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JOG-mel No.608 幕末の国際ビジネスマンたち

発行日:7/26

■■ Japan On the Globe(608)■■ 国際派日本人養成講座 ■■

          地球史探訪: 幕末の国際ビジネスマンたち
    
                          彼らは国際貿易で倒幕と明治維新の
                         資金を作った。
■転送歓迎■ H21.07.26 ■ 37,847 Copies ■ 3,157,849 Views■
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■1.南北戦争を追い風とした薩摩藩■

     明治維新の数年前、1861年から1865年にかけて、アメリカの
    南部と北部の間で激しい戦いが繰り広げられた。この南北戦争
    は世界経済を激変させたのだが、その余波が薩摩藩にも及んで、
    明治維新を進める原動力をもたらした。

     一つは、この戦争により南部の綿花畑が荒廃し、世界中が綿
    花不足に陥ったことである。中国やインドの綿花がイギリスや
    フランスに輸出されたが、それでも足りない。これに目をつけ
    た薩摩藩の御用商人・浜崎太平次は、日本国内で大量の綿花を
    買い入れ、長崎のイギリス商人トーマス・グラバーを通じて、
    高い値段で輸出した。

     1863年当時、大阪での繰綿(くりわた)100斤が4、5両
    だったのが、グラバーを通して17、8両になったという。太
    平次は大阪で約3万6千両もの繰綿を買い集めたというので、
    その数倍の利益を得たはずである。薩摩藩はこの利益を倒幕の
    ための資金として使った。

     もう一つは南北戦争により飛躍的に改良された小銃が、戦後、
    大量に世界市場に出回ったことである。薩摩藩は綿花輸出で儲
    けた資金で、これらの小銃を大量に買い付けた。さらに長州藩
    のために、薩摩藩名義で武器を購入し、斡旋した。これが薩長
    同盟のきっかけとなった。

     こうして南北戦争を契機として、綿花輸出による資金獲得、
    武器購入により、薩摩藩は大いに財力、武力を強化し、長州と
    組んで倒幕に乗り出したのである。さらにこの資金は、近代工
    業の創設を目指した集成館事業にも投入され、日本の近代化の
    礎に役立てられた。

■2.浜崎太平次 〜 貿易で藩財政を再建した豪商■

     薩摩藩が幕末ににわかに総合商社のような働きが出来たのに
    は訳がある。そのはるか以前から薩摩藩は琉球を拠点とした明
    国・清国との密貿易により大きな収益を上げていた。さらに奄
    美の黒糖類を上方市場に持ち込み、高級品として売った。こう
    した事業を通じて、薩摩藩は国際貿易のビジネス・センスを磨
    いていたのである。

     上述の綿花貿易で薩摩藩に巨利をもたらした浜崎太平次は、
    その他にもテングサを原料に寒天を作り、ロシアや清国に輸出
    したり、奄美大島で醤油を製造してフランスに輸出したりする
    など、多方面の貿易、海運で活躍した人物である。

     国際貿易とは、攘夷が叫ばれていた幕末では命がけの仕事だっ
    た。激烈に攘夷を唱えていた長州藩は、浜崎の綿積み船を関門
    海峡で狙い撃ちにし、薩摩では関門海峡を「三途の川」と呼ん
    でいたほどである。実際に浜崎の商船が攘夷の志士たちの襲撃
    を受け、船長が惨殺される、という事件も起きている。

     この浜崎を藩の御用商人として活用したのが、家老・調所広
    郷(ずしょひろさと)だった。天保年間(1830-1843)には薩摩
    藩は、藩の収入が14万両程度だったにもかかわらず、500
    万両もの借金を作っていた。財政改革を担当した調所は浜崎を
    使って密貿易や薩摩特産品の販路拡大を行わせ、その利益で財
    政再建を図った。弘化元(1844)年には備蓄金を50万両貯めた
    というから、貿易収入の大きさが分かる。

     嘉永4(1851)年に藩主に就任した斉彬は、近代的軍備・産業
    の創設に強い意欲を持っており、その資金作りのために浜崎を
    引き続き重用し、それまで以上に密貿易を拡大させた。これが
    幕府に発覚しそうになると、斉彬は浜崎の弟や奉公人を琉球や
    大島などに流罪として、浜崎を庇った。しかし、琉球や大島は
    浜崎家が支店を置いていた場所で、流罪どころか実態は配置転
    換に過ぎなかった。

■3.密貿易の利益で集成館事業を推し進めた島津斉彬■
    
     斉彬が近代産業の建設を推し進めなければならない、と決心
    したきっかけが、1840年に始まったアヘン戦争だった[a]。英
    国は清国にアヘンを売りつけ、清国がそれを禁じようとすると
    武力に訴えるという非道な戦争だったが、英国の圧倒的な軍事
    力は清国をねじ伏せ、日本の朝野を震撼させた。

     弘化元(1844)年には、フランスの軍艦アルクメーヌ号が那覇
    に現れ、琉球政府に通信と貿易を要求した。ペリー来航の9年
    前である。翌年にはイギリス船もやってきた。琉球は東アジア
    での貿易・海運の重要拠点であり、欧米列強は競って琉球を狙っ
    ていたのである。

     こうした情報に接して、斉彬は、このままでは日本は欧米諸
    国の植民地にされてしまう、と危機感を抱いた。太平洋を漂流
    してアメリカで10年間過ごしたジョン万次郎[b]を49日間
    も薩摩に留め、詳しく西洋事情を聴取したが、それによっても
    ますます危機感を募らせた。

     さらに斉彬は輸入された綿糸を見て、その技術が日本より遙
    かに進んでいることに驚愕した。いずれ開国せざるをえなくなっ
    て、このような高品質な綿糸が輸入されたら、日本の綿織物業
    はつぶれてしまう、と考えたようだ。

     斉彬は富国強兵、殖産興業に向けて、幕府を動かそうとした
    が、それが無理だと分かると、薩摩藩自身でやるしかない、と
    決心した。そこで始めたのが集成館事業だった。製鉄、造船、
    紡績、大砲の製造、洋式帆船の建造などの分野で、アジアで最
    初の近代工場群の建設を進めた。

     そのための資金作りとして、斉彬は、浜崎太平次に密貿易を
    継続・拡大させたのである。
    
■4.小松帯刀 〜 斉彬の後継者■

     島津斉彬が安政5(1858)年に急死すると、その志を継いだの
    が小松帯刀(たてわき)だった。帯刀は安政2(1855)年に江戸
    詰めを命ぜられたが、その時に参勤交代で江戸に滞在していた
    斉彬に接し、植民地化を防ぐためには殖産興業と富国強兵が不
    可欠であることを教わった。

     斉彬亡き後に藩の実権を握った久光に、帯刀は高く評価され、
    27歳の若さにして家老を命ぜられ、軍事・財政・教育などの
    重要分野を任された。

     斉彬が設立した集成館は薩英戦争で焼けてしまったが、帯刀
    はさっそく再興に取り組んだ。造船所、溶鉱炉、大砲鋳造所、
    ガラス工場などが造られた。また、奄美や大島の砂糖は専売と
    して、藩の役人が製造から販売まで管理していた。お茶や油な
    どの特産物の増産を奨励し、上方に売り出していた。

     さらに、これで得た資金を使って、武器弾薬や艦船の買い付
    けを行った。これらのすべてを、小松帯刀が取り仕切っていた
    のである。
    
■5.坂本龍馬の貿易商社「亀山社中」■

     小松帯刀の支援を受けて、国際貿易に乗り出したのが、坂本
    龍馬だった。龍馬が帯刀と会ったのは、元治元(1864)年だった。
    幕府海軍奉行・勝海舟が運営していた神戸軍艦操練所が、尊王
    攘夷派との関わりで閉鎖され、行き場を失った坂本龍馬以下約
    30名は、海舟から西郷隆盛に依頼して、大坂の薩摩屋敷に匿
    われることになった。

     ここで龍馬は帯刀に初めて会った翌慶応元(1865)年4月、帯
    刀は龍馬らを薩摩に連れて行った。様々な近代工場が稼働し、
    また広範囲の貿易を行っている様子は、これこそ富国強兵・殖
    産興業の策と、龍馬を興奮させただろう。

     6月には帯刀は長崎の亀山に家を借り、龍馬らに海運業を営
    む会社を起こさせた。これが日本最初の株式会社「亀山社中」、
    後の海援隊である。[c]

     亀山社中は、貿易商社として活動した。薩摩藩が資金を出し、
    亀山社中の社員が薩摩藩の交易船に乗り込み、西洋の銃器など
    を輸入して藩に卸したのである。
    
■6.武器斡旋をきっかけに薩長同盟成立■

     亀山社中結成の一月前に、龍馬は長州に赴いて、薩長連合の
    ための遊説を行った。もちろん帯刀との相談の上でのことで、
    浪人という自由な身分は、こうした動きに好都合だった。

     龍馬の遊説を受けて、7月21日、長州の伊藤俊介(後の伊
    藤博文)と井上聞多が亀山社中の上杉宗次郎を訪ねてきて、
    「武器や艦船を買いたいが、長州名義では購入できないので薩
    摩の名義を貸してほしい」と依頼した。当時、幕府は第二次長
    州征伐を決定しており、長州はその備えとして近代兵器を必要
    としていたが、外国の商人は幕府の圧力を受けて、長州藩には
    武器を売ってくれなかったのである。

     上杉宗次郎は二人を長崎の薩摩屋敷に連れて行き、帯刀と会
    わせた。帯刀は即座に承知して、グラバーと交渉し、銃4千3
    百挺を薩摩名義で購入して、下関に届けさせた。

     10月には、再び、長州側から艦船を薩摩名義で買って欲し
    い、という依頼が寄せられ、それも帯刀は承知して、実行した。
    こうした武器の斡旋により、薩摩と長州の関係が深まっていっ
    た。そして、その商取引の仲介をしたのが、亀山社中だった。

     慶応2(1866)年、龍馬に説得された桂小五郎が京都に赴き、
    薩摩屋敷で帯刀、西郷、大久保らと会って、薩長同盟が成立し
    た。

     龍馬自身は維新が終われば、いずれ上海、広東、ルソンなど
    に行き来して、国際貿易に従事したいと考えていたが、それを
    実現することなく、慶応3(1867)年11月、京都で何者かに暗
    殺されてしまった。

     小松帯刀も維新後、新政府で要職を歴任し、手腕を発揮した
    が、明治2(1869)年に病気で引退し、翌年世を去った。享年
    36歳。帯刀と龍馬が長生きしていたら、明治日本の国際貿易
    はどれほど発展していただろうか。
    
■7.五代友厚■

     小松帯刀の国際ビジネスでの後継者が、五代友厚(ごだいと
    もあつ)と言えよう。友厚は薩摩藩の儒学者の家に生まれた。
    友厚と名乗る前は「才助」と呼ばれていたが、これは斉彬がそ
    の才能を讃えて、与えた名だと言われている。

     13歳の時に、世界地図の模写の藩命が父親に下ったが、友
    厚は父にかわって模写図を2枚作り、1枚は藩主に献じ、あと
    の1枚を自分の部屋に掲げて、海外雄飛を夢見ていた。

     安政2(1855)年、長崎に海軍伝習所が創設されると、そこで
    オランダ士官から航海術、砲術などを習った。また同地でグラ
    バーと懇意になった。

     文久2(1862)年1月には、藩命により、グラバーとともに上
    海に渡って汽船を購入した。翌文久3(1863)年の薩英戦争では、
    イギリス海軍の捕虜となり、その後横浜で釈放された後も、藩
    の命令で、イギリスとの貿易に従事した。

     友厚はロンドンにいた際に、ベルギー貴族モンブラン伯爵か
    らの接触を受け、薩摩・ベルギー商会を立ち上げた。小銃、蒸
    気船、紡績機械などを薩摩に輸出し、薩摩の物産をヨーロッパ
    に輸入しようと考えたのである。

■8.薩摩藩と幕府が火花を散らしたパリ万博■

     友厚が設立した薩摩・ベルギー商会は、慶応3(1867)年に開
    催されたパリ万国博覧会で、薩摩藩が単独出展した「薩摩パビ
    リオン」の演出を担当し、一番人気を博した。

     友厚は薩摩藩を動かして、出品物4百余箱を早々にパリの会
    場へと送った。そして「日本薩摩太守政府」の名で、あたかも
    薩摩が独立国であるかのような体裁を整えた。幕府使節は猛烈
    に抗議したが薩摩側が聞き入れなかったため、幕府も「日本大
    君政府」と名乗らざるをえなくなった。

     さらに薩摩藩は、あらかじめ「琉球薩摩国勲章」を用意して
    いて、ナポレオン3世などに贈った。これらの動きにより、日
    本という国は、いくつかの独立国家で構成されている連邦であ
    るという印象を持たれ、幕府の権威は著しく損なわれた。

     実は薩摩の狙いは、そこにあった。当時、幕府はフランスか
    ら6百万ドルもの借款を受け、近代軍備を調えようとしていた。
    これが実現したら、倒幕も難しくなる。

     五代のパリ万博での活躍により、幕府が日本国内の一地方政
    権であるかのような印象をフランス政府に与え、借款契約をつ
    ぶすことに成功したのだった。

     この時、幕府側の使節としてパリに来た人々の中に渋沢栄一
    がいた。渋沢はかつては過激な尊皇攘夷の志士で、横浜の外人
    居留地に火を放ち、手当たり次第に外人を斬り殺そうと企画し
    たほどだった。しかし、最後の将軍・徳川慶喜が「渋沢は将来
    有為の人物だから、渋沢自身のためにも海外に遊学せしむべき
    だ」として、使節団の一員に加えたのである。

     渋沢はそのまま約2年間留学を続け、帰国してから企業5百、
    公共・社会事業6百もの設立に貢献し、まさに明治日本の近代
    化と経済発展に大車輪の活躍をした。一方、五代友厚は大阪商
    法会議所(後の大阪商工会議所)を設立して初代会頭となり、
    近代的企業の発展に尽くした。二人は「東の渋沢、西の五代」
    と並び称されるようになった。
    
■9.国際ビジネスマンたちを駆り立てた「奉公の志」■

     極東の一島国だった日本が、わずか60年ほど後には「世界
    五大国の一つ」と言われるまでに発展したのは、島津斉彬、浜
    崎太平次から、小松帯刀、坂本龍馬、そして五代友厚、渋沢栄
    一と、ここで紹介した国際ビジネスマンたちの活躍による所が
    大きい。

     これらの人々には一つの共通点がある。それは、国際ビジネ
    スは手段であり、目的は殖産興業、富国強兵を通じて、日本の
    独立を護り、国民の幸せを実現しよう、という「志」であった。

     単に一身の富裕を目指すだけなら、攘夷志士に命を狙われる
    ような危険まで冒す事もないし、渋沢のように5百もの企業を
    興す必要はない。彼らを駆り立てたものは、国家公共のために
    尽くそうとする奉公の志だったのである。

     彼らの生き様は現代日本人にも重要な示唆を与えている。奉
    公の志がなければ、人は小成に安んじて、それ以上の大を為そ
    うという気概は生まれない。一国の浮沈は、どれだけ奉公の志
    を持つ人々を生み出しているかに、掛かっている。
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(173) アヘン戦争〜林則徐はなぜ敗れたのか?
    世界の中心たる大清帝国が、「ケシ粒のような小国」と戦っ
   て負けるとは誰が予想したろう。 
   http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog173.html
b. JOG(25)2 ジョン万次郎とメリケの恩人
    アメリカの捕鯨船に救われた漂流少年は、近代術を学び、開
   国間際の日本に帰っていった。
   http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h14/jog252.html
c. JOG(529) 坂本龍馬、海洋立国の夢
    迫り来る欧米列強に対して、海外貿易と海軍建設で自由な繁
   栄する国を作ろう、と龍馬は夢見た。
   http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogdb_h20/jog529.html
d. JOG(279) 日本型資本主義の父、渋沢栄一
    経済と道徳は一致させなければならない、そう信ずる渋沢に
   よって、明治日本の産業近代化が進められた。
   http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h15/jog279.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 原口泉『世界危機をチャンスに変えた幕末維新の知恵』★★★、
   PHP新書、H21
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569709826/japanontheg01-22%22

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■前号「日教組、教育界の『北朝鮮』」に寄せられたおたより

                                       山梨県・敏男さんより

     日教組問題を取り上げていただきありがとうございます。1
    つだけ、重箱の隅論かもしれませんが、悪質な日教組の悪知恵
    をご紹介いたします。

    (1)県教委には実は法的には教員の処分権限はない。にもか
          かわらず、先手を打って 県教委が世間体からも【違法
          教員を処分した形】を作った。地教委はいつもは県教委
          から指導される立場であり、教員を処分すると言う主体
          性を示すほどの見識を示すことはできなかった、という
          より県民対教育界というなかでは、県教委も地教委も同
          じ仲間なのです。

    (2)教員の処分についての表現は・・
          「地方公務員法違反」ではなく、「地方公務員法違反の
          疑いを招いた罪」として訓告等の処分を発表し、幕引き
          を計った。

    (3)処分者が昇進した事例が2例
          ■平成16年12月27日 19名の処分を発表
          ■平成17年3月26日  処分者が校長に昇進

          ■平成18年3月21日  14名の懲戒処分を含む24名の処
            分を発表
          ■平成18年3月25日  処分になった教頭が校長に昇進

           つまり、県教委の処分は、履歴に瑕がつかない処分
          (論拠は上記(2))なので昇進しても問題ない・・・
          という甘い処分?なのでした。

     それ以降、山梨県はこの件に言及せず、何ら解決していない。
    これが現実なのです。人事権も山教組が持ち、実質教育界を支
    配している山教組ですから改善・改革などは一切期待できない
    のです。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     こうしたやり方は、北朝鮮など共産主義国家に共通ですね。


■おたより

                              Keikoさん(イタリア在住)より
     うれしいことがあったのでお便りしました。

     わたしは観光ガイドをしておりましたが、今はめったに仕事
    はしていません。でも、今日一人の青年(36歳)をローマの終
    着駅でお迎えして、地元のホテルへお連れする間にいろいろと
    話をして、どうも話が合うなぁと思って、「もしかして、伊勢
    さんのメルマガ読んでる?」と聞いたところ、「はい、読んで
    ます。」とのこと。

     神戸に住む青年がHPで私を頼ってきてくれた、という偶然に、
    さらにまた同じように伊勢さんのメルマガで日本を知り、共鳴
    していたという偶然がかさなり歓喜してお便りしました。

     こうして地道に、日本人一人一人が日本のすばらしさ、大切
    さに気づいていくことが平和に日本を正しい道へと導いていく
    ことなのですね。

     どうか、これからも末永くお続けください。
    陰ながら応援しています。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     大変、嬉しいお便りをまことにありがとうございます。
    世界各地で国際派日本人が活躍してくれています。
    
     読者からのご意見をお待ちします。以下の投稿欄または本誌
    への返信として、お送り下さい。
     掲載分には、薄謝として本誌総集編を差し上げます。
    http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P36920582

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