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甦れ美しい日本

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甦れ美しい日本 第1650号

2018/01/26

□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2018年1月26日 第1650号 )

              
  ☆☆甦れ美しい日本☆☆


☆☆怒 り を も っ て 自 分 の 目 標 に 向 か っ て い る 人 間 は し つ こ く て 強 い。☆☆
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☆☆ 偽 善 と 欺 瞞 を 憎 む 私 た ち は 書 き た い か ら 書 く の で す。☆☆
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☆☆☆日 本 人 の、 日 本 人 に よ る、 日 本 人 の た め の 政 治 を 取 り 戻 せ!☆☆☆
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目次
◎佐藤守 「大東亜戦争の真実を求めて 639」
◎奥山篤信の映画批評 <ノルウェー映画<ヒトラーに屈しなかった国王 原題:Kongens nei / The King's Choice>2016
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◎佐藤守   「大東亜戦争の真実を求めて 640」

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 ≪(承前)条約改正への取り組みは、早くも、明冶維新成立直後(正確には慶応四年=一八六八)の一月十五日、動き始める。この時、詔勅をもって「これまで幕府が取り結んだ条約の中には、弊害のあるものもあるので改正したい」と声明して、各国にその意向を通告したが、相手にされなかった。

 明治四年(一八七一)の岩倉使節団の外遊の目的も、ただの海外視察ではなく、条約改定にあった。それは、安政五年(一八五八)の日米修好条約に、明治五年には条約改正の交渉ができるという規定かあったからである。しかし、外遊の結果、条約改正はそんなに容易にできるものではないということか明らかになる≫

維新直後であり、国家体制がまだ完全に確立していなかったとはいえ、新国家を支える要人たちの活動には、「お国のために」と言う意識が確立されている。

 戦後の使節団を構成する“要人たち”の質は、その意味でもあまりにもお粗末すぎる。「外遊」の字の通り、観光旅行化しているからである。その意識の低さに、岩倉具視ら“本物の使節団”一行は呆れているに違いない。

≪明治政府が本格的に条約改正交渉に収り組むのは、寺島宗則外務卿の時代(明治六〜十二年=一八七三〜七九)である。アメリカは初めから好意的であり、米国との間では関税自主権の交渉に成功するが、他の欧米語国からも同様の了解をとらなければならない条項があり、実施に至らなかった。

それは当然である。アメリカ向けだけ高い関税をかけられては、アメリカは損である。それでは多数国と交渉しようとしても、全部の国から同時に同じ条件を勝ちとることは容易ではない。その後も、条約改正交渉は、二国間交渉とするか多国間交渉とするかで、その間を行ったり来たりすることになる≫

今継続されているTPP交渉を見ればよくわかる。当時も今も、こと外交交渉となると、国益優先で他国の手を縛ることに全力を挙げるのだ。

その昔、外務省国連局に出向して、「軍縮委員会」を垣間見た時、私はつくづくそれを痛感した。会議場の表でも裏でも、参加国は自国が軍事的に有利になるための策を施し、会議の“目的”である軍縮などどうでもよいと行動していたからである。しかし我が外交官は、軍事を禁止された憲法の影響からか、ひたすら真面目に「軍縮によって平和を構築する!」と言う“使命感”に燃えていた。もとより中には、それで外交官としての地位を向上しようと言う目論みもあったに違いなかった。

尤も意識が低かったのは、軍縮委員会の活動を伝えるメディアであった。彼らは「軍縮」を文字通り解釈して、軍備を縮小することと単純に解釈していた。

軍縮会議における各国の意識は、「相手国を如何に軍縮させるか!」と言う点に集約されていたから、「軍縮」と言う看板とは違って、内容は単なる「軍備管理」に過ぎなかった。しかし当時の我が政府要人は、軍事の基礎を体得していたし、戦争の目的も実によく理解していたのである。

≪続く井上馨外相は、鹿鳴館を建てて欧化政策をすすめ、日本は欧米並みの文明国であることを宣伝して、治外法権撤廃と関税自主権の回復を目指したが、国内のナショナリストたちの反発を買い断念する。後任の大隈重信外相は、治外法権撤廃の条件としての妥協案が事前に漏れ、右翼・来島恒喜か投げた爆弾で片足を失い、条約改正も挫折する。いずれの場合も外国人を裁判する際に、外国人の判事を参加させるという妥協が、国辱として、国民の反発を買ったのである≫

政治家にとって国内に台頭するナショナリズムを軽視することはできない。外交は国内情勢に左右される。現在でも、沖縄の基地問題にそれがよく表れている。

敗戦国日本に、自作の憲法を押し付けた米国は、確かに沖縄の“自主性”を制限する行動をとることが多い。これが真の保守派にとっては対米従属と言う屈辱に写るのだが、ただ、沖縄の各種闘争は、いわゆる反米で反日思想に染まったナショナリストとは名ばかりの、似非活動家らに支配されているのであり、その点を混同してはならないと思う。尤も、占領から解放されても未だに自主独立精神を取り戻せない政府の責任の方が大きいと言えるのだが…。

≪歴代の明治政府の懸案であった条約改正を仕上げたのは、明治二十五年(一八九二)八月に発足した陸奥を外相とする第二次伊藤内閣であった。陸奥外相が選んだのは、多数国の国際会議でもなく、譲歩しそうな国の各個撃破でもなく、世界の覇権国であり、最大の通商国である英国との交渉による中央突破だった。そして英国との二国間交渉によって、大勢が決せられることになるのである。そして、治外法権は、条約発効(五年後)と同時に撤廃、関税自主権はそのまた十二年後に回復されることとなった。

 したがって、日本が関税自主権を回復するのは明治四十四年の小村外相の時であ

り、実に明治四十五年間のほぽ全期間を要する大事業であった。

 条約改正は、常に、外国との交渉と、国内の反対を抑える二正面作戦か求められた。過去の交渉は、いずれも一応、外国との交渉は妥結させながら、国内のナショナリスティックな反対で挫折していた。

 議会でも国粋主義者が圧倒的に多く、伊藤や陸奥ら開明派は少数派であった。これは、日本開国以来、明治から昭和に至るまでの日本の宿命であった。開明派は、常に少数だったが、エリートとして権力の中枢に近かったので、政策の主導権を握ることができたのである。陸奥の条約改正案は、それ自体は、反対できるような内容はなく、反対派の主張は反対のための反対であったが、それでも議会の多数は如何ともし難かった≫

現在の政治に比べれば、当時の日本人の烈々たる独立精神が伝わってくる。例え政府に批判的な者でも「愛国心」に貫かれていたのである。(元空将)

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◎奥山篤信の映画批評 <ノルウェー映画<ヒトラーに屈しなかった国王 原題:Kongens nei / The King's Choice>2016

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〜国民を代表する指導者の土壇場の苦悩と決断に感動する映画だ〜

 ノルウェーで2016年の興行成績第1位に輝き、第89回米アカデミー賞の外国語映画賞ノルウェー代表作品になった映画でなかなか性格描写や映像がハリウッドにないスタイルで、まさに僕が辺境映画として好む映画だ。ノルウェーの国民の7人の1人がこの映画を見るほど人気を得たという。

政治とは分離された日本の象徴天皇、ノルウェーもこの当時それに似た位置付けであったが、ナチスが傀儡を立てた時、命をかけてこれを阻止する国王の姿は、まさに象徴天皇なるものを離れたものであり、我が国の憲法の天皇たるものの地位と比べ興味深い。とにかく欧州の王室は筋肉隆々たるスポーツマンであり、国民を愛し、建前の民主主義を遵守し、必要なら戦争も辞さない、まさにローマ帝国を彷彿させる人々である。国民軍隊が命がけで戦っているのに皇室がそれに甘んじているわけにはいかず戦争の陣頭指揮に立ちたいとの皇太子の心意気など感動させる。あのフォークランド諸島の帰属を巡った英国とアルゼンチン政府の戦いに於いて1982年4月2日、当時軍事政権だったアルゼンチン側がフォークランド諸島に上陸。英軍との武力衝突の末、アルゼンチン軍は6月14日に降伏した。この戦争でアルゼンチン軍に649人、英国軍に255人の死者が出た。この戦争で、ウィリアム王子の叔父にあたるアンドルー王子(Prince Andrew)もヘリコプター、シーキング(Sea King)の副操縦士として従軍したことを思い出す。

北欧の小国ながらナチス・ドイツに最も抵抗し続けたノルウェーにとって、歴史に残る重大な決断を下した国王ホーコン7世の、運命の3日間を描いている。

ヒトラーにとって友好国スエーデンからの鉄鉱石輸入の為、その積出港が凍結する為、ノルウェーの港経由しか輸入ができず、その占領を迫られていた。

1940年4月9日、ドイツが首都オスロに侵攻。圧倒的な戦力差に、なすすべもなく主要都市は占領されていく。ドイツ公使による降伏要求が突きつけられるが、国王ホーコン7世はこれを拒否。なおも要求は苛烈を極め、ナチスに従うか、国を離れて抵抗を続けるか、ホーコン7世は家族と国民のため、究極の選択を迫られる。ノルウェーの近代史など僕たち日本人には初耳のことが多い。この窮状において偉大な愛国者国王ホーコン7世の見識あるかつ不屈の精神が国民の指示を得て、多くの犠牲者を出しながらナチスに迎合せずに戦った。この国王の家族や祖国への愛と葛藤を描いた映画で、俳優が素晴らしい。ホーコン7世を演じたのは、「007 カジノ・ロワイヤル」「007 慰めの報酬」「007 スペクター」で悪役ミスター・ホワイトに扮したイェスパー・クリステンセン。プロデューサーとしても今作を支えた。息子オーラヴ皇太子役を「コン・ティキ」のアンドレス・バースモ・クリスティアンセンそして忸怩たる思いで、良心がありながらサラリーマン公使としてヒトラーには徹底的に逆らえない、<善意>の男に扮するドイツ公使役が光っており、どこかで見た顔だと思ったが「ヒトラーの贋札」のカール・マルコビクスが扮している。この演技が国王と共にこの映画を盛り上げている。

最後に余談を付け加える。1909年、日本において、日本陸軍が冬季軍事訓練中に遭難死亡事故(八甲田雪中行軍遭難事件を参照)に遭遇したことを聞いたホーコン7世は、「我が国で冬季に使っているスキー板があれば、このような遭難事故は起こらなかったのではないか」と考え、明治天皇宛にスキー板2台を事故に対する見舞いを兼ねて贈呈した。これがきっかけとなり、日本とノルウェーのスキー交流が始まることとなる。

(月刊日本2月号より)

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