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甦れ美しい日本

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甦れ美しい日本 第1634号

2017/10/06

□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2017年10月6日 第1634号 )

              
  ☆☆甦れ美しい日本☆☆


☆☆怒 り を も っ て 自 分 の 目 標 に 向 か っ て い る 人 間 は し つ こ く て 強 い。☆☆
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☆☆ 偽 善 と 欺 瞞 を 憎 む 私 た ち は 書 き た い か ら 書 く の で す。☆☆
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☆☆☆日 本 人 の、 日 本 人 に よ る、 日 本 人 の た め の 政 治 を 取 り 戻 せ!☆☆☆
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○祝石黒かずおさんノーベル文学賞受賞 イギリス国籍とは言え日本を愛し、<もののあわれ>を愛する感性の豊かさは日本人の血統だろう。僕も愛読家であり、かれの原作の映画も素晴らしい。下記10年以上前の<日の名残り>の映画評をお祝いをこめて投稿した。

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目次
◎佐藤守   「大東亜戦争の真実を求めて 624」
◎奥山篤信のリバイバル映画批評 石黒かずお原作映画の傑作<日の名残り>
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◎佐藤守   「大東亜戦争の真実を求めて 624」

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≪(承前)このウィーンにおける勉強を西園寺が認めて伊藤に書き送ったことで、伊藤がどれだけ陸奥を見直したか、また、もともと親友陸奥を重用しようと思っていたとしても、それを容易にさせたか。もし陸奥が、獄中でセンチメンタルな詩作に耽っていたら、そしてヨーロッパで悠々と遊学していたならば、その後の陸奥の将来はなかったであろう。

 陸奥は常に、自力で運命を切り開いていったのである。そしてその蓄積が、後日、

限りない力を発揮することになるのである。

以下、陸奥がこうして蓄積した見識を持って、未曽有の国難に際していかに対処したのかを「蹇蹇録」を通してみていこうと思う≫

こうして岡崎氏の「明治の外交力」は、日清戦争当時の外相・陸奥宗光が記した回想録についての“まえがき”を終え、本題である「第1章・極東アジアの帝国主義競争」に入るのだが、ここでは陸奥の人柄に続いて日清戦争を勝利に導いた陸奥の外交力について分析されているから、順を追って読み解いていくことにする。

タイトルは「1、外交の活写が目的――公式記録にない外交の真意を」である。

本書では、まず「蹇蹇録」の緒言、今で言えば「はじめに」が、「総て外交上の公文なるものは概ね一種の含蓄を主とし、その真意を皮相に露出せしめず。従って単にこれを平読すれば嚼蝋の感なき能わざるもの往々にして然り」と言う文語体の原文と口語訳が併記されているが、ここでは口語体を引用して読み解いていきたい。

≪すべて、外交文書というものは、外務省の公文の記録に基づいていることはいうまでもないが、その真意を行間に潜めて、表には出さないものである。したがって、単にこれを読んだだけでは、砂を噛むような印象は避けがたい。しかし、この書き物では、余すところなく真相を明らかにすることとしたい。

これを、たとえてみれば、公式の記録は実測に基づいて正確に等高線で書いた地図のようなものである。もし、山水のたたずまいを知ろうとすれば、そのほかに風景画がなければならない。

 この書き物の意図は、まさに、当時の外交の風景画を描くことにある。もし読者が、公式の記録と、この書き物の両方を読んで比べてみれば、いろいろと思い当たられることもあると思う。

 明治二十八年 除夜 大磯において            著者 記す

 ここで、「読む人にとって無味乾燥な外交文書の羅列のようなことはしない」と言っているのである。この文章を見るだけで、もう、陸奥の才筆の冴えが感じられる。ただ、『蹇蹇録』は、百年以上前の文章であるので、現代人にはとっつきにくい。

 文章が文語文であるというだけでなく、書いた人の教養の背景が、現代人とは全く違うからである。

まず『蹇蹇録』という題からして、現代人には全く分からない。実は、当時でもよほど漢学の素養のある人でないと分からなかった言葉である。これは、易から出てきた言葉である。

 漢学は四書五経を原典として学ぶが、五経を極める人が最後に学ぶのが易経であ

る。当時の人でも易経までこなした人は少ない。佐久間象山は易を能くしたとして有名であり、陸奥宗光の父であり、儒仏和歌に長じた哲人、歴史家、伊達自得翁も易に長じていた。

 易のスタンダード・テキストは孔子が編纂したという周易であるが、その六十四

卦の中に「蹇」という卦がある。「蹇」とは、「足萎え」を意味し、周易の解釈によれば、「蹇」の卦は、足が萎えて前に進めない状況にある。

 ところが易の解釈は、その人の置かれた立場、年齢によって違う。自分が人生の途中のどのあたりに居るかを考えてから、易の卦を読まねばならない。

 易の六の二というのは、まだ人の家来である新進気鋭の身分を表す。周易の「蹇」の六の二の解釈では、「王臣蹇蹇 躬の故に匪ず」とあるだけで、退けばよいとか待つのがよいとか、進退の吉凶には触れていない。なぜかといえば、王の臣として職分を果たすのであり、自分のためにするのではないから、形勢の良し悪しを考える必要はなく、ただひたすら献身的努力をすればいい、という意味である。

また、孔子による注釈といわれる象伝によれば、「王臣蹇蹇、終に尤なきなり」とある。すなわち、成功や失敗は問うところではなく、たとえ失敗しても咎めるべきでないという意である。≫

わが国の外交の“実態”を見極めんとして、明治初期からの外交の実例を学ぼうと、岡崎氏の著「明治の外交力(蹇蹇録)」に取りついてみたものの、四書五経と易からはいるとは想定外であった。しかし、これは日本人の精神の根底にあるものとして、避けては通れないものであろう。特に明治維新後の近代化の過程で、これら漢学の原点がどのように変遷していったのか?を知ることは、大東亜戦争に結びつく重要な手がかりかもしれない。岡崎氏は続ける。

≪諸葛孔明が、後出師の表の結びで、「臣鞠躬尽力(力のかぎりを尽くす)、死して後やむ。成敗利鈍(うまく行くかどうかは、臣の明(判断力)の能く逆覩(将来のことを見通す)するところにあらざるなり」と言っているのと同じ精神である。

この「蹇蹇」という言葉を、なぜタイトルとしたのか≫

 そこには陸奥の置かれた立場が「明日をも知れぬ逆境」にあったからである。そしてそこには彼の並々ならぬ愛国心があったのであり、そのような局限下においても、今風に言えば絶対にブレない確固たる信念があったからであろう。

この時点で昭和初期の外交官との決定的違いが浮き彫りになってきた。(元空将)

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◎奥山篤信のリバイバル映画批評 石黒かずお原作映画の傑作<日の名残り>
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この映画は劇場でも見ているし、これはDVDで二回目の感想 もう10年以上も前だ。まだ見てない人は是非原作と映画を両方どうぞ!
今この文章を改めて見ると石黒は<もののあわれ>が理解できているのかもしれないね。
日の名残り 
(原題 THE REMAINS OF THE DAY )1993年イギリス
『日の名残り』DVD
エマ・トンプソンが出演する映画というのは、どれもこれも秀逸作となるのは不思議なほどである。この映画はイギリス育ちのカズオ・イシグロの原作による。完璧にイギリス風土や文化を習得している日系人だが、その原作の英語もイギリス人顔負けのものらしい。
僕は公開時に観ているが、再度DVDで観て味わいあるこの映画を噛みしめるように観たが、その印象はさらに人生経験を積んで倍加される。
あるイギリス貴族の館を舞台に、ナチスに利用された主人とそれに使える忠実な執事とその女官の物語である。執事ジェームズ・スティーヴンス に名優アンソニー・ホプキンス、女官ミス・ケントンにエマ・トンプソン そして主人ダーリントン卿 - ジェームズ・フォックス が扮している。ダーリントン卿は高貴な貴族であり、欧州の平和を念願するが、それは宥和主義としてナチスに無批判なことで破滅する。
いわばカントリージェントルマンとして館で欧米各国の実力者を呼んで民間外交を行う。最後の宴席でアメリカの政治家が「君たちはいわばアマチュアであり、リスクについて分かっていない。外交はプロに任せるべきだ。」と冷水を投げる。それに対してダーリントン卿は「プロとは権謀術数の古い外交であり、アマチュアは正義と善を基調とするものだ」と怒りをもって反論する。結局は理想主義のダーリントン卿のアマチュア外交はナチスの隠された牙で翻弄されてしまうのである。だがここにアメリカのプラグマティズムと欧州の当時の理想主義が対比されていて面白い場面である。
戦後ダーリントン卿はナチス協力者として弾劾され、マスコミの名誉棄損訴訟にも敗北し、ナチス協力に後悔しながらも失意の中で亡くなる。なんと皮肉なことにはこのいわくつきの館を購入したのはかって宴席でダーリントン卿に毒づいたアメリカの富豪政治家であった。
そんな欧州の第一次大戦後の重い空気を背景に、映画は執事とその女官の心理を描いて秀逸である。主人に使える執事はまさにプロフェッショナルに仕事をこなす。主人には絶対忠誠であり、いかなる自分の考えも自分に閉じ込める。決して馬鹿ではなく、読書家でありインテリなのである。何が言いたいかといえば、自分の役割を理解し、一切感情を押し殺し品格を保つ、まさに保守主義の権化のような人間像なのである。実際は女官に愛を抱きながらも、そして女官もそれに答え遠まわしに愛のしぐさをするのだが、館での恋愛など執事の行動規範としては絶対に許されないのである。
業を煮やした女官は好きでもないつまらない初老と結婚し館を出て行くのだった。この女官もやはり保守主義の権化でもある。狂おしい愛の心を直情として伝えることは絶対にしないのである。
そして持ち主がアメリカ人に代わり、執事は人手を探しにまず女官を説得のために旅にでるのだが・・・それでもなおプロフェッショナルな執事、わずかに示す愛に女官は答えるのだが・・・
こういうイギリス社会を観るとかっての日本の武士道の世界や貞節あるその頃の女性の精神の輝きを観る思いである。アメリカニズムの直情径行、すべて思っていることを言葉で表す、また表わさないと社会で評価されない世界とは全く異なる、品格ある「我慢の輝き」ともいえるイギリス社会の保守主義が画面を通してじっくりと伝わる映画である。
こういう自己抑制の世界とは程遠い日本になってしまった。
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