国際情勢

Japan on the Globe 国際派日本人養成講座

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Japan on the Globe(164) by melma!

2000/11/12

--Japan On the Globe(164)  国際派日本人養成講座-------------
          _/_/   人物探訪:敗者の贈り物
          _/    〜シンガポールの博物館を護った田中舘秀三博士
       _/_/                      
_/ _/_/_/      私の心を激しく打ったのは敗けてもなお、後世に
_/ _/_/       受け継がれてゆく業績を残した彼等の偉大さだった。
--H12.11.12  30,361部---------------------------------------

■1.シンガポール国立博物館にて■

     数年ぶりに立ち寄ったシンガポール国立博物館では、太平洋
    戦争回顧展が開催されていた。"The Singapore Story"という
    3D映画は、いきなり画面から飛び出した零戦が観客席の上で
    イギリス空軍戦闘機スピットファイヤーを追い回し、ついには
    撃墜する画面から始まっていて驚かされた。
    
     日本軍の占領は過酷だった、という描写はあるものの、当時
    の植民地支配者の英国と挑戦者・日本の戦いを公平に見ており、
    日本軍による虐殺しか記述しない日本の歴史教科書などより、
    はるかに客観的である。
    
     シンガポールは、華僑を中心に、マレー人、インド人から成
    り立つ。日本軍が弾圧したのは華僑のゲリラ勢力であり、彼ら
    が戦後は共産党ゲリラとして治安を脅かした事、そして英国支
    配下で搾取されていたマレー人は日本軍に優遇され、また英国
    からのインド解放を目指したインド国民軍が日本軍の支援を受
    けて、シンガポールで創設された事もあって、一方的に日本軍
    を悪者視する史観は、この多民族国家では通用しないのだろう。
    [a]
    
     大戦中の展示物の中に、この博物館の建物の前で日本人とイ
    ギリス人数人が、並んで立っているパネル写真があった。
    戦時プロパガンダのポスターや、悲惨な戦災光景写真の中で、
    日英両国人が一つのチームのように仲良く写っている情景は、
    他から浮き上がって、どこかほっとさせる雰囲気を醸し出して
    いた。実は、この博物館自体が、これら日英の科学者たちの心
    を合わせた協力によって戦火から護られたのである。
    
■2.そうだっ、やらなきゃならん!■

     E・J・H・コーナー博士が、日本軍の占拠するシンガポー
    ル市庁舎を訪れたのは、昭和17(1942)年2月18日、イギリ
    ス軍無条件降伏の3日後であった。
    
     博士はケンブリッジ大学で生物学を学び、卒業以来シンガポ
    ールに移り住んで13年間、ラッフルズ植物園で熱帯植物の研
    究をしてきた。博士は植物園と博物館に保存されている標本や
    論文が日本軍や現地人の略奪によって破壊されることのないよ
    うに、イギリス総督の使者として日本軍に依頼していたのであ
    る。
    
     この日、シンガポールの文化財を護るために日本から一人の
    学者が来ることになっていたので、その人に会うためにコーナ
    ー博士は再び市庁舎を訪れたのだった。
    
     紹介された人物は、長い鼻、不釣り合いに大きな眼鏡、乱れ
    た髪、くしゃくしゃの洋服と、いかにも貧相な五十男だった。
    東北帝国大学に奉職し、日本における火山学、湖沼学の先駆
    者・田中舘秀三博士である。
    
     田中舘博士は、植物学者であられる天皇陛下がシンガポール
    の文化財、研究・教育機関の安否を気遣っておられ、陛下の名
    代として実態調査に来た、と述べた。コーナーはこの言葉に
    「これでシンガポールの文化は助かった」と感動でしびれるよ
    うな思いをした。
    
     コーナーが博物館と植物園、図書館などの文化施設が危険な
    状態になっていることを説明し、その保護を願うと、身を乗り
    出して聞いていた田中舘は、突如立ち上がり、腕を振り上げて
    大声で叫んだ。「そうだっ、やらなきゃならん!」

■3.これが戦争というものか・・・■

     田中舘はコーナーに案内されて、すぐに博物館と植物園を見
    て回った。南洋植物の収集・研究で世界的に有名な植物園では、
    日本兵がオーストラリア部隊の残していったおびただしい武器
    弾薬、ドラム缶などを片づけていた。イギリス人の園長と数人
    の部下がかろうじて研究室や標本室を守っていたが、広い園内
    は現地人が自由に出入りして、勝手に木を切ったり、物を持ち
    出したりしていた。
    
     田中舘は、ナプキンに赤インクで即席の日の丸を作り、立ち
    入り禁止との札とともに、建物に貼った。ちょうどそこに、官
    舎が現地人によって荒らされている、との知らせが入った。コ
    ーナーが研究室として使っていた場所であった。
    
     「よし、行こう」と田中舘はすぐに走り出した。コーナーは
    暴徒が武器をもって向かってきたら、と不安を抱いたが、田中
    舘はそんな事は思ってもいないようだった。二人が官舎につい
    た時、数人の現地人がコーナーの部屋から、標本や私物を持ち
    出している所だった。田中舘が日本語で叫んだ。「そこに置け
    っ。さもないと殺すぞ」
    
     日本語が通じるはずもなかったが、田中舘の気迫に侵入者は
    縮み上がった。彼らは、最初の略奪者はオーストラリア兵で、
    自分たちも物を持ち出してもよいのかと思った、と弁解した。
    
     コーナーは私物には目もくれずに、四つん這いになって踏み
    にじられた自分の論文を、宝石でも集めるように一枚一枚泥を
    落としながら拾い上げた。その有様に、田中舘は「これが戦争
    というものか・・・」とつぶやきながら、論文を気遣うコーナ
    ーを、本物の学者だ、と見て取った。

■4.これから山下に会いに行く■

     田中舘は、この上は一刻も早く強力な手を打たなければなら
    ない、と思い、「コーナー君、これから山下に会いに行く。そ
    して文化財の保護を頼む。君も一緒に来るんだ」と言った。
    
    「ヤマシタ? その人は誰ですか?」と聞くコーナーに、田中
    舘は「シンガポールの支配者・山下奉文軍司令官だ」と、こと
    もなげに答えた。「オー、ノー」コーナーは怯えるように首を
    ふった。
    
     山下司令官は開戦と同時にマレー半島に上陸し、約3万5千
    の兵力で、8万の英豪軍を蹴散らしつつ、わずか2ヶ月余りで
    1千キロ以上を南下し、遂にシンガポール占領を成功させた武
    功輝く将軍である。
    
     「心配ない、山下と僕とは大学の同窓だ。学生時代からの親
    友さ」と田中舘は笑った。これはコーナーを安心させるための
    方便であったようだ。
    
     田中舘は、総督官邸にいる山下に会い、二人だけで2時間も
    話し込んだ。会見が終わって出てきた田中舘は、コーナーに
    「大成功だった。山下将軍は、できるだけの援助をしようと言
    ってくれた」と語った。コーナーは後にこう書いている。
    
         その後、教授は私に東条首相より発令された命令のこと
        を伝えてくれた。それは占領下にある東南アジアの国々の
        博物館、図書館、総ての科学標本のたぐいは、その国の国
        民のために保存さるべきことを軍上層部に命じたものであ
        る。その後ろに山下将軍の進言があったことは言うまでも
        ない。

■5.いかに英人学者や現地人雇用者を食わせていくか■

     田中舘は、山下将軍から口頭で博物館と植物園の責任者に任
    命されたが、書面の辞令がなかなか届かず、その間の財政的援
    助は一切得られなかった。田中舘は無給の館長であったが、現
    地人の園丁や雇い人はそういう訳にもいかない。悪い事に、主
    事ヘンダーソンがシンガポール陥落の2、3日前にからすべて
    の金を持ち逃げしていたので、植物園の金庫はからっぽだった。
    
     やむなく田中舘は、私財をはたいて当面の支出をまかなった。
    不足分はその特異な政治的手腕を使って、食糧や金をどこから
    か掻き集めていた。この時期の田中舘の主要な任務は、いかに
    コーナーら英人学者や現地人雇用者を食わせていくか、という
    ことだった。
    
     田中舘はシンガポールに来た時の服を何ヶ月も着たままなの
    で、ぼろぼろになってしまった。博士は平気な顔をしていたが、
    コーナーは気の毒に思って、空き家で見つけた上着やズボンを
    プレゼントしたが、大きすぎて、いかにもおかしかった。
    
     そこまでしてシンガポールの文化財を守ろうとする田中舘や
    コーナーらの努力に感謝して、こっそり資金援助をしてくれる
    華僑も出てきた。

■6.学問への深い敬意■

     山下将軍の軍政顧問としてシンガポールにやってきた徳川義
    親侯爵は、自身が生物学者であり、田中舘らの活動に深い理解
    を寄せた。侯爵はチャンギー刑務所に収容されていたイギリス
    人学者たちを引き取って、博物館と植物園に配属させ、各自の
    研究を続けさせた。
    
     それを聞いて、日本軍の憲兵が飛んできて、「スパイされた
    ら、どうします?」と問うと、「少しくらいスパイされて、負
    けるような日本軍なのか?」と叱って、追い返した。侯爵は後
    に、博物館と植物園を兼ねた総長に就任し、田中舘を全面的に
    バックアップした。
    
     マレーのジャングルの研究では第一人者と呼ばれるC・F・
    シミントンは、コーナーの友人であり、マレーの林務官と植物
    学者のための手引き書を数年がかりで書き上げていたが、出版
    前に戦争となり、原稿はクアラルンプールの出版社に置かれた
    まま、彼は行方不明となっていた。
    
     この件をコーナーから聞いた田中舘は、「それは大変な事
    だ」と驚き、すぐに山賊やゲリラの徘徊するマレー半島を無防
    備の車でクアラルンプールまで北上し、ゲラ刷りの原稿を発見
    した。原稿は、徳川侯爵と田中舘が費用を負担して、500部
    印刷された。コーナーは後にこう記している。
    
         著者のシミントンは、自分のライフワークが戦火の中を
        生き残り、敵国日本人によって救出され、出版され、そし
        て敵国人からも同胞からも高く評価されたことを知ること
        もなく、失意のうちに亡くなった。(中略)
        
         侯爵と教授が自腹を切り、大金をはたいて英国人の一業
        績を出版したのは、学問への深い敬意があったからにほか
        ならない。戦争の真っ最中、敵国人の仕事を英語で出版し
        ていかなる利益があるというのか。

■7.何か高貴な力に守られている■

     その年の12月も押し迫った頃、田中舘は一時帰国すること
    となり、コーナーの著書「マレーの路傍の木」をトランクに入
    れながら、「これは献上するつもりだ」と語った。「献上」と
    は何を意味するのか、コーナーには分からなかった。
    
     翌年1月、田中舘は博物館に帰任すると、コーナーを館長室
    に呼んだ。彼は突然立ち上がり、直立不動の姿勢をとり、「起
    立! 気をつけっ」と大声で号令をかけた。びっくりして立ち
    上がったコーナーに、田中舘は続けた。
    
         賢くも大日本帝国天皇陛下には、マレーの写真と貴殿の
        著書「マレーの路傍の木」をご受納あらせられ、ことのほ
        か感謝しておられる。これは余が献上申し上げた故である
        が、漏れ承ったところによれば、貴殿の本は陛下がお床の
        中で読まれた唯一の本である。終わり。着席。
        
     コーナーは唖然とした。教授の話が本当かどうか疑いつつも、
    忘れがたい印象を受けた。
    
         その話は博物館中に知れ渡った。その時から私とバート
        (同僚)は自分たちが比較的自由に博物館の仕事をしてい
        られるのは何か高貴な力に守られているからだという気が
        してならなかった。

■8.敗者の贈り物■

     徳川侯爵が総長となり、また日本から二人の学者が、植物園
    長、博物館長として赴任してきた。田中舘教授の仕事はほとん
    どなくなり、日本の学術研究会議から教授に帰還命令が出され
    た。田中舘は昭和18年7月に寂しく祖国に帰っていった。
    
         田中舘秀三教授がいなかったらシンガポールの博物館と
        植物園と図書館は跡形もなく滅び去っていたであろう。若
        き世代に残すべきものを失い、自分達の時代を子供たちに
        誇り高く語って聞かせることもできなかったであろう。た
        とえ一粒の種は小さくとも、一粒の塩は無に等しくとも、
        それは人類を救う大きな力になりうる。教授は傷つき、寂
        しく島を後にした。だが私たちは彼の遺志を受け継ぎ、希
        望の灯を高々と掲げ続けたのである。

     昭和20年8月、日本軍が降伏し、9月には英軍が上陸した。
    英人捕虜が釈放されるのと同時に、博物館と植物園に残ってい
    た日本人学者達が抑留された。コーナーは英軍司令部に占領中
    の彼らの功績を説明して釈放を願い出たが、日本人学者達は同
    胞と共に収容所に留まる道を選んだ。
    
     コーナーはその夜、ただ一人、植物園の庭を歩きまわりなが
    ら、占領中の思い出に浸った。
    
         私の心を激しく打ったのは勝った日本人科学者の思い遣
        りや寛大さというより、敗けてもなお、これだけ立派で、
        永久に後世に受け継がれてゆく業績を残した彼等の偉大さ
        であった。
        
         敗残者は今や勝利者である敵性人の心に大いなる勝利の
        印を刻みつけた。敗けてなお勝つということはこういうこ
        とを言うのだ。私はその大きさに圧倒され、夜空の下でい
        つまでも立ちすくんでいた。国家も、政府も、そして民族
        も、繁栄しては衰退し、そして破局を迎える。だが、学問
        は消して滅びない。私はこのことをシンガポールで、日本
        人科学者との交流を通じて学んだのである。
        
■リンク■
a. 002 国際社会で真の友人を得るには
 「インド独立の為に日本人が共に血を流してくれたことを忘れま
    せん」
    http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h9/jog002.htm

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
1. 「昭南島物語 上下」★★★、戸川幸夫、H2.7、読売新聞社
   
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ おたより _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■前号「Media Watch: 公開論争〜朝日新聞 vs. 建設省」について
                                              Y.Tさんより

     朝日新聞の歴史には,記事の捏造を始め,マスコミとしてあ
    るまじき行動が多々ありますが,戦後は一貫して進歩的スタン
    スで徹底しており,それはそれで,一定の主義主張に基づいた
    報道姿勢として,容認しても良いかと思います。

     問題は,朝日(に限らず大手各紙)が不偏不党と言う看板を
    掲げていることです。米国の新聞は,大統領選挙等では,各紙
    の立場を鮮明にし,それぞれ支持する候補者を明らかにしてい
    ます。現在の日本の新聞に求められるのは,それぞれの立場を
    もっと明確にすることではないでしょうか?

     記事の扱いなどで,自社の立場を表明するのではなく,明確
    に,各紙が理想とする社会体制や,現憲法に対する考え方,日
    米安保体制の評価などを表明し,旗幟鮮明にするべきだと考え
    ます。もし,経営上の理由でそれが出来ないというなら,それ
    は自らの立場を,単なる商業上の利益を得るための売文業に貶
    めるもので,とても社会の木鐸などとえらそうなことは言えな
    いはずです。

                                            Nakamuraさんより

     渓流釣りをやる人間なら誰も知っていますが、川は山に生ま
    れ森に育まれ、海にかえります。川に生きる生物は、これらの
    健全性のバランスの上に生きています。特に海まで下るサツキ
    マスの場合、周辺海域の状況にも大きく左右されるでしょう。
    河口堰にこだわり、複眼的な視点を忘れた朝日の姿勢は報道機
    関として未熟なものだと思います。
    
     しかし、それが朝日の読者が求めるものであり、それに迎合
    することが部数維持のための方針であるなら、マスコミの虚言
    を見抜く見識を持たぬ読者全体の低レベルが更に問題です。朝
    日に限らずマスコミ言論の奥行きのなさやばかばかしい特ダネ
    競争は、結局みんなで作り出してしまったものかもしれません。
    
                                            匿名希望さんより

     聞くところによると、インターネット上の論争がはじまって
    から、くだんの記者が、それまで傍聴したことのなかった「モ
    ニタリング委員会」に顔を出し、記者会見でモニタリング委員
    への個人攻撃に近い質問を連発してひんしゅくを買っていたそ
    うです。私はこのインターネット上の論争が建設省のみならず、
    モニタリング委員の名誉も守ったと考えています。
    
■ 編集長・伊勢雅臣より

     「不偏不党と言う看板」を掲げながら、紙面で読者を自社の
    思想に誘導しようとしているのか、はたまた、読者の求めるも
    のに迎合しているのか、どちらにしろ、今回の論説は報道機関
    としての正道を踏み外しています。
    
     読者からのご意見をお待ちします。本メールへの返信で届き
    ます。ご意見は、本誌おたより欄掲載させていただく場合があ
    ります。メール・アドレスは伏せます。掲載不可、匿名または、
    ハンドル名ご希望の方はその旨、明記下さい。おたより欄掲載
    分には、薄謝として本誌総集編を差し上げます。

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