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甦れ美しい日本

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甦れ美しい日本 第1686号

2019/01/22

□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2019年1月22日 第1686号 )

              
  ☆☆甦れ美しい日本☆☆


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☆☆ 偽 善 と 欺 瞞 を 憎 む 私 た ち は 書 き た い か ら 書 く の で す。☆☆
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☆☆☆日 本 人 の、 日 本 人 に よ る、 日 本 人 の た め の 政 治 を 取 り 戻 せ!☆☆☆
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◎世界の動きを決める!データ覇権争いと暗号通貨〜松田学の次の新著が出版されます〜

元衆議院議員 松田政策研究所代表 東京大学大学院客員教授 松田学

かつては「石油」(一次産品)、そして「金融」でしたが、国際政治や軍事を動かす戦略分野はいまや「情報」に、しかもAI(人工知能)で使える電子データへとシフトしています。現在、データこそが付加価値の最大の源泉。世界の企業時価総額ランキング10位以内は情報関連が占め、世界の外交にもデータ覇権争いが強く反映される時代になりました。

米中貿易戦争の根底にあるのも、未来の覇権を決めることになる情報技術。ブロックチェーン技術を進化させた中国は、人民元建て暗号通貨の発行でドル基軸通貨体制に挑戦しようとしています。世界経済の不透明感が強まり、一触即発状態にある国際金融情勢の裏側にも、仮想通貨(暗号通貨)をめぐる米中覇権争いがあります。米中対立の構図をさらに複雑にしているのが、売上額が日本のGDPの3分の2にのぼるITプラットフォーマー「GAFA」やグローバルヘッジファンド、国家の枠組みを超えて国家を揺るがす勢力です。しかも、国際金融市場ではAIどうしが勝手にコミュニケーションを取り合い、独自に賢くなりながら人間には分からないプロセスで相場まで動かしています。

リアリズムに立った政策論を、そんな思いでこのたび、サイバーや仮想通貨に関する私の著書の第二弾を上梓します。昨年8月に上梓した松田学(著)「サイバーセキュリティと仮想通貨が日本を救う」(創藝社)に続く本で、題して「米中知られざる『仮想通貨』戦争の内幕」(宝島社)、今回は共著です。世界中のヘッジファンド等から情報が入る伊藤秀俊さんと執筆しました。以下は、私が書いた本書のはしがきからの引用です。

――東京に暗号通貨の特区をつくってみてはどうか。このことで私と伊藤秀俊さんとが意気投合したのは、2018年の春先でした。サイバーセキュリティーのシステムを構築しようとするプロジェクトのプレゼンテーションの仕事で、韓国や台湾の空港と会場との間を往復する車中でのことでした。

「仮想」というと、それこそ眉唾もののおカネの話に聞こえてしまう方がまだ多いようです。実体がないのに価格だけが思惑で急変動したり、何百億円ものおカネが一瞬にして消えたり、こんなものはとても危険で信用ならない、と。しかし、現在では仮想通貨がこれからの国際秩序の帰趨まで決めようとしています。

2018年は日本でも暗号通貨をめぐって様々な動きがありました。前年には、価格が一年間で20倍にもなったビットコインを始め、その規模が国内でも20倍になるなどフィーバーになっていたのが仮想通貨。その相場も、半値八掛け二割引へと暴落、あれだけ期待を集めたICO(Initial Coin Offering)も上場後に価格割れという事態が相次ぎました。なんと言っても大きな出来事は、年明けにコインチェック事件が起き、金融庁が登録業者の認可に対して厳しい態度で臨むようになったことでしょう。G20など通貨当局の国際的な議論の場でも、規制強化の気運が高まっています。

しかし、事実として捉えれば、暗号通貨は各国でも次々と新しい技術が開発され、世界中に広まり続けています。日本の金融庁も決してこれを潰そうとしているわけではありません。これまで根拠法規があまりに不十分でしたが、2019年には法案が国会に提出され、暗号通貨の一部には金融商品取引法のもとに堂々とその存在が位置づけられるものが出てくるようになります。証券を電子化したトークンで広く投資を募るSTO(Security Token Offering)が、新しい資金調達手段として世界の金融の主流になっていく勢いです。

そもそも本物の通貨を扱う役所にいた人間が、なぜ仮想通貨の本を書くのか。広く情報技術として暗号通貨を捉えれば、それは来たる未来社会を支える重要な基盤となるからです。私は、インターネット革命の次なる革命として世界的に進行していく「ブロックチェーン革命」にどう向き合うかということに、日本の道を考えるヒントがあると考えています。暗号通貨が支える未来社会についても描いてみました。これを世界のなかで先導する国になるのが日本であってほしいと思っています。

日本はこれからどこに向かっていくのか、私たちは明るい未来を手に入れることができるのか。本書が少しでもこのことを考えていく糧になれば幸いです。――

今年はいよいよブロックチェーン革命に取り組みます。本書では、私が前著で提唱した政府暗号通貨(松田プラン)に加え、「東京クリプト金融特区」構想、クリプトキャッシュの3つの融合スキームで政策提言をしています。1月25日発売、ぜひご一読ください。

 

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目次
◎真悟通信  西郷南洲は今も生きている
◎奥山篤信の映画批評 仏英ベルギー合作映画<ナチス第三の男 原題The Man with the Iron Heart>2017

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◎真悟通信  西郷南洲は今も生きている
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旧臘、NHKの西郷南洲の生涯を描いた大河ドラマが終わった。
私は、そのドラマの、
西郷が奄美大島の龍郷に配流され、
そこで龍愛子(愛加那)さんと出会うまでは観たが、
以後は観なかった。
その理由は、原作者とNHKが、
私が感じる西郷南洲の実像を描ききれるとは思えなかったからだ。
要するに、我が心の西郷をNHKに歪められるのが嫌だったのだ。
もとより、私が完璧なる西郷像を有しているのではない。
しかし、西郷から受けた忘れ得ない魂の呼応は持っている。
それを大切にしたい。
だから、NHKは、観なかった。

振り返れば、
西郷南洲のことを、ほぼ毎日思い浮かべる幾多の日々を経てきたように思える。
私にとって、このような人は、西郷さんと乃木希典閣下、しかいない。
そして、時々、楠木正成公だ。

私が、会えば必ず西郷南洲のことを語り、
時に涙ぐむので、
司法修習生の時から教えを受けた
故小寺一矢先生が、
「眞悟、あいつ、死ぬ気でおるんちゃうか」
と心配していた、と亡くなった後に同期から聞いた。

毎年、薩摩の南洲墓地に参っている。
沖永良部と奄美大島で西郷さんを偲んだ。
奄美大島は、何度も行ったが、
そのたびに、龍郷にある愛加那さんの「龍愛子」と刻まれたお墓に参っている。
ここ二年、南洲墓地に参るときには、
鹿児島神社に参り、
山下 剛宮司が、薩摩琵琶で奏でる
西郷南洲の最後の戦いを勝海舟が詠んだ「城山」に心耳を傾ける。
薩摩琵琶は、弦楽器だと思っていたが、
戦いの場面は打楽器になる。
「明治ととせの秋の末」、即ち明治十年九月二十三日の晩、
翌午前四時に総攻撃を開始すると官軍から西郷軍に伝達があった。
そして、
官軍は山に海軍軍楽隊を上げて洋楽を奏で花火を上げた。
西郷軍は、南洲以下諸将が、洞窟前に集まり、
残った食料や焼酎を分け合い、決別の宴を開いた。
益森三四郎は、喉を振り絞って馬方節を謡いながら馬方踊りを踊った。
山中には、
薩摩琵琶のなんともいえない音調が深夜に至るまで響いていた。

 
安政五年(一八五七年)生まれの後藤新平は、
児玉源太郎台湾総督の下で府民生局長として台湾のインフラ建設に辣腕を振るい、
初代満鉄総裁を務め、
関東大震災後の大規模な帝都復興計画を立案実行した人物で、
そのスケールの大きさから「大風呂敷」とあだ名された傑物であるが、
少年時代に西郷南洲を垣間見た。
それは、主人(新政府高官)のお供をして霞ヶ関付近を歩いている時だった。
すると向こうから薩摩絣と兵児帯姿の大きな図体の男が歩いてくる。
それを見た主人がハッとうずくまって礼をしたので、
自分も慌てて主人の横で地面に手をつけて礼をした。
すると、
その大男はのっしのっしと歩いてきて、
「お暑うがすなあ」
と挨拶して悠然と歩いて行った。
低い声で「あれはどなたですか」と尋ねると、
「あれが西郷南洲」と教えられた。
後藤は、その時のことを、後年、次のように繰り返し語っていたという。

「英雄とか偉人とかいうものは、
ちょうど名画家の傑作のようなもので、
たった一瞬ハッと見ただけでも、
それが終生忘れられないものだ。
俺もあのときの『お暑うがすなあ』と、
あの粗い薩摩絣とが、いまも頭にこびりついてるところをみると、
西郷さんという人も、偉い人であったに違いない。」
 
また、西南の役終結一ヶ月前の激戦の山中で、
目の前を歩く西郷を十六歳の少年兵が目撃した。
そして、大正十年に六十歳になったこの少年兵が次のように語った。
 
先生は、みなが私学校帽と称していた帽子をかぶり、
草鞋脚絆に一刀を帯び、前を悠然とお通りになったが、
満面のびやかな笑みを含み、眉の間に血色をおどらせ、
そして我々が恭しくささげた礼を、
にこやかに受けられた。
その態度は、まるで平和な山野に狩りにでも出ている時の人のようで、
何処から官軍の弾丸が飛んでくるかわからぬ危険に直面している人とは見えない。
この世にまたとない大英雄の風采偉容とは、こんな人かと、
そぞろに崇敬の念を禁じ得なかった。

以上、「大西郷の逸話」西田實著より。
このように、二人の少年が、たった一度だけ目の当たりに見た西郷から
強烈な印象を受けた。
また、福沢諭吉の親戚で慶應義塾で英語を学んだ豊前中津藩士増田曾太郎は、
六十三名の藩士を率いて西郷軍に加わっていたが、
軍解散の指令が出た際、
西郷に会ったことのない他の仲間を全員郷里に帰し、
自分だけ西郷軍残って戦死する。
その残る理由を次のように仲間に語った。
それは、
「一日先生に接すれば一日の愛生ず。
三日先生に接すれば三日の愛生ず。
親愛日に加わり、去るべくもあらず。
今は善も悪も生死を共にせんのみ。」
であった。
明治維新後に、西洋の教育を受けた増田曾太郎も、
いざとなれば、
日本人にしか分からない魂の衝動に駆られたような理由を友に語って、
西郷と生死を共にしてゆくのだ。
呆然とするほどの、
西郷の人を死に向かわせる魅力と言う以外にない。
 
では、その西郷はどのような風貌だったのであろうか。
西郷は、その写真を遺さなかったので明確に知ることはできないが、
東京の上野に立つ西郷の銅像が、
その風貌を最もよく伝えていると思う。
西郷の二度目の流罪地である沖永良部にある西郷の資料館には、
徳川幕府が西郷を捕縛するために各地に配布した西郷の「人相書き」が遺されている。
それを見ると、まさに上野の西郷像と同じである。
この像は、高村光雲が
西郷の弟を初めとして生前の西郷と接した人々から風貌を聞き取り造りあげたものだ。
また、浴衣に兵児帯と草鞋の西郷の像の姿であるが、
糸子夫人は、不満だったように伝えられている。
しかし、軍服や勲章というあらゆる世俗の地位を示すものは一切なく、
山野のなかで犬を連れて歩く西郷の姿こそ、西郷らしい。
この像の姿は、
西郷の従弟の大山巌元帥の提案に基づくものだと言われている。

大山巌は、六歳の小稚児の時から
薩摩特有の少年教育制度である郷中で、
十四歳年上の西郷南洲に鍛えられ成長した。
西郷から生涯消えない最も深い影響を受けた。
この最も西郷を知る大山巌元帥が、
上野に立つ浴衣で犬を連れた西郷像を決めた。
大山巌は戊辰の戦いの後欧州に派遣されジュネーブで学ぶ。
そして、西南の役の開戦に先立ち、西郷と行動を共にしようとするが、
西郷は珍しく、烈火のように怒ってそれを許さなかった。
そして、
明治十年九月、大山は西郷を討つ立場で城山にいた。
それから、二十八年後の明治三十八年三月、
大山は、
日露戦争において我が国の存亡をかけた世界陸上会戦史上最大の決戦となった
奉天大会戦において、
二十四万九八百名の日本軍の総司令官として我が国を勝利に導いた。
西郷は、西南の役の前、大山を最もよく知る者として、
生きて苦難に勝ち日本を守れと、
大山を追い返したのか。
大正五年、死を間近にした大山は、昏睡状態に陥る。
その時、大山は、「兄さ、兄さ」と言った。
付き添っていた妻の捨松は、大山に言った。
「貴方、やっと、西郷さんに会えたのですね」

話を戻し、
西郷の「遺訓」を見る。
その「遺訓」には、
上野の像は、
この一日の西郷を抜き出して
上野に立たしたのではないかと思われる次の一節がある。

「翁に従て犬を駆り兎を追ひ、
山谷を跋渉して終日猟り暮らし、
一田家に投宿し、浴終わりて心神いと爽快に見えさせ給ひ、
悠然として申されけるは、
君子の心は常に斯くの如くにこそ有らんと思ふなりと。」
 
森信三先生は、
「この一節あることによって『遺訓』全体が真に生きてくると思うのであります。・・・すなわちこの一節によって『遺訓』全体に深い立体感が与えられるのであります。」
と、昭和十四年に満州の建国大学で学生に語られた。
誠に心にしみる。
そして、上野の像を、この一節の日の西郷の姿にした
大山巌元帥と彫刻家高村光雲に敬意を表する。
 
さて、この西郷南洲の「遺訓」は、
戊辰の役で、西郷に倒された庄内藩士達が、
はるばる東北から薩摩の西郷に会いにきて筆録したものだ。
このこと自体、
底知れない西郷の人を引きつける力を示すものである。
それ故、庄内藩士達の筆録は、
現在においても出版され続けている。

この「遺訓」の中に、
西郷が泣く場面が記録されている。
西郷は、
維新によって突然転がり込んだ権勢に溺れる新政府の連中が、
「家屋を飾り、衣服をかざり、美妾を抱え、蓄財を謀る」
状況を語り、
「今となりては戊辰の義戦も偏に私を営みたる姿に成り行き、
天下に対し戦死者に対して面目無きぞ」
と語りしきりに涙を流すのだ。
また、西郷は、この以前にも、
薩摩まで維新直後の新政府の状況を報告しに来た弟の西郷従道から、
その権勢に溺れる連中の様を聞き泣いている。
 
ここに、
西郷が、西南の役に至る理由と、
明治十年九月二十四日払暁、
城山の洞窟から出て
官軍が包囲して狙い撃ちされるなかを岩崎谷に向けて歩き始めた理由がある。
即ち、西郷は、楽に死ぬのではなく、
弾丸と刃によって戦死しなければならないと思っていたのだ。
そうでなければ、
天下に対し戦死者に対して申し訳がないぞ、と。
如何なる時でも死んでいった仲間を忘れなかった。
これが西郷だ。

それ故、西郷は、弾丸霰のなかで、
何度も自裁を促す別府晋介に対して、
その都度、
「まだ、まだ」
と歩き続けた。
そして、遂に弾丸は二発同時に、
西郷の股と腹に当たった。
そのとき、西郷は、始めて別府晋介を顧みて
「晋どん、晋どん、もうこん辺りでよか」
と言って、跪坐し
双手を合わせ遙か東天の天子を拝した。
別府は、その西郷に歩み寄り、
「ご免なったもんせ」
と叫ぶなり、
一刀のもとに西郷の首を斬りおとした。
西郷南洲享年五十一歳。
別府晋介は、
「先生の御最後、先生のお供をする者は皆こい」
と絶叫しながら突撃して、乱戦のなかで斃れた。
享年三十一歳。
 
この西郷南洲とは何だったのか。
茫漠として表現しようとする願いを放棄せざるを得ない。
ただ言えることは、
勲章をぶら下げた維新の元勲達の名が、みな忘れられても、
日本人が日本人である限り、
西郷南洲の名は、忘れられることはない。

西郷は武士の最後の者だ。
西郷は、西洋の文明が如何に押し寄せても武士であった。
武士であるということは、
西郷は、百四十年後の現在に至るまで、
日本人の在り方を我らに示し続け、
日本国の道義を示し続けている存在だということだ。
「遺訓」に言う。
○命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。
○正道を践み國を以て斃るるの精神なくば、外国交際は全かるべからず。
彼の強大に畏怖し、円滑を主として、曲げて彼の意に従順すると時は、軽侮を招き、
好親却って破れ、終に彼の制を受くるに至らん。
○文明とは道の普く行わるるを賞称せる言にして、宮台の荘厳、衣服の美麗、
外観の浮華を言ふには非ず。
世人の唱ふる所、何が文明やら、何が野蛮やらちとも分からぬぞ。
予嘗て或人と議論せしこと有り、
西洋は大和の野蛮じゃと云いしかば、否な文明じぞと争ふ。
否な野蛮じゃと畳みかけしに、
何とて夫れ程に申すにやと推せしゆえ、
実に文明ならば、
未開の國に対しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導く可きに、
左はなくして、未開蒙昧の國に対する程むごく残忍の事を致し己を利するは、
野蛮じゃと申せしかば、
其の人口をつぼめて言無かりきとて笑われける。

城山に戻る。
西郷の首と胴体は、二つとも官軍に収容された。
その首を洗わせて、
山県有朋が、両手で受け取り、西郷南洲の顔を見つめた。
その状況を江藤淳が次のように書いている(「南洲残影」文藝春秋刊)。

「このとき実は山県は、
自裁せず戦死した西郷南洲という強烈な思想と対決していたのである。
陽明学でもない、『敬天愛人』ですらない、国粋主義でも、拝外思想でもない、
それらすべてを越えながら、
日本人の心情を深く揺り動かして止まない『西郷南洲』という思想。
マルクス主義もアナーキズムもそのあらゆる変種も、
近代化論もポストモダニズムも、
日本人はかつて
『西郷南洲』
以上の強力な思想を一度ももったことがなかった。」
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◎奥山篤信の映画批評 仏英ベルギー合作映画<ナチス第三の男 原題The Man with the Iron Heart>2017 ~月刊日本2月号より=
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〜ハイドリヒは、まさにヒトラーが欲しがっていたタイプそのものだった。冷酷の化身だった。ラルフ・ジョルダーノ〜

ナチス・ドイツのナチス時代のヨーロッパの実態を描いて、未だにそれに匹敵する映画はないのが、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『地獄に堕ちた勇者ども』(1969)である。大枠は、製鋼業王(クルップ家を連想させる)ドイツのエッセンベック男爵家で起きた権力をめぐる骨肉の争いと退廃(ペドフィリア、近親相姦)の物語でシェイクスピアの「マクベス」やトーマス・マンの「ブッデンブローク家の人々」、ドストエフスキーの「悪霊」を重ね合わせられる見事な地獄絵を描いて、三島由紀夫も絶賛した映画だ。

 

<HHhH>(Himmlers Hirn heißt Heydrich)というフランスのローラン・ビネLaurent Binet著2010の大ベストセラーがあるが、仏語原書を英訳・和訳と照らし合わせながら繰り返し読んだものだ。この作品は2010年フランスの最も権威あるゴンクール賞2010 Prix Goncourt du Premier Romanを受賞した。内容はノンフィクション、これは作家が自分の愛人とプラハにて足を運んで自分のリアルな好奇心から調査したハイドリッヒ暗殺計画Anthropoid類人猿作戦を、克明に描いて、まさにこれほど熱中させる本はない。<能と狂言>の対比と言うのは言い過ぎだが、このノンフィクションの面白さは取材する主人公と愛人の日常の現代感覚とひと世代前の狂気のハイドリッヒの時代とを交錯しながら書かれているのが超一級の作品としてユニークなのだ。

さてハイドリッヒは過去三回映画化されている、すなわち『死刑執行人もまた死す』(43)、『暁の7人』(75) 『ハイドリヒを撃て!』(2017)があり本映画はこの原作に基づいている。

 

ラインハルト・トリスタン・オイゲン・ハイドリヒ(Reinhard Tristan Eugen Heydrich, 1904年3月7日 - 1942年6月4日)は、ドイツの政治警察権力を一手に掌握し、ハインリヒ・ヒムラーに次ぐ親衛隊の実力者となった。ユダヤ人問題の最終的解決計画(ヴァンゼー会議)の実質的な推進者で、その冷酷さから「金髪の野獣(Die blonde Bestie)」と呼ばれた。元々は海軍に勤務していたが、女性関係のもつれから名誉除隊となり、運よく後に夫人となるナチスを狂信する名家の女性に愛され、コネを利用しつつ、その限りない野心と冷徹な頭脳で、這い上がり、そしてチェコ保護領の実質統治者として君臨した。危機感を抱いた英国政府は、ロンドンのチェコ亡命政府をして、2人の若き兵士(チェコ人とスロバキア人)を暗殺チームとしてプラハへ潜入させ、ハイドリヒ暗殺計画を計画した。

 

ハイドリッヒという人間は人間学を勉強するには最も怪奇で野心的な男だ。ドストエフスキーの「悪霊」の主人公にニコライ・スタヴローギンという人物がいる。類い稀な美貌と並外れた知力・体力をもつ全編の主人公であるが、徹底したニヒリストで、キリーロフ曰く「彼は自分が何も信じていないということさえ信じていない」人物だが、ハイドリッヒとはこれに似た男だったのか?将軍の息子として生まれたスタヴローギンと、音楽家の倅として生まれたハイドリッヒは幼少からバイオリンを奏でる繊細な心をもつ。スタヴローギンは、競走馬に乗って人を踏み倒すとか、衆人環視の前で貴婦人を侮辱する、挙げ句の果ては少女マトリョーシャを凌辱して自殺に追い込んだ恐るべき罪業、その得体の知れない不気味さを感じるが、ハイドリッヒの女性関係さらにはプラハでの殺戮など見るとその精神性に共通点はあるが、果たしてどうだろうか?そんなハイドリッヒの悪魔性には歴史的人物として興味が尽きないのである。

悪の限りのハイドリッヒと、それに同調する夫人の異様さなど、この映画ではそんな雰囲気を湛えた人物をリナ夫人を<ゴーン・ガール>の主演だったロザムンド・バイクが好演している。

そんな深い意味の性格描写が、不朽の名作であるヴィスコンティ監督レヴェルに到達したであろうか?・・いやこの映画は、むしろ当時のチェコの愛国者の献身的な愛国心による、自己犠牲に活路を求める男たちの正義の戦いを描いたものではないだろうか。正月25日より公開される。

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メルマガ情報

創刊日:2005-02-04  
最終発行日:  
発行周期:週間  
Score!: 98 点   

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