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JOG-mel No.1120 横井小楠 〜 「大義を四海に布かんのみ」

2019/06/30

■■ Japan On the Globe(1120)■■ 国際派日本人養成講座 ■■

    人物探訪: 横井小楠 〜 「大義を四海に布かんのみ」

 富国も強兵も手段であって、その究極の目的は「大義を四海に布かんのみ」と小楠は喝破した。
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■1.「横井の思想を、西郷の手で行はれたら」

「横井の思想を、西郷の手で行はれたら、もはやそれまでだ」[1, 2382]と勝海舟に言わしめたのが、熊本藩士・横井小楠(しょうなん)だった。海舟は「自分は横井小楠の弟子である」と自称するまでに小楠の思想に惚れ込み、それを西郷に伝えたのも海舟だった。明治維新とは「横井の思想を西郷の手で行」ったものと言えようか。

 大政奉還を説いた坂本龍馬の「船中八策」も、小楠が幕府に提出した「国是七条」を下敷きにしている。明治日本の国是「五箇条のご誓文」[a]の起草者の一人、福井藩士・由利公正は、小楠が福井藩を指導していた時の門人で、「ご誓文」にも小楠の「国是十二条」の影響が色濃い。

 吉田松陰は小楠を熊本に訪れ、小楠の説く日本国の進路に感奮した。高杉晋作も「小楠を長州藩の学頭兼兵制相談役に招きたい」 と国元に相談している。

 小楠の高い評価は幕府側も同じであった。徳川一門の福井藩主・松平春嶽(しゅんがく)は小楠を自藩に招き、財政改革で腕を振るわせた。その後、幕府の政事総裁職に就くと、ブレーンとして頼った。評判を聞いた将軍後見職(後の将軍)一橋慶喜も小楠の意見に感服して、幕府顧問に招きたいとまで言い出した。

 明治新政府が成立してからも、小楠は呼び出されて参与となり、岩倉具視の私邸に毎晩のように招かれて、相談に乗っていた。

 明治維新は多彩な登場人物がそれぞれの役割を果たして完遂できたが、彼らの背後で統一的な脚本を書いたのが小楠であった。


■2.「なんぞ富国に止まらん なんぞ強兵に止まらん」

 西郷と小楠について、海舟はこうも言っている。

__________
 おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人見た。それは、横井小楠と西郷南洲とだ。横井は、西洋の事も別に沢山は知らず、おれが教へてやつたくらゐだが、その思想の高調子な事は、おれなどは、とても梯子を掛けても、及ばぬと思った事がしばしばあった。[1, 1016]
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「高調子(たかちょうし)」とは、声などの調子が高いことを意味するが、この文脈では、その思想の「高遠さ」を指すのだろう。その「高調子」ぶりは、後に二人の甥がアメリカに留学する際に贈った次の言葉に現れている。

__________
堯舜(ぎょうしゅん)孔子の道を明らかにし
西洋器械の術を尽くさば
なんぞ富国に止まらん
なんぞ強兵に止まらん
大義を四海に布かんのみ[1, 98]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

「富国強兵」は明治政府の近代化の旗印だった。世界を植民地化して、ついには東アジアまで迫りつつあった西洋諸国から我が国の独立を護るためには、「西洋器械の術」を尽くして国を富ませ、強力な軍備を持つことが必要だった。しかし、小楠は「なんぞ富国に止まらん。なんぞ強兵に止まらん」と言い切って、その先を説く。それが「大義を四海に布かんのみ」であった。


■3.「今各国戦争の惨憺実に生民の不幸之を聞くに忍びず」

 その「大義」とは「堯舜孔子の道」であった。堯と舜は中国古代の伝説上の帝王で、理想的な仁政を行った、と伝えられている。現代の我々にとって判りやすいのは、小楠が「白面碧眼(白人で目の青い)の堯舜」と呼んで尊敬していたアメリカの建国の英雄ジョージ・ワシントンだろう。小楠のワシントンへの傾倒ぶりは、米国から肖像を取り寄せて、家に掲げていたほどだった。[1, 1684]

 ワシントンは、イギリスの植民地での圧政を跳ね返してアメリカ人民の独立を勝ち取り、初代大統領に就任したが2期で後進に道を譲った。ワシントンの姿勢に見られるように、私心なく、ただ公共の為に尽くす事こそ、堯舜孔子の道だと小楠は考えた。

 しかし、西洋の学問は「事業の学であって心徳の学ではない」から、事業はどんどん開けるが、私欲に駆られて他国を植民地化し、戦争ばかりやっている。そういう国際社会での我が国の進むべき道に関して、小楠は次のように語ったと伝えられている。

__________
先づ米国と交親するより始むべし。若し我を用ゐる者あらば、先づ米国に至り誠信を投じて大に協議し、以て財政の運用・殖産交易振興する所ある可し。殊に米国の開祖華盛頓(ワシントン)なる者は常に世界の戦争を止むるを以て志と為す。今各国戦争の惨憺実に生民の不幸之を聞くに忍びず。故に米国と協議して、以て戦争の害を除く可きなり。(元田永孚『還暦之記』)[1, 677]

(拙訳)まず米国との友好から始めるべきだ。もし私を用いる人がいれば、まず米国に行って、誠意ある協議を大いにして、金融や産業、貿易の振興を図る。特に米国独立の英雄ワシントンは常に世界の戦争を止めることを志としていた。今、各国の戦争の災禍、人民の不幸は聞くに忍びないほどだ。それゆえに米国と協議して、もって戦争の害を除くべきである。
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 あたかも、今日の日米同盟が世界の平和を守る公共財とまで言われている状況を予見していたかのようだ。「大義」とは、世界の平和と人民の幸福を護ることであり、「富国強兵」はそのための手段だと言うのである。いかに独立を護るかで汲汲としていた当時の日本で、小楠は世界平和と人類の福祉まで考えていた。

 これが海舟をして「思想の高調子な事は、おれなどは、とても梯子を掛けても、及ばぬ」と言わしめたのである。


■4.「横井先生は、口舌(くぜつ)の徒ではない」

 しかし、小楠は大言壮語を吐く口先だけの人物ではなかった。福井藩に「賓師」として招かれて、まず勧めたのが殖産興業による「富国」であった。それまでの藩政改革が倹約一辺倒だったのを、小楠は「それは間違いだ。倹約して余らせた金は、新しい製品の開発や、貿易に注ぎ込むべきだ」と指導した。

 さらに、足りない資金は藩札を発行して補うべしとした。しかし、藩札はいつ紙切れになるやも知れない、と商人や農民は警戒する。小楠は藩の責任者・三岡八郎(後の由利公正)に「要求があったら、必ず藩札を正貨(小判など)に還(かえ)ると約束しなさい」と指示した。

「いきなりそういう約束はできません。正貨が乏しかったら、元も子もなくなります」と渋る三岡に、小楠は言い切った。「それは私欲だ。公欲に立って殖産・貿易を行うのなら、生産者にそういう約束をするのが徳でしょう」 三岡は「なるほど」と思って、この約束をもって、村や町に説得して回った。

 こうして越前藩は安政6(1859)年に物産商会所を設け、藩の産物の外国や他藩への販売を拡大させた。特に小楠の「外国に売り出すのには、生糸がいいと思いますよ」との意見を受けて、三岡八郎は農村を回って、桑を植えさせ、養蚕を盛んにした。

 オランダ商館との貿易額は、初年度が約百万両だったのが、生糸などがよく伸びて、三年後には3百万両に達した。その間、商人や農民から要求があれば藩札を正貨に換えた。それでも藩の金倉にはいつも50万両ほどの正貨が唸るようになった。

「横井先生は、口舌(くぜつ)の徒ではない。その説かれるお教えは高邁だが、さすが実学を旨とされるだけあって、藩を富ます術にも長(た)けておいでだ」。福井藩における小楠の声望は一気に確立された。


■5.「実学を旨とする」

「実学を旨とする」とは小楠の学問の核心であった。小楠は福井の有識者から学校の制度の在り方について質問されると、『学校問答書』を書いて答えた。

 その大要は「各藩は競って学校を創立したが章句・文字を学ぶだけの読書所に成り下がり、経世済民(けいせいさいみん、世を治め、民の苦しみを救う)の理想に燃える人材を育てるような学校になっていない。したがって、学問と政事を一致させ、経世済民の志を持つ人材を育成するような学校を創立しなければならない」ということだった。

 これに共鳴した福井藩主・松平春嶽は、安政2(1855)年に学政一致を目指す藩校・明道館を創立し、小楠を賓師として招くことを決意したのである。

「実学」を唱える小楠は、熊本藩校・時習館(じしゅうかん)で教えている朱子学を批判していた。そして藩校に入れない下級武士や農民まで、自らの門人としていた。小楠のこうした姿勢が熊本藩内では疎まれた。日本中でこれほど評価された小楠が、自藩では活躍の場を見いだせなかったのは、これが一因であった。


■6.小楠の目指した「有道」の国

 上述の殖産振興も小楠の実学を基礎としていた。小楠は著書『国是三論』の中で「外国を相手とし信義を守って貿易をし、利益をあげて収入を確実にすれば、主君は仁政を施すことができる」と主張している。「富国」の目的は、主君が仁政を施すための財源確保だった。

「仁政」という観点から見れば、イギリスは民意に基づく政体(議会制民主主義)をとって、民衆の求める政策を実施し、また西洋の多くの国々は、学校や病院、幼児院などを設けている。植民地化という外政は別にすれば、内政については堯舜のような徳政を行っていると、小楠は見た。

 これに比べて徳川幕府は、幕府の安泰のために諸大名に参勤交代を強いて各藩の民衆に負担をかけ、また鎖国を固守して、貿易の利で国を富ます道を閉ざしている。これは私欲の政治である。

 こうした考えから、大政奉還と中央政府の樹立、四民平等、殖産興業、五箇条の御誓文で「万機公論に決すべし」と定めた議会制民主主義、外国との信義ある外交と交易、という明治日本の基本路線を小楠は描いた。

 小楠は日本を「有道」の国とし、富強かつ有道の国になってこそ、国際政治においても道を示せる、と考えた。名君・春嶽公率いる福井藩は、これを国内で実証する場であった。


■7.「日本だけが仁と徳によって世界を導ける」

 小楠はさらに「日本だけが仁と徳によって世界を導ける」とまで主張していた[2, 3600]。ようやく鎖国から抜け出そうとしていた幕末で、どこからこんな自信を得ていたのだろうか? その鍵は「小楠」という号にある。

 坂本龍馬が江戸の千葉道場で剣術を学んでいた頃、「小楠は天皇に対する不忠の臣」と聞いて叩っ切ろうと、その屋敷を訪れた。龍馬に小楠はこう言った。

__________
 私の号は小楠だ。小楠というのは小さな楠公という意味だ。私は楠木正成公を心の底から崇拝している。その私が何で不忠の臣なのか?[2, 2767]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 楠木正成は、鎌倉幕府の下で乱れた世を糺(ただ)して民を救おうとされた後醍醐天皇に誠忠を尽くした[b]。尊皇とは、民の安寧を願われる皇室の祈りの実現に力を合わせようとする姿勢であった。堯舜孔子の道は中国では雲散霧消してしまったが、我が国においては皇室の祈りによって継承されている。

 小楠は由利公正にこう語った。

__________
 我が国に世界無比の幸福がある。皇統の一系がこれである。・・・
 ただ君徳を輔翼(ほよく)仕り条理のあるところに任ずれば、開明無比の域に達せんことは、あえて疑いを容(い)れない。[1, 1841]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 民の安寧を祈られている万世一系の皇室を戴くことは「世界無比の幸福」であり、その君徳が実現されるよう輔翼して、道理を知った人間を任ずれば、世界でも比べるもののない「有道」の国になることができる、という意味だろう。

 さらに、天皇が人の良心に基づく政治をされれば、人心は自然に正路に帰して大道が明らかになる。これは実に日本の幸いのみならず「世界の大幸となるであろう」、とも書いている。[1, 1915]


■8.「大義を四海に布かんのみ」

 明治2(1869)年の小楠の死からちょうど50年後の1919(大正8)年、第一次大戦後のパリ講和会議で国際連盟の創設が議論されていた。翌年に設立された国際連盟では、我が国は常任理事国4カ国の一つとなり、『武士道』の著者として国際的に名高い新渡戸稲造が事務次長の一人となった。小楠の予言はわずか半世紀後に実現して、我が国は世界をリードする立場についたのである。

 そのパリ講和会議で、我が国が国際連盟の規約に入れるよう提案したのが人種平等条項だった。白人諸国が、黒人を奴隷としたり、黄色人種国家を植民地として搾取している国際社会に一石を投じたのである[c]。まさに小楠の「大義を四海に布かんのみ」の実践だった。

 日本提案は16カ国中11カ国の賛成を得たが、議長のウィルソン米大統領の「全会一致の賛成ではない」という詭弁で退けられた。その後の大東亜戦争で日本軍がアジアから欧米勢力を駆逐した事に自信を得たアジア、アフリカ諸国が、戦後、次々と独立を果たした。我が国は悲惨な敗戦を蒙ったが、人種平等という四海の大義は進展した。

 しかし、現在では再び「無道の国」が世界のあちこちに台頭して、他国の独立や自由を脅かし、「生民の不幸之を聞くに忍びず」という状況を生み出している。「有道の国」が力を合わせて「大義を四海に布かんのみ」という道を共に歩むことが、今また求められている。
                                        (文責 伊勢雅臣)

■リンク■

a. JOG(1118) 「五箇条の御誓文」〜 国難突破と万民保全
 幕末、敗戦後と二度の国難を、我々の先祖は国是「五箇条の御誓文」のもとに力を結集して乗り越えてきた。
http://blog.jog-net.jp/201906/article_3.html

b. JOG(264) 楠木正成 〜 花は桜木、人は武士
 その純粋な生き様は、武士の理想像として、長く日本人の心に生きつづけた。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog264.html

c. JOG(053) 人種平等への戦い
 虐待をこうむっている有色人種のなかでただ一国だけが発言に耳を傾けさせるに十分な実力を持っている。すなわち日本である。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h10_2/jog053.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
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1. 徳永洋『横井小楠―維新の青写真を描いた男』(Kindle版)★★★、新潮新書、H17
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2. 童門冬二『慶喜を動かした男―小説 知の巨人・横井小楠』(Kindle版)★★★、祥伝社文庫、H10
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/B00U0UGVLM/japanontheg01-22/


■前号『吉田調書誤報事件〜 門田?将『新聞という病』から』へのおたより

■「和」を実現するには「嘘」など吐けない(北海夫さん)

今回のメールの文末に

「和」こそは我が国の美しさであり、強さの源だ。その「和」を「嘘」は破壊する。「嘘」を許さない事が、国の姿を護る道である。

と先生は記されましたが、その文章に小生は感銘を受け自信を与えて下さいました。

 と申しますのは、聖徳太子は十七条の憲法の冒頭で「和を以て貴しとなす」と仰いました。この「和」と言う漢字は、利害関係を計算せずに、自己が正しいと信ずる信念とか信条を保ちつつ、相手側の立場を尊重しつつ行動する、したがって、何かの行動を起こす場合は、決して「嘘」などは吐けない、これが「和」の意味だと考へています。

 ところが、シナ大陸、朝鮮半島に暮らす民は、過去より戦乱と動乱の歴史を繰り返し、和の精神を持っていないと思えます。それが証左にBurden of Proof(挙証責任)などは馬耳東風とばかり、誣告に基づいて訴えたりします。また、彼らの政府と言えば、Pacta Sunt Servanda(合意は守られなければならない)に沿って国家間の約束を履行しようとはしません。

 だとすれば、かれらと我々の文化は異なっているとの意味で、和歌、和紙、和服、和風等、これらの単語を先人は生み出したと類推してもおかしくないと思へたりします。

 まずは「和」と言う漢字を解説してくださり、小生に自信を与えて下さった伊勢先生に感謝しつつ失礼します。

■伊勢雅臣より

「和」とは「利害関係を計算せずに、自己が正しいと信ずる信念とか信条を保ちつつ、相手側の立場を尊重しつつ行動する」こと、とは感銘深い定義ですね。

 読者からのご意見をお待ちします。
 本誌への返信にてお送り下さい。

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