政治・経済

甦れ美しい日本

日本再生のための政治・経済・文化などの発展・再構築を目的とし、メールマガジンの配信を行う

全て表示する >

甦れ美しい日本 第120号

2007/05/26

□□■平河総合戦略研究所メルマガ■□□(2007年5月26日 NO.120号)

  ☆☆甦れ美しい日本☆☆

☆・・・・私たちは書きたいから書くのです・・・・
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 < 目次 >

◎福田秀人の「日本の経営を斬る」(2) 

◎レギュラー執筆者 
         
1.佐藤 守      大東亜戦争の真実を求めて115
2.奥山篤信   松岡洋右のジュネーヴ (6)42対1の演説、さらば連盟よ -2- 
3.西山弘道    「追悼・鈴木ヒロミツ」
 
◎何やこれ?「お供え物を出した出さないについて申し上げないことにしていこうと思う」 浪速太郎花子夫婦の食卓より

◎「史上最強のトークバトル」寸評 間一根
 
◎成澤秀麗の「書」で語る「美」   (2)

◎奥山篤信の映画評論 アメリカ映画「毛皮のエロス 原題 FUR: AN IMAGINARY PORTRAIT OF DIANE ARBUS」☆☆
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
──────────────────────────・・・・・☆
------------------------------------ 
◎福田秀人の「日本の経営を斬る」(2)              
-----------------------------------  
責任絶対性の原則を徹底が、組織のリーダーの絶対課題

責任転嫁に走る

2年前のJR西日本・福知山線での電車の脱線転覆事故の直後に、常務が、置き石による脱線事故であると断言した時、「そんな馬鹿な」と思った。ラッシュ時に電車が脱線するような大きな石を、しかも目撃されずに置くことは困難であり、責任転嫁と思った。
そして、運転士がすごいスピ−ド違反をしたことが判明したあとの社長の発言を聞いて「これまで自分の失敗を認めたことがない男だな」と感じた。失敗を認めて謝ったことがないから、事故も自分の失敗と認めず、会社の体質に事故の根源があったと言いつのり、責任を社員に転嫁するような釈明をしたのだ。初代の社長は相談役とはいえ取締役であるのに評論家のような発言に終始した。

責任絶対性の原則をわきまえない役員たち

これらは、重要な組織原則である「責任絶対性の原則」をわきまえていないことを示す。その原則は「上司は部下への管理責任をもち、部下の行動の結果責任を負う」である。「管理責任」とは部下に指示や規則、それに社会的な規範を守らせることである。「結果責任」とは、「部下の不始末は上司の不始末」ということである。その上司には部下の直接の上司だけでなく、さらにその上の上司、そしてトップの社長までが含まれる。
これは組織人としての常識のはずである。「私は部下の行動や結果に責任をもちません」というような人間は管理者失格である。まともな会社なら、部長が部下の不始末が発覚したときに社長に「部門の体質の問題です。これから体質の改善に部門の全員でがんばります」と言えば、「なにを言っている。おまえはそれでも部長か」となり、ただちに解任されるであろう。それは責任を部下全員になすりつける卑劣かつ無責任な発言である。

でたらめ役員とまともな現場部門長

また、社長や役員が、社員のひきおこした不祥事の責任を認めない会社を、誰が信用するであろうか。また、そんな連中に誰がついてゆくであろうか。社員の不始末を自分の不始末と認めることで、はじめて、ぴしっとした管理と不祥事の防止への真剣な努力がなされるのである。さもなくば、それらの努力がおざなりとなり、会社の体質はどんどん悪化し、自分の不始末を部下の不始末とするような責任転嫁も横行する。
いずれにせよ、責任絶対性の原則をわきまえない社長や役員は、係長としても不適格なでたらめ人間といえよう。JR西日本の新しい社長、さらには、不祥事相次いだ日本航空の前社長や現社長なども、社員総懺悔をアピールし、意識改革研修などを社員に強制するが、これほど、でたらめで、無責任なことはない。
アメリカ陸軍の指揮教範に、「信頼を得るのには時間がかかるが極限状態でのミスにより瞬時に失われる」というのがある。日立製作所が、優秀な人材を揃えながらガタガタであるが、「不毛の12年、不作の9年、凶作の8年」と、歴代の社長の治世がネーミングされているとのことである。そのきっかけは、不毛の12年のはじめに、IBMへのスパイ容疑で社員が逮捕されたことに泡を食った社長が、アメリカではなく台湾へ飛び、1ヶ月ほどこもっていた、敵前逃亡と断じるOBもいる。
一報、JR西日本で、遺族などに対し悲痛な顔で自分の責任のように謝っていた社員たちははるかにまともな組織人といえよう。事故発生を知りながらボ−リングと宴会をした部門があったが、その非常識な行為を部門の体質のせいにせず、すべて自分の責任として謝った部門長も、社長たちよりは、よほどまともな組織人といえよう。いろんな批判ができようが、山一証券破たんのさいに号泣しながら、「社員たちは悪くありません。私が悪いんです」と言い切った社長は、立派だと思う。

でたらめを煽るメディアやCSR論者

ただし永年にわたって自分の失敗を認めず、部下の不始末は自分の不始末という発想を欠如させ、不祥事を全員の責任とするような人間が、急遽、責任を自覚し、心から謝罪するのは至難のワザといえよう。
決定的に重要なことは、責任絶対性の原則をわきまえない人間を社長や役員にしないことである。そして、不祥事が発生した場合は、それを会社の体質、ひいては全員の責任と決めつけず、よいところと悪いところをきちんと識別し、悪いところを矯正ないし排除してゆくことである。さもなければ、高圧的な研修や管理の強化により、心ある社員にも屈辱感を与え、逆効果となる。
 ところが、メディアは、不祥事のたびに、組織の体質や縦割り組織のせいにし、問題の根源をあいまいに放置する。雪印の食中毒事件でも、大騒ぎをしたくせに、その原因が、北海道の工場の軒に垂れ下がったツララが落下して電源ケーブルを切断し、それによる停電で冷却装置が停止し、加工乳の原材料の脱脂粉乳にブドウ状球菌が繁殖した結果であることを報道したであろうか。
近年、えらそうにCSR(企業の社会的責任)を唱える論者も、企業、ひいては社員たちが社会的責任を果たすようにさせる責任は、社長にあるのに決まっているのに、社員の無理解を嘆くという責任転嫁を公然とし、「どうすればCSRをわきまえさせることができるか」という、ふやけた議論をしている。社会的責任をわきまえない社員はクビ、それができない社長はヤメロ・・・で、よいはずである。
なお、私が身近で見聞した範囲で、不祥事に対し、最も気合いの入った対応をした事例は、25年ほど前、陸上自衛隊北部方面隊で発生した幹部昇進試験問題漏洩事件のさいの、渡部北部方面総監(後に統合幕僚会議議長)と若月幕僚長(後に第10師団長)、及び永嶋総務課長他のスタッフたちである。彼らは、自衛隊の体質の問題と決めてかかって攻撃してくるA新聞等のメディアと毅然と渡り合い、ついに、記者たちを納得させ、隊員たちの名誉を守りきった。それは、責任絶対性の原則をしっかりとわきまえ、自分たちが、職責を賭けて、なんとしても打開するとの信念の産物でもあった。
 
福田 秀人 (ふくだ ひでと)
76年慶應義塾大学大学院商学研究科博士課程修了(経営学・会計学専攻)。以後、主に、企業の危機管理体制の開発・運用や経営再建支援に従事。また、横浜国立大学、慶應義塾大学、法政大学他の非常勤講師、及び、外務省ロシア知的支援プロジェクト講師、海上自衛隊幹部学校講師等を歴任。立教大学大学院教授(危機管理学)、放送大学客員教授(兼、危機管理学主任講師)。
著書:『見切る! 強いリ−ダ−の決断力』祥伝社06年、『管理職入門』東洋経済新報社9
2年、他多数。
福田永一のペンネームで、『誇り高き男たち:日本の自衛官』エイデル研究所83年、「士気と権威:自衛隊の統率基盤と課題」月刊朝雲84年11月、「対談:私の見た自衛官」防衛アンテナ84年8月などがある。
──────────────────────────・・・・・☆
◎レギュラー執筆者 
------------------------------------ 
1.佐藤守
 大東亜戦争の真実を求めて 115
-----------------------------------
更に「マオ」にもこうある。
「九月十五日、王民は不承不承に延安に戻った。王稼祥はまず政治局会議において発言し、ディミトロフの言葉を伝えた。これを受けて、毛沢東は、全体会議では自分が政治報告をおこなう、と宣言した——党ナンバー1の地位を奪還したわけである。王民は抵抗しなかった。中央委員会全体会議は、九月二十九日に延安のフランシスコ会大聖堂にて開催された。祭壇に掲げられたレーニン像の下に着席した王稼祥は、政治局会議より広範囲の聴衆を前に、ディミトロフの言葉をくりかえした。 こうして、中国共産党最高幹部の頭には、モスクワが明確に毛沢東を指導者と認めた、という意識が植えつけられた」
 これらの資料によると、九月二十九日には共産党として重要な会議が開かれていたわけだから、毛沢東がその合間を縫って敵軍の将たる蒋介石宛に、あのような「裏切り行為」ともみなされる手紙を、モスクワから帰ったばかりの周恩来を通じて手渡せたのかどうか疑問が残る。想像だが、蒋介石が始めて公表したこの文書は、彼が彼自身の地位を高め、毛沢東の中国共産党の卑劣さを印象付けるため、工作した「自作自演」ものではなかったのか?
 蒋介石秘録には、この文書公表のあとに続いて「君子豹変を演じた毛沢東」と題した項目があり、そこにはこう続いている。
「国民政府は、一九三七年(昭和十二年)八月二十二日、紅軍を国民革命軍第八路軍(のちに第十八集団軍と改称)に改編、朱徳を総指揮、彭徳懐を副総指揮とし、林彪、賀龍、劉伯誠(現在の劉伯承)の三人を師長に三個師団約二万人を編成した。また、江南(揚子江南部)に散在する共産軍を、葉挺、項英に集めさせ、新四軍(約一万人)を編成した。共産軍は中央の統率のもとに、対日抗戦に従事することとなったのである。
 しかし、現実はどうであっただろうか。共産軍は確かに、表面上は共産主義組織と反乱活動を放棄したが、八年間の対日抗戦を通じて、戦闘には積極的には参加しなかった。それどころか、軍事、政治の各方面にわたって、共産勢力の醸成と反政府活動を策謀したのである。
 すなわち、軍事面では、日本軍にわが国民軍の配置や作戦計画を内通するような利敵行為を行い、何かと理屈をつけては装備と経費を国民政府からゆすりとり、自らの力量の充実を図った。一致抗日を理由に、国民軍の掃共作戦が中止されたこの時期は、共産党にとって、絶好の勢力回復・伸長の機会となったわけである。
 また、政治的にはソ連を始め、外力と結託して、国民政府を誹謗し、国民政府を陥れるような国際的悪宣伝も敢えてした。このような共産軍の表向きの帰順が、当初からいかに欺瞞に満ちたものであるかは、次のような事実を見ても明らかである」
 西安事件で、自らの失策で“強制的”に国共合作をさせられた以上、蒋介石にとっては、そのような事象が国民党政府部内はもとより、国民党軍の内部でも頻発するであろうことは、折込済みでなければならなかった筈である。この秘録が、台湾亡命後に書かれたものである以上、彼の“反省”ともつかない“弁解”が、要所にちりばめられていると考えて読み解く必要があろう。
続いて毛沢東の裏切りについて、蒋介石はこう書いている。
「先に述べた“協定”が成立して間もなく、朱徳が総指揮する八路軍が、国民軍の一員として出発する際、毛沢東は将兵を集めて、早くも次のような訓辞を行っているのである。
『中日戦争こそ、共産党が発展する絶好の機会である。共産党が決定した政策は、力の七分を自己の発展に、二分を国民党との妥協に、残り一分を持って抗日に当てることである。我々同志が、その職務を良く認識し、わが党(共産党)との連絡が隔断しても、なお共同の目標に向かって邁進することが出来るように、特にこのところを説明しておきたい。共産党がソヴィエト化運動、赤化政策を放棄したのは、策略上の転換ではなく、戦力上の転換に過ぎない』・・・」    (続く)                  

佐藤守:
防衛大航空工学科卒(第7期生)。
航空自衛隊に入隊
戦闘機パイロット(総飛行時間3800時間).
外務省国連局軍縮室に出向。三沢・松島基地司令、
南西航空混成団司令(沖縄)を歴任.平成9年退官.
岡崎研究所特別研究員.軍事評論家.
日本文化チャンネル「桜」軍事コメンテーター.
著書に「国際軍事関係論」
ブログ;http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/
---------------------------------------------------------
2.奥山篤信  
 松岡洋右のジュネーヴ (6)42対1の演説、さらば連盟よ - 2- 
 - -------------------------------------------------------
我々の憂慮はいまだに尽きない。我々は暗澹たる未来を望んで、いまだ何らの確とした光明を認めえないのである。

日本は忍耐に忍耐を重ねて、支那民族に対する数々の不満を友誼的方法によって解決
せんと努力してきた。日本は自国民の一部における激しい非難を冒してまでも、この和協政策をとってきたのである。満州が法と秩序の国となり、平和と豊穣の国となって、東亜のみならず世界全体に対しても益するところある国たらんとすることは日本の希望であり決意であった。にもかかわらず支那は友誼的申し出を受諾しようとせず、絶えずこれを妨害し不断に困難な問題を惹起してきた。近年それも国民政府と国民党の差し金で、排外思想が故意に発展せしめられて以来尚更、この反日行為は激化してきた。日本が忍耐すればするほど、敵対行為は熾烈になり、ついには耐え得ざる点にまで到達した。支那は我々の忍耐の態度を弱者の象徴として見做したのである。そして挙句の果ては日本を満洲の侵略者として、過去の歴史的事情をまったく無視して、日本人が満州にとどまる理由がないがのごとく、日本人に満州開発に参与すべからずとして、日本人の満州立ち退きを要求するに到った。支那人のかかる感情に起因する無法な態度と矯激な運動は真に根深いものであって、それが爆発して今回の事件となったのである。
日本は満州において二回の戦争を行ったこと、ことにそのひとつにおいては、日本はその成果に対して国家の存亡を賭して戦ったものであるということを想起するよう希望したいのである。
国際平和が互譲を基礎としてこそ初めて確保されるものであることは疑いもないところである。しかし国家存立の死活に関する問題であるがゆえに、一歩の譲歩も一歩の妥協も許されないというような問題は必ずどの国にもあることである。満州問題はまさにそれである。

世界の列国は長い間、支那問題をお伽話として扱ってきた。

我々は早くより、連盟規約第一条が「加盟国たらんとする国家、領土、または植民地は完全なる自治国たるを要す」と規定していることを十分認識すべきであった。支那はかかる条件をそもそも満たしていないのである。支那本土以外には長期にわたって、その主権は失われており、本土内においてすら、最高にしてかつ統治能力を有する政府は未だかって存在したことがない。今日の南京政府は15省のうち4省にも足らざる省の政務を統括しているにすぎない。世界は一方においてかかるお伽話をこととしながら、他方においては連盟に対して、盟約を字義どおり遵守すべきと要求するのは全く不可能である。
日本は過去、極東の平和、秩序ならびに発展の支持者であり、将来においても然るべしとの日本政府の確固たる信念がある。日本が最近満州に対し断固たる態度に出たとすれば、それは、かかる行動が、数年にわたる報いなき忍耐と待望の後に残された唯一の方途であるとの絶対的な信念に動かされたがためである。あるいは満州国独立の維持を日本が主張するとすれば、それはまたかの国の独立が極東における平和と秩序を保証する唯一の方途であるとの確信に基いたために他ならない。
今回の日支紛争が起こったのちにおいても日本は和協策をとってきた。支那が当時において
事態の真相を認識する能力があり、協定に到達せんとの真摯なる希望をもって、日本との交渉を同意していたならば、大いなる困難なく達成していたであろう。なんと支那はこれに反して連盟に哀訴したのである。連盟を構成する列国の干渉をもって、日本の手を縛さんとしたのである。そして連盟は争いの真相あるいは極東の現状を十分理解せず、支那側の行為の動機を疑うことなく支那に激励を与えてきたのである。問題の所在はここにある。
支那は連盟に提訴するにあたって、平和を愛し節操に忠実な動機から出発したのではなかった。平和主義の国ではない。国際的誓約を常習的に破棄する国民は節操を重んじる国民ではないのである。

満洲の住民とは何か!リットン調査書は誤れる印象を世界に与えている

支那には支那本土においてさえ、統計などというものがない。永年にわたって、「支那人」たる人種的称呼は、日本人を含めて、特に外国人の間において、支那帝国の大部分の人民に対して適用されてきた。しかしながらこの曖昧な表現は、満州人と蒙古人、あるいは支那本土の住民も含めて、全部が単一の人種であると誤解してはならないのである。全部それぞれ異なるのである。外見体格上、風俗上、言語上相違しているのである。支那から満州に入った移住民も満洲の人口の大半を占めるものでもない。十分の一か多くても五分の一程度である。人口の大部分は満州人と称されるべきものである。それは太古満州族の子孫、その昔満州族と同化した太古支那民族ならびに蒙古人から構成されているのである。これら大多数は未だ支那に住居したこともなく、リットン調査書にあるような支那に対する愛着など毛頭持っていないのである。この点調査書の明らかな誤謬である。

奥山篤信:
京都大学工学部建築学科卒
東京大学経済学部卒
三菱商事本社入社
6年余にわたる米国三菱ニューヨーク本店勤務を経て
平成12年退社 
平河総合戦略研究所代表理事
-------------------------------------
3.西山弘道 
 「追悼・鈴木ヒロミツ」
------------------------------------
今年3月、グループサウンズ・GS時代の人気バンド「モップス」のリーダーだった鈴木ヒロミツ氏が60才の若さで急逝したことは既報の通りだが、そのヒロミツ氏が死の直前に語った、遺言となるべき話を綴った本がこのほど出版された。「余命三ヶ月のラブレター」というのがそのタイトルだが、この本はヒロミツ氏が死ぬわずか1週間前に本人から聞き書きした話をベースに、家族や関係者の追想を集めて構成されている。1週間後に死を迎える人間がこんなに淡々と、どこにでもある“他人の死”のように客観的に語れる、その見事な死生観に私は圧倒されながら、深い感動を持って読了した。

 鈴木ヒロミツ氏は、GS時代、ゴールデンカップスと並んで玄人好みのロックファンの人気を博したモップスのリーダーボーカルだった。「朝まで待てない」、「たどりついたらいつも雨降り」などのヒット曲もあるが、ロングヘアーに丸めがね、太り気味のその特異のキャラクターを持つヒロミツ氏をさらに有名にしたのは、「♪のんびり行こうよ~」のモービル石油のCFだったろう。日本が高度成長時代を迎えて皆がガツガツしていた頃、故障したボロ車をのんびり押すヒロミツ氏のCFは、高度成長のアンチテーゼとして爆発的な人気を呼んだ。このCFをつくった天才的CMディレクターの杉山登志氏は「自分が夢がないのに、人に夢を与えることはできない」という言葉を残して若くして自殺したことは有名な話だ。ヒロミツ氏はその後、ミュージシャンというよりはテレビの刑事モノなどの俳優・役者として花開く。

 実は私も放送局で番組を持っていた頃、何度かヒロミツ氏にゲスト出演をお願いしたことがある。あの小太り気味のユーモアあふれるキャラで、常に周りに気遣いを怠りない人物だった。

 そのヒロミツ氏に異変が起きたのは、昨年の12月末だった。家族と食事に行こうとしてタクシーに乗ったところ、急にモーレツな腹痛に襲われたという。年明けの1月6日、知り合いの病院で診察を受け、MRIで検査したところ、肝細胞ガンと宣告された。肝臓に栄養を送る門脈という血管にガンが出来ているという。しかも末期の状態で手術は不可能で、余命はわずか3ヶ月という過酷極まりない宣告を受けたのだ。

 それまでヒロミツ氏は健康そのもの、趣味は食べることと飲むこと、と自ら言うほどでおいしいものがあるお店にはずっとその店に通い、メニューの端から端まで食べなければ済まなかったという。そんなヒロミツ氏だから健康診断はここ数年、受けていなかった。

 ヒロミツ氏は家族、すなわち最愛の夫人と20才の一人息子に「余命3ヶ月」を話した。
最初は信じられなかった2人も後は涙、涙、なみだ。そしてヒロミツ氏は、延命治療を拒否して、自宅で自然死を迎えることを2人に伝え、妻と息子も納得したという。

 「理由は、残された貴重な時間は、家族と一緒に、当たり前に暮らしかったからです。15%の成功の可能性といっても、延命治療をすると、意識がふつうでなくなる危険がある。命が延びても、食事は今まで通りにはとれなくなるかもしれない。それは耐えられなかったんです。最後は病院に入らなくてはいけないにしても、ぎりぎりまで、妻と息子と一緒に、普段通りに暮らしたい。それで人生を終わりにしたい。そう思ったからです。」

 ヒロミツ氏はその通り、家族水入らずで表面、穏やかに暮らし始めようとした。しかし、
最後の崩壊が待つ、その生活が果たして穏やかにできるか?

 「でも、今、僕はやっぱり怖いんです。死ぬのは怖いんですよ。僕は閉所恐怖症で、棺の中に横たわっている自分を想像してしまうと、怖くて怖くて、どうしようもなくなる。火葬場の、あの熱い火に焼かれる自分の体を思うと、怖くて怖くてどうしようもなくなる。」

 ヒロミツ氏は死の恐怖を、手紙を書くことによって克服するかのように、それから毎日
最愛の妻と、愛する息子宛に「ラブレター」を書き続けた。それはノート4冊にも上った。
そして暖冬だった今年、死ぬ前までに桜が見られることを願った。
死の直前、ヒロミツ氏は、本をつくるため3回にわたってインタビューを受けたが、イ
ンタビュア―によるとそれは壮絶なものだったという。

 インタビュー・構成者の神館和典氏の話 「インタビューを行うホテルの部屋に現れたヒロミツさんは『いやいや、どうも』と、満面に笑みを浮かべ、こちらに気を遣わせないようにと思ってくださることがよくわかりました。でもそのお顔を見て、正直、うろたえました。ヒロミツさんの顔は、もう真っ黄色だったからです。黄疸の症状が出ていたのです。そんな私のうろたえ顔に気づいたのでしょう、『いやいや、顔色がよくてすみません。でかけにマネージャーにも顔色いいだろ、って言ったら、笑ってくれなくて、もう冗談も通じないみたいで』と。この期に及んでなお周囲を笑わせる気遣いをしてくれるのです」

 鈴木ヒロミツ氏はこのインタビューから1週間後の3月14日午前10時2分、この世を
後にした。享年60。「余命3ヶ月」より短い2ヵ月半の命だった。後、半月生きていれば、
願っていた今年の桜も見られたのに・・・。合掌。

西山弘道;
ジャーナリスト。早稲田大学政経学部卒業後、文化放送で30数年、放送記者として
活躍。政治担当として、三角大福中、安竹宮の「永田町戦国史」を取材。
2005年10月、文化放送を退社、以後フリーのジャーナリストとなる。
------------------------------------ 
◎何やこれ?「お供え物を出した出さないについて申し上げないことにしていこうと思う」 浪速太郎花子夫婦の食卓より
------------------------------------ 

花子:
靖国神社参拝に関して、首相は昨年「戦没者のために手を合わせ、冥福を祈り、尊崇の念を表する気持ちは持ち続けたい」と話す一方で、「この問題が外交、政治問題化している中で、参拝したか、しないか、申し上げるつもりはない。問題をさらに拡大すべきではない」というてはったん覚えてるやろ。
 
太郎:
こないだ靖国神社の春季例大祭(4月21〜23日)に「内閣総理大臣」名で真榊(まさかき)を供えていたことが明らかになったやろ。その時首相が5月8日夜、記者団に語った要旨はこうなんや。ええかこんな説明を聞いてわかるかどうか考えてもらうために敢えてそのまま読むで。

 −−どのような思いで「真榊」を奉納したのか。

 国のために戦って亡くなられた方々に敬意を表し、ご冥福をお祈りをし、尊崇の念を表する、その思いを持ち続けたい、このように思っております。

 −−奉納は参拝の代わりか。

 靖国神社にかかわることが外交、政治問題化している以上、私が参拝するしない、お供え物を出した出さないについて申し上げないことにしていこうと思います。

 −−奉納の事実を否定するのか。

 ということについても、出したか出さないかについても申し上げません。

 −−諸外国への影響があるからか。

 今申し上げた観点です。

 −−奉納の事実は否定しようがないのでは。

 否定はしていません。否定も肯定もしないということで申し上げているわけです。

 −−特定宗教の宗教活動を助長しないか。

 お答えしている通りです。

 −−中国や韓国は懸念を示している。

 そういうコメントに対し私が申し上げた結果、むしろ外交問題になるのではないかという観点から申し上げません。

 −−首相の姿勢は国民の理解を得られるか。

 私は今こう申し上げているわけでありまして、国民の理解をいただきたい。

花子:
何それ!日本語になってないじゃない!「靖国神社にかかわることが外交、政治問題化している以上、私が参拝するしない、お供え物を出した出さないについて申し上げないことにしていこうと思います。」
なんて!こんな説明で世界中誰も納得でけへんわ!首相のプライヴァシーにかかわる私的な空間に関して触れらとうない事項なら納得できるけど、一国の首相が戦死者に対して追悼するという極めて重たい行為についてやろ。
こんな説明を入れ知恵したのは外務省なんか、あるいは誰か仲介者なんか?前者なら外務省のIQ疑うわねえ、後者なら首相をも支配しようとする影の仲介者なんか?

太郎:
小沢代表が防衛大学校での首相の発言の上げ足を取りやってはったけど、この問題を徹底的に追求したほうが余程首相を窮地に陥れることが論理的にも可能やのに、野党ですらどういうわけか深く追及せいへんのや。

花子:
こんな姑息な説明で靖国について語るんやったら、そもそも靖国に参拝はおろか供え物も総理がする必要あらへんわ。こんな説明すなわち「外交政治問題化している以上申し上げないなどということ」自体、首相のかねてからの不当な内政干渉の排除という勇ましい主張はどこにいったんやろか、これやったらご自分自身「隣国の干渉を受けている。そしてそれに折れる。」ことを白状してるんと同じやん。靖国参拝って首相が堂々と参拝してこそ意味があるんとちゃうの?

太郎:
あのなあ、小泉首相は靖国神社についてほんまに分かってはるんかどうか別にして次のように昨年8月15日言いはりました。余程このほうが日本国首相として凛々しい姿勢があったよなあ。それに日本の首相が日本にあるどっかの施設に行くことを、外国に制限されるんですかとも言いはりました。

 「もし私が一つの問題で私が不愉快に思う、仮にね、中国・韓国が日本の安保理常任理事国入りに反対しています。これは日本にとっては不愉快だと、だから私は中国・韓国と首脳会談行わないといったらどちらを批判するでしょう。私は中国が反対しても、韓国が反対しても、首脳会談いつでも行いましょうと言っているんですよ。今回もそうですね、私が拒否しているんじゃないんです。という事は、中国の嫌がることは止めなさいというのが靖国参拝批判の一つですね。中国に不快な思いをさせちゃいけません。中国のいうことを聞きなさい、韓国のいうことを聞きなさい、そうすればアジア外交が上手くいきます。私は必ずしもそうじゃないと思いますね。一つや二つ、どの国も意見の違いや対立あります、そういうのを乗越えて未来志向で友好関係を進展させていくのが、日本としても他国にしても大事じゃないでしょうか。 
小泉総理インタビュー 平成18年8月15日抜粋」

花子:
大体首相就任して相手中国のナンバーワンが日本を訪問するべき外交的慣例である順序を破りはって、日本の首相が訪問したあの昨年の訪中、その前に日本と中国の間で裏で誰がどういう取引やりはったんか、外務省なんか影の仲介人なんか、それにしても首相のこのセリフが中国の免罪符であったとしたら、日本はもう独立国家としての体をなしてへんわね。

太郎:
安倍さん!チョビ鬚でもつけて変装してこっそり真夜中にでも靖国に参拝しはるんやろか?そやなくて堂々と靖国を公式参拝しはって、報道陣がパチパチ写真を撮りはり、靖国に行ったじゃないですかと質問されはっても、それでも「行ったか行かないか申し上げないことにしている。」言いはるんやろか?この言い方で「畏れ多き中国様は国際問題化しない。」と信じてはるんかいな?子供だましにもならない滑稽千万この上なしや!

花子:
安倍さん!ご自分の信念に忠実に闘わず、妥協ばっかり、それは取り返しのつかへん自縄自縛に陥り、靖国参拝はおろか国立共同墓地建設推進へ向かっての国内外の反日陰謀勢力に嵌められたということじゃない?
一体「闘う政治家」はどこにいちゃったのよ!!
------------------------------------
◎「史上最強のトークバトル」寸評 間一根
------------------------------------
 5月20日、東京・銀座で行われたシンポジウムで、西村真悟議員や石破茂議員などの話を聞く機会を得た。話の内容は主に外交・防衛問題が中心であった。

 特に面白かったのは、石破議員の「外国が自国の領土を当たり前のように使う国は日本だけだ。日本が何をするか、アメリカに何をさせるか考えなければならない」という話から、次第に話の流れが核武装論に至ったときである。

 西村議員は、「核抑止力とは、核を撃ち込まれない力である。我が国も核抑止力を持たねばならない」と話した。それに対して石破議員は、NPTを脱退しなければならない、日本が核武装すればウランの輸入ができなくなるから原発が稼動しなくなる、日本は北朝鮮を核問題で批判することができなくなる、などの論点を挙げて、それに反対した。

 すると西村議員は、「さまざまな阻害要因があるのならば、それをクリアするのが政治の責務である」と話した。会場の論客も核武装に賛成する論客は西村議員の他にいなかったようだが、西村議員の話は実に堂々たるもので説得的であった。

 金科玉条のように言われているNPTには、「各締約国は、この条約の対象である事柄に関連する異常な事態が自国の至高の利益を危うくしていると認める場合には、その主権を行使してこの条約から脱退する権利を有する」(第10条1項)とある。

 つまりNPTは自国の安全を脅かすような深刻な状況の変化が生じたときには、NPTを脱退して核兵器を保有してもよい、とわざわざ述べているのであり、当然ながら最後は「核の不拡散」より「国家の安全保障」を優先させているのである。もし日本政府が国家の生存よりもNPTが大事だというのなら、この条約の趣旨からも逸脱した判断であると言わざるを得ない。

 しかし、日本の核武装は困難だろう。最大の障害は「非核三原則」でも「NPT」でもなく、国民意識というべきである。そして仮に日本の核武装が困難だったとしても、それは石破氏のように大上段に構えて語ることではなく、残念なことなのではないのか。

 竹島問題に関しても、西村議員は武力行使まで視野に入れて主張しているようである。それは、「彼ら(韓国)は我々の言動をじっと見ている。そうであるからこそ、「竹島に武力行使ができない」という発言は、政治家として絶対にやってはいけないのだ」という。

 西村議員は常に国益重視という視点で主張が一貫しており、安易な世論迎合はしない信念の政治家であった。

間 一根(あいだ かずね)
1981年、東京都生まれ。立花書房勤務。
國學院大學大学院法学研究科修士課程修了。
(政治学、現代政治)
------------------------------------
◎成澤秀麗の「書」で語る「美」   (2)
------------------------------------

「和」 http://www.narisawashurei.com/jp/essay/mmto_01.html (クリックしてください。)

和にどっぷり浸かっている私にとって、この頃の和ブームは嬉しい限り。・・・日本人があらたまって和が好きというのも妙な感じがしますが、欧米の真似ばかりしてきた私たちには、良い傾向です。
さて、和の語源は聖徳太子が17条憲法で制定した「和をもって尊しとなす」のように、周りの人たちと調和して仲良くすることから来ています。「和する(親しくする)」という動詞もあるくらい。
反対に、自己主張をよしとする現代の風潮はまったくの欧米スタイル。ただ、ストレートな表現と自己主張はまるで違うということを、恥ずかしながら最近になって知ったのです。
きっかけは、筆文字を海外に発信したいという想いからネイティブの英会話を学び始めたこと。英語にも直截ではない含蓄のある。表現がたくさんあり、YES・NOをストレートに言うだけでは気分を悪くさせるという事実は、それまで海外経験のない私には目からウロコでした。
自己主張は「俺が俺が!」「私が私が!」などという、みっともない主張ではなく、「私はこう思うのだけど、あなたの意見もシッカリ聞かせて」お互いを尊重し合おうとする、積極的な歩み寄りがあるのです。とかく、わたしたちは「外国人は個人主義で・・・」と批判してしまいますが、言葉が違っても根底には調和の精神があります。
途端に、海の向こうの世界が急に身近に感じられました。宇宙人がクラスメートに姿を変えた・・・それぐらい大きな驚きでした。
今の日本人は、迎合をやめて慣れない「自己主張」をしてみたら、単なる「自分勝手」になってしまった・・・こんなところでしょうか。私たちが元々得意としてきた調和の精神を取り入れれば、「自分勝手」は良い意味での「自己主張」に変われそうです。世界の人々とのコミュニケーションにおいて「和する」を上手に使いこなして、日本の素晴らしさが広まれば、世界で和するブームが巻き起こるかもしれませんね!

成澤秀麗 :
山形県出身 書道家、墨絵作家、産業カウンセラー
東北学院大学経済学部経済学科卒
青山学院大学文学部教育学科卒
7年のOL生活と両立しながら書道師範を取得
東京書作展にて内閣総理大臣賞を受賞後、2002年に独立
著書『文字が変われば、ココロも変わる。』(学研)など。
------------------------------------------------------------------------
◎奥山篤信の映画評論 アメリカ映画「毛皮のエロス 原題 FUR: AN IMAGINARY PORTRAIT OF DIANE ARBUS」☆☆
------------------------------------------------------------------------
世紀の美人女優ニコール・キッドマンの主演映画である。彼女の映画はStanley Kubrick監督の「Eyes Wide Shut」以来常に倒錯的な役柄を演じているように思える。美人女優が恋愛やアクションの引き立て役で出たとしても、それは娯楽作でしかなく、女性の中の異常心理を演じてこそ女優としてブラッシュアップされるという、彼女のあくなき好奇心と向上心の賜物といえる。

この映画は天才女流写真家ダイアン・アーバスにオマージュを捧げるまさに想像あふれるフィクション映画である。

ニコール・キッドマン扮するダイアン・アーバスは、実際何一つ不自由しないニューヨーク在ユダヤ人富豪の令嬢として生まれた。ここからがフィクションであるが、そのお嬢様が多毛症の隣人との出会いをきっかけに、世間知らずの貞淑な妻から自立した写真家へ成長していく過程を描いている。監督は『セクレタリー』のスティーヴン・シャインバーグで独自のイマジネーションでフィクションを組み立てた。

いやはや日本人の感覚からは程遠い西洋人の世界であり、毛皮に熱中する白人、その深層心理(素肌にミンクのコートを想像して貰いたい)としてあるのではないかと思われる、全身毛で覆われた類人猿のごときロバート・ダウニー・Jrの扮する隣人ライオネルへの憐憫からくる愛と倒錯。この毛むくじゃらの毛を鋏と鬚そりで剃って剥いでいき、素顔と剃り傷だらけのライオネルと遂に不倫の性行為に達するニコールキッドマンの姿には、そこには美などなく鬼気だけがある。まさに西洋人のお好きな、あの「美女と野獣」と重ね合される。

ハッキリ言って僕は何度も吐き気を催した。西欧人と日本人の根本的相違はこのあたりにあるかもしれない。

さて建設的な目でみると、多毛症を含めこの映画にはライオネルを取り巻く小人やhandicappedやcrippledが出てきて、このダイアン・アーバスの温かいまなざしこそ、それが鋭い人間観察と独創的な芸術的世界を築いた彼女の原点であることを謳っているように解釈される。

ちなみにダイアン・アーバスは1971年に強度の欝病にて睡眠薬自殺をした。48歳である。彼女の死後、その限定版遺作10点はアメリカ人写真家として初めてヴェニスビエンナーレに展示された。

ニコール・キッドマンさん!お願いだから倒錯ではない尋常な恋愛映画に出て、その美しいあなたのすべてを安心して鑑賞させてください!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

◎情報感度を研ぎ澄ます!ビジネス情報誌「エルネオス」
 編集長・市村直幸
 〒105−0003
 東京都港区西新橋1−22−7 丸万7号館4階
 電話:03−3507−0306
 Fax:03−3507−0393
 e‐mail:ichimura@elneos.co.jp
 URL:http://www.elneos.co.jp/

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
次回の配信は6月2日(土)を予定しております。どうぞお楽しみに!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
登録内容(メールアドレス等)の変更、メールニュース配信の停止は、
こちらからお願いします。
<http://www.melma.com/backnumber_133212/>
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
有限責任中間法人 平河総合戦略研究所< http://www.hirakawa-i.org >
発信元:< info@hirakawa-i.org >
掲載された記事を許可無く転載することを禁じます
Copyright(c)2005 Hirakawa Institute
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

規約に同意してこのメルマガに登録/解除する

メルマガ情報

創刊日:2005-02-04  
最終発行日:  
発行周期:週間  
Score!: 98 点