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絶望する世界に声をあげて

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誰も書かなかった四次元の秘説。自分の身に起こる現実は、意識と波動の四次元の世界にその源があった!!



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絶望する世界に声をあげて#10

発行日: 07/19

BODY bgcolor="#ABBFD6" text="#00386a" link="#5e56e7" vlink="#436f96"



top title
第10号 (2005/07/19)
大津・義仲寺
 お待たせしました!メルマガ「絶望の世界に声をあげて」の第10号〜義仲と巴――その愛と真実(後編)〜をお送りします。途中インターバルもありましたが、どうにか第10号の発刊までこぎつけました。(汗、、)少しつづ読者の皆様も増えてくださり、何とか自ら奮起をあおりここまで続けて来ております。
 今後もこのメルマガならではの特性を生かして、四次元世界からの垣間見える驚愕の真実を記して行きたいと思っています。どうぞ今後ともよろしくご愛読下さいますよう!
■義仲と巴――その愛と真実(後編)

 木曽福島の旅から帰ってしばらくして、今度は私たちの他にもう二人の同行者と一緒の旅への導きが持ちあがりました。それは今までの私たちとのかかわりの中で、本人たちの魂に刻まれた過去生がいくつも判ったことのある方々です。それによる意識の反応が起こっていた上に、さらに確実なものとする為には、過去生のゆかりの地へ足を運ぶことが、言い知れぬ意識の深みに定着させることにとってとても重要だということから端を発し、それなら一緒にその地へ行ってみようということになったいきさつがあってのことでした。
 私たちと同じ魂の系団でしょうか、いくつもの同じ時代に同じ顔合わせで登場しているのが判っています。もちろん、今回の義仲の時代にも複数の人物に分けて魂の過去生があるようです。ひと方は静御前のものと巴御前のもの、それに高倉天皇のものを併せ持ち、もうひと方は共通に静御前のものを持ち、他の時代のものも多重に分けて持っているようです。共にいわゆる霊体質で、霊的な波動に極度に敏感に反応するふたりです。
 前回の木曽福島での義仲・巴の一件を経て、また再度、このメンバーで大津の義仲寺へとまずは向いました。 

 ●義仲、物憂く歌う (2005/06/16)

 6月16日の義仲寺は、前回の若葉の頃の新緑が生い茂る境内から、随分と色合いの濃度も深く変わり、さらにしっとりと落ち着いた場となっていました。雨のあがった後の、苔や土の匂いがするような濡れた庭は、義仲・巴のふるさとを見て来た私たちの意識に、いっそう新たな重みを感じさせる再訪となりました。
 前回のように、橋本と私は、境内にある朝日堂と芭蕉の翁庵を巡り、波動を受けるべく意識を合わせてみたりしたのですが、今回は何も感ぜず、どうもこの場よりも境内の一番奥にある木曽八幡社の小さな祠に呼ばれているようでした。木曽八幡社は義仲寺のもともとの鎮守で、古図にあったものを昭和の時代に新造したものらしく、翁堂の陰に隠れてあまり目立たない所でと察したのか、案の定、そのひとけのない祠の前で、義仲が五七調になった歌を静かに伝えました。最後は観光客が入り込んで来るのが聞え、言葉はそこで途絶えてしまいました。
(テープ起こしした原文のまま)

翁堂の前の古池
 ▲翁堂の前の古池

時を分け 時を経て
幾代に続く骨肉の
越えねばならぬ身のほども
やがて朽ちるこの身は花と
散りなば身も滅びる
散りながら 滅びの花も色冴えず
悲しき胸は すべては憎しみ
愛とは知らずに 我が身を閉じた
ゆくえ遥かな世と別れ
すべては戦に明け暮れいずる・・・・
※義仲寺・木曽八幡社前にて≪木曽義仲≫2005/06/16

 橋本の受ける義仲の言葉は、随分と力なく、か細い声でようやく捉えられるほどで、その物憂い心のうちを表しているかのようでした。



 ●巴が語らぬその訳は・・・ (2005/06/16)

巴像(日義村・義仲館)
 ▲巴像(日義村・義仲館)
 境内の各所で真摯な面持ちで拝していた巴の御魂を持つTさんは、同じ静御前の御魂を持つ同士のYさんと、巴のことを語りながら巡っていたようです。そのふたりの会話の中で、ひとつの確信めいた想いが強く出て来たようでした。
 それは、一説によれば、義仲討たれた後、巴は鎌倉に渡り、時の侍所別当、和田義盛の妻になり、朝比奈三郎義秀を生んだという話に、憤りに近い魂の反応とともに、「絶対違う!」という強い断乎とした想いが湧き出て来たようでした。具体的な理由はともかくも、真実は違う!という魂からの意志がそう強く反応として出て来たのです。
 さらに、一緒にその話をしていたYさんには、左の背中から脇腹にかけて、何かに突き刺されたような激痛がしはじめたのでした。痛い、痛いと、俄かにただならぬ状況になったのですが、それが霊的、つまり医学的なものでない、四次元的な痛みであることを私たちは承知していました。
 かわってTさんが、すかさず断言しました。「巴ではない、晩年この地で義仲の菩提を弔った尼僧とは、巴になりすました山吹だ!」と。
 私にはその顛末が浮かんで来ました。激痛を感じているYさんの感じたものからも、巴は生き延びるどころか、義仲の最期のときを前に、義仲のもとから逃がされた折、ほどなく追っ手に見つかり、背後から槍で刺されて果てていることが判ったのです。そのときの激痛がYさんに起こったものでした。とすると、巴は後生を尼で過ごしたというのは、別人のことになります。そうです、義仲をめぐり、側室どうしの女の情念による戦いによって、したたかな山吹御前は、亡き義仲を弔う尼として巴を語っていたのです。
義仲寺・巴塚
 ▲義仲寺・巴塚
 山吹とは、いささか女の性(さが)を陰に篭らせ、深く執念の炎を燃やす女だったと思えるのです。共に本妻にはなりえなかった同士ではあっても、巴の義仲とのあまりに深いつながりに、嫉妬と憎悪の念をくゆらせることなく終えることは出来ない山吹であったのでしょう。その悔しさを、今は亡き巴になりすまして美談を生むことで、満足させていた感もないことではなかったのではと想像できます。
 さらに、義仲の長男義高は、どうやら巴の生んだ子であったようだというのも判って来たのでした。本妻の子と書かれているのは多いなか、あそこまで巴が義高への強き愛情を注げるでしょうか。頼朝の娘大姫の許婚として幼きうちに鎌倉へと取られて行ったあの義高への恋慕は、腹を痛めた母でなしには決して出来るものではないはずです。
 そこまでのことを義仲寺の境内で、4人で立ちながらに紐解き終わり、おもむろに木陰の奥にまで足を伸ばすと、驚いたことに、そこには「山吹塚」があったのです。前回来てもまったく目に入らず、ましてやパンフレットに載っているのさえ気づかなかったものが、急遽目に飛び込んで来たのでした。義仲の墓と巴塚が並び、そこから奥の樹木の陰に山吹塚があるとは、いったいどういうことだろうかと、先ほど判った謎解きで、そのあり方の必然も納得出来ることにもなったのでした。
 パンフレットによれば、この山吹塚はもとJR大津駅前にあったものを、駅の拡張工事の際に義仲寺境内に移したものだそうです。とはいえ、木曽福島の巴ヶ淵とその背後の山が山吹山であること、さらにこの義仲寺の狭い境内にこの三人の墓及び塚があること、それらをとっても、歴史の表舞台にはのぼらない心の奥に秘されたドラマがあったのだということを感じさせるこの日の発見でした。  そうこうしているうちに、何も黙して語らずの巴から、橋本の意識を通してこう一言がやって来たのでした。
義仲寺・山吹塚
 ▲義仲寺・山吹塚
 「ぶった斬ってやる!」
 そうです、巴はおなごでありながらも男の御魂を持った凛々しき女武者です。つまらぬことをくどくど言うような女々しいことはことごとく許せぬ心意気を持っています。しかし、それだけに穢いまねをして、もののふの誉れを汚したものは当然の如く許し難き想いを抱いていたことでしょうが、それすらも胸に堪えて、命果てた後、山吹の行状を訝っていたに違いありません。そんな精神の腐ったおなごは、一刀両断に切り捨てる、とそう苦しい胸のうちをちらと明かしてくれたものと思えるのです。
 前述した巴が後生、和田義盛に嫁したというのもこれで俗説ということが言えるでしょう。では、それも山吹なのかどうか、それにもいくつもの疑問が湧きます。何故にと言えば、あれだけの勇猛な女騎馬武者の素性を山吹が演じられる訳もなく、巴でないことは明白に見破れることだからです。巴の気性を山吹が成り代わることは、いくらなんでも夫にもわかるはずだからです。

 義仲が現在の義仲寺のある粟津ヶ原にて非業の最期を遂げた後、巴もほどなくして義仲の後を追うこととなったのです。巴の後身の言い伝えは、三角関係を持った彼の山吹御前が女の情念によって醸成したものであると、そう解き明かすことが出来たのでした。

巴御前からの和歌

2005/07/19記


●編集後記●
my portrait ●後編に落ちがあるというこの回は、あまり期待を延ばしてもいけないと思い、必死に間に合わせました。(汗)●それにしても、分け御魂とは実に不思議なもので、このように突如として過去の人生の本当のところがわかったり、当時の想いが吹き出て来たりすることがあるのです。●実はもうひとり巴の御魂を分けた人がいて、その方は今生、馬に乗ることが好きで好きで、毎週のように馬術を習いに行っています。やはり巴は相当に馬に惚れていたのですね。(笑)
Masaki Sato


●ごあんない●
    ●メインサイトは、『ほほえみの庵 ”雄山荘”』 です。
    ●Excite blog 『光伝塾通信』
    ●melma! blog 『アセンド・ステップ(Ascend Step)』
    ●ご意見・ご感想は、info@yuzanaso.com までどうぞ。
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●次号予告●
さて、次回はさらに義経時代の続きとして、高倉天皇と建礼門院のことについて書いてみたいと思っています。高倉天皇の死には謎がありましたが、それがここで明らかになります。乞うご期待下です!
All right reserved (C) Copyright 2005 YUZANSO Masaki Sato & Keiko Hashimoto

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大津・義仲寺
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■義仲と巴――その愛と真実(後編)

 木曽福島の旅から帰ってしばらくして、今度は私たちの他にもう二人の同行者と一緒の旅への導きが持ちあがりました。それは今までの私たちとのかかわりの中で、本人たちの魂に刻まれた過去生がいくつも判ったことのある方々です。それによる意識の反応が起こっていた上に、さらに確実なものとする為には、過去生のゆかりの地へ足を運ぶことが、言い知れぬ意識の深みに定着させることにとってとても重要だということから端を発し、それなら一緒にその地へ行ってみようということになったいきさつがあってのことでした。
 私たちと同じ魂の系団でしょうか、いくつもの同じ時代に同じ顔合わせで登場しているのが判っています。もちろん、今回の義仲の時代にも複数の人物に分けて魂の過去生があるようです。ひと方は静御前のものと巴御前のもの、それに高倉天皇のものを併せ持ち、もうひと方は共通に静御前のものを持ち、他の時代のものも多重に分けて持っているようです。共にいわゆる霊体質で、霊的な波動に極度に敏感に反応するふたりです。
 前回の木曽福島での義仲・巴の一件を経て、また再度、このメンバーで大津の義仲寺へとまずは向いました。 

 ●義仲、物憂く歌う (2005/06/16)

 6月16日の義仲寺は、前回の若葉の頃の新緑が生い茂る境内から、随分と色合いの濃度も深く変わり、さらにしっとりと落ち着いた場となっていました。雨のあがった後の、苔や土の匂いがするような濡れた庭は、義仲・巴のふるさとを見て来た私たちの意識に、いっそう新たな重みを感じさせる再訪となりました。
 前回のように、橋本と私は、境内にある朝日堂と芭蕉の翁庵を巡り、波動を受けるべく意識を合わせてみたりしたのですが、今回は何も感ぜず、どうもこの場よりも境内の一番奥にある木曽八幡社の小さな祠に呼ばれているようでした。木曽八幡社は義仲寺のもともとの鎮守で、古図にあったものを昭和の時代に新造したものらしく、翁堂の陰に隠れてあまり目立たない所でと察したのか、案の定、そのひとけのない祠の前で、義仲が五七調になった歌を静かに伝えました。最後は観光客が入り込んで来るのが聞え、言葉はそこで途絶えてしまいました。
(テープ起こしした原文のまま)

翁堂の前の古池
 ▲翁堂の前の古池

時を分け 時を経て
幾代に続く骨肉の
越えねばならぬ身のほども
やがて朽ちるこの身は花と
散りなば身も滅びる
散りながら 滅びの花も色冴えず
悲しき胸は すべては憎しみ
愛とは知らずに 我が身を閉じた
ゆくえ遥かな世と別れ
すべては戦に明け暮れいずる・・・・
※義仲寺・木曽八幡社前にて≪木曽義仲≫2005/06/16

 橋本の受ける義仲の言葉は、随分と力なく、か細い声でようやく捉えられるほどで、その物憂い心のうちを表しているかのようでした。



 ●巴が語らぬその訳は・・・ (2005/06/16)

巴像(日義村・義仲館)
 ▲巴像(日義村・義仲館)
 境内の各所で真摯な面持ちで拝していた巴の御魂を持つTさんは、同じ静御前の御魂を持つ同士のYさんと、巴のことを語りながら巡っていたようです。そのふたりの会話の中で、ひとつの確信めいた想いが強く出て来たようでした。
 それは、一説によれば、義仲討たれた後、巴は鎌倉に渡り、時の侍所別当、和田義盛の妻になり、朝比奈三郎義秀を生んだという話に、憤りに近い魂の反応とともに、「絶対違う!」という強い断乎とした想いが湧き出て来たようでした。具体的な理由はともかくも、真実は違う!という魂からの意志がそう強く反応として出て来たのです。
 さらに、一緒にその話をしていたYさんには、左の背中から脇腹にかけて、何かに突き刺されたような激痛がしはじめたのでした。痛い、痛いと、俄かにただならぬ状況になったのですが、それが霊的、つまり医学的なものでない、四次元的な痛みであることを私たちは承知していました。
 かわってTさんが、すかさず断言しました。「巴ではない、晩年この地で義仲の菩提を弔った尼僧とは、巴になりすました山吹だ!」と。
 私にはその顛末が浮かんで来ました。激痛を感じているYさんの感じたものからも、巴は生き延びるどころか、義仲の最期のときを前に、義仲のもとから逃がされた折、ほどなく追っ手に見つかり、背後から槍で刺されて果てていることが判ったのです。そのときの激痛がYさんに起こったものでした。とすると、巴は後生を尼で過ごしたというのは、別人のことになります。そうです、義仲をめぐり、側室どうしの女の情念による戦いによって、したたかな山吹御前は、亡き義仲を弔う尼として巴を語っていたのです。
義仲寺・巴塚
 ▲義仲寺・巴塚
 山吹とは、いささか女の性(さが)を陰に篭らせ、深く執念の炎を燃やす女だったと思えるのです。共に本妻にはなりえなかった同士ではあっても、巴の義仲とのあまりに深いつながりに、嫉妬と憎悪の念をくゆらせることなく終えることは出来ない山吹であったのでしょう。その悔しさを、今は亡き巴になりすまして美談を生むことで、満足させていた感もないことではなかったのではと想像できます。
 さらに、義仲の長男義高は、どうやら巴の生んだ子であったようだというのも判って来たのでした。本妻の子と書かれているのは多いなか、あそこまで巴が義高への強き愛情を注げるでしょうか。頼朝の娘大姫の許婚として幼きうちに鎌倉へと取られて行ったあの義高への恋慕は、腹を痛めた母でなしには決して出来るものではないはずです。
 そこまでのことを義仲寺の境内で、4人で立ちながらに紐解き終わり、おもむろに木陰の奥にまで足を伸ばすと、驚いたことに、そこには「山吹塚」があったのです。前回来てもまったく目に入らず、ましてやパンフレットに載っているのさえ気づかなかったものが、急遽目に飛び込んで来たのでした。義仲の墓と巴塚が並び、そこから奥の樹木の陰に山吹塚があるとは、いったいどういうことだろうかと、先ほど判った謎解きで、そのあり方の必然も納得出来ることにもなったのでした。
 パンフレットによれば、この山吹塚はもとJR大津駅前にあったものを、駅の拡張工事の際に義仲寺境内に移したものだそうです。とはいえ、木曽福島の巴ヶ淵とその背後の山が山吹山であること、さらにこの義仲寺の狭い境内にこの三人の墓及び塚があること、それらをとっても、歴史の表舞台にはのぼらない心の奥に秘されたドラマがあったのだということを感じさせるこの日の発見でした。  そうこうしているうちに、何も黙して語らずの巴から、橋本の意識を通してこう一言がやって来たのでした。
義仲寺・山吹塚
 ▲義仲寺・山吹塚
 「ぶった斬ってやる!」
 そうです、巴はおなごでありながらも男の御魂を持った凛々しき女武者です。つまらぬことをくどくど言うような女々しいことはことごとく許せぬ心意気を持っています。しかし、それだけに穢いまねをして、もののふの誉れを汚したものは当然の如く許し難き想いを抱いていたことでしょうが、それすらも胸に堪えて、命果てた後、山吹の行状を訝っていたに違いありません。そんな精神の腐ったおなごは、一刀両断に切り捨てる、とそう苦しい胸のうちをちらと明かしてくれたものと思えるのです。
 前述した巴が後生、和田義盛に嫁したというのもこれで俗説ということが言えるでしょう。では、それも山吹なのかどうか、それにもいくつもの疑問が湧きます。何故にと言えば、あれだけの勇猛な女騎馬武者の素性を山吹が演じられる訳もなく、巴でないことは明白に見破れることだからです。巴の気性を山吹が成り代わることは、いくらなんでも夫にもわかるはずだからです。

 義仲が現在の義仲寺のある粟津ヶ原にて非業の最期を遂げた後、巴もほどなくして義仲の後を追うこととなったのです。巴の後身の言い伝えは、三角関係を持った彼の山吹御前が女の情念によって醸成したものであると、そう解き明かすことが出来たのでした。

巴御前からの和歌

2005/07/19記


●編集後記●
my portrait ●後編に落ちがあるというこの回は、あまり期待を延ばしてもいけないと思い、必死に間に合わせました。(汗)●それにしても、分け御魂とは実に不思議なもので、このように突如として過去の人生の本当のところがわかったり、当時の想いが吹き出て来たりすることがあるのです。●実はもうひとり巴の御魂を分けた人がいて、その方は今生、馬に乗ることが好きで好きで、毎週のように馬術を習いに行っています。やはり巴は相当に馬に惚れていたのですね。(笑)
Masaki Sato


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    ●メインサイトは、『ほほえみの庵 ”雄山荘”』 です。
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