産あげなさいよ!
太郎:レッドソックスが親父の反対を押し切ってカーブに弱い選手を莫大なカネで取ってしまった。これって松阪への皮肉かな 爆笑
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(その5)アメリカ映画「インビクタス/負けざる者たちInvictus」2009
約10年ぶりにこの映画をアマゾンプライムのスティックで見た。上映当時の僕の映画評は下記にある。現代の心境として根本的に違うのはこのころ神学に興味を持って、ある意味でキリスト教に対する過大評価があったが、今はそれが<全く>ゼロだということだ。イーストウッド自身キリスト教信者と僕は思うが、彼はあくまでも本来のイエスの考え方は今の組織悪としてのカトリックの偽善と欺瞞の権化の姿に対して怒りがあり、キリスト教とはイエスの高邁な考え方は現代にはそのままマッチしないが、一つのより何処りの意味はある程度の信者ということだ。
マンデラの素晴らしさは、はっきり言ってやや偽善の匂いも漂うガンディーより僕ははるかに評価したい。
彼にはユーモアが満ち溢れており、かつ政治的センスも抜群で、あのマンデラなるテロリストが完全に政治的自由を得て釈放された時の白人の恐怖感とおののきは相当なものと想像されるし、あの悪妻のウイニー(元マンデラ夫人 離婚)がマンデラに<白人の全ての財産を没収し白人を国外に追放せよ>と迫ってこれに同調しなかったマンデラの冷静な政治的決断がある。
政治的ショウとして白人と富裕の象徴であるラグビー、そして過去の栄光はどこにやらと落魄れていた緑と金のボッカチームをW杯に優勝させることが白人と黒人の融和につながると考えた政治センス、もちろんスポーツの勝負をいくらサポートしても勝負はコントロールできない。しかしマンデラの話す白黒のアパルトヘイトした歴史の中で見事な冷静公平な語りは政治家として最高の部類に文句なしに入れられるだろう。結果はW杯の奇跡とも呼ばれた南アフリカの勝利だった。そんな意味でこういう感動の実話を映画監督として見事な映画化したクリント・イーストウッドは偉大な監督と言える。
この映画で題名であるインビクタスのポエムをチームの白人キャプテンに渡す場面があるが:これは英国人で幼少の頃カリエスにかかって片足を失った19世紀の詩人WILLIAM ERNEST HENLEYのものだ!病魔とその後遺症と戦う人間の不屈の精神を書いたものであり、誇りを失わない闘いこそ人間の尊厳であることを、まさにそれは恐怖心を心から駆逐する力なのだ!
Out of the night that covers me, 
Black as the pit from pole to pole, 
I thank whatever gods may be 
For my unconquerable soul. 
In the fell clutch of circumstance 
I have not winced nor cried aloud. 
Under the bludgeonings of chance 
My head is bloody, but unbowed. 
Beyond this place of wrath and tears 
Looms but the Horror of the shade, 
And yet the menace of the years 
Finds and shall find me unafraid. 
It matters not how strait the gate, 
How charged with punishments the scroll, 
I am the master of my fate, 
I am the captain of my soul. 
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◎アメリカ映画「インビクタス/負けざる者たちInvictus」2009 ☆☆☆☆☆ 2010年2月書いたもの 
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ネルソン・マンデラは人類史上誇るべき人類愛の確固たる裏付けに基いた品格と指導力を持ち合わせていることは間違いない。10年以上前だったかネルソン・マンデラの自伝「自由への長い道」を読んだ感動が忘れられない。絶えずユーモアを振りまき、27年獄中の弾圧に拘わらず復讐心を克己し、人種間の和解と宥和を求めた大統領はまさにキリスト精神の実践ともいえる。「勇者とは、何もおそれない人間ではなく、おそれを克服する人間のことなのだ。」
これほど自己抑制の強い人物は世界の政治家に見当たらない。ガンジーも卓越しているが、マンデラはそれ以上ではないか。それはマンデラにはしたたかな洞察力・政治力が加えてあるからだろう。
そんな偉人を描いたアメリカの巨匠クリント・イーストウッドはこの映画でついに人生の最終境地をマンデラを通して描いたといえる。初期の正義の復讐暴力の炸裂から「グラントリノ」の復讐暴力の「落としまえ」ともいえるラストシーンまで彼のテーマは正義の復讐ともいえる。
この映画はマンデラが大統領に就任した人種間の緊張のなかのラグビーを通しての人種の宥和と国家の誇りを高揚感を以って描いている。当時白人社会では黒人大統領就任に不安が広がっていた。そこで"balancing black aspirations with white fears."にてのマンデラの手腕が冒頭描かれる。
どうしようもないナショナルフラッグチームであるラグビーチームしかも一人の黒人を除いてまさに白人チームSpringboks(冒頭白人がラグビーを遊び、片や黒人がサッカーをしている二つのスポーツの階級の典型が映し出される)を鼓舞してワールドカップ勝利を獲得するまでのストーリーである。マンデラの言葉に「楽観的であるということは、顔を常に太陽へ向け、足を常に前へ踏み出すことである。」というのがあるがこの映画でもラグビーチームに賭ける彼の楽観性がある。因みに原題のInvictusとはラテン語で不屈という意味である。 
とにかくこの映画を見ると最初から最後まで2時間10分見るもののアドレナリンと美しい涙を流させる、最後のニュージーランドAll Blacksとの死闘を観ると、その肉弾戦の実戦のようなリアルな迫力に観るものは思わずSpringboksの応援に体が昂奮してくるほどの臨場感がある。
この映画でのマンデラに扮するモーガン・フリーマンの演技は抑制が効いていて素晴らしい。これほどマンデラに似た演技をできる俳優は他にあるまい。それにラグビーチームヘッドにはマット・デイモンが扮し見事な演技を見せる。本年度アカデミー賞では前者は主演男優賞、後者は助演男優賞にノミネートされている。他の映画は知らないがモーガン・フリーマンは有力ではないか!
マンデラこそが、かような過酷な半生を忍耐と希望で乗り切ったものこそが、「他者への愛」や「人類愛」「平和」を語る資格があるのであって、日本の鳩山以下偽善と欺瞞に満ちた「友愛」「命」など奇麗事を吐く民主党の言葉など語るに落ちるというものである。実際映画が終わってからエンドロールで世界は一つなるような歌が流れるが、いつもならそんな美辞麗句にこそばくなる僕だが、この映画においては納得できるのである。それほどマンデラの人間性にほれ込ませる映画であり、あまねく評価は5☆ではないだろうか!

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創刊日:2005-02-04  
最終発行日:  
発行周期:週間  
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