政治・経済

甦れ美しい日本

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甦れ美しい日本 第1681号

2018/12/26

□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2018年12月26日 第1681号 )

              
  ☆☆甦れ美しい日本☆☆


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☆☆ 偽 善 と 欺 瞞 を 憎 む 私 た ち は 書 き た い か ら 書 く の で す。☆☆
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☆☆☆日 本 人 の、 日 本 人 に よ る、 日 本 人 の た め の 政 治 を 取 り 戻 せ!☆☆☆
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◎長らく(本年8月24日メルマガ1680号)より休刊しておりましたが、再開致します。種々保守論壇の投稿を企画しておりますので引き続きご愛顧お願いします。
目次
◎松田学 人物評価の基準
◎奥山篤信 書評 宮崎正弘著<青空の下で読むニーチェ>勉誠出版
◎奥山篤信の映画批評 レバノン映画<判決、ふたつの希望 L'INSULTE/THE INSULT>2017 ??5
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◎松田学 人物評価の基準
〜意外と知られていない安倍政治の本質〜問題はポスト安倍政治の不在にあり〜
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国会では安倍総理が掲げる憲法改正が議論にすら入れないまま、今年も終わろうとしています。改憲、拉致問題、北方領土。この3つは戦後70年、あるいは半世紀にわたり解決されてこなかった日本の国家としての大テーマ。在任中にこれらを解決することを掲げる安倍総理ですが、いずれも道筋が見えておらず、特に改憲ができなければ、安倍総理は歴史に汚名を残すことにもなりかねません。
私が運営する松田政策研究所の動画チャンネルで先日、日本の論壇の中では安倍総理からの信頼の厚い小川榮太郎氏と、安倍政権の本質やポスト安倍政治の課題などについて対談をしました。私も衆議院議員の頃はずいぶんと国会で安倍総理と議論を交わしましたが、同氏の政権評は見事なほど的確。見解がピタリ一致しました。
誰が相手であれ不条理が大嫌いな性格であるがゆえに、時々ムキになる安倍総理、実は、その答弁はレトリックに満ち、政治言語として面白く、挑発的な心理戦も含め英国議会流のスタイルだと言われれば、確かにそうなのかもしれません。しかし、政治は結果です。前記の3つの大テーマをひるむことなく掲げ続ける安倍総理は、現局面での日本の宰相として、その使命ゆえの賭けに出ている。その理由の一つに「もりかけ」問題があるとは興味深い指摘でした。あの実態なき疑惑を書き立てたメディアが断罪されることなく、その手法が通用することを日本の社会は許してしまった。改憲が出てくれば、議論以前にメディアが潰しにかかってくるだろう。だからこそ賭けに出て改憲を言い続ける。なるほど…。
安倍政権は国家の大テーマを遂行する政治的必要条件としてまずは経済に注力し、外交安全保障ではリアリストとして戦後から積み残された課題の解決へと、さまざまな成果を構築しました。しかし、内政面では、日本がいかなる国を目指すのか、長期的なビジョンのほうは後回しになったことは否めません。私が「新しい国づくり」の中身の提示を国会でも安倍総理に求めてきたとおりです。だからこそ、問われてくるのはポスト安倍政治。
安倍政権が築いた骨格的な土台の上に、では、次の政治はどんな未来を構築するのか。日本の絶対的な死活問題としての少子化や人口減少問題の解決において、個人と国家の間に介在せざるを得ない共同体(コミュニティ)のあり方をどう設計するのか。価値観やイデオロギーが関わる政治が選択肢を示さねばならない分野です。問題は、小川氏の指摘のように、新しい次の国のかたちをプランニングし、その面で名乗りをあげられる政治家が皆無であること。これでは政治の死、深刻な事態です。逆に、いまの政界は、安倍政権を軸に人材のエネルギーが吸い取られ、次への準備ができない構造に陥っているようです。
私と小川氏とで意見が一致したのは、これから必要なのは「リアリズムに基づく保守政治」。私自身が未来社会の基盤となるさまざまな事業プロジェクトを遂行しているのも、このことが念頭にあります。ただ、日本で「保守」といえば、これまではスローガンと情念に基づく保守。日本は意外と、これが国民から広くは支持されない国です。
千数百年続いてきた日本の国柄や国民性に目を向ければ、日本の国是は聖徳太子以来、「自由」と「話し合い」というのが小川氏の指摘。人間は決して賢くない、誰も絶対的に正しいことを言うことはできない、だからこそ和を貴びつつ、万機公論に決す。これは一つの絶対的に正しいテーゼを追求する共産主義や「リベラル革新」とは一線を画す保守の理念の本質であるとともに、日本に根付いてきた民主主義の伝統でもあります。
いま世界では民主主義の危機が叫ばれていますが、日本は自国の国柄を科学技術の最先端にも通じた徹底したリアリズムと結びつけることで、独自の価値や仕組みを構築し、世界に発信できる国になれるはずです。次なる政治の軸を真剣に組み立てるべき局面が到来していると思います。

元衆議院議員 松田政策研究所代表 東京大学大学院客員教授 

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◎奥山篤信 書評 宮崎正弘著<青空の下で読むニーチェ>勉誠出版
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宮崎正弘氏を存じ上げてもう20年経つだろうか?当時僕はまだまさサラリーマン卒業したばかりで、勉強不足で政治や思想や宗教など幼児期だった。そんな中で宮崎氏のメルマガはかぶりつくように読んだものだ。宮崎氏の勉強会にも足を運んだ。あの亡き鉄人と言える片岡鉄也と話ができたのも勉強会だった。もちろん憂国忌も欠かさずに参加していた。(ここ10年はサボっているが)
さて宮崎氏はいわゆる大学の先生方やゴリゴリの保守論壇とは基本的に異なるのは、まず人生を冒険的にそして知識欲を持って実体験していることだ。大学などの専門家など、まさに専門馬鹿で頭の柔軟性や世俗とは何かに対して頭が回らないいわば人間的に何の魅力もない人物がほとんどだ。そうかと言って経営者出身の論壇は、知識が浅い人が多く、保守としても単なる<戦後の堕落はマッカーサーの日本弱体化施政が悪かった>の一点張りのバカの一つ覚えが常だ。もちろん一部に僕が尊敬しているお亡くなりになった方、現在もご健在の経営者卒の先輩たちの議論には素晴らしい現実性があることも事実だ。
そんな意味で宮崎氏は普通の世俗の俗っぽい話でも、人間の欲望についての議論でも何にでも軽蔑の眼は全くなく楽しく話せる<器の広さ>というよりも<俗っぽさに積極的に人間の本質を見る鋭さと人情>があるので、僕だけでなく、これだけ人気があるのも当然だろう。
しかもゴリゴリ保守と異なり、冷静で公平な立場の違う者の考え方も評価して受け入れる(寛容性)が日本の保守論壇にありがちな共通の<スローガン性>が一切ない。つまり保守と言っても、その<スローガン性>たるや左翼の教条主義と変わらない、すなわち頭の硬さのみで柔軟性一切ないのだ。

さらに宮崎氏の的確な鋭い視線それは現場主義というか現地へのルポルタージュと取材力に裏つけられた稀有のジャーナリストだ。同氏のシナの20年前からの予言は全て当たっているがそればかりでなく世界の情勢を判断する能力の凄さは比類がない。

それで本論に入るがこの著は今までにない宮崎氏の半生の総括として読める面白さで一気に読んだ。何よりも日本人のニーチェを単なるニヒリズムというスローガンで誤解している風潮に対してきめ細かくしかも世界の日本の論壇の解釈も引用しながら見事な筋道を立てての議論が納得できるのだ。ちなみに内容は下記の通り:
プロローグ 「ニヒリズム」を「虚無主義」と翻訳したのは誤まりだ
第一章 人生に戦闘的に取り組むことがニーチェ主義だ
第二章 ニーチェ思想の体系
第三章 三島由紀夫とニーチェ
第四章 ニーチェと西部邁
第五章 武士道こそニヒリズムの極致だ
第六章 磊落さ、楽天主義
エピローグ 人間は誰でも死ぬのである
いわゆるニヒリズムを体系的に体系的に分類しているのが面白い。まさに退廃的厭世的なニヒリズムとは全く異なる積極的ポジティブニヒリズムこそニーチェの言わんとするところだと言うことだ。三島由紀夫然り、西部邁然り、ヘミングウエイ然りだ。
宮崎氏のキリスト教理解も神学部のご経験もなくここまで本質を突いて語っている。悪い意味でのニヒリズムとはまさにあなた方キリスト教こそが世界史上最悪のニヒリズムというのは僕の神学体験からの結論だが、まさに宮崎氏の考え方も<キリスト教そのものがニヒリズム>とニーチェを引用しつつもご自身もその考えだと推測した。キリスト教のようなまさに<人間の原罪>を常に信者に枷として負わせ、常に僕に言わすれば、人間らしいあまりに人間的な原罪(必ずしも犯罪ではないものにまで)まで罪悪感を持たせ教会の軛に繫ぎ止める、いわば卑劣な手法が2000年の支配者の道具たるキリスト教会の手口であると言っても言い過ぎではない。まさにキリスト教こそが、あのギリシャ・ローマの偉大な人間の積極的な生き様を謳歌したのに比べ、マゾヒズム的思考の暗い暗い生き方(実際自分の背中を釘付の鞭で叩き鮮血をみてイエスに倣う狂信的教徒、あるいは砂漠で孤独に自分を痛めつける砂漠でのイエスに倣う修道僧など)信じがたいが、これもキリスト教の奴隷発祥の宗教である所以だと僕は考える。まさにニーチェは世に言う誤解のニヒリズムとは程遠い実際は積極的な前向きな人間の生き様を謳歌しているのだ。キリスト教こそ世の中真っ暗となるような人間の健康なる欲望を罪として否定し、神に望みを託して<神に立ち返る>ことを押し付ける極めて<暗い>、青空とは程遠い人生を強制するカルトだと言うことだ。
とにかく僕が色々講釈しても二重になるので三島由紀夫への造詣の深い宮崎氏の展開は、最も愛する三島ファンである僕の目から鱗であった。

最後にこの本を何回も読み返せばまさにニーチェの言いたいことが理解できるし、三島由紀夫や世界の<知の巨人たち>の思想が理解できる素晴らしい著書だ。僕は60歳半ばでの神学部大学院時代に生まれて初めて哲学史など、東京大学哲学の先生方の著書を教科書として学んだが、この大学教授どもの教科書がいかに傲慢で理解に苦しむ解説か、こんな連中がヘーゲルやカントやサルトルを語ってもちんぷんかんぷんになるだけであり、一方まさに西欧哲学そして仏教神道を宮崎氏が噛み砕いてここに読みやすい形で解説している。日本の学生諸君よ!ニーチェ研究のみならず哲学を学ぶものはこの本を読めば理解ができるほど、<頭の良い人物は複雑で難しいことを、わかりやすく明瞭に書ける能力のある人>と言える稀有の宮崎氏の筆致を見ることができる。お奨めの書だ!
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◎奥山篤信の映画批評 レバノン映画<判決、ふたつの希望  L'INSULTE/THE INSULT>2017 ??5
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〜正義(ジャスティス)というのは人それぞれにあるが、公正(フェア)は揺るがし難い。不公平を正したいというのが弁護士としての母の信念だった〜
本年度最高の映画だろう。監督ジアド・ドゥエイリはレバノン人そしてアメリカで映画を勉強しあのタランティーノの下で撮影アシスタントで働いた。だからこそレバノン人にしては垢抜けた画像とスピード感があり、一切観客は目を話せない演出だ。
レバノンの首都はベイルートかって中東のパリと言われるほど美しい港町であり世界の富豪そしてパリの文化が満喫できた場所、残念ながら僕はその時代を知らず、1975年から1990年まで続いた内戦は、今だに危険すぎて近寄れない、かってのプチ・パリだったベイルートは、西と東に分断され、街には瓦礫の山が築かれた。地中海沿いに立っていた瀟洒なリゾートホテル群も、各陣営の闘いの砦となり、戦火に覆われた。
この映画の主人公(原告)は愛国レバノン人、マロン派キリスト教で熱狂的なパレスティナ排他主義者、かたや被告はパレスティナ難民で不法就労でレバノンで働いている。被告の言葉で過剰に怒ったレバノン人は謝罪を要求するが、逆に謝罪に来たパレスシナ人に対し最大限の侮辱の言葉を吐き、これに怒ったパレスティナ人の殴打を浴びて肋骨を二本骨折。ちょうど妻が臨月の際、この原因で早産で未熟児が生まれる。
このような問題を政治的にあるいは個人の売り込みで利用する連中が、まさにある意味では些細な出来事に憎悪をかきたて国家問題として脚光をあびる。
面白いのがレバノン人は幼少の時バナナ園を経営していた富裕階級であることが判明する、実はその村ごとパレスティナ、あるいはその他のイスラム民兵に略奪されジェノサイドに有った苦い思い出と苦しみがある。だからこそ徹底的パレスティナ排除主義者となったのだ。
一方パレスティナ人もかってイスラエルのシャロン将軍などの大量虐殺事件を経験しており、レバノン人に対しても遺恨がある。
こう言う憎しみは我々日本人には想像もつかないものだ。しかし現実世界にはそんな宗教間民族間の血で血を洗う惨劇が常に存在する。ユーゴスラビアのチトー後の内乱、インド独立のイスラム・ヒンズー同士の虐殺、アフリカの多くの国、しかし日本はまさに戦争には負けたが異種民族に略奪された経験はほとんどない。もちろんいやアメリカ軍による長崎広島原爆や戦後の駐留軍による様々な略奪などあると言う向きもあるだろうが、まさに日本国内で実況放送として取り上げられるような内戦はなかった。だから最初この映画のくだらない諍いの理由が、能天気な平和ボケの僕もピンとこなかったのも事実だ。
さらにこの映画の面白さは原告弁護人にまさにマロン派の差別主義者の野心家の老獪な弁護士、かたや被告弁護士が、なんとこの策士の娘で理想主義者でパレスティナへの差別に義憤を感じている人権弁護士だ。彼女がすごい美人であり、正論をたてて実父を追い詰める場面の面白さ。Christine Choueiri というレバノン美人だ。
監督はシドニー・ルメット監督の『評決』とスタンリー・クレイマー監督の『ニュールンベルグ裁判』から大きな影響を受けていると語る。しかしそれ以上にこの映画を作るにあたって影響を受けたのは実母らしい。今だ80歳になるのに弁護士の現役であり、彼女よりアドバイスを受けたという。その母の叔父は最高裁の判事も務めたらしい法曹界の名門らしい。
「小さい頃から、母が家で熱心に仕事をしているのを見てきた。それほど大きな訴訟を扱っていたわけではないが、いつも権利を奪われた人のためには徹底的に闘っていた。正義(ジャスティス)というのは人それぞれにあるが、公正(フェア)は揺るがし難い。不公平を正したいというのが弁護士としての母の信念だった」
確かに正義とはそれぞれの価値観があるから異なるだろう。キリスト教信者の正義と僕のような徹底的無神論者と正義について異なる場面は確かにあるだろう。だが公正ということはどんあ場合でもあるべきだということだ。僕はこの監督の言葉を頭に置いて映画をご覧になれば良いと思う。映画の女性名裁判長は監督が母親への愛を投射したに違いない。筋を通す立派な女裁判長だ!
感動した場面: たまたま大統領に呼ばれた二人が駐車場でそれぞれの車で帰ろうとする。車は前と後ろが逆に駐車されている。よって同時に車に乗れないので譲り合った。ところが被告の車がエンスト 走り去った原告の車、バックミラーで困っているのが見えて引き返してきた。そしてエンジンがかかるように修理した(原告は修理工)。そして敵味方もないかのごとくさりげなく去っていく。この場面は故淀川長治が興奮して語りそうな最高の場面だ!
それと名判断により裁判が終わって二人が抱き合うなどセンチメンタルな場面がないのが素晴らしい。
離反しそうな弁護士同士の親と娘の決裂も最終的に老獪な日和見の親の、ある意味での原告への背信行為、世論迎合もあったが、破局には至らなかったメデタシメデタシ。(月刊日本2019年1月号より)

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創刊日:2005-02-04  
最終発行日:  
発行周期:週間  
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