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甦れ美しい日本

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甦れ美しい日本 第1633号

2017/09/29

□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2017年9月29日 第1633号 )

              
  ☆☆甦れ美しい日本☆☆


☆☆怒 り を も っ て 自 分 の 目 標 に 向 か っ て い る 人 間 は し つ こ く て 強 い。☆☆
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☆☆ 偽 善 と 欺 瞞 を 憎 む 私 た ち は 書 き た い か ら 書 く の で す。☆☆
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☆☆☆日 本 人 の、 日 本 人 に よ る、 日 本 人 の た め の 政 治 を 取 り 戻 せ!☆☆☆
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目次
◎佐藤守   「大東亜戦争の真実を求めて 623」
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◎佐藤守   「大東亜戦争の真実を求めて 623」

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≪(承前)収監時も寸暇を惜しみ思索・執筆

 さて、これだけの挫折に遭っても、陸奥の精神活動は少しも衰えない。廃藩置県、徴兵制度導入の後の近代化に不可欠な大改革である税制改革の考えをまとめる。

陸奥のアイディアは採用されて、明治五年六月、租税頭に就任。大蔵省の地租改正事務局長になり、徳川時代の検見法に代わる地租を導入して新政府の財政の基礎を築き、また、現在でも財務省の毎年の最大の事業である、予算書作成の作業も初めて完成する。

 時の明治政府は、何から何まで陸奥の事務遂行能力におんぶしていた感がある。 こうして、陸奥は、我慢を重ねて勤勉に職務を遂行していたが、その忍耐にも限界が訪れる。征韓論論争で西郷、板垣が辞任し、かつて外国事務局時代の同僚だった伊藤や大隈重信、寺島宗則は閣僚になったのに、一番働いている陸奥だけは局長心得にすぎない。これは藩閥人事のためである。そこで陸奥は、歴史に残る大論文「日本人」を草する。

 その論旨は、明治維新は、徳川の専制から人民を解放し、近代国家を建設するためだったのではないか。それなのに、藩閥が政権を聾断するとはなんだ、ということである。この論文により、とくに薩摩系の人々は、陸奥を蛇蝸のごとく嫌ったという≫

 この部分に、陸奥が単なるお人よしではなく、真剣に国家建設に燃えていたことが表れている。ややもすれば、組織は“便利屋”を酷使し、己たちはその汁を吸って“ノウノウ”と過ごし、形勢が不利に傾けば、トカゲのしっぽ切りで自己保身を図って切り抜ける。特に“便利屋”が“お人よし”で上層部に意見具申をしなければ勿怪の幸い、もしも具申の兆候が出れば、先手を打ってこれを封じる。封じ方にはいろいろある。現ナマを握らせるか、さもなくば、精神病院に入院させるなど、その手口は汚いが、庶民は気が付かない。しかし陸奥は敢然と辞表を叩きつける。

≪こうして、再度、陸奥は辞表をたたきつけて政権を離れるが、やがて、元老院議員に任命され、今度は、元老院を真の立法府に育て上げ、薩長藩閥政権に対するチェックス・アンド・バランシーズを達成しようと努力する。

 そこに明治十年(一八七七)、西南戦争が勃発した。西郷の挙兵を聞いた土佐の指導者は、すべて西郷派だった。陸奥はもともと海援隊以来、土佐派との付き合いが深く、林有造、大江卓など旧知の土佐急進派とともに、この機会に薩摩の力をそぎ、藩閥政府を倒すべく画策した。

 それが露見して、十一年六月、逮捕され、判決が下り、東北の監獄に五年間収監される。この間、獄中に沈潜して書を読み、思索して、ベンサムの立法論を全記し、「面壁独語」「福堂独語」『資治性理談』など、次々に著作をまとめる≫

これなども、陸奥の行動を見た土佐派に“利用された”のだと言えなくもない。しかし陸奥は、この収監期間を充実して過ごし、狭苦しい国内を飛び出し、世界に目を向ける。

≪壮にして学べば老いて衰えず

 そして出獄後、一八八四〜八六年までワシントン、シカゴで米国の民主政治を見聞し、イギリス、ウィーンで政治学を勉強する。この八年間が、陸奥が俗事を離れて勉学に集中した最後の期間であり、陸奥が国事に縦横に活躍する晩年の十年間の準備期間となる。

 ヨーロッパで師事したウィーン大学教授、ローレンツ・フォン・シュタインは、社会学、政治学、行政学、法制学、財政学、経済学、国防に関する著作の数と内容において古今に例を見ないと言われている。

 陸奥は、シュタインからプロシア流憲法の実体とその裏に潜む哲学について学んでいる。陸奥の勉強ぶりは、現存する七冊のノートから推察できる。厚いものは三百五十ページもある大判のノートに、活字のような見事な細字でぎっしりと書きこまれている。その内容からいっても、字の美しさからいっても、別のノートに取ったものを整理して、清書したものであろう。その労力だけ考えても気の遠くなるような分量の勉強である≫

やはり陸奥は“本物”だったのだ。狭く、治安が混乱している島国では学べないものを広く外国に求めたのである。当時の日本人の語学能力が、優れていた理由が知りたいものだが、外国文献を翻訳するだけでも相当に骨が折れ、時間がかかったことであろう。

≪ノートを受け取った返事と思われるシュタインから陸奥宛の手紙を引用する。

 「講義録拝受。単に熟読しただけでなく、甚だ愉快に感じました。わずか数力月の間に、数百ページの原稿を整理することは容易なことではなく、大変なご勉強です。貴兄からご送付の講義録がかくも完全なのを拝見するにつけ、感に堪えません。ご帰国の上は、きっと目覚ましいご活躍のことと期待します」

 この陸奥の勉強ぶりに感嘆したのは、師シュタインだけではなかった。ウィーンの西園寺公使も二度にわたって、陸奥の勉強ぶりを伊藤に報告している。

 「陸奥氏は今までは英国風の学問だったのですが、ヨーロッパに来てからは、また何か新たに感じられたところがあるようです。同氏の勉強ぶりは実に驚くべきものです。……私が考えるには、陸奥のような人物を民間に遊ばせておいては本人にとっても損ですが、政府にとっても得策とは言い難く、願わくは、速やかに政府にご採用になっては如何でしょうか。私は別に本人の肩をもってそう言っているのではありません」

人間はいくつになっても努力しなければならないものと思う≫

天は自ら助ける者を助くと言うが陸奥のことを言うのかもしれない。(元空将)

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