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オーストリアの食文化を日本に正しく紹介し、より良い食文化交流行うことを目的として、営利を目的とせず、オーストリアの食文化を愛し、日本に正しく紹介してその普及に務める団体として活動していくマガジンです。

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ウイーンの街・食文化・徒然なるままに・・・・

発行日:2/1

☆☆☆━━━━━━━━日本・オーストリア食文化協会━━━━━━━☆☆☆
        ウイーンの街・食文化・徒然なるままに・・・・
        Nr206        2012年2月1日号 
☆☆☆━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━☆☆☆

オーストリアの歴史や街々に興味のある方、食に関してなんでも知りたい方へ
の雑学ノートです。もっと貴方のオーストリア知識を増やしてみませんか?
日本でオーストリアの料理・菓子・パンのプロフェッショナルとして活躍する
人たちが始めた団体です。オーストリアに興味のある人はどなたでも会員にな
れます。興味のある方はホームページに詳しく紹介。お待ちしております。
URL:<http://servus.shisyou.com/index.html

▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽
○ オーストリアの歴史?? 
○ ウィーンの街角
○ Erinnerungen an Wienウィーン望郷
○ ウィーンの冬に愉しむお菓子とフルーツティー
○ 編集後記
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【オーストリアの歴史??】   日本に登場するオーストリア

オーストリア人が個人的に日本へ来たという確定した書物はないので、初めて
日本に訪れたオーストリア人は解りませんが、記録として残っているのは、オ
ーストリアの国を代表してきた公的な記録となります。
1863年オーストリアでは日本との通商関係の確立に関する公的な議論が始まっ
た。
明治は1868年からですからそれ以前にオーストリアは日本との交易を考えてい
たのです。これもオーストリアが最初というわけではなく記録上、日本に初め
てやってきた西洋人は1543年種子島に漂着したポルトガル人商人、フランシス
コとキリシタ・ダ・モッタと言われています。そこから徐々に西洋人がやって
くるわけですが鉄砲を伝えて以来、1639年鎖国によってオランダ人と中国人だ
けしか日本の来られなくなるまでの約100年間に多くの西洋人が日本に来航し
ました。この100年というのは日本にとって外国文化が入ってきて日本という
国が変わろうとしていた時期なんですがその後、鎖国状態になってしまったこ
とは歴史本に載っているとおりです。その後長崎の出島で海外との貿易は細々
と続くのですが、本格的になるのは明治時代になって日本が西洋文化に遅れを
取らないようにヨーロッパに使節団を送り込んだことも学校の授業で習ったこ
とです。
明治政府は明治元年から明治中期までに多くのスペシャリストを外国から招い
て学術教育、外交、法律、医学、建築土木、芸術美術、軍事の近代化を強力に
進めた。これらのプロジェクトで招かれたスペシャリストは「お雇い外国人」
とよばれた。「港都横浜の文化論」によると「お雇い外国人」の数を出身国別
にみると次のようになっていたそうだ。
イギリス        928名
アメリカ        374
フランス        259
ドイツ         175
オランダ         87
オーストリア・デンマーク 21
イタリア         18
ロシア          16
スェーデン         9
ポルトガル         6
中国          253
多国籍          28
国籍不明         80
ということで、オーストリアは約8番目に多い外国人となったわけです。
イギリスがダントツに多いい理由は徳川幕府打倒で薩摩・長州などの西南雄藩
を支援した理由が大きいですね。次のフランスは徳川幕府から引き継いだ重要
なプロジェクトがフランス支援のものであったからと言われています。日本は
外国に負けないような大国となるために軍事面でもイギリス・フランスをお手
本にしようとしました。七つの海を制覇したイギリスに日本は海軍技術を学び、
陸軍はフランスに学ぶ予定でしたが普仏戦争でドイツが勝利したため日本はド
イツへと傾いていくわけですね。ではオーストリア人はどこに現れてくるので
しょうか。
次回に続きます
◆━━━━◇━━━━◆━━━━◇━━━━◆━━━━◇━━━━◆━━━◇
【ウィーンの街角】  ボヘミアのプラーター

プラーターと言えばウィーンの中心地にある観覧車で有名な遊園地ですが「ラ
ーの森」には1880年から1890年の間、ラーの林道の両側に広がるこの小さな歓
楽街があり、ラーの森にはレンガ労働者が働いておりその家族(いろいろな民
族)が住んでいました。
ラーの森レクリエーションエリアには子供たちのためのいろいろな施設があり
ました。ここはウィーン市内の「プラーター」と分けて「ボヘミアのプラータ
ー」と言われています。
ボヘミアのプラーター の住所は、1110・Wien Laaer Waldです。もし行って見
たい方らおられたら、U1のメトロでReumannplatz(ロイマンプラッツ)まで行
き、市電67番を乗ってLaaer Berg Strasse(ラーベルグ通り)で下車します。
もし通り過ぎても次が終点のOberlaa(オバラー)ですから、歩いて戻られて
も5分くらいの距離です。Laaer Berg Strasseから山のほうに向かって歩いて
行くとそこが「ラーの森」(Laaer Wald)です。とにかく静かな通りですから
ウィーンの人たちもレクリエーションに行くのも分かります。ボヘミアのプラ
ーには、マリーゴールドのゲーム 、 スイング 、列車のトラック、 観覧車や
いろいろな施設があり楽しめます。この「ボヘミアのプラー」の歴史のなかで
1944年12月11日に、第二次世界大戦があり、ボヘミアンプラーターはほぼ完全
に爆弾攻撃によって破壊されれてしまったこともありましたが今ではまたもと
のように戻っています。隣のOberlaa(オバラー)は70年代の前半に花の博覧
会が開かれたくさんの人々で賑わいました。私もその時の花博に家族で出かけ、
むせぶような花の香りが今でも思い出されます。その時の花の万博で会場入り
口でオープンしたのが今でもウィーンでは知らない人はないくらいの有名店「
菓子店・オバラー」の開店でした。ここが第一号店でカール・シューマッハ氏
が作った菓子はウィーン子をうならせ、毎日長い行列が並び毎日が売り切れの
状態でした。今でも市内に多数の店舗展開をしています。
http://vienna.eventseekr.com/bohemian-prater/tourist-attractions-sightseeing/venue/649708
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【Erinnerungen an Wien ウィーン望郷】   飯田 章 編 その24 
乳母車での散歩道

子供が誕生してまず購入したのが乳母車。首がまだ座っていないので少し大き
めの寝るタイプの籐でできた乳母車でした。その頃の仕事とは前回も書いたよ
うに「コンディトライ・ハイナー」という菓子屋で、朝が早いため就業時間が
午後早目には終わってしまう。そこで三人でよく散歩をしにあちこち出かけた
のを思い出す。
住んでいた場所が10区(中央墓地の近く)という、中心地からかなり離れた場
所だったのでお店まではかなりの時間を要する。今では地下鉄が出来て移動が
簡単になったが当時はシュトラッセンバーン(トラム)に揺られ、小一時間か
けて出勤する。妻も私の就業時間に合わせて、終わるころを見計らってやって
くる。大きな乳母車で出てくるのは大変かと思われるだろうが、ウィーン(各
国でも)では赤ちゃんや年寄りに対しては非常に優遇されている。40年前の日
本では乳母車が小さく畳むこともできず交通機関を乗ることもままならないこ
とが多かった。ましてや国鉄と呼ばれた時代では乳母車乗車禁止の張り紙が出
ていたのを思い出す。でもウィーンでは専用の席が設けられてており、大きな
乳母車でも近くの人が親切に手伝ってくれて乗り降りも何不自由なく移動でき
た。いまでもウィーンでは弱い立場の人たちには手厚い保護が受けられる。
よく行ったのがシュタットパーク(市立公園)ヨハンシュトラウスの像がある
ので有名です。昔はこの像も金箔ではなくただの銅像だったのですが近年にな
り金箔張りのヨハンシュトラウスにびっくりしています。でも最近になってこ
のほうがよかったかなと思っていますが昨年はこの像の工事があり、長い事見
ることができませんでしたがやっと完成しました。寒い冬にも関わらず観光客
の見学が今でも絶えません。
当時は結構時間もあったのでケルントナー通りの散歩も欠かせませんでしたが、
当時は歩行者天国ではなく車の往来が激しく、通行するにも結構苦労した覚え
があります。帰国直後にはこれから地下鉄が作られるということで各道路が通
行止めのところも出てきてケルントナー通りの交通も酷さが増しました。映画
「第三の男」を見るとウィーンは石畳の町として映し出されていましたが、車
がガタガタとして通行しにくいとのことで石畳がはがされ、コンクリートの道
路となっていった場所が増えていきました。でも今でも車が通りにくい場所は
昔ながらの石畳が残っていますが、少なくなってきました。乳母車も石畳を通
るにはゆっくりと押さなければならず苦労した覚えもあります。今の乳母車は
よく出来ていてその程度の石畳では揺れが少なくなるようになっているのかも
しれませんが、はっきりとは判りませんが・・・・・。
ケルントナー通りの次に良く行ったのがマリアヒルファー通りでした。今では
あまりぱっとした通りではないですが当時は流行の先端(?)を垣間見るよう
な通りでつきあたりがウエストバーンホーフ(西駅)で各国に行く列車がここ
から出ていたメインの中央駅でした。
これからは南駅がセントラル駅となりただ今工事中となっていますが、広大な
空き地にショベルカーが動いているだけの閑散とした場所になっています。こ
の南駅の前がベルべデーレ宮殿でクリムトの「接吻」など有名な絵画コレクシ
ョンがあります。
とにかく、子供と一緒に散歩したことは8ミリフィルムに撮りましたが今では
映写機がなく見るに見られないのが残念でなりません。
◆━━━━◇━━━━◆━━━━◇━━━━◆━━━━◇━━━━◆━━━◇
【ウィーンの冬に愉しむお菓子とフルーツティー】
ウィーンの紅茶ハウス「デンメア」では「ウィーンの冬に愉しむお菓子とフル
ーツティー」と題し、セミナーを開催することになりました。

講師:ウィーン菓子専門店 「ノイエス」 野澤 孝彦パティシエ
日時: 2月4日(土) 15:00〜16:00
15:00〜15:30 野澤パティシエによるセミナー
15:30〜16:00 ティータイム&自由解散
会場: デンメアティーハウス六本木店 
定員: 10名
参加費: ¥3,000

席数に限りがございますので、先着順にて定員となり次第予約受付を終了させ
ていただきます。
ご予約につきましてはお電話にて本多、高見澤までお願い致します。
TEL: 03-5772-1812
http://demmersteehaus.blogspot.com/
詳しくはブログにてご覧ください。
◆━━━━◇━━━━◆━━━━◇━━━━◆━━━━◇━━━━◆━━━◇
【編集後記】
もう、正月気分は抜け、2月となりました。毎日寒い日が続い続いてています
が、ウィーンも最高気温がマイナス温度で東京よりも寒い日が続いています。
この寒さが抜けるとアスパラガスの季節となり春到来となるわけですが、早く
来ないかアスパラの日。
日本オーストリア食文化協会でもアスパラが出始めたら食事会でも考えましょ
うか?お楽しみに。
☆━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─━☆
 ■ 発行者:Aida  servus@kitanet.ne.jp
  ■ このメールマガジンの無断転載禁止。
 ■ ツイッター:https://twitter.com/#!/servusaki
  ■ いつでも登録/解除可能です。こちらから入ってください
■ Servus AKIの『食卓のフォークロア』も発行しています。
   「まぐまぐ」からは(88610)で検索。
   「melma」からは(61352)で検索してください。
     URL:<http://servus.shisyou.com/index.html
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