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Japan on the Globe 国際派日本人養成講座

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JOG-mel No.594 神宮の気迫、東宮の気概(下) 〜 二つの奇跡

2009/04/19

■■ Japan On the Globe(594)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

          国柄探訪:神宮の気迫、東宮の気概(下)
                     〜 二つの奇跡
                    高度成長とは、日本人の「気」が原動力に
                   なった20世紀の奇跡であった。
■転送歓迎■ H21.04.19 ■ 38,436 Copies ■ 3,101,520 Views■
  無料購読申込・取消: http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/

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            ■■■ 第21回国民文化講座 ■■■
「現在、わが国の政治、経済、社会、教育はどれもうまくいかない
でいる。改革につぐ改革がなされているが、一向に功を奏さず国家
は危機にある。
 原因は各界のリーダーたちが正しい大局観を失ったことにあり、
その底流 には国民一般における教養や情緒力の低下があるのでは
ないか。」          (藤原正彦『大局観と教養』より)

日時:   4月25日(土)午後1時30分より(0時半開場)
場所:   明治神宮・参集殿
講演:   藤原正彦先生(お茶の水女子大学教授)「祖国とは国語」
参加費: 1,500円 (学生500円)支払は当日受付にて
主催:   社団法人 国民文化研究会
詳細:   http://www.kokubunken.or.jp/21_kouza.pdf
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■1.北朝鮮から引き揚げてきた少年■

     爪をはがし、ボールを血に染めても投げ続ける根立の執念に
    応えるように、7回表、学習院の打線が食らいついて、7対5
    と逆転した。

     しかし、その裏、根立も限界だった。四球の後にタイムリー
    ヒットを打たれ、7対6と迫られた。続く打者にもヒットを打
    たれて、2死1、2塁となると、島津監督は「根立君、ご苦労
    さん」と労い、「ピッチャー井元」と交替を告げた。

     井元俊秀は、終戦から10ヶ月後の昭和21(1946)年6月、
    9歳の時に、釜山港から博多港に引き揚げてきた。父親は今の
    北朝鮮の清津市で学校教員をしていた。終戦後、日本への引き
    揚げを目指したが、二人の妹を栄養失調で亡くし、父も発疹チ
    フスであっけなく死んでしまった。

     母親と弟との3人だけで日本に辿り着いた井元は、母親のつ
    てで創設されたばかりのPL学園に1期生として入学した。1
    期生は男子13名、女子8名しかおらず、土地造成や木造校舎
    の建設も手助けをした。

     当時の少年たちの心を掴んだ「赤バットの川上、青バットの
    木下」に井元もあこがれ、自ら野球部を作って、初代の「エー
    ス」となった。グラウンドもなく、用具はバット3本、グロー
    ブ7個しかなかった。後に全国レベルの強豪校になることなど、
    この時点では誰が予想したろう。

     井元はPL教団から援助を受けて、学習院に進んだ。野球部
    に入ったが、受験勉強で身体が鈍っていたせいもあって、ショ
    ートを守らせても、一塁まで球が届かない。足も遅い。

     井元はバッティング投手として、先輩たちの打撃練習の手伝
    いを始めた。「PL!」と声をかけられると、「はい!」と喜
    んで飛んでいった。何百球投げても、不満そうなそぶりも疲れ
    た表情も見せなかった。とにかく野球ができることだけで、嬉
    しいのだ。

     毎日、数百球も投げていると、コントロールがついてきた。
    また肩を開いたり、膝をしめたりして、微妙な変化球も投げら
    れるようになった。

■2.「野球は、命まではとられませんから」■
    
     その井元が、根立の後のマウンドを託された。1点差でラン
    ナー2人。ここで打たれたら、2部落ちである。バッターは今
    日3安打と当たっているが、次の打者もこの試合で2安打4打
    点をあげて絶好調だ。ここは勝負だ、と井元は思った。

     しかし、相手は選球眼がよく、なかなかくさい球に手を出し
    てくれず、フルカウントになってしまった。「PL! 大丈夫
    だ。思い切って行け」とバックから叱咤激励が飛んだ。

    「そうだ。思い切りしくしかない。」 キャッチャーも外角の
    ストレートを要求した。この球が打たれたら、悔いはない。

     井元のマウンド度胸は凄まじいものだった。「どうしてそん
    なに度胸があるのか」と聞かれて、「野球は、命まではとられ
    ませんから」と答えたことがあった。父と妹二人を亡くして、
    命からがら9歳で引き揚げてきた井元にとって、野球のピンチ
    など、恐れるに足りないものだった。

     井元のサイドハンドから放たれたボールは、外角ぎりぎりに
    構えたキャッチャーミットに吸い込まれた。バッターは手が出
    なかった。「ストライク!」

     一瞬の沈黙の後、球審の手があがった。どうっと球場にどよ
    めきが起こった。

         あれは、大学時代に僕が投げた最高の球でした。いや人
        生で一番の球でした。あれ以上のボールを僕は野球人生で
        投げていません。[1,p172]

     井元は70歳を超えた今でも、その球の様子を生き生きと語
    る。絶体絶命のピンチを切り抜けた学習院は、9回表にホーム
    ランでだめ押しの一点をとり、その裏を井元が抑えて、ついに
    8対6で芝浦工大を押し切り、入れ替え戦を凌いだのである。
    
■4.波乱の秋季リーグ戦■

     なんとか1部に残った学習院は秋のリーグ戦に挑んだ。しか
    し、第1週、第2週に中央大学と専修大学と続けて当たり、一
    蹴されてしまう。その次の相手の日本大学はそれまで全勝で、
    そのまま学習院に勝てば、秋のリーグ戦は日大優勝で何の波乱
    もなく終わるところだった。

     学習院にとって幸運だったのは、この時点で根立−井本の2
    枚看板が揃ったことだった。井本はピンチに強く、ボークぎり
    ぎりの牽制球やバッターをじらすピッチングでなかなか点を取
    らせない。

     根立も長い間悩まされていた肋間神経痛も癒えて、ようやく
    本来の調子を取り戻した所だった。この2枚看板がフル回転し
    て、首位日大に2連勝し、大番狂わせを演じた。

     結局、最終週で中央、日大、学習院が同率で首位に並び、
    三つ巴の決勝戦にもつれこんだ。
    
■5.「負けたぁ」■

     この学習院野球部の苦闘と平行して、もう一つの苦闘のドラ
    マが密かに進行していた。皇太子・明仁殿下のお妃捜しである。

     学習院の1部入りの立役者・草刈廣(ひろし)が野球を始め
    たのも、皇太子の学友として、戸田侍従からキャッチボールを
    教わったのがきっかけだったことは前号で述べた。

     その後、皇太子はスポーツとしてはテニスを選んだが、それ
    が機縁となって、美智子様と知り合う。前年の昭和32年8月
    19日、軽井沢でのテニストーナメントでの事だった。皇太子
    はダブルスで美智子様の組と対決し、2時間に及ぶ激闘の末、
    逆転負けをしたのである。

     美智子様は聖心女子大学のテニス部レギュラーの腕前である。
    皇太子がどこに打っても、拾って拾いまくる美智子様に、最後
    は皇太子の方が根負けしてしまった。

         でも、負けた時の殿下が「こんちくしょう!」ではなく、
        気持ちよく「負けたぁ」という表情をしていらっしゃった
        のが印象的でした。[1,p257]

     皇太子のテニス仲間・織田和男の言である。美智子様の爽や
    かさと粘り強さを併せ持ち、しかも奢らない人柄に、皇太子は
    強く惹かれ、やがて生涯の伴侶としたいとの決意を固められた。
    
■6.度重なる固辞■

     軽井沢での出会いの1年後の昭和33年8月、東宮参与の小
    泉信三が美智子様の父・正田英三郎に、皇太子のご意向を伝え
    たが、正田家は固辞した。

     天皇家のお妃は旧華族から選ばれることが慣例となっており、
    一般の平民から皇室に嫁ぐことは、前例のないことだった。娘
    が大変な苦労をすることを不憫に思い、婚約に同意しなかった
    のは親として当然のことだった。

     正田家は9月の初めに、美智子様を外遊に出発させた。ベル
    ギーで開催される「聖心世界同窓会」第一回世界大会の日本代
    表ということだったが、50日余の長きに及ぶヨーロッパ歴訪
    は、事実上「婚約辞退」を行動で示すものだった。

     美智子様が日本を発って2週間後、黒木侍従が正田家を訪問
    して、皇太子の強い希望を伝えるが、正田家の意思は変わらな
    かった。9月末には、ヨーロッパにいる美智子様から丁重な辞
    退の手紙が小泉に届いている。10月26日に美智子様は帰国
    したが、3たび固辞の意思を伝えている。

     この時点で、美智子様との婚約は、成功する見込みはほとん
    どないように見えた。
    
■7.皇太子の気概■

     美智子様が外遊から帰国した翌日から、皇太子の電話攻勢が
    始まった。電話を通じて、どのような話をされたのか。当時の
    関係者の記録から、その内容を類推することができる。

     東宮参与の小泉信三はある一文で、正田家を訪ね、夫妻およ
    び美智子様に、殿下のお気持ちを伝えた時のことをこう記して
    いる。

         殿下はまたかつて私に、自分は生まれと境遇からも、ど
        うしても世情に疎(うと)く、人に対する思ひやりの足り
        ない心配がある。どうか、よく人情に通じた、思いやりの
        深い人に助けてもらひたいものだ、といはれたことがある。
        そのことも私はいった。[1,p262]

     皇太子はやがて天皇の地位についた時のために、助けてくれ
    る人を求めていたのである。

     昭和53年、ご成婚20周年を記念して出版された写真集に
    掲載された黒木従達・東宮侍従長の文章は、美智子様のお言葉
    をこう紹介している。

        「度重なる長いお電話のお話しの間、殿下はただの一度も
        御自身のお立場へのの苦情をお述べになったことはありま
        せんでした。またどんな時にも皇太子と遊ばしての義務は
        最優先であり、私事はそれに次ぐものとはっきり仰せでし
        た」

        と後に妃殿下はしみじみと述懐なさっていたが、この皇太
        子としてのお心の定まりようこそが最後に妃殿下をお動か
        ししたものであったことはほぼ間違いない。[1,p297]

     天皇として使命に生涯を捧げようという皇太子の気概が、美
    智子様を動かし、美智子様の思いが不安に迷う両親を説得した。
    11月13日、正田家から正式に「承諾」の連絡が小泉のもと
    に入った。
    
■8.学習院の気迫■

     中央、日大、学習院による三つ巴の優勝決定戦が始まったの
    は、その前日12日だった。中央が日大を10対4で破った。

     翌日、日大と学習院が激突した。井元−根立の継投で、よく
    日大打線を抑えたが、1対2で惜敗した。「恥ずかしい試合は
    できない」と思っていた学習院のメンバーにとって、「俺たち
    は十分やっていける」という自信が広がった。

     次の日は、学習院対中央戦。中央が勝てば優勝である。8回
    まで学習院は2対0と完全に抑えられていたが、8回裏に2点
    をあげて追いつき、9回裏に1点を入れてサヨナラ、という気
    迫の逆転劇を演じた。これで3校とも1勝1敗となり、優勝決
    定戦は振り出しに戻った。

     11月19日、2回目の優勝決定戦の初戦、学習院は日大に
    対し、根立−井元の継投で1対1のまま9回裏を迎え、サヨナ
    ラヒットで辛勝した。2日後の21日、対中央戦。学習院が勝
    てば初優勝となる。

     学習院側は、初等科の子供たちも含め、5千人を超す人々が
    応援に駆けつけた。そして途中から皇太子も応援に加わった。
    寒さで指がかじかんだ井元が打たれたが、2度とないかもしれ
    ない優勝を願って応援席は必死で声援を送った。

     12年前の敗戦で父と妹2人を失って、朝鮮からようやく帰
    り着いた9歳の少年が、いまや神宮のマウンドにいて、皇太子
    の含め5千人が応援している。祖国に帰り着くことなく無念の
    死を遂げた父親は、草場の陰でどれほど喜んでいることか。

     しかし、この試合は一点差で学習院が負け、またしても3校
    とも1勝1敗で、決着がつかなかった。
    
■9.日本人それぞれの小さな「奇跡」の集積■

     三つ巴戦を2回やっても優勝が決まらなかった。すでに11
    月下旬で寒さがつのっている。連盟側は優勝預かりを提案した。
    しかし、学習院側が「もう一度だけ」と粘って、ついに3回目
    の優勝決定シリーズが開催されることになった。

     中大、日大の選手は「こんな寒い中でまだやるのか」という
    思いだった。一方、学習院の選手たちは「よっしゃあ! やる
    ぞ!」という歓声をあげた。この時点で、勝負はついていたの
    かもしれない。

     日大戦は井元が完投し、4対3の一点差で勝った。そして
    11月24日の対中央戦。4年生の根立が、学生としての最後
    の試合に投げ抜き、5対2で優勝を決めた。その瞬間、スタン
    ドの歓声が地鳴りのように外野にまで響いてきた。大量の紙吹
    雪がスタンドを覆い尽くした。

    「勝った! 本当に勝った」 選手たちは信じられなかった。
    奇跡の番狂わせだった。翌日の新聞は、学習院の奇跡の優勝を
    報ずる記事が紙面を埋めた。

     そしてそれに呼応するように、翌日の夕刊には、皇太子妃の
    決定が報じられ、日本中を沸き立たせた。美しく、知的で、清
    楚な美智子さまに、一気に「ミッチー・ブーム」が巻き起こっ
    た。こちらも皇太子の気概が生んだ奇跡の逆転劇だった。

    [1]の著者・門田隆将氏は、この二つの奇跡について、前書き
    でこう語っている。[1,p3]

         私は、高度成長とは、日本人の「気」が原動力になった
        20世紀の奇跡であったと思っています。・・・

         その基盤となったのは、日本人のこつこつ働く勤勉性と、
        それを支えた内面のモラル(道徳観)だったと思います。
        あの当時、日本人は、たとえ貧乏でも毅然としていたので
        はないでしょうか。

         言い訳や甘えに逃げ込むことを潔しとせず、日本人ひと
        りひとりが、それぞれの持ち場で一生懸命、将来を夢見て
        頑張ったのです。

         その意味で、「東洋の奇跡」とは、日本人それぞれの小
        さな「奇跡」の集積だったのではないでしょうか。
                                         (文責:伊勢雅臣)

■リンク■
a. JOG(593) 神宮の気迫、東宮の気概(上)
    〜 学習院大学野球部の死闘
    その戦いぶりは、奇跡の高度成長を実現した当時の日本人の
   気迫を象徴している。
   http://archive.mag2.com/0000000699/20090412000000000.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 門田隆将『神宮の奇跡』★★★、講談社、H20
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062150484/japanontheg01-22%22

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■前号「神宮の気迫、東宮の気概(上)」に寄せられたおたより

                                     「照山 紅葉」さんより
     去る4月9日の昼休み、桜見物で通りがかった乾門の所で、車
    で皇后陛下がお帰りになるところに居合わせました。皇后陛下
    は車の窓を開けられ、にこやかに手を振っていらっしゃいまし
    た。お元気そうな様子で、上品でとても気さくな印象を受けま
    した。やはり居合わせた桜見物のおばちゃんたちが「おめでと
    うございまーす!」と黄色い声を張り上げているのと対照的で
    した。ははは。

     翌日はお祝いのご記帳に行きましたが、宮内庁前では皇宮警
    察の音楽隊が張り切って演奏していました。和田蔵噴水公園で
    は警察の音楽隊が演奏し、天皇皇后両陛下の歩みの写真展が開
    かれて、多くの人が足を運んでいました。

     今のような、人を思いやる気持ちが希薄な時代にこそ、皇室
    の強い求心力が生きてくると思います。今の社会には、胡散臭
    い人間が多すぎます。皇室の皆さんを見ていると安心します。

■ 編集長・伊勢雅臣より

     国民に安心感を与えるのも、皇室の重大な御使命ですね。

     読者からのご意見をお待ちします。以下の投稿欄または本誌
    への返信として、お送り下さい。
     掲載分には、薄謝として本誌総集編を差し上げます。
    http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P36920582

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