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甦れ美しい日本

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甦れ美しい日本 第1665号

2018/05/12

□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2018年5月12日 第1665号 )

              
  ☆☆甦れ美しい日本☆☆


☆☆怒 り を も っ て 自 分 の 目 標 に 向 か っ て い る 人 間 は し つ こ く て 強 い。☆☆
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☆☆ 偽 善 と 欺 瞞 を 憎 む 私 た ち は 書 き た い か ら 書 く の で す。☆☆
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☆☆☆日 本 人 の、 日 本 人 に よ る、 日 本 人 の た め の 政 治 を 取 り 戻 せ!☆☆☆
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新刊発売ご案内 
『キリスト教というカルト 信者になれない、これだけの理由 新書 ? 2018/4/3
奥山 篤信 (著), (発行)春吉書房 
◎まさにカトリックいやキリスト教がせねばならないのは自らの歴史とその原因を究明する努力であり、どっかの神父や牧師のように綺麗事だけ並べて愛あいアイと叫んでいても誰も信用しなくなる。そんな意味で僕の畏敬する下記の神父様は本当に勇気ある事に立ち向かって行かれようとされている。素晴らしいことだ!これこそ今後キリスト教が生き延びるための試練でありまさに真っ先に取り組むべき反省なのだ!
実にあっぱれだ!もしも僕の暴露本過激本(引用されているが)が何らかの導火線いや起爆剤に役立ったと思うのは自信過剰だろうが結構なことだ!!
賞賛する次第!だから前から言うように立派な神父は欧州には大勢いるし日本でも稀有だが立派な神父は存在するには存在するのだ!僕の三部作が引用されているのだ!
 奥山篤信『人は何のために死ぬべきか――キリスト教から読み解く死生観』スペースキューブ、2014年。
 奥山篤信『キリスト教を世に問う!』展転社、2017年。
 奥山篤信『キリスト教というカルト――信者になれない、これだけの理由』春吉書房、2018年。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■講演「悪について」(全5回)某所某神父
      
*概要
1.「非存在としての悪=善の欠如」
2.「苦しみの意味;復讐か祝福か(ペルソナ論);詩篇22」
3.「神のわざの表裏一体性;慈しみと裁き(神義論)」
4.「自由意志/自己中心性(人間論)」
5.「構造悪/解決不能な頑固なる現実(救済論)」
*参考;西欧のキリスト教システムがかかえる「負の歴史的遺産」
 以下の9つのポイントが、西欧のキリスト教社会の人々を意図的に「非キリスト教化」する役割を果たした(イエス・キリストの姿勢から逸脱させる原因となった)。そして、非キリスト教社会の人々に対してはキリスト教に対する不信感や批判をいだかせる原因になっている。
 ?.魔女狩りと宗教裁判(1229−1783年;554年間)
 ?.植民地支配(帝国主義的資本主義)→キリスト教を支配手段として用いた。
 ?.反セミティズム(反ユダヤ主義)→ナチス政権による600万人以上のユダヤ人虐殺(ホロコースト)
 ?.核兵器の使用→広島・長崎
 ?.東西冷戦の思想;「資本主義」対「共産主義」の無益な対立
 ?.宗教戦争→?十字軍における宗教的熱狂ゆえの非寛容と残虐さ
      →?16世紀のプロテスタント諸派とローマ・カトリックとの確執
 ?.ファシズムの台頭;20世紀前半(ナチス政権、ムッソリーニ政権、軍国主義的大日本帝国など)→国家は構造悪を抱えている←教会は預言者となるべきである。
?.欧米の一部のローマ・カトリック司祭による小児性愛傾向・性的虐待事件
?.奴隷制度の容認(古代ローマ帝国、16世紀以降のアフリカや南米)、男性優位社会の容認
 *以上の項目は、石田学『日本における宣教共同体の形成――使徒信条の文脈的注解』新教出版社、2004年、19−25頁を参照して作成したが、石田は7つの視点を強調していたのに対して、あと2つの項目を付加することとした。つまり、?と?は阿部が新たに設定した項目である。時代の状況を鑑みて、そのようにした。
*参考書
 スティーヴン・T・デイヴィス(本多峰子訳)『神は悪の問題に答えられるか――神義論をめぐる五つの答え』教文館、2002年。
 土井健司『キリスト教は戦争好きか――キリスト教的思考入門』朝日新聞出版、2012年。
 ジャック・デュプイ(阿部仲麻呂監修・解説・註釈/越知健・越知倫子訳/森一弘推薦)『キリスト教と諸宗教――対決から対話へ』教友社、2018年。
 ヘレン・エラーブ(井沢元彦監修、杉谷浩子訳)『キリスト教暗黒の裏面史――誰も書かなかった西欧文明のダークサイド』(徳間文庫)徳間書店、2004年。
 不干斎ハビアン「破提宇子」(海老沢有道訳編『南蛮寺興廃記・邪教大意・妙貞問答・破提宇子』(東洋文庫14)平凡社、1964年、275−334頁。
 本多峰子『悪と苦難の問題へのイエスの答え――イエスと神義論』キリスト新聞社、2018年。
 エーリッヒ・フロム『悪について』(ちくま学芸文庫)筑摩書房、2018年。
 井上彰三『ペットも天国へ行けるの?』ヨベル、2014年。
 今村純子『シモーヌ・ヴェイユの詩学』慶應義塾大学出版会、2010年。
 石川明人『キリスト教と戦争――「愛と平和」を説きつつ戦う論理』(中公新書)中央公論新社、2016年。
 伊藤滋子『幻の帝国――南米イエズス会士の夢と挫折』同成社、2001年。
 岩田靖夫『極限の事態と人間の生の意味――大震災の体験から』(筑摩選書)筑摩書房、2015年。
 加賀乙彦『悪魔のささやき』(集英社新書)集英社、2006年。
 U.H.J.ケルトナー(相賀昇訳)『この苦しみはいつまで?――悪と苦しみと死についての神学的考察』教文館、2004年。
 菊池章太『悪魔という救い』(朝日新書)朝日新聞社、2008年。
 小山晃佑(森泉弘次・加山久夫編訳)『神学と暴力――非暴力的愛の神学をめざして』教文館、2009年。
 教皇庁国際神学委員会(東門陽二郎訳)『記憶と和解――教会と過去の種々の過失』カトリック中央協議会、2002年。
 ピエール・ルジャンドル(森元庸介訳)『西洋をエンジン・テストする――キリスト教的制度空間とその分裂』以文社、2012年。
 N.T.ライト(本多峰子訳)『悪と神の正義』教文館、2018年。
 A.リンゼイ(宇都宮秀和訳)『神は何のために動物を造ったのか――動物の権利の神学』教文館、2001年。
 町田宗鳳『なぜ宗教は平和を妨げるのか――「正義」「大義」の名の下で』(講談社+α新書)講談社、2004年。
 ホアン・マシア『脅かされるいのち――胚の操作から武器の市場まで』オリエンス宗教研究所、2002年。
 ホアン・マシア『暴力と宗教――闘争か和解か、人間の選択』オリエンス宗教研究所、2005年。
 松山寿一『人間と悪――処女作『悪の起源論』を読む』(叢書シェリング入門1)萌書房、2004年。
 トム・マッカーシー監督DVD『スポットライト――世紀のスクープ』バップ、2016年。
 森一弘『心の闇を乗り越えて――「私の歩んできた道」』オリエンス宗教研究所、2004年。
 仲正昌樹『悪と全体主義――ハンナ・アーレントから考える』(NHK出版新書)NHK出版、2018年。
 中村雄二郎『悪の哲学ノート』岩波書店、1994年。
 中村雄二郎『日本文化における悪と罪』新潮社、1998年。
 中島隆博『悪の哲学――中国哲学の想像力』(筑摩選書)筑摩書房、2012年。
 中島義道『悪について』(岩波新書)岩波書店、2005年。
 西山俊彦『カトリック教会と奴隷貿易――現代資本主義の興隆に関連して』サンパウロ、2005年。
 奥山篤信『人は何のために死ぬべきか――キリスト教から読み解く死生観』スペースキューブ、2014年。
 奥山篤信『キリスト教を世に問う!』展転社、2017年。
 奥山篤信『キリスト教というカルト――信者になれない、これだけの理由』春吉書房、2018年。
 スコット・ペック(森英明訳)『平気でうそをつく人たち――虚偽と邪悪の心理学』(草思社文庫)草思社、2011年。
 レオ・シェストフ(植野修司訳)『悪の哲学――絶望からの出発』雄渾社、1967
年。
 ルシオ・デ・ソウザ(岡美穂子訳)『大航海時代の日本人奴隷――アジア・新大陸・ヨーロッパ』(中公叢書)中央公論新社、2017年。
 ドロテー・ゼレ(西山健路訳)『苦しみ』新教出版社、1975年。
 マーサ・スタウト(木村博江訳)『良心をもたない人たち』(草思社文庫)草思社、2012年。
ミクロス・ヴェトー(今村純子訳)『シモーヌ・ヴェイユの哲学――その形而上学的転回』慶應義塾大学出版会、2006年。
 シモーヌ・ヴェイユ(渡辺義愛訳)『重力と恩寵(新版)』春秋社、2009年。
 山崎裕子「悪の倫理――人はなぜ過ちを繰り返すのか」(立教大学国際学部叢書編集委員会『世界と未来への架橋』創成社、2017年、914−934頁所載)。
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◎西村真悟通信 日本国憲法は、日本への執拗な極度の軽蔑と復讐の文書である
平成30年5月6日(日)

「憲法記念日!」に、「アーロン収容所」を思い浮かべた。
京都大学の教授だった会田雄次さんは、
日本軍兵士としてビルマ戦線で戦い、
敗れてイギリス軍の捕虜となって二年余の間、
ビルマにあるイギリス軍の「アーロン収容所」に収容された。
そして、戦後、
「アーロン収容所」という本を書いた。
何故書いたのか。
その理由を「まえがき」に次のように述べている。

「私たちだけが知られざる英軍の、イギリス人の正体を
垣間見た気がしてならなかったからである。
いや、たしかに、見届けたはずだ。
それは、恐ろしい怪物であった。
この怪物が、
ほとんどの全アジア人を、何百年にわたって支配してきた。
そして、そのことが
全アジア人のすべての不幸の根源になってきたのだ。」

次に、その「アーロン収容所」の本文に紹介されている、
イギリス人の「発想」と「論理」を紹介する。
この論理こそ、会田雄次さんが、「怪物」と言ったイギリス人の
アジア人もしくは有色人種そして異教徒に接するときに現れる論理である。
つまり、
最も非人道的なことを、さらに、最も野蛮なことを、
人道主義の名において、そして、信仰の何おいて、
為せる発想と論理だ。

(1)イギリス軍は、
日本兵捕虜の「収容小屋」の横に「豚小屋」を建てた。
そして、豚に与える餌を、
日本軍捕虜に与える餌(食事)よりも上質なものにした。
そこで、堪え兼ねた日本軍将校が、イギリス軍将校に、
せめて、豚に与えている餌のレベルに我らの食事を改善してくれと要求した。
すると、イギリス軍将校は、次のように答えた。
「我らは、非常に人道的に君たちを扱っている。
豚に与えている餌を君たちに与えるという非人道的なことはしない。」

(2)イギリス軍が、
日本軍捕虜に与える米は、ビルマの下等米で、しかもひどく臭い米であった。
その上、ある時期にはやたら砂が多く、三割ぐらい泥と砂の場合もあった。
それで、捕虜達は、日本軍司令部に、
イギリス軍に抗議してくれと申し込んだ。
その抗議に対し、イギリス軍担当者は、
真面目にそして真剣に、次の通り返答した。
「日本軍に支給している米は、
当ビルマにおいて、家畜飼料として使用し、なんら害なきものである。」

(3)イギリス軍は、
イラワジ川の、潮が満ちてくれば何時間も一尺くらいの深さになるまで水没する
毛ガニがたくさんいる中洲に、百何十人かの日本軍鉄道隊の捕虜を収容した。
捕虜達は飢えに苦しんだ。
しかし、中洲にいる毛ガニは美味しいカニだが、
アメーバー赤痢菌をもっており
生で食えば赤痢に罹患し血便と血反吐を吐いて死ぬ。
そこで、イギリス軍は、
カニには病原菌がいるから生食してはいけないという命令を出していた。
しかし、一日数時間も水没する中洲に薪は無く、
飢えた兵隊は生で毛ガニを食べて死んでいった。
監視のイギリス兵は、
みんなが死に絶えるまで、岸から双眼鏡で毎日観察していた。
そして、全員が死に絶えたのを見届けて、
次の通り上司に報告した。
「日本兵は衛生観念に乏しく、
イギリス軍の度重なる警告にもかかわらず、
生カニを補食し、疫病にかかって全滅した。まことに遺憾である。」

(4)イギリス人の女達は、
日本兵捕虜を人間として意識していない。
会田さんは、
看護婦や女兵士の部屋の掃除をするために部屋に入り驚いた。
一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからだ。
しかし、女は、入ってきたのが日本兵だと知ると、
何事も無かったかのようにまた髪をすき始めた。
イギリス人は、大小の用便中でも
日本兵捕虜が掃除のために、部屋にはいっても平気であった。

イギリス軍の処置の中には、
「復讐」という意味がかならずふくまれていた・・・。
問題は、その復讐の仕方である。
日本人がよくやったような、殴ったり蹴ったりの直接行動はほとんどない。
しかし、
一見いかにも合理的な処置の奥底に、
この上なく執拗な、極度の軽蔑と、猫がネズミをいたぶるような復讐、
がこめられていたように思う(会田雄次氏)。

以上が、会田雄次さんが、「アーロン収容所」を書くに至った、
捕虜として体験したイギリス人である。
そして、私は、
憲法記念日!?に、
この「アーロン収容所」を思い出したのだ。
ビルマ戦線における日本軍兵士を支配した「アーロン収容所」の
「イギリス人」を、
同時期に、日本本国において、
日本国と全日本人を占領支配して、
平和と人権と民主主義を強調した「日本国憲法」を書いて押しつけた
「アメリカ人」に置き換えれば、
見事に、その発想と論理は一致している。
もともと、アメリカは、
イギリスで住めなくなったイギリス人が造った国だ。
本家のイギリス人は、「アーロン収容所」の日本人だけを支配したが、
分家のアメリカ人は、
本家と同じ論理で、「全日本」の日本人を支配したのではないか。
つまり、GHQと、
その最高司令官マッカーサーは、
日本を占領統治したが、
その占領目的は、
アーロン収容所のイギリス人と同じ「復讐」だった。
そして、その復讐の仕方こそ、
「アーロン収容所」で会田雄次さんが経験したのと同じやり方ではなかったのか。
即ち、
民主主義の名において、もっとも非民主的な支配をし、
平和の名において、日本が滅ぶように仕組み、
人権の名において、日本国民を砂粒のようにバラバラした。
彼らは、「日本国憲法」によって、
日本に、民主主義と平和主義と人権尊重を宣言させるという、
この一見いかにも合理的な処置の奥底に、
日本人に対する
「この上なく執拗な、極度の軽蔑と、猫がネズミをなぶるような復讐」
を込めたのではないか。

マッカーサーの母校のアメリカ陸軍士官学校ウエスト・ポイントの資料館には、
開戦初頭で、一挙にシンガポールを陥落させて、
数百年に及ぶ白人優位の世界秩序を打倒した世界的名将となり、
終戦間近にフィリピンの第十四軍司令官としてマッカーサーに降伏し、
六ヶ月後に、マッカーサーによってフィリピン現地で絞首刑に処された、
山下奉文陸軍大将の軍刀が、
我が国の降伏文書とともに展示されている。
これを見たとき、私は、
開戦初頭に、日本軍に追い詰められて
フィリピンのバターン半島から七万の部下を見捨てて逃げた
マッカーサーの、日本と山下閣下に対する陰湿で執拗な妬みと復讐心を感じた。

マッカーサーとそのGHQの幕僚は、
その意図を巧妙に隠した。
従って、未だに、日本国民の一部には、
五月三日には、
憲法九条を守れとか、
憲法改正は戦争に至る道とか、いう集会を開いて、
マッカーサーが巧妙に隠した意図通り踊らされている。
しかし、日本国憲法の中の「二箇所」から、
彼らの意図の全容が見える。
その「二箇所」とは、
まず、九条第二項。
「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。」である。
前段の戦力は「これを保持しない」という条項の内容はともかく、
その主語は明確である。
しかし、次の、この国の交戦権を「認めない」という一文の主語は誰なのか。
この書き方は、異様である。
この一文の主語は、書き方からして日本国民ではない。
それは、マッカーサーGHQつまりアメリカ人ではないか。
この条文は、
「マッカーサーは日本の交戦権は、これを認めない」
と書かれているのだ。
ここに、マッカーサーの「復讐」が表面に現れ出ている。
マッカーサー、本音を見せたり、である。
これこそ、天網恢々疎にして漏らさず、だ。
次は、前文。
そこでは、冒頭に、
主権は日本国民に存することが宣言されているが、
同時に、その国民は、主権の存する自分たちの政府の行為によって、
「再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」
そのために、自らの政府ではなく、
「平和を愛する諸国民の公正と信義」
を信頼して、
「われらの安全と生存を保持しようと決意した」と宣言されている。
つまり、
日本国民は、12歳以下の無能力者であるから、
自分たちの政府では戦争を起こす可能性があるので、
自らの政府を信頼するのではなく、
「平和を愛する諸国民の公正と信義」に頼れ、
と書いてあるのだ。
このような、
自国民を未熟児扱いしする前文を掲げている憲法など、あろうか!
ここにマッカーサー、GHQの
日本に対する「極度の軽蔑と執拗な復讐」が現れていると思われないか。
以上の通り、
「日本国憲法」とは、
会田雄次さんが「アーロン収容所」で経験した同じ論理によって仕組まれた、
アメリカ人のマッカーサーとGHQによって仕組まれた
日本に対する
「この上なく執拗な、極度の軽蔑と、猫がネズミをなぶるような復讐」
を遂げるための文書であり、
我が国の『憲法』ではない。
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◎佐藤守   「大東亜戦争の真実を求めて 655」

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当時もそうであったが、今でも外交交渉には“秘密”が付きまとう。しかし利益を優先するメディアはそうではない。いち早く情報を入手し、他社を蹴落として利益を独占したがる。いわば「スクープ」狙いである。それには、政治家も関与していて、政敵をつぶすための工作をしかける。戦後は特に「愛国心」が欠如しているから、全てが自己の利益獲得にまい進する傾向が大である。

それは情報を早く獲得した方が、外交はもとより、全ての主導権を握るからである。その最たるものが、大東亜戦争前の情報戦で、近衛と朝日新聞記者の尾崎秀美、それにゾルゲの暗躍であった。昭和中期とはいえ、この頃の政界人には、明治期の伊藤と陸奥のような警戒心が微塵も見られなくなっていたのが残念である。

更にそれに輪をかけたのが、勃興してきたメディア間の競争であり、いかにして発行部数、つまり利益を獲得するかに必死だった。メディアの奢りと、国よりも自社の収益優先主義、記者の名誉欲が拡大していったのは、明治維新から遠くなり、日本人の愛国心が変質していった証だと言うべきだろう。

続いて目を見張るのは、伊藤と陸奥が留意していた「戦争開始時の重要事項」つまり、起きた戦争をいかに終結させるか、と言う「終戦の方策」に対する自覚なのだが、伊藤と陸奥が取った方策が「講和の下関会議の端緒」となったのである。

続いて岡崎氏は「二十六 李鴻章の老猾さ――愛すべきずるかしこさ」と題して、下関会議の分析に入る。

≪戦局の帰趨が次第に見えてくるにつれて、欧州列強は干渉の準備に入った。

 初めは、あまり過大な要求をするなという程度の申し入れで、何が過大なのか分からなかったが、『ロンドン・タイムズ』は、ロシアが列強を誘って干渉する意思のあることを報じて、列強は、日本が中国大陸を寸土たりとも割取することを認めないだろう、と論じ、干渉の方向も大体、分かってきた。

 ここで、陸奥は、こうなっては講和の進展を少しでも早めるほうがよいと考えて、アメリカ公使を通じて清国に、「日本国政府は、清国にて軍費賠償および朝鮮国独立を確認する外に、戦争の結果として土地を割譲し、および将来の交際を律するため、確然たる条約を締結することを基礎とし談判し得べき全権を具備する使臣を再派するに非ざれば、更に何らの講和使を派遣するもその使事全く無効に帰すべし」(賠償と朝鮮独立の外に、土地の割譲と通商条約の締結の全権を有する大臣を派遣するのでなければ、新たな代表を派遣しても無意味である)と言って、ある程度、日本側の条件を清国側に洩らしている。もう一度、中途半端な代表が来て時間を稼がれては、今度は日本側が困るからである。

 これに対して、入れ違いに、清国側は、李鴻章に全権を与えて派遣する旨、通報してきた。これで講和談判のお膳立てができたわけであり、会談は、明治二十八年三月二十日から下関で始まった。

 李鴻章は、伊藤総理と旧知の間柄で、古希以上の年齢だったが、かつて曾国藩が「その容貌、詞令以て人を圧服するに足る」(その容貌と言葉で人を圧倒するには十分だ)と表現したそのままであった。講和会談で、李鴻章は、開口一番、中国人一流の言辞を用いて、日本側を説得しようと試みる≫

 しかし、清国の重鎮である李鴻章も、日本側に負けずとも劣らぬ手ごわい交渉相手であった。しかし、幸いなことに、伊藤総理は彼と旧知の仲であったから、その手腕を予期していた。

≪【口語訳=日清両国は、同文同種のアジアの二大帝国である。一時は戦争をしても、永久の友好関係を回復しなければならない。むしろ、前よりももっと仲の良い友邦となることを期待する。

 さて、現在、東洋が世界の中におかれている地位を洞察されている点では、伊藤伯の右に出るものがあろうか。西洋の大波は、東洋に向かって押し寄せてきている。今こそ、われわれ黄色人種が協力して、白人に対抗するよう心がけるべき時である。

 また最近の日本の改革事業は、讃嘆すべきものがあり、一にこれは、伊藤総理の為政がよいからである。清国の改革はまだうまくいっていないが、これは、私の才略が及ばないからである。しかし、今回の戦争は、実に、二つのよい結果をもたらした。その一つは、日本がヨーロッパ風の軍隊を組織して、それが成功したことで、黄色人種も白人に負けないことを示した。

 もう一つは、この戦争により、清国が永い眠りの夢から醒まされたことであり、これこそ、日本が清国を発奮させ、清国の将来の進歩を助けてくれたものであり、絶大な利益を与えたというべきである。だから、清国人の中には、日本を恨んでいるものも多いが、私はむしろ、日本に感謝するところが多いと思う。

 日本は、ヨーロッパに恥じない学術知識を有し、清国は豊かな天然資源をもっている。将来、この二大帝国が協力すれば、ヨーロッパ諸国に対抗するのも難事ではあるまい】≫

 現在の、日本の外交交渉であれば、この言葉を聞いてまずメディアが李鴻章を持ち上げ、過大な程の評価を下し、わが政府の選択肢を狭めることだろう。

 今行われている日中韓の首脳会談を見ていても、単なる“親中派”だから…とは思えない“賛辞”を繰り出し、国民に“わが首相も好意的に、且つ友好を進めるべきだ”との論調で紙面を飾る。いつから新聞社やテレビ局の“解説委員”如きが、国の根幹である外交交渉にくちばしを挟むようになったのだろうか?といぶかしく思う。テレビのワイドショウに至っては常軌を逸したコメンテーターが目につく。

そしてこれらに影響された一般大衆の「世論」で政治を動かそうとする。(元空将)

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  • 名無しさん2018/05/12

    ◎西村真悟通信 日本国憲法は、日本への執拗な極度の軽蔑と復讐の文書である

    平成30年5月6日(日)は

    日本人として大変勉強になりました。

    西村先生の国政議員としての活躍を期待します。