国際情勢

Japan on the Globe 国際派日本人養成講座

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Japan on the Globe(85) by CLICK INCOME

1999/05/01

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        _/  _/    _/  _/           Japan On the Globe (85)
       _/  _/    _/  _/  _/_/      国際派日本人養成講座
 _/   _/   _/   _/  _/    _/    平成11年5月1日 8,384部発行
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_/_/  人物探訪:2万人のユダヤ人を救った樋口少将(上)
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_/_/           ■ 目 次 ■
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_/_/    1.偉大なる人道主義者、ゼネラル・樋口
_/_/    2.ユダヤ人排斥は日本の人種平等主義に反する
_/_/    3.ユダヤ人の脱出ルートを確保した日本
_/_/    4.反ナチ派の闘士・カウフマン博士の依頼
_/_/    5.ユダヤ人に安住の地を与えよ
_/_/    6.日独関係とユダヤ人問題は別
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■1.偉大なる人道主義者、ゼネラル・樋口■

   エルサレムの丘に高さ3m、厚さ1m、本を広げた形の黄金の
  碑が立っている。ユダヤ民族の幸福に力をかした人々の恩を永久
  に讃えるために、と世界各国のユダヤ人が金貨や指輪などを送っ
  て鋳造したものである。[1,p516]
  
   モーゼ、メンデルスゾーン、アインシュタインなどの傑出した
  ユダヤの偉人達にまじって、上から4番目に
  
      「偉大なる人道主義者、ゼネラル・樋口」
  
  とあり、その次に樋口の部下であった安江仙江大佐の名が刻まれ
  ている。樋口季一郎少将−6千人のユダヤ人を救ってイスラエル
  政府から「諸国民の中の正義の人賞」を授けられたた外交官・杉
  原千畝氏(本講座21号で紹介)とともに、日本人とユダヤ人と
  の浅からぬ縁を語る上で、不可欠の人物である。
  
■2.ユダヤ人排斥は日本の人種平等主義に反する■

   1933年にドイツにナチス政権が誕生して以来、大量のユダヤ人
  難民が発生した。しかし、難民を受け入れる国は少なく、ユダヤ
  人に同情的だった英米でさえ、入国を制限していた。難民のドイ
  ツ脱出がピークに達した39年には、ドイツ系ユダヤ人難民930
  人を乗せたセントルイス号が、英国、米国での接岸をそれぞれの
  沿岸警備隊の武力行使によって阻まれ、結局はドイツに戻って、
  大半が強制収容所送りになるという事件も起きている。[2]
  
   こうした中で、当時の日本政府もユダヤ人難民に対する方針を
  明確にする必要に迫られ、39年12月に5相会議(首相、外相、蔵
  相、陸相、海相)で「猶太(ユダヤ)人対策要綱」を決定した。
  
   その内容は、ユダヤ人排斥は日本が多年主張してきた人種平等
  の精神と合致しない、として、
  ・ 現在居住するユダヤ人は他国人と同様公正に扱い排斥しない。
  ・ 新たに来るユダヤ人は入国取締規則の範囲内で公正に対処す
     る。
  ・ ユダヤ人を積極的に招致はしないが、資本家、技術者など利
     用価値のある者はその限りではない。(すなわち招致も可)
   という3つの方針を定めたものであった。[3]

   1919年、国際連盟の創設に際し、人種平等条項を入れるように
  提案した(本講座53号、米国大統領の拒否により失敗)事に見
  られるように、当時の日本は有色人種の先頭に立って、人種平等
  を訴えていた。その立場からしても、ユダヤ人排斥は当然反対す
  べきものであった。

■3.ユダヤ人の脱出ルートを確保した日本■

   この方針は現実に適用された。当時の日本軍占領下の上海は、
  ビザなしの渡航者を受け入れる世界で唯一の上陸可能な都市だっ
  た。ユダヤ難民は、シベリア鉄道で満州のハルピンを経由し、陸
  路、上海に向かうか、日本の通過ビザを取得して、ウラジオスト
  ックから、敦賀、神戸を経由して、海路、上海を目指すルートを
  とった。
  
   杉原千畝氏が命がけで日本の通過ビザを発行した6千人のユダ
  ヤ人難民は、後者のルートを通った。そして、前者のルートで3
  万人のユダヤ人を救ったのが、本編の主人公・樋口季一郎少将で
  ある。
  
   ちなみに、当時の上海には、2万7千人を超すユダヤ人難民が
  滞在していた。42年には、東京のドイツ大使館からゲシュタポ
  (秘密治安警察)要員が3度にわたって、上海を訪問している。
  この事実をつきとめたドイツ・ボン大学のハインツ・マウル氏は、
  上海にドイツと同様のユダヤ人強制収容所を建設する事を働きか
  けたと見ている。
  
   しかし日本側は居住区を監視下においたが、身分証明書を示せ
  ば自由に出入りできるようにしており、大半のユダヤ人は戦争を
  生き抜いて、無事にイスラエルや米国に移住した。
  
   猶太(ユダヤ)人対策要綱は、日米開戦後に破棄され、新たに
  難民受け入れの禁止などを定めた対策が設けられたが、ここでも
  「全面的にユダヤ人を排斥するのは、(諸民族の融和を説く)八
  紘一宇の国是にそぐわない」とした。樋口季一郎少将はこの精神
  をそのまま体現した人物であったと言える。

■4.反ナチ派の闘士・カウフマン博士の依頼■

      「夜分、とつぜんにお伺いしまして、恐縮しております。」
  
   流暢な日本語でカウフマン博士は毛皮の外套を脱ぎながら言っ
  た。昭和12(1937)年12月、満州ハルピンの夜は零下30度
  近くまで下がり、吹雪が続いていた。
  
   博士は、50を超えたばかりの紳士で、ハルピン市内で総合病
  院を経営し、日本人の間でもたいへん評判のよい内科医であった。
  大の親日家であると同時に、ハルピンユダヤ人協会の会長として、
  反ナチ派の闘士でもあった。

   カウフマン博士が訪ねたのは、8月にハルピンに赴任してきた
  ばかりのハルピン特務機関長・樋口季一郎少将である。
  
   樋口少将は、着任早々、
      
       満州国は日本の属国ではないのだ。だから満州国、および、
      満州国人民の主権を尊重し、よけいな内部干渉をさけ、満人
      の庇護に極力努めるようにしてほしい。

   と部下に訓示し、「悪徳な日本人は、びしびし摘発しろ」と命
  じた。カウフマン博士は、その樋口に重大な頼み事を持ってきた
  のである。
  
   それは、ハルピンで極東ユダヤ人大会を開催するのを許可して
  欲しいということだった。ナチス・ドイツのユダヤ人迫害の暴挙
  を世界の良識に訴えたいというでのある。
  
   樋口はハルピンに来る前にドイツに駐在し、ロシアを旅行して、
  ユダヤ人達の悲惨な運命をよく知っていた。樋口は即座に快諾し、
  博士を励ました。[1,p45]
  
■5.ユダヤ人に安住の地を与えよ■

   翌13年1月15日、ハルピン商工倶楽部で、第一回の極東ユ
  ダヤ人大会が開催された。東京・上海・香港から、約2千人のユ
  ダヤ人が集まった。樋口も来賓として招待されたが、部下は身の
  危険を心配して辞退するよう奨めた。
  
   当時のハルピンでは、白系ロシア人とユダヤ人の対立が深刻化
  しており、治安の元締めである機関長がユダヤ人大会に出席して
  は、ロシア人過激分子を刺激して、不祥事を引き起こす恐れがあ
  ったからだ。
  
   しかし、樋口は構わず出席し、カウフマン博士から求められる
  来賓としての挨拶をした。曰く、
  
       ヨーロッパのある一国は、ユダヤ人を好ましからざる分子
      として、法律上同胞であるべき人々を追放するという。いっ
      たい、どこへ追放しようというのか。追放せんとするならば、
      その行先をちゃんと明示し、あらかじめそれを準備すべきで
      ある。
    
       とうぜんとるべき処置を怠って、追放しようとするのは刃
      をくわえざる、虐殺にひとしい行為と、断じなければならな
      い。私は個人として、このような行為に怒りを覚え、心から
      憎まずにはいられない。

       ユダヤ人を追放するまえに、彼らに土地をあたえよ! 安
      住の地をあたえよ! そしてまた、祖国をあたえなければな
      らないのだ。

   演説が終わると、すさまじい歓声がおこり、熱狂した青年が壇
  上に駆け上がって、樋口の前にひざまずいて号泣し始めた。協会
  の幹部達も、感動の色を浮かべ、つぎつぎに握手を求めてきた。

■6.日独関係とユダヤ人問題は別■

   大会終了後、ハルピン駐在の各国特派員や新聞記者達が、いっ
  せいに樋口を包囲した。イギリス系の記者が、ぐさりと核心をつ
  いた質問をしてきた。

       ゼネラルの演説は、日独伊の三国の友好関係にあきらかに
      水をさすような内容である。そこから波及する結果を承知し
      てして、あのようなことを口にしたのか。
    
   樋口はまわりを取り囲んだ十数人の新聞記者やカメラマンにや
  わらかい微笑をかえして言った。
  
       日独関係は、あくまでもコミンテルンとの戦いであって、
      ユダヤ人問題とは切りはなして考えるべきである。祖国のな
      いユダヤ民族に同情的であるということは、日本人の古来か
      らの精神である。日本人はむかしから、義をもって、弱きを
      助ける気質を持っている。・・・
    
       今日、ドイツは血の純血運動ということを叫んでいる。し
      かし、それだからといって、ユダヤ人を憎み、迫害すること
      を、容認することはできない。・・・
    
       世界の先進国が祖国のないユダヤ民族の幸福を真剣に考え
      てやらない限り、この問題は解決しないだろう。
    
   樋口の談話は、それぞれの通信網をへて、各国の新聞に掲載さ
  れた。関東軍司令部内部からは、特務機関長の権限から逸脱した
  言動だとの批判があがったが、懲罰までには至らなかった。ユダ
  ヤ人迫害は人種平等の国是に反するという国家方針に沿ったもの
  であったからであろう。
  (続く)

[参考]
1. 「流氷の海」、相良俊輔、光文社NF文庫、H6.1
2. 「ユダヤ人排斥、日本政府拒む」、産経新聞、H10.3.30
3. 「人種平等を貫いた日本のユダヤ人政策」、宮澤正典、
  日本の息吹、H10.9

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/★★読者の声★★_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
★★JOG(82)「国柄探訪:日本の民主主義は輸入品か?」について
                        金子 健様より
   
   興味深く読ませていただきました。 文中において、古代ギリ
  シア、ローマ、ゲルマン社会で行われていた民会と日本神話を対
  比されています。 しかし、歴史的事実である民会と単なる神話
  を同義に扱うのは合理的ではあるとは思えません。 日本の先進
  性を神話を用いて訴えるのは国粋主義的ではないでしょうか。 
  
★編集部より

   たとえば神話どうしを比べてみても、旧約聖書で人類の増長を
  怒って、ノア一家以外のすべてを洪水で滅ぼしてしまうGODに
  比べれば、日本の神集いははるかに民主的だと感じますがいかが
  でしょうか。
   また古事記は神話ですが、魏志倭人伝の中にも、ヒミコが「共
  立された」という事を、本文の中で紹介しているとおり、当時の
  実際の社会状況をある程度、反映しているとかんがえられます。

★金子健様より

   お忙しい中、ご返答ありがとうございます。 さて、今回のご
  返答にありましたように東西の神話同士を同義に扱われるのであ
  れば疑問は感じません。 我々日本人の「和をもって貴しとな
  す」の精神は時に裁判に訴えてでも白黒をハッキリさせる欧米の
  文化とは異質ではありましょうが、決して優劣があるとは思いま
  せん。 

★★教科書の教えない日本の自由と民主主義の歴史
                      htakenaka様より

   記事を読んで深く共感しました.高校で日本史を勉強したとき
  に感じたのは,近現代史では異常なほど明治維新の「後進性」ば
  かりが強調されてアジアで植民地化を免れることができた日本の
  「先進性」がほとんど無視されていることでした.
  
   大学では日本経済史を専攻しましたが,たいがいのテキストは
  やはり明治維新の「反動性」(王政復古のことを指すそうです)
  や「半封建的性格」などのオンパレードです.残念ながら歴史研
  究・教育の分野は,いまだにマルクス主義の影響が強く,自国の
  近代化の過程を素直に理解できない人を育てる場になっている印
  象があります.
  
   従来の歴史観の眼目は,太平洋戦争の「敗戦」の萌芽が既に明
  治維新にあったということを証明する(論証不可能な命題です
  が)ことであり,地主と財閥による「階級抑圧」が歴史を歪めて
  きたことを示すことにあります.このような色眼鏡でわが国の戦
  前史を見ると,国民的なレベルで自由と民主主義を目指したプロ
  セスが完全に欠落してしまいます.

   明治以来の自由民権運動は,立派な民主主義運動ですが,これ
  も雄藩内部の権力闘争と下級士族の不満に矮小化されています.
  確かに今日の私たちからすると民権運動にはずいぶん過激な側面
  もあったのは事実ですが,その主張と内容からすれば議会制民主
  主義を目指していたことは明白です.さらに大切なことは,明治
  政府も部分的とはいえ,その主張を受け入れ,議会を開設したこ
  とです.制限選挙であったことなど現代と異なる点ばかりを見る
  と,戦前にも民主主義があったということが見失われてしまいま
  す.

★編集部より
   条理をつくしたご意見ありがとうございました。自由民権運動
  についてはいずれ、本講座でとりあげたいと思います。

★編集部より ご感想をお送り下さい。特に体験的なご意見を歓迎
  します。採用分には、本講座平成9-10年度版総集編を贈呈します。

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