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JOG-mel No.624 天皇への道(下)〜 皇太子をお護りした人々

発行日:11/22

■■ Japan On the Globe(624) ■■ 国際派日本人養成講座 ■■

   国柄探訪: 天皇への道(下)〜 皇太子をお護りした人々
    
               皇太子は、なんとしても皇室をお護りしよう人々
              の思いを受けとめながら、成長されていった。
■転送歓迎■ H21.11.22 ■ 38,385 Copies ■ 3,217,558 Views■
  無料購読申込・取消: http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/

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■1.「月の沙漠を はるばると」■

     アメリカ軍が皇太子殿下を本国に強制拉致する可能性がある、
    との情報に、高杉善治・陸軍中佐は、万一の場合、殿下に会津
    若松に避難いただくという対策を立てた。

     その上で穂積侍従長に「私どもが生きてある限り、絶対に殿
    下のご安泰をご守護申し上げます所存ゆえ、どうぞご安心下さ
    い」と力強く申し上げた。この時の心中を中佐はこう語ってい
    る。

         このとき、私のからだ中に熱い血がかけめぐるのを覚え
        た。その責任の重大さ、その光栄、わが20年の軍人生活
        のうちに、皇室から受けたご恩寵にお報いできる最後の機
        会である。また軍人として死所を与えられたという悦びと
        勇気とが、火の玉となって私のからだをかけめぐったので
        ある。[1,p93]

     生徒らの動揺を避けるため、この計画は極秘のうちに準備さ
    れ、いざという場合には、いつでも実行できるようにしておい
    た。

     奥日光の八月末は、夜ともなると冷え込むので、夕食の後は
    生徒たちは食堂のストーブを囲んで、『月の沙漠』などの歌を
    歌った。

        月の沙漠を はるばると
        旅のらくだが 行きました

     森閑とした山奥で、少年の澄みきった声が響くとき、高杉中
    佐は、月の夜に殿下が馬に乗られて会津落ちされる光景を想像
    して、胸を締めつけられる思いがした。

     殿下は、そんな計画など知るよしもなかったが、ときどき歌
    をやめ、うつむいて何か物思いにふけるように考え込んでおら
    れた。

■2.小金井の御仮寓所へ■

     奥日光にも占領軍がやってきたが、昭和天皇が「戦争遂行に
    伴うすべての事に全責任をとる」と言われてマッカーサーを感
    動せしめられた事も手伝ってか[a]、高杉中佐らが心配したよ
    うなことは起こらなかった。

     いよいよ東京に帰る算段をしなければならなかったが、殿下
    のかつてのお住まいであった青山御所内の東宮仮御所は空襲で
    灰燼に帰していた。殿下お一人だけでなく、約50人の東宮職
    の職員がいたので、彼らを収容する場所を考えなければならな
    かった。しかし陛下からは、多くの国民が防空壕生活をしてい
    る時に、住まいを新築するなど絶対にならぬ、と言われていた。

     そこで葉山御用邸の近くにあった供奉(ぐぶ)員宿舎を武蔵
    野の小金井に移築して、仮の御所とすることになった。

     昭和21(1946)年5月、殿下は移築された御所に入られた。
    古い家を使ったものなので、きわめてお粗末であり、周囲の垣
    も節穴だらけの板塀一枚で、節穴から御座所が覗けるありさま
    であった。

     軍事教官だった高杉善治中佐は、陸軍の解体とともに軍職を
    退いたが、引き続きご警衛係として、殿下のお側でお仕えする
    ことになった。

■3.御所の自給自足■
    
     こうして住まいの方は何とかなったが、食糧難の方は深刻で
    あった。配給食糧だけではとても足りないので、一般の国民は
    農村に買い出しに行って、ヤミの食糧を補充していた。しかし、
    御所の職員は職業柄、そんな事はできず、御料(殿下のご食糧)
    にも事欠く状態であった。

     そこで御所の周辺の空き地を畑にして、食糧を自給自足でき
    るようにしようということになった。職員たちは勤務の余暇に
    にわか百姓となって、空き地の開墾を始めたが、草を刈り、根
    を掘り返す重労働に、手は豆だらけ、体はくたくたになってし
    まった。それでも手に包帯を巻きながら、作業を続けた。

     最初に主食となるジャガイモを植えた。近所の農家から種ま
    きや除草のやり方を教わり、侍従や侍医も暇さえあれば、農作
    業に精を出して、6月にはどうやら第一回目の収穫が出来た。
    皆で自作のジャガイモを掘り出して、リュックに詰めた時のう
    れしさは忘れられないものとなった。

     殿下も放課後に慣れないお手つきで鍬(くわ)を持って、畝
    を切ったり、種まきをされた。また朝には作物の成長をご覧に
    なって、楽しんでおられた。

     御所の近くに横山正次さんという篤農家がおり、一家総出で
    殿下用の御料畑の種まきから手入れまで、指導しながら手伝っ
    てくれた。さらに3男坊の三衛君(当時16歳)を専属でつけ
    て、御料畑の手伝いをしてくれた。農家育ちの16歳の少年は、
    サツマイモ、小麦、スイカ、キュウリ、大根なども見事に育て、
    主食と野菜はどうやら自給できるようになった。

     また、近所のお百姓さんたちも、野良着のまま御所にやって
    きて「おらが畑でとれらもんだで、東宮さまに召し上がってい
    ただこうと思って、持ってきやんしたでがす」と、野菜や果物
    を献上しれくれたこともたびたびだった。

■4.ヒヨコを育てる■

     ある時、殿下が高杉氏にこんな相談を持ちかけた。いかにも
    力のないお声だった。

         このまえ皇居にいったとき、あちらでは鶏を飼っていて、
        毎朝卵を産んでいるので、ここでも飼いたいと思って、事
        務のほうへ相談してもらったけれど、予算がないからだめ
        だと断られたの。僕は鶏が好きで飼ってみたくてしようが
        ないんだが、なにかうまい方法はないかしら。

     高杉氏は「なんとか工夫してみましょう」と答え、事務所に
    行って交渉してみたが、「予算がないからとてもできない」と
    いう。当時の殿下の内廷費(私生活および学習等の一切の費用)
    は年額わずかに1万円と、高杉氏の給料より少ない金額だった。

     この終戦下の時代でも、金持ちの中にはヤミで銀飯(白米)
    を食べている者も多数いるというのに、殿下が鶏の5羽や10
    羽飼うことができないとは情けない、と高杉氏は思った。

     立川の農事試験場に相談に行くと、そういうことなら、と元
    気なヒヨコを10羽分けてくれた。代金を払おうとしたが、ど
    うしても受け取ってくれない。

     思いがけぬ試験場の好意によって得られたヒヨコを、高杉氏
    は板きれで作った小箱に入れて、殿下にお見せした。殿下は小
    躍りせんばかりにお喜びになって、ヒヨコを掌に載せると、そ
    の体をいつまでも撫でておられた。

     事務所が飼料の予算を出してくれないので、御料の畑でトウ
    モロコシを作り、それを餌にすることにした。横山少年の献身
    的な世話で、ヒヨコも順調に育っていった。

     彼はおしゃべりもせず、いつもただ笑顔で、黙々と陰ひなた
    なく、誠実に働いた。毎朝、鶏舎を訪れる殿下の嬉しそうなお
    顔を見て、心ひそかに満足しているようであった。

■5.勤労奉仕の青年男女■

     当時は皇居の焼け跡片付けに、全国から自主的に多数の青年
    男女が上京して、勤労奉仕をしていたが、殿下の御所にも毎日
    十数人の奉仕者がやってきた。

     終戦直後で物資が不足し、交通機関も混乱していて移動する
    だけでも難儀なときに、はるばる青森や九州から、皇居や御所
    の復旧のために、食糧持参で来るのである。

     勤労奉仕の人々が作業を終えて帰るときは、殿下も学習院の
    制服姿でお出ましになり「ありがとう、ご苦労様でした」と、
    心のこもった感謝のご挨拶をされるのが常であった。

     奉仕者たちは、殿下のお姿を拝し、直にお言葉を聞く光栄に
    感激するとともに、この荒れ果てた御所での質素なご生活を目
    の当たりにして、なかには涙を流して顔をあげられない者もい
    た。

■6.竹中青年の志■

     そんな奉仕者の一人に、岐阜県出身の竹中太郎という青年が
    いた。彼は一行と共に勤労奉仕のため御所にやってきて、奉仕
    の仕事をしたのだが、御所のあまりにもお粗末な様に心を痛め
    た。そこで各地から集まった青年たちと話し合って、高杉氏に
    次のような申し出をした。

         全国の農村青年が各県から数人ずつ一か月交替で奉仕し
        て、日夜、殿下のお顔を拝しながら、修養と農業研究に励
        みたいということになりました。費用はもちろん自弁で、
        米、みそ、しょうゆなども持参してきますから、宿泊する
        ところだけ貸していただければ結構です。この御料農園を
        われわれ農村青年の聖地として奉仕したいのです。

      高杉氏は竹中青年たちの忠義の志には感激したが、侍従た
     ちとも相談した結果、アメリカ軍の占領下で、皇太子殿下を
     中心に全国青年が結集する事はあらぬ疑いを招く、と考え、
     そのむねを竹中青年に説明した。

      竹中青年は「よく分かりました」と納得したが、「青年団
     として無理だったら、私個人の資格で許していただけません
     か」となおも食い下がった。郷里の田畑は妻に任せ、自分は
     助手の青年と御所に住み込んで奉仕をするという。

      高杉氏は竹中青年の熱意に動かされて、申し出を受け入れ
     た。竹中青年は助手とともに、粗末な納屋に寝泊まりして、
     毎朝5時に起きては、御料農園の農作業に打ち込んだ。

      無報酬の奉仕作業だったが、竹中青年は時折、殿下から
     「ありがとう」と声をかけられるのを無上の光栄と感じ、そ
     の感激を繰り返し高杉氏に語るのだった。

■7.人々への思いやり■

      多感な少年時代に、このように自分のために誠心誠意尽く
     してくれる人々に囲まれて成長されていった事で、殿下は人
     びとへの思いやりの心を一層、深められたのだろう。

      ご通学の際は、御所の東門から出られるのだが、ある日の
     朝、いつものように東門を出られると、そこに立っている皇
     宮警手が敬礼をした。殿下は答礼をなさって少し歩かれてか
     ら、高杉氏に「きょうは星野はどうしたのかしら?」と聞か
     れた。

      そう聞かれて高杉氏が振り返ってみると、たしかにいつも
     東門に立ち番をしている老警手の星野氏ではなく、別の人が
     立っていた。

      昭和24年12月28日夜、冬休みに殿下が葉山の御用邸
     に泊まられている際に、小金井の御所が全焼するという事件
     が起こった。ご食堂の引き込み線の漏電が原因であった。火
     の手が上がってから、数人の宿直員が必死に消火にあたった
     が、間に合わなかった。警衛の一人、八十島三郎氏は火の海
     になっていた御座所に飛び込んで、殿下の身の周りの品を取
     り出そうとして、顔面に火傷を負った。

      葉山の御用邸で殿下は弟君の義宮様ととトランプをしてい
     る最中に、その知らせを受けられた。びっくりしたようなお
     顔をされたが、まず第一に仰ったのは、「それでけが人はな
     かった?」ということであった。人命には異状のなかったこ
     とにホッとされて、「いま勝負の途中だから、あとで詳しく
     聞くから」と再びトランプを続けられた。

      殿下にしてみれば、大切なアルバムや記念の品々などがす
     べて灰燼に帰してしまったわけで、さぞや残念な思いをされ
     ただろうが、そのお気持ちをご表情に出してしまうと、関係
     者に責任を感じさせてしまう。そういう思いやりが、とっさ
     の間にも働くように、皇太子殿下は成長されていたのである。
     御年17歳のことであった。

■8.初めての御外遊■

      昭和28年、殿下は初めてのご外遊に出られた。アメリカ
     を経由して欧州に渡り、イギリスでエリザベス女王の戴冠式
     に、天皇陛下のご名代として参列されたのである。また欧米
     の12の国々を歴訪されて、各国首脳、官民と親しく接せら
     れて、親善を深められた。

      わずか19歳、一般の子弟で言えば、高校を出たばかりの
     青年である。しかも、その前年にサンフランシスコ講和条約
     が発効して、日本の独立回復直後の大役であった。

      列車で北米大陸を横断される際には、沿道の各駅には日本
     人の居留民が出迎えた。そうした際には、日中はもちろん、
     真夜中でも殿下は必ずホームに下りたって、お応えされた。

      4月16日午前5時頃、汽車がカナダのフォー・ウィリア
     ムズという駅についた時のことである。雪であたり一面銀世
     界となった零度以下の夜明けであった。殿下はお疲れで休ん
     でおられたが、ホームでざわざわと大勢の人声がするので、
     ふと目が醒めて外を見ると、ホームには2百人あまりの在留
     邦人がお出迎えに集まっていた。

      殿下はパジャマの上に外套を引っかけて、窓からお顔を出
     して、手を振ってお応えになられた。人々は思いがけないお
     出ましに涙を流して、万歳を連呼した。戦争中、また戦後も
     敵国民として冷たい視線のもとで暮らしてきた在留邦人にとっ
     て、祖国とのつながりを感じた一瞬であったろう。その思い
     を殿下はじかに感じとられていたはずである。
    
■9.思いやりの循環■

      終戦直後は皇室にとっても危機の時代であった。その皇室
     を、多くの国民がひたすらに国を思う無私の心から支え続け
     た。

      多感な少年時代に、そうした国民の思いを受けとめながら
     成長された今上陛下は、いよいよ国民統合の中心としての役
     割を果たそうとの御覚悟を固められたのだろう。その御覚悟
     は、即位後の20年間に180回以上のご巡幸で全都道府県
     514市町村を訪問された御足跡に現れている。[b]

      国民が皇室を護り、皇室が国民の幸福を祈る。そうした互
     いへの思いやりの循環こそ、我が国の国民統合の基盤である。
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(034) 敗者の尊厳
   「日本破れたりとはいへ、その国民性は決して軽視することが
   できぬ。例へば日本国民の皇室に対する忠誠、敗戦後における
   威武不屈、秩序整然たる態度はわが国の範とするに足る」   
   (中華民国国民政府・王世杰外交部長) 
   http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog034.html
b. JOG(581) 国民の幸を願われ20年
    両陛下は180回のご巡幸で全都道府県514市町村を訪問
   され、770万人の奉迎を受けられた。
   http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h21/jog581.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 高杉善治『天皇明仁の昭和史』★★★、ワック、H18
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4898310877/japanontheg01-22%22

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■前号「天皇への道(上) 〜 11歳の御覚悟」
 に寄せられたおたより

                                            Navijanさんより
     敗戦時の状況がよく判りました。皇太子殿下も当時の情報不
    足の中、米軍に拉致されるかも知れないとも予測されるほど混
    乱が続いて、ご心労はいかばかりだったかと想像いたします。

     それにしても当時の軍人の、下士官の方々の考え方と行動は
    見事だと思います。また、私の父を含め、当時の人々の考え方
    にも筋が通っていたと思います。当時、日本の再建を誓った人
    びとに、今日の日本のていたらくは予想もしなかったのではと
    思います。

     ドイツの、経済的はもとより精神的にも健全に再建された状
    況と、ただ経済的には再建されたものの、自国の国民を拉致さ
    れて何も出来ずにただヘラヘラするだけの日本を比較し、とて
    も悲しくなります。

     また更に、日本人は今回の選挙であろうことか「日本列島は
    日本人だけのものではない」と言うリーダーと、日本人の精神
    を徹底的にダメにした教育を推進する日教組の親玉を選びまし
    た。しかもそれを操る影の人物は、今回の選挙で手下を大幅に
    増やし、独裁体制を確実なものにした闇将軍です。

     鳩山政権はアジア共同体を唱えており、外国人地方参選権の
    成立を目指していますので、このまま進めば日本は中華人民共
    和国の日本省を目指している様なものです。

     民主主義は多数決の理論ですから、このメルマガがもっと多
    数の読者を獲得して多くの人々を啓蒙し、目覚めさせなければ
    ならないと思いますし、応援をしたいと思います。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     ご声援ありがとうございます。国民のレベルが政治のレベル
    を決める、というのが、民主主義政治の基本ですね。

     読者からのご意見をお待ちします。以下の投稿欄または本誌
    への返信として、お送り下さい。
     掲載分には、薄謝として本誌総集編を差し上げます。
    http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P36920582

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Mail: nihon@mvh.biglobe.ne.jp または本メールへの返信で
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